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私の子育て

体内に生命を宿した時

我が身に起きた幸運な出来事を、真剣に神妙に、受け止めていた。

人は、子が欲しい、子を作る、子が出来た、と表現するけど。ちがうな。

この子は神様の子だ。私は、天からこの命をいっとき預かるんだって。

そんな大役果たせるようにと、立派な大人に、母親になれるように、すごく頑張って勉強した。ほんとに。

忘れないように、書いとこ。

子ども一緒に過ごすために、夜だけ働いた。
同世代と楽しく遊ぶために、外遊びの会の活動を始めた。

健やかに育つには、土地とつながる感覚を大事に思っていた。わたしは、地縁のない者だから。
縁を持つことは、大事。それが私の感覚。

生まれてすぐのお宮参りは、地元のお宮にした。
野外の遊びは居住地近くと限定した。森の中やユニークな教育よりも、土地とつながることを優先して、すべて公立にした。

自由に生きるものを一緒に見たくて、タンザニアのサファリに旅し沢山の動物を見た。石垣島の海に潜りマンタを見た。知床半島を歩き、西表の山に登った。

森のムッレ教室、森林ボランティアの活動地の九度山町だけは、遠いが連れて行った。人は自然と暮らすこと、そのために守らなきゃならないことがあると伝えるために。

息子の父親は、息子が5歳の時、肺がんという病を、得てしまった。息子が10才になる前に、先に逝ってしまった。この5年間、わたしは夫に寄り添うことを最優先した。大好きな夫と、大好きな息子、2人のことだけ考えていた。仕事も外遊びの会も、2人のために続けていた。我ながらよく頑張ったと思う。

夫が他界した後、シングルマザーで2人家族、これまで以上にアウトドアレジャーにも、一般的な遊園地にも、行きにくくなる。外遊びの会を続ける理由の一つは、そういうことだった。

今日はここまで。

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