#7 (2021年6月9日)

日常に代わり映えがなく退屈すぎる。なんやこの日々は!!完全にニートやんけ!!部屋にこもりすぎて社会から孤立しているかのような自覚が芽生え透明になりかけているが買い物した際にレジの店員が普通に接客してくれることでかろうじて疎外感を排除している。あれ?自己肯定感低くない?って思うけど引きこもったら自己肯定感も低くなるわな。筋トレは最強のメンタルを鍛えるとかいわれるけど、心が弱ってるときは筋トレなんてやる気にもならないわ!!それでもこれが常人だったら耐えられなくて腐るんだろうな、自分だから大丈夫なんやろなぁとか思いながら生活している。先日も夜中眠れなくて散歩に出たのだが、誰もいない道を歩いていると突然小さい女の子が泣き叫ぶような声が耳に入り驚いた。あの時の心臓の小ささはジャングルポケットのおたけの脳みそくらいだろう。周囲を振り返っても人の姿はないので、いよいよ幻聴まで聞こえるようになったか?それともイタズラでもくらってるのかと被害妄想を膨らませたが、その正体は野生のキツネでした。めっちゃ威嚇するやん寂しいんか?その日の散歩では街を一望できるくらいの所まで歩き夜景に浸っていた。こんな街でも捨てたもんじゃないなと思った。あとパチンコ屋の明かりが目立ったけど何時まで開いてるんや?とも思った。終わり


話は飛んで過去の記憶を最近思い出したので記していこ、、、

自分には双子の兄がいる。小学生の高学年くらいの時の話だが、兄だけが友達に誘われゲームをやりに行ったことがあった。その時、自分はなんで誘われなかったのだろうと家で拗ねた(なんでかは覚えていない)。大体遊びに行く際には兄と自分は一緒なことが多かったため余計拗ねたのだろう。可愛いわね昔のワイ。そんな家で退屈で拗ねていた時に母が「お母さんと一緒にゲームやろっか」と言い、ゲームキューブのマリオパーティをやった記憶がある。母は特別ゲームが好きでもないし、ましてやマリオパーティなんてやったことがなかったはずである(バイオはやってたな)。拗ねていた自分だっただけに、その母の誘いの嬉しさは何倍にも膨れ上がり今でも覚えている。そんな記憶を思い出し自分の母親は「母」としてあるべき姿だなぁ~、教育ってこういうことかと感心した。普段は厳しい母だったのでアメとムチの使い分けが上手いな、と今なら分かる笑。

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