一過性全健忘
目前に7年ぶりの渡韓を控えた昨年の10月下旬のことでした。
当時65歳の母が突然、その日の出来事、それまでの約半年の出来事を忘れてしまいました。
何とも衝撃的な日となりました。
その日、私は予定していたことが午後からだったので、三度寝を満喫していました。
2度目に起きたのは10時くらいだったでしょうか。
水でも飲もうと思って居間に行きました。
そのとき午後から仕事の母の姿がありませんでした。
母は午前中に家事、買い物をほとんど済ませるので、気にせずまた布団に入りました。
12時くらいに帰宅していた母に起こされました。
おはよう!
寝起き…トイレに行きたい…
そう思っていましたが、母が話し始めました。
「午前中、大変だったのよ!」
「なに?なに?」
近所に周りのことは気にしない自由な方が住んでいるのですが、その日はあまりに自由すぎて警察沙汰になったのだそうです。
お巡りさんがやってきて、母も事情を聞かれたのだとか。
その前は数ヶ月、甥…母からしたら孫…の体調が悪く、看病に行ったりしていたこともあり、疲労困憊だった母は、その事情聴取ですごく疲れてしまった、何だか頭がフラフラと眩暈がすると言いました。
「仕事、休んだら?」
「そういうわけにはいかないよ」
…うっ、ダメだ、トイレ我慢出来ない!
話の途中で私はトイレに行きました。
数分で戻ってきて、母に話の続きを聞こうとしたら…
「んっ?警察??何があったの???」
?????
はっ?
何言ってんだ、この人?
さっき自分で言ったんじゃん!
「そんなこと知らない」
ふざけてるのか?
いや、そういうタイプの人ではない
私、完全にパニックです。
とりあえず、娘(私)のこと、旦那(父)のこと、息子(弟)のこと等々、それは名前も覚えていました。
そして何となく、その月の頭に亡くなった母ととても仲良しだった叔母のことを聞いてみました。
「えっ?◯◯ちゃん、亡くなったの?どうして?知らない!」
そんなハズはない…叔母は沖縄に住んでいるから駆けつけることは容易でなく、母と私で弔電打ったんですから。
そして、その叔母の義父もさらに半年前に亡くなったのですが、そのことも聞いてみました。
「えっ?おじぃ、亡くなったの?知らない!◯◯ちゃんはどうしてるの?」
半年前あたりから記憶がないようでした。
そして、さっき話したことすらもう忘れていました。
仕事を休ませようと思いました。
しかし、止めても止めても、母は突き進みました。
「昼ご飯は細いスパゲティにしよう!」
「ところでまさみ、私は今日、仕事何時からだっけ?」
何度も何度も時間を確認させられ、自分自身でも何度も何度も時間を確認し、3分茹でのスパゲッティーニは30分以上茹でられ、煮麺よりも柔らかくなっていました。
認知症か?
頭を打ったりはしていないハズだから、アルツハイマー型の認知症か???
私は大学を卒業してからずっと医療関係の仕事をしています。
ですから、アルツハイマーは徐々に異変が起きることは知っています。
でも、目の前の「らしくない」母を見たら、私も動揺し、アルツになってしまったと思いました。
ダメだこれは!
仕事休ませよう!!
暴走母、目を離した隙に、仕事に行ってしまいました。
うわぁぁぁ〜やってしまった!
行ってしまったぁぁぁ〜!!
しかも、自転車で行ってるし…
そんなとき、その日の私の予定はキャンセルになりました。
こんなにキャンセルが有難かったことは今までありません。
母、捜索。
携帯を携帯しない人なので、母の職場に電話しました。
母が電話に出ました。
無事に着いたのね…
「大丈夫よ〜!ちゃんと着くに決まってるじゃない!」
いやいや、あなた!
今日、おかしいですから!!
それから10分も経たずして、今度は母の職場から電話がありました。
「さっき娘さんから電話あったと聞いて、今日は家にいらっしゃるようだったので連絡しました。お母さん、今日、何だかおかしくて。言っていることも支離滅裂で。」
「ですよね…今日は休ませようと思ったんですが、気づいたらもういなくて。本当にすみません。」
「今日は仕事を休んでもらおうと思います。ただ、心配なので迎えに来てもらえますか?」
「はい、分かりました。」
母がおかしいと思ったのは私だけではなかった…やっぱり変だ!
母の職場は、私たち家族のかかりつけ医の近所にあるので、そのまま病院に連れていこうと思いました。
母の性格上、あなたがおかしいから病院に行くではダメだと思ったので、私が行くことにしよう、着いてきてと言おう…母の診察券も持ち、母の職場に向かいました。
母がアルツハイマーだったら、韓国に行くのやめよう、放っておけない、父だけでは心配だ…そんなことを考えながら向かいました。
方向音痴な私、時間かかってしまいましたが、何とか到着。
帰る準備は出来ていた母、よく分からないけど、今日はもう帰るんだということは何となく感じていたようです。
職場の方に挨拶を済ませ、母に…
「せっかくここまで来たから、先生のところに行きたいよ〜付き合って〜」
と言ってみました。
「そうね、せっかくだし、アンタ、診てもらいなさい。定期診察の頃だもんね。」
ここら辺はやはり母親…まぁ、今回は私が「ついで」ですけどね。
いつもの病院、いつもの受付の方々…私と母の受付を済ませ、待合室で呼ばれるのを待ちました。
このときに再び、叔母たちのことを聞いてみました。
「えっ?◯◯ちゃん、亡くなったの?いつ?」
…変わっていない母。
看護師さんに事情を説明し、母娘、一緒に診察室に入りました。
かかりつけですからね、院長も看護師さんたちも、母の異変にすぐに気づきました。
気づいていないのは本人だけです。
突然、記憶がなくなったので、やはりアルツハイマーとは考えにくいけれど、認知症の長谷川式テストを母はそれから受けることになりました。
ちなみに、私、初夏からなかなか治らない喘息をこじらせていました…余談です。
母の長谷川式、何とも酷い結果でした。
アルツハイマーは考えにくいとはいえ、精密検査を受けなくてはいけない点数でした。
父が脳梗塞の治療を受けている脳神経外科への紹介状を書いてもらいました。
私は母の長谷川式の点数、どこが何点とか丸暗記していました。
私が喘息を悪化させていたので、薬局で薬をもらって帰宅しました。
母は少し良くなっていました。
脳神経外科の予約は私が取りました。
翌日の予約が取れました。
父が帰宅しました。
昼間よりはよくなっていましたが、父も母の異変に動揺していました。
母はその日の夜、私を起こしたこと、気づいたら、かかりつけの病院にいて、目の前に私と院長と看護師さんたちがいたと言っていました。
その日の午前中の警察沙汰、叔母たちが亡くなったこと、全部覚えていました。
でも、その間のことは全く覚えていないそうです。
翌日、脳神経外科に連れていきました。
MRI等々、検査しました。
母の担当は某大学の教授でした。
そして、母は「一過性全健忘」と言われました。
「医者になって40年以上になりますが、僕がこの患者さんを診たのは20人くらいです。これは一時的に数時間の記憶がなくなるというものです。この数時間のことは一生思い出せないと思います。娘さんは驚いたと思いますが、これ自体はそんなに怖がるようなものではありません。再発はほとんどないですが、全くないとは言えません。」
そのようなことを教授は言っていました。
とりあえず安心ね、よかった、よかった…(韓国、行ってこよ〜っと!)
「あと、お母さん、脳梗塞あります。」
えっ?
そうなの??
母も私もびっくりです。
持病ある私のことばかり心配する母、疲れていても孫の世話をする母、スーパー自由人の父を旦那に持つ母(笑)…身体が母の限界を一過性全健忘という形で知らせてくれたのでしょうね。
職場の方からの提案もあり、母はそれから2週間ほど仕事を休みました。
母は私に電話をくれた職場のリーダーさんには、孫の世話に行っているとか娘は身体が弱いとか話していたようで、私が報告の電話を入れたとき「無理をさせてしまった、聞いていたのに甘えてしまった、申し訳ありません。」と号泣していました。
何を言うんですか!
悪いのは私たち家族です!!
かかりつけの先生には後日、母本人が報告しに行きました。
院長も医者になって40年超えていますが、甲状腺外科が専門です。
この病気は知っていたそうですが、母が初めてだったとのことです。
「本当に驚いたよ。別人みたいだった。でも、あれが一過性全健忘だということが分かって勉強になりました。」
そう言っていたそうです。
なんともまぁ、珍しいものになったものですね、母も。
本人はそのときの記憶がないので、私が貴重な体験をしたことになりますが。
あと、職場のリーダーさんも。
本当にご迷惑をおかけいたしました。
そんなに私はかつて過労で倒れ、うつ病になり、2〜3ヶ月ほどの記憶がないのですが、少し違うとは言え、家族にこんなに思いを長いことさせてしまったんだなと思うと申し訳ない気持ちでいっぱいになります。
これまた余談です。
そんなわけで、母の一過性全健忘の記録でした。
お読みくださり、ありがとうございました。
まさみ
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