もう情報はさほど必要ない 宝の山はどこにある?
情報化社会と呼ばれるようになって久しく、スマートフォンで日常的に「生の情報」やら「刺激的に加工された情報」に触れることができるようになってしまった今、情報は常に過多であり、適切な判断をするためにはいったん情報を遮断してみる必要があるほどである。
もう情報はさほど必要ない。溢れんばかりの情報に価値はさほどない。情報処理を終えた後の「叡智」であるとか「知恵」が大切になってきていると思う。あるいはそれらをふまえた「感覚」だとか「勘」であるとか。
などと知った風なことを書いてしまったが、私が膨大な情報に触れまくって「感覚」とか「勘」とかを身に着けているわけでは決してない。「そういうの、あったらいいよねえ」というレベルである。
ただし、自分ではたいしたことがないと思っていることでも、他人からみたら素晴らしいと評価されることもあるので、謙遜とかそれを通りこした卑屈になっている場合でもない。
他人と話をするなかで価値観やスキル、感覚の違いは明らかになる。私などは内気な性分でひきこもっていたいのはやまやまだけど、やっぱり街に出るしかないのかなと思っている。
街に宝はないと思うが、宝をみつけるためには街へ行く必要があるのだろう。
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