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イ・ボミの本音?


7月末から8月末に済州島で行われた韓国女子プロゴルフ大会「済州三多水マスターズ」に参加したイボミプロと立ち話をする機会がありました。五月には実質上開幕戦となったKLPGA選手権大会でも挨拶をしましたが、再び韓国で会えるとは思いませんでした。テレビ局とのインタビューのあと、横で見ていた私をみて声をかけてきたのです。
流暢な日本語で、「もう日本に帰ったと思っていたのに」と言うので、「いや、日本の知人から暫く日本に戻らないほうがよいと言われたので」と答えました。すると彼女は「なんで日本はこんなになってしまったのですか?」と私に問いかけてきました。日本との交流を渇望している彼女はとても心配しているようでした。そこで私は「恐らく、夜の街、飲み屋街や若者たちが広げているのでは」と答えました。
彼女と会ったのは2010年秋の日本でのQTのこと。その年、彼女は韓国の賞金女王となり、日本ツアーのチャレンジをした時の試合会場でのこと。韓国賞金女王の場合には日本でのQTには三次からチャレンジすることができました。三次QTにやってきた彼女は両親と一緒。韓国での多忙なスケジュールをこなして前日到着したので十分な練習をしてこなかったようです。そのため三次QTの初日は80台という大たたきをして、ひょっとして韓国賞金女王が日本のQTに失敗か、という見出しが頭をよぎったほどです。母親のファジャさんは熱心なクリスチャンですが、その時は熱心に娘の奮闘を祈ってクラブハウスで十字を切っていました。二日目はしっかりと風を計算して復活、無事に四次QTに進み、結果的にはQTの順位を10位タイとして翌年11年のシード権を得ることができました。
翌年11年の開幕戦ダイキンオーキッド(沖縄)で再会して一緒に昼食をとりましたが、彼女はよっぽど日本と合っているのか、それに日本のファンが沢山会場に駆け付けたことに気分をよくしたのか、宋ボべと共に三位タイという好成績でした。
日本での最初の試合で520万円を稼ぎました。幸先のよいスタートです。
彼女はジュニアの時から日本が大好きで、将来は日本に行きたいと思っていたようです。気分をして次の四国高知でのPRGRの大会がありました。三月11日。東北大震災の当日です。しかし試合は初日だけで中断。韓国にいた父親のイソクジュさんは心配して、「とりあえず、早く韓国に戻って来なさい」という電話で次の日の便で帰国。その後しばらく、日本のツアが中止。とりあえず韓国ツアーに出場したイボミは日本ツアーが気になって集中できなかったようです。自分の居場所は日本ツアーにあると心を決めて日本に行ったのに、地震のために日本のツアーが中断されてしまった。その心のバランスを保つために大変な苦労をしたようです。今、コロナで日本に行けない彼女のもどかしさを考えると胸が痛みます。その後、彼女は日本に戻り、ツアーに参加して幸せなツアー生活をしていましたが、2014年9月、最愛の父親が韓国でガンのために亡くなりました。煙草をたくさん吸っていました。娘のために自分の生活を犠牲にした姿を目撃しています。
イソクジュンさんは中学生時代、テコンドを始めていたイボミをゴルフの世界に勧めた本人です。ジュニア時代(国家代表常備軍)には夜中に自家用車で娘を乗せて試合会場まで行き、そこで仮眠して試合に臨むという苦労を重ねていたと聞きました。おそらく、父親のストレス解消はタバコだったようです。
父親は亡くなる前に娘に、「日本と韓国の懸け橋になりなさい」という遺言を残しています。その遺言を彼女は守り、日本で二度も賞金女王になりました。日本ではボミちゃんと呼ばれて日本人にも愛されています。日本人の間に彼女ほど愛されているゴルファーはいないと思います。そのことを知っているからこそ、彼女は一日でも早く日本に戻ってファンの前でプレイしたいはずです。
彼女は昨年末、タレントのイワン氏と結婚。先週行われたパクインビ招待(慶州)でキャデイとしてマスコミの話題になりました。今、彼女には悩みがあります。日本には一日も早く戻りたいが、夫を連れていきたいが、二週間の自己隔離の生活があり、それをクリアしても試合会場には同行できないのが現実です。無観客試合ではキャデイと選手しか会場には入れないことになっているのです。彼女が試合会場でプレイしている間は夫はホテルで一人で待機している以外に方法はないのです。こんな状態では日本に行けないというのが彼女の気持ちでしょう。
米国では海外から入国するPGA選手にはPCR検査で陰性になった場合には14日間の隔離処置を免除されています。
こうした免除措置がない限り、イボミ選手も落ち着いて日本でプレイできないのです。日本がもっと寛大な国になるべきではないかとおもうこの頃です。


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