100km ウォーキングチャレンジ
ゴールデンウィークチャレンジ♪
新型コロナウィルス感染症でしばらく中止されていた100kmウォーキング大会が2022年に開催するということでエントリーし、ここに記しておきます。
まず、結果としては次のとおりです。
1.100km完歩
2.24時間10分(制限時間10分オーバー)
3.足の裏の皮が一部マメとなる(痛てて)
4.両耳と両腕の軽い火傷(あちち)
5.自己理解促進(人混みが嫌いな理由、心理的成功を重要視する特性)
6.自己アダプタビリティー
・・・なかなか結果としては微妙な点もありますが、結果は結果♪現実は現実として受け止めなければなりません(笑)
Q.なぜ100kmウォーキングにチャレンジしたのか?
A.特に専門的な知識や技術が必要としない自己理解を深めるため
Q.なぜゴールデンウィークなのか?
A.足等の身体的負担が大きいため疲労回復できるスケジュールを確保
Q.100km歩けるようになって何かメリットがあるのか?
A.特にはない。しかし、デメリットもない。
今回は試練ばかり!
今回は100kmウォーキングチャレンジは3回目でした。
これまではある程度計画的にトレーニングしたり、準備することができました。
・・・が、今回は4月から同僚が2人も適応障害で不在となり、そのカバーをするため仕事に追われ、このチャレンジは色々な理由で地獄となってしまうことに(笑)
地獄の理由
①前日まで仕事&残業
②大会会場まで深夜(午前2時過ぎまで運転で移動)
③大会前日(当日)睡眠時間2時間
④大会2日前に成分献血(4サイクル)
⑤トレーニングができない(大会2週間前には一切練習できず)
⑥今回初めてのコース(地理感がない)
なかなかの厳しい条件となってしまいましたが、ちゃんと地獄で生き延びる理由もあります♪
強み&資源
①過去に2回100kmウォーキング達成
②天候が良好
③参加者が多い
④秘密兵器(ウォーキングポール)を用意
⑤仕事の不満というアンガー
・・・ここで一番の強み&資源は、やはり過去の経験だと痛感!
②と③は見事に当てが外れました(笑)
では、本題である100kmウォーキングチャレンジ♪
前日の仕事で残業のため大会会場まで深夜運転となり、睡眠時間は2時間だけになってしまいました(泣)また、大会2日前に献血したり、トレーニングをできずに複雑な心境の中スタートへ・・・
とにかく参加者が多い!
前後50m以内には必ず参加者いるという状況で常にストレスを受けました。理由としては、自分がHSPであることと、ソーシャルディスタンスを意識しないといけなったり、グループ参加している集団を追い抜くことによる負担が大きい等です。あとは、人数に対してトイレが限られていたため、待機時間も少なくありませんでした。
日中は天候が良好!
天気は快晴でウォーキング日和であったのですが、徐々に気温が上がり、最高26℃となりました。しかし、夜になると4℃まで冷え込み、気温差は20℃以上となりました。そのため、着替えや体温調整には相当苦労しました。
スタートから40kmまで特に問題なくウォーキングを楽しむ♪
ここまで平坦な道が続き、とりあえず参加者が多いことでペースが遅いため
景色を楽しみながら参加していました。
40kmから山道へ
しかし、秘密兵器であるウォーキングポールの使用が可能となり、
ウォーキングがより快適になりました。
夕方から夜へ
・・・とにかく眠い。睡魔が酷く、何度も意識が朦朧となる中で参加者の気配で起きるという生き地獄へ突入しました。立ったまま眠るという言葉がありますが、歩いたまま眠ることもこの時の私ならできると確信した瞬間でした。
ついに70kmを越えた当たりから足の裏に異常が発生!
マメができて歩く度に痛みを感じるようになったため、ペースが上がらないまま残り30kmを気力で歩き続けました。
最終チェックポイントである90km付近をクリア!
しかし、その後ゴールまでの10kmの間スタッフの方は誰一人もいませんでした。一番心身が厳しい状況の中でのこの現実はあまりにも無情であり、残酷にも私の目には映りました。
足を引きずりながら100kmゴール!
何とかリタイアせず完歩できたことに達成感と満足感を噛みしめながら
何とも言えない空虚な気持ちにもなりました。
チャレンジ1回目は未知の世界で何とかゴールできたことを奇跡に感じることができた。
チャレンジ2回目はアクシデントがあったけど、スタッフの方々からの温かい支えがあって奇跡的にゴールすることができた。
そして、今回は苦しいだけで何の新鮮味もなく、「100km完歩」という有形的結果が残っただけ・・・。
これが私の求めていた答えだったのか?
何回もチャレンジする人にとっては、日々のトレーニングの成果として100kmを歩いた時間を競うのでしょう。しかし、今回の私のチャレンジで証明されたことは、たとえトレーニングしなくても、睡眠時間がなくとも「人(私)は100km歩くことはできる」という事実でした。
きっと今回が初挑戦であれば、決してこのような無謀な状況でのチャレンジはしなかったでしょう。しかし、今回望まなくても過酷な形での参加となり、その結果、悲惨な現実を知ることとなりました。それは、「孤独だと人はこんなにも脆く、成果主義だと手の中の砂のように何も残らない。」ということ・・・まさに現代社会にも当てはまる気がしてならないです。
よく人に「どうして100km歩くのか?」と質問を受けます。
が、私は逆に聞きたい。
・・・「どうしてあなたは生きているのか?」と。
その答えは、解釈も含めて人によって違う。
しかし、私の中では「死があるから生きる」という答えがあります。
生きることが難しいからこそ、生きるのであり、100kmウォーキングも達成不可能であるからこそ、チャレンジする意義や価値がありました。
そういう意味において、私にとっての「100kmウォーキング」は、今回の体験を通じて死んでしまったのです。
今回の体験を通じて感じたは以上です。拙い文章を読んでいただいて本当にありがとうございました。
ぜひ、100kmを歩くことが「自分には」無理だと思う方こそ、人生で1度位はチャレンジしてみて下さい!
少なくとも私は、自分の心身の限界とその先にある成長を体感することができましたし、人との繋がりの大切さも身をもって知ることができました。
今回残念ながら、私にとって100km歩くことがチャレンジにもならないことも痛感するとともにあきらめずにトレーニングすれば、どのような結果もいつかは実現するという人間の可能性も理解することができました!
これから生きていく中で、あきらめそうな時や挫けそうな時こそ、自分の中には100km歩ける力が眠っていることを思い出し、ぜひ自分の能力を解放してあげて下さい。自分を可能性を閉じ込めているのは、他の誰でもない「自分自身」なのですから。