鳥を窓から見て思ったこと

今日は図書館にて、窓際で勉強。

で、鳥がいた。くちばしでなにかをくわえ、それを小刻みに震わせ、落とす。を、繰り返していた。くわえたものが食えるかどうかを、感知したいたのだろう。

また、時々、周囲を見わたしていた。僕と目があって、しばらくこちらの様子をうかがっていたこともあった。

【思ったこと】
①今日、飯が食えるかどうかは、その日次第。

まず、これだ。人間はスーパーやレストランなどに行けば、食い物にありつける。だが、鳥などの野生動物は、今日飯にありつけるかどうかは、その日にならないと、わからないのだ。冷蔵庫みたいに、腐らせずに長く食料を貯蔵できるものがあるわけではあるまいし。(まあ、どこかに隠したりもできるかもしれないけど)

②いつ命が終わるか、分からない

当たり前だが、敵に襲われたらアウトだ。そのため、いつでも逃げられるようにしておかなければいけない。緊張が、常にある感じなのだろうか。

③「今」に必死(①,②からの帰結ともいえる)

彼らは遊んでもいるかもしれないが、エサにありつくのに必死だし、敵から身を守るのに必死だ。死んだら、終わりだからだ。ということで、必然的に「今」を必死に生きることになる。

ということを考えて文にして投稿する僕。人間って、生ぬるく生きられるようになってしまったのだなあ。

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