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一人っ子だから一人好きなのか?

 今朝のラジオで「孤独」についてはなしていたので、下書きで残しておいたこの記事に加筆してみようと思う。

僕はソロキャンプが好きです。今のように流行る前から行ってました。当時は平日ということもあって、ほぼ僕一人でした。しかし今では数個のテントが必ず 張られています。

 そんな現況でも、仕事中のお客様との会話で、
「一人でキャンプへ行ってきました」とお話しするとまだ8割り方、やや
引かれます

 これは「血液型はAB型です」と言った時の反応に似ていなくもない。必ずと言っていいほど、「二重人格!?」とか言われて引かれます。

「えー!一人で」「一人で寂しくない?」

「いや〜、気ままで楽ですよ」「一人は楽しいですよ」などと応えるが、理解されてる感は少ないです。

と、いうことは、独りが楽で気ままと思える方が少ないということなのでしょうか。一人でいるよりも、誰かといた方が楽しいということなのでしょうか。
僕にとってそれはあまり居心地がよくありません。もちろんお客様の中にも「独り好き」の方はいらっしゃって、そんな時はお互い共感して盛り上がる。共通しているのは、人といると気を使うということです。それで疲れてしまう。これは一つの自意識過剰だと思っています。

じゃあそうなった起因は何なのだろうとなると、僕の場合は「一人っ子」だからなのか。ちなみに共感した方々はご兄弟がいる。だからこれは普遍的な真理ではない。

「一人っ子」という言葉にある種の劣等感を持って意識しだしたのは、小学生の低学年くらいの時か。確かに我が家は兄弟のある他の子供達と比べて、おもちゃが多かった。だからそれを餌にして友達を呼んだり、それを目当てに遊びに来るいうこともあった。そのときに、

「一人っ子だからこんなにおもちゃを買ってもらえるんだろ」

なんて言葉が聞こえてきた。この自説「おもちゃの多い子=一人っ子」は我が子の話を聞いても、現在でも通用するのではないかと思う。もちろん経済的な違いもあるが。

 そしておもちゃは自由に操れる友達でもあった。プラモデル、超合金の人形、なぜか我が家にもいたリカちゃん人形など。よく一人遊びをした。自説「一人遊びも一人っ子固有のものか」は、我が子の姉弟、女と男という性差もあるのか、兄弟がいてもお互いに一人遊びをしていたので当てはまらなくなった。

自説「一人っ子は社交的ではない」

これが今回のテーマみたいなものだ。そういう僕は小学生時代は結構社交的だった。ほぼ同学年の子どもたち全員と遊んだ。しかし、

よくドタキャンをした。

気分が乗らないと居留守を使ったりと、今思えば嫌な子供だった。そして段々と友達を選ぶようになった。それは多分誰でもそうなっていくのだろうが、僕の場合は極端になっていった。終いには一人だけとしか遊ばないようになった。

 それはなぜなのか。思うに幼少の頃のおもちゃ遊びに端を発した、自分の思うように、つまり気を使わずに付き合える相手を厳選した結果だろう。人間そんなに多くの人と性格が合うわけではない。社交的な人はその許容範囲が広い人だろう。僕の場合はその範囲がとても狭く閉鎖的になった。それは元来の

「我儘と一人遊びの愉悦」

にあると思う。自説「一人遊びも一人っ子固有のものか」は否定されている。「一人っ子は我儘か」は今まで接してきた一人っ子には共通していない。とても社交的な一人っ子もいた。つまり「一人好き」は一人っ子だからとは関係がない。ちなみに僕の一人好きに拍車をかけるような環境、この理容業という、他の職種と休みが違うこともあった。なので更に一人で楽しめるもの、本、音楽、映画、アートに興味を持った。今ではそれにソロキャンプも加わった。やはり自由気ままな我儘だと思う。
そんな事を思っていたら、家族で食事をして、飲んでいる時に
やっぱりお父さんって、ワガママだよね〜

と盛り上がっていた

 一人っ子より長子や末子の方がそれぞれに特徴的な傾向がある気がするな。

ここからが加筆部分。

「孤独」と「一人好き」は違うと思う。僕は一人好きだけど、孤独とは思っていない。家族がいるから。孤独は


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