【コロナ禍でわかった情報の価値】



令和2年12月15日㈫

このコロナ禍で世界の価値観が変わってしまった。

人と人とが寸断された世の中において情報の取り方が若年層とシニア層で二極化してきた、若者はインターネットやSNSを使って情報を得ている。シニア世代はテレビやラジオの垂れ流されている情報を鵜呑みにしている。真意不確かな情報が溢れ、その無数の情報の海の中から都合の良い情報だけを個々に取り入れるようになった。身近にいた人々の距離は離れリモートでのやり取りで十分できると思い込まされてしまった。そのことで会社のシステムが変革して今まで無駄に多かった報告事項を垂れ流すだけの会議が無くなり、交通費支給が無くなり、アフターファイブに同僚との飲み会は激減した。
テレビの影響力は絶大で世論調査を流せば同調圧力によって人々の行動は抑制され、ウイルスが蔓延した街に人は集まらなくなり、感染抑制効果があるのかわからないけどとりあえず自粛や規制を提言し、店の集客は人数的にも時間的にもかなり制限された。
また、インターネットを扱えない情報弱者は本来貰うべき給付金を見逃してしまったり、社会から隔離され孤立に拍車をかけてしまった。
インターネットを自由に使える世代にとっては、本来、飲食店や旅行会社を助ける目的で作った制度を自分の得になることを追求していき、飲食店の売上に貢献はあったかもしれないが手間と迷惑行為も同時に増やす結果になった。継続していかない個々の一瞬の利益追求が横行しキャッシュレス化などによりパーソナル情報をいつの間にか抜き取られ、権力側が監視しやすく個人が管理される社会になりつつある。

直接会うことが難しい世の中だが感染対策をしっかりした上で少人数での意見交換することや専門家をまじえてのリモート会議でしっかりした情報を共有すること、価値のある情報はしっかり現場で見聞きしたことである、また聞きの情報やネットに氾濫している情報に踊らされて、間違った認識のまま人に伝えていくことが社会全体が間違えてしまうことにつながり兼ねないことを懸念している。
情報を制することが社会で生き抜くために最も重要なことの1つに違いないが、情報によって縛られてがんじがらめになり身動きがとれなくなることがあるそれは情報が乏しく理解に到っていない状態なのかもしれない。
社会全体の成長が鈍化した時代になっている今は1度立ち止まって自己研鑽や人と人とのつながりをもう1度考えてみる機会なのかもしれない。