「地球が燃えている」ナオミ・クラインを読んで

人新世の資本論」の斎藤幸平氏が勧めていたので、図書館で借りてみた。

副題にある「気候崩壊から人類を救う グリーン・ニューディールの提言」とあるように、1929年以降の大恐慌に対する社会保障からアートまで包括的な政策だった、米国のフランクリン・ルーズベルト大統領のニューディールの気候変動版の提言が主目的だ。

序章は若者たちの環境活動から入り、自ずとグレタ・トゥンベリの紹介になる。斎藤幸平氏も「人新世~」はグレタ・トゥンベリへの返答と言っていたように、彼女の影響力は計り知れない。

他国では八歳くらいから気候変動について学ぶようだ。日本との教育の水準の違いが大きい。だから少年少女が堂々とデモを行えるのでろう。そしてそのような最初は小さな行動が、大きなうねりへとなっていくのか。

今のままだと今世紀中に地球の気温の上昇幅が現在の四倍になると推定されているが、以前に大気中の二酸化炭素の量がこれほどの水準だった時代には、まだ人類は誕生していなかったのだ。それほどの危機なのである。

人間は崇敬する母のような存在だった自然を見下し始めたことが環境破壊の端緒だろう。そして、

世界の温室効果ガス排出量のほぼ50%は、世界の人口の中でもっとも豊かな10%によって生み出されている。もっとも裕福な20%が、70%を生み出している。

その悪影響は貧しいものへと転嫁されている。そんな富裕者は既得権益を死守するために、環境活動へと抵抗する。

そんな傲慢化した私たち人類は、自然は無限であり、いくら採取しても代替物があり、どうにかなると欲望のままの拡張主義で搾取してきた。拡張主義は資本主義と同意義なのかもしれないが、対する共産主義がいいのかというと、そうてもなく、ソビエト時代の国家社会主義は資本主義も凌ぐほどの資源の乱獲をしていたらしい。

そして著者はミスタイミングを悔恨する。つまり、1980年代の新自由主義全盛期末に、企業の規制撤廃を推進する動きが広がり、市場に支配される生活が浸透し、大量消費が始まった。それが人々の心の障壁となって、大きく環境問題に対峙できない。

著者の気候変動に対する有効的な行動については、エコバックだリサイクルだと、個人的な行動ではもうどうにもならないという。もっと集団的行動が必要だと。一丸となって、化石燃料からの脱却、インフラの強靭化を行わなければならない。    

集団的行動とは、斎藤幸平氏も提唱している「コミュニズム」だろう。みんなが自分事と捉え、共同し地域社会を作っていく。そうすることによって巨大化による権力の強圧的な行使を防ぎながら、地産地消でエコロジカルな社会を作り上げていくこと。

次の点も斎藤氏と同意見だ。それは「冨の再分配」だ。環境破壊の大きな要因を作った石油会社大手五社の合計利益のわずか4%しか「再生可能エネルギーや代替エネルギーのベンチャー企業」に投資してない。それ以外の多くの利益を株主の懐、ブルシットジョブな役員の高額報酬、そして従来よりも汚染が多く危険な化石燃料抽出の新技術へ注ぎ込んでいる。

それらの気候変動の要因の改善、それに付随する社会問題を是正するマニフェスト「リープ・マニフェスト」に著者は多く関わり、発展させていった。その内容と経緯も書かれている。さの先に希望がある。

構成として、ナオミ・クラインの活動が2010年から約10年間が時系列で書かれている。体裁はルポルタージュ、思索的論考、一般講演原稿、家族の生活も垣間見れるような環境問題の体験談的なものもある。なので部分的に重複するような部分もあるが、それは重要性と再確認を読者に促すだろう。

ともかく著者の市井から高官までとの幅広い交流や動的な活動、それに伴う思索の広さと深さに驚嘆する。机上だけで書かれたものではなく、デモに参加し肌で環境の変動と危機を感じ取っている内容はとても惹きつけられる。

出版に際してのインタビューの動画集がありました。


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