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大工が考える建築チームのつくりかたbyM図建築工房/現在進化中


進化するチームづくり


朝起きるとまず洗面所の鏡に立つ自分に今日もいけるか?と問うてみる。自分がやりたいように仕事がしたくて独立したが中々どうして、試練がつづく。
会社の成長に比例して課題も増えてくれる。社会の課題も会社の課題も先頭に立って解決するのが自分の役割だと心えているのだが、、、。

万能な経営者なら全てを予知して事前に問題を回避して進んでいくのだろう。だが僕は不器用だ。予測はしても実践を重んじるが故に時間がとてもかかるのだ。

手に職があれば何とかなる。そう言われていた時代もあった。しかし手に職だけで生きれる時代は終わったと同世代や先輩大工さんをみて心底思う。手に職+絶対誰にも負けない何かが無ければ食っていけない時代である。

多様性や働き方ここ数年で時代もガラッと変わり職人も生きづらくなった。昨日はお客様と打合せ、今日はスコップを手に取り朝から晩まで1日キャタピラ号に土をひたすら入れる作業、毎日が一瞬で過ぎ去っているようだ。

粘土層から良質な土に変換作業中


10代の頃20代の自分にもスコップを握っていた時代はある。仕事の意味も分からず稼ぐ為にスコップ握って朝から晩まで働いていた。何の為に、、、、。

50代なる僕は何のためにスコップを握るのか?最近よく考える。
お金の為?家族の為?会社のため?お客様様からお願いされたから?全て正解だろうがなんか違う。

スコップを握る大工もいても良いのでは?多様性?意味が違う?




ここでは自分のこれまでの反省とM図建築工房の成長を記す。


クスの木までのルートを確保中


ステップ1 自分で全部やる選択肢


2000年代前半
当時所属していた会社では
自分で設計図を書いて自分の技術で家をつくりたい!でもそんな思い描く仕事がない!
一軒の家を自分の力だけでつくりあげたい!とやる気だけが空回りする。

絶滅寸前の大工職人の品位、地位レベルの向上を目指して
20年間、僕を育ててくれた親方の元を離れ自分の道を進む。

そこで独立したらまずは、なんもかんも自分でやっちゃおう作戦だ。

施主の思いをしっかりと受け継いで形にするのは大工だけで十分だと考えたのだ。当時は自信満々であった。

名古屋まで同級生の居酒屋をつくりに行く。依頼は断らず何でもやった時代。


当然ながらすぐに世の中の厳しさと洗礼を受ける。
なんの戦略もなく誰も自分のことを知らない人達が仕事など依頼するはずもない。そもそもなんの信用も実績もない世間知らずのイタい大工である。そこから数年、大工の修行よりも過酷な日々が数年続くがここでは省く話とする。
詳しくはM図建築工房のあゆみ参照

草刈りも大切な大工仕事だと自分に言い聞かす

住宅づくりのレギュラーメンバー


建築物を完成させるための主な人達

一般的住宅会社
・意匠設計者・現場管理者・営業・コーディネーター ・積算

外部委託
 ・大工、左官、基礎、内装、建具、瓦などの職人(一人親方が多い)、構造設計者

M図創立当初

少しずつ自分で営業し、お仕事を頂きながら図面を書いて見積書をつくり大工作業をしながらその他の職人さん達の段取りをする為に現場管理もしてお客様と打合せ。

夢に描いた独立だ。何もかも自分で出来て楽しい!とても楽しい!,,,営業、設計、見積、大工、現場監督,,,。

ですが体が足りない。体力には自信があったが身も心も疲弊していく。脳まで疲れて本来の力が発揮できない。自然とお客様や協力してくれる業者さん達にも迷惑をかけてしまう悪循環が襲ってきた。

笑ってはいるが疲れ果ていたあの頃

ステップ2  人を雇い入れる


ならば人を雇い入れて助けてもらおう!
これまた単純にはいかない。

忙しいながらもその日の自分の給料を稼ぐでいっぱいいっぱい。入社してすぐ仕事を理解しスーパーマンのようにバリバリ仕事をこなす人など存在しない。仕事を説明、指導するだけ中々効率も上がらなく時間とお金だけが消えていく。

しかし絶対に2人分は稼がないと生きていけない。朝早くから夜遅くまで働いて働いた。
今の働き方改革など当時にあれば即刻追放のブラックであろう。

朝は毎朝6時から前田うどんを食べて1日を頑張る
当時は若手大工集団

ステップ3 妻が会社を辞めてしまう。


2人で少しずつ仕事になれ何とか仕事の量や内容が変化していく、大工らしいリフォームの仕事や店舗の改装工事を頂けるようになってきた。そこで困ったのが現場作業に追われて見積や会計する時間が追いつかない。見積が出せないなと次の仕事が無くなってしまう。

それを見ていた妻が当時勤めていた安定感抜群の優良企業を会社を辞めて過酷な零細企業M図に入社してくれる。
会計の知識が全くゼロだった為、本当に助かった。

その的確な会計のおかげで銀行の信用も得て後に事務所も建築する事ができた。心から感謝している。突然なんの相談も無く辞めて来た時には流石にビックリしたが改めて覚悟ができた。

内容は忘れたが取材をうける


小さな仕事をコツコツと丁寧に頑張っていると必ず誰か見ていてくれて、少しずつ大きめ仕事が舞い込んできたり紹介して頂けるようになる。

妻の影響もあってか自分のやりたい建築をやる為ならまだまだ協力してくれる仲間達が必要だ考え始める。(この頃にひとりの力の限界を理解する)

ステップ4 事務方の雇用

僕たちの仕事を少しでも多くの人達に知ってもらおうと勇気を出して求人を募った。

想像はしていたが、生まれたての名も知らない工務店に募集をかけてもその道のプロ達が来てくれるはずもなく、建築士や大工は誰もこない。簡単なHPはあったが自分の思いとなる理念やコンセプト、スローガンがなど何にもなかったのも今考えれば恥ずかしくてたまらない。

経験者など来ない事がだいたいの雰囲気で分かった。考えてもしょうがないので人を育てる選択肢をする。

誰でも良かった訳ではなかったが建築の経験者で無くても良いと募集の要件を未経験に拡げる逆に異業種からの方からの新鮮な発想に助けられた。現在もある意味幅広い業種の方々がM図で活躍してくれている。

イベントの企画
商工会議所のイベントに参加
椅子作りチーム

きれい事が大事

人が増えるとまぁ大変!ここからは少し反省。
トップであるリーダーがしっかりと分かりやすくビジョンを示さなければ、会社の人達から不平不満が起こり仕事も真っ当にやらなくなります。

仲間うちで喧嘩もするしサボる人も出て来ます。風紀が乱れます。愚痴が多くなり会社の雰囲気が悪くなります。

こうなる原因は間違い無くリーダーの責任です。
本音は自分で考えて自分で行動してくれよー。これ以上どうすりゃ良いの?など僕自身も自分勝手な考えを持ってましたが、理念も無けりゃビジョン会社の目標もない、よく考えればミーティングもない。こんなんでは誰も着いて来てくれません。何にも無さすぎてました。

勿論僕なりの企業する思いはしっかりあったのですが誰にも伝えてませんでした。

大工・建築士を
将来なりたい職業No.1にする
100年後の未来に誇れる建築物を残す

企業理念や行動指針は見る人から見ればきれい事に聞こえます。でもそのきれい事をやり抜く無垢な気持ちがとても大事だと思っています。
歳を重ねると世の中分かった風になり心が擦れてきます。
その時は今一度、初心に帰らなくては取り返しのつかない嫌なことが起こるでしょう。

ここやっと最近の話しですが各部署のリーダーを集めて定期的にミーティングをするようになりました。事前に所属する人達の意見をリーダーがまとめてくれ皆で情報を共有できるようになりました。ようやく本音で語れる雰囲気になってきました。とても大事な事です。

月に一度、全員が集まってミーティングと勉強会をするようにもなりました。勉強会は年間スケジュールを組んで全員が毎月変わるがわる先生になって専門的な学びをします。
いつも楽しみにしている行事です。

山口での勉強会
版板

たぶん僕は社長や経営は得意では無いと思います。
でも頑張ってやりつづけるのです。覚悟と勇気を持ってそして僕がひとりで出来なかった事をチームで解決します。
日本抱える、地域(宮崎)が抱える、家庭が抱える問題を解決するのが僕らの使命です。存在意義でもあります。
まだまだこれからの会社です。
僕の代ではチームづくりは未完に終わるでしょう。
答えがわかりません。
でも成長はつづけていくかと思います。

ヒノキの6角柱一尺サイズ

チームのつくり方は業種や規模、同じ工務店でもキャラや建築の様式でも様々、めちゃくちゃ儲かっている会社をコピーしようとしても上手くはいかないでしょう。

イケている会社、成長している会社は勿論優れた人財、仕事の仕組みづくり、資金力もあるでしょう。しかし一番大事なのはな事は一緒に働いてる人たちにリーダーの熱意が伝わっている。働き方改革や多様性などと言われているが仕事に対する情熱を持っている人達がたくさんいます。

僕の仕事は従業員の仲間が本来持っている地の能力と熱意を引き出すことにある。さすれば依頼者であるお客様の課題も地域や時代が抱えている課題もきっと解決できるのではないかと考えています。

これからも困難、試練が待ってくれているのでしょう。どんなことがあろうと僕が思う綺麗事をまっとうし後悔しない人生を生き抜こうと思っております。

柴犬のまつりちゃん3才