印旛の神々にご挨拶 其之一 麻賀多神社(台方)篇。

今回は成田市の麻賀多神社(台方、 船形・手黒社)、佐倉市の麻賀多神社(鏑木町)に参拝してまいりました。


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神社名:     麻賀多神社(マカタジンジャ)
鎮座場所: 成田市台方1
御祭神:     稚産霊命(和久産巣日神)
摂社:天日津久神社、大権現社
末社:祓戸社、古峯神社、三峯神社、印旛國造神社、馬来太郎女神社、幸霊神社、青麻神社、猿田彦神社、天神神社、子安神社、道祖神

※この神社は毎月1日と15日だけ社務所が利用できます。


台方の麻賀多神社は、印旛地方に駒形(小麻賀多)神社を含め、18社あるとされる「麻賀多十八社」の総本社。
あえて18という数字を使うあたり何か意味があるのだろうか。

台方が本宮で船形・手黒社が奥宮。

御祭神は成田の船形以外は稚産霊命(和久産巣日神)。
成田の船形のみ稚日霊命(ヒルコ)。


印旛は忌〇が訛ったものとされています。
社紋は麻。
ダ〇デの星。
六芒星にも見えるし籠目でもある。
麻には魔除けの力があるようです。
もちろん社紋からも忌〇とわかると思います。


「麻賀多十八社」の中でも社紋は麻としているのはここ台方と、佐倉の鏑木町の麻賀多神社だけ。
後からそうなったんじゃないかな。


忌○氏はレ〇族という説もあります。
阿波の国(徳島)にいた阿波忌〇氏が流れてきたようです。


忌〇氏は朝廷の神祭りを担当。
忌〇氏の指導者だった天富命(アメノトミノミコト)は宮中に神殿を建て、木棉や麻などの織物や鏡・勾玉などの祭りの道具も自分たちで作ることになりました。
天富命は、布を織るための植物を栽培するのに、良い土地を求めて布津主命他、四国の忌〇氏を率いて海路を東に向かい、房総半島の最南端にある布良海岸阿由戸の浜と駒が瀬(駒ヶ崎神社)の2カ所に上陸しました。
印旛付近で麻の栽培が盛んになりました。



古代では「麻」のことを「総」と言い、房総半島を『総の国』と名付けたようです。
麻栽培に適した地なんてあるのかな?
布津主命は船戸ノ神に案内してもらったんじゃないのかな?


忌〇氏の「忌」は斎戒の意で、神事に携わることから起こったと伝えられている。
斎戒とは「心の不浄を浄め、身の過を戒め飲食・動作を慎んで清浄・謹慎を守ること」です。

社名の由来:延書式神名帳に社名を記載の際「真賀多真(マガタマ)」が三種の神器の一つと同名であるとして、一字を取って「真賀多神社」に改称した。
後に、一帯が麻の産地であるところから、麻賀多神社に社名を改めた。
三種の神器の中でも勾玉は最後に加わったとか。
本当にそうでしょうか?


茨城の玉造も勾玉作りが盛んだった場所のようです。
夜刀神という角のはえた蛇集団の伝説がある地区ですね。
そこの平定を任されたのが箭括氏麻多智。
名前からして何か関係がありそうですね。


また、高天原の「原」を抜かして逆から読むと「マアカタ」となります。
そこから「マカタ」と命名されたという説もあります。


高天原といえば、アブラハムの故郷である「タガマ・ハーラン」。


印旛はヤマトタケルが東征の際にはじめて下りた場所とされています。
ここにも何か意味がありそうですね。


稚産霊命(和久産巣日神)とは穀物と養蚕の神。


伊邪那美命が火の神である火之迦具土神を生んで火傷をし、病に伏せてしまう。
伊邪那美命は死ぬ間際に土の神である埴山姫と、水の神であるミズハノメを産む。
そして火之迦具土神と埴山姫との間に産まれたのが稚産霊命。
稚産霊命は頭の上に蚕と桑が生じ、臍(へそ)の中に五穀が生じたとしている。
稚産霊神は、穀物の成育と深く関わる神さまである。
稚産霊命の子が豊受大神とされている。
※カオスな産まれですが諸説あります。


稚産霊命は布津主や武御雷の姉となる。
だから布津主が来た時に祀ったのか?


ワクムスビの「産霊(むすび)」とは万物を産みだすとされています。
子孫繁栄を約束する繁殖力、植物や作物を生育させる力、万物創世の力などの神秘的な力を意味し、ワクムスビもまた五穀や養蚕を司り、豊穣を約束する神として古くから信仰されてきました。
子である豊受大神も同じ。

加具土命が日本書記では火産霊となるのも興味深い。
そして防火の神とされていることも面白い。
加具土命の子である闇龗とも同じ。


子と親は同じ性質を持つってことなのかな。


天照大神の子に天穂日命(アメノホヒノミコト)という神様がいます。
武御雷より前に国譲りの交渉に来た神です。
大国主と仲良くなり、そのまま出雲で3年過ごします。


天穂日命の子建比良鳥命(タケヒラトリノミコト)は、出雲国造、无邪志国造、上莵上国造、下莵上国造、伊自牟国造、津島縣直、遠江国造等の祖とされます。
莵上(うなかみ)は今では海上となりました。


天穂日命は稲穂、養蚕、木綿、産業の神とされます。
稚産霊命と似ていますね。


社務所でいただいた麻賀多神社由来。

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天照大神の姉神で、豊受大神は子神。
稚日霊命と一緒なのかな?




神社のヒントをつなげると、

駒形(小麻賀多)神社。
駒形神社は東北で信仰されている神社。
駒とは若い馬。
稚産霊命も「若い」でつながる。
稚産霊命(和久産巣日神)とは穀物と養蚕の神。
天穂日命ともつながる。
養蚕の神と言えば瀬織津姫ともつながる。
以前道祖神ににんじんが備えられていたという話を聞いた。
そうするとやっぱり馬の神か。
馬来太郎女にも馬。
馬、養蚕、子孫繁栄から、ここはもともと、おしらさまを祀る神社かな。


駒とは若馬という意味がある。
古代は母系家族制だった。
一夫二・三妻で、婿が女性戸主の元へ行く。
その為、結婚できない男は馬頭観音菩薩へ拝んだ。
後世になり嫁取りの時代になるとその信仰は消えていった。



馬頭観音菩薩と似た信仰が東北地方にある。
駒形神社がそれで、岩手県の水沢、遠野辺りにある。

「形」とは「おしら様」の元の形でオハセ神を意味している。
駒形神社は若い馬(男)とずっと一緒にいてほしい女性戸主が信仰した神社となる。
つまり母系家族制時代の子孫繁栄の神様。
だから今の父系家族制時代にはあまり信仰されない。


東北地方の民話。
ある農家が雄の駒(若い馬)を飼っていた。
するとその家の娘が駒に恋をして、人間と結婚しようとしなかった。
親は駒のせいだとして駒を殺した。
娘も自殺して駒とともに天に昇った。
昇った空からは、蚕の虫が降ってきた。
それからは農家も養蚕するようになった。


おしら様は女系家族制時代にできた信仰
特に東北はその制度が長く続いた。
婿は月夜だけ女性戸主の家に泊まる。
そのような結婚携形態では精力の弱りが縁の切れ目となった。
女性戸主は古婿が老化すると若い婿を招くことが多かった。
しかし若い婿を得られないこともあった。
だから婿の末永い勢力を願うために、男の形の人形に祈る習わしができた。
おしら様、お白様。その白とは男の種水の色を名にしたもの。
白は蚕のまゆの白でもある。
蚕も祈りの対象である。
だから正月に飾る枝にまゆに似た白い団子(餅花)を付ける。


蚕が蛾にになると12時間以上交尾をする。
子孫を残すために蛾は努力する。
人はそれにあやかりたいと思った。
だから蚕に縁のある桑の木でおしら様の人形の胴体を作る。
男の人形の中身は古くはオハセの形をしていた。
蚕の精力を人間が欲しがったからだ。


今ではおしら様に妻人形が添えられたり、馬の頭のものもある。
おしら様は、日本の東北地方で信仰されている家の神であり、一般には蚕の神、農業の神、馬の神とされる。
駒形神社とは東日本にある神社。
岩手県は陸中一宮 駒形神社としている。

稚産霊命とおしら様は同じではないだろうか?


茨城の蚕霊神社とも関係してきました。
おしら様は白山信仰とも関係があるようです。


そうなってくると六芒星の意味も違って見えてくる。
三角は男性。
逆三角は女性。
子供の象徴かもしれない。


私はもともと駒形神社だったものを「小麻賀多神社」、「麻賀多神社」にしたのではないかと思う。


そして馬小屋で産まれたといえばキ〇スト。
馬来田郎女。
馬来田はマクタと読む。
それは偶然か?


馬来田郎女神社があるが、馬来田郎女は継体天皇の皇女で馬来田国(まくたのくに、今の袖ケ浦市や木更津市のあたり)の国造と縁があったことがわかる。
馬来田郎女神社は継体天皇の皇女、馬来田郎女(まくだのいらつめ)を祀ってるというが、この皇女の名からすると、馬来田国造(まくだのくにのみやつこ)がこの皇女の乳母だったか嫁ぎ先だったかが御料地だったかしたのだろう。


馬来田国造の家系は古事記でも国造本紀でも天津日子根命の子孫ということになっているから、馬来田国造の始祖を祀った「天津日子根神社」だったのではないかとも思われる。


もとは「天津日子根」だったのを末尾の根が誤脱、日と津の前後を誤って「天日津子」、「子」の字を「久」に誤写したか。


馬来田国は今の袖ヶ浦や木更津のあたりだがここには日月神社はなく伊都許利命(いつこりのみこと)の墓という古墳もある。
この地と交流があったことが分かる。


印波国造家は多氏の系統であり馬来田国造とは別だが国造同士で何か交流があったことは馬来田郎女神社の存在から明らかだから、それなら天日津久神社はもとは富津市の日月神社から分霊したものではなかったのか。


鬼泪山のちょい東にヤマトタケルの九頭龍退治の伝説のある鹿野山あり、ここは日月神社から東に10kmほどの地点。
日月神社から南に20kmほどいって安房国(あわのくに)に突入。
千葉の先住民である阿久留王ともつながってきます。


天津日子根は天穂日命の弟。
天津日子根が天日津久となった。
日月神示が下ろされた場所。
画家であり神道家でもあった岡本天明が、この天之日津久神社に参拝後、社務所で休んでいたら、突然右腕が動き出し自動書記が始まったとされる。
後日別の者が訳した。
つまり別の者の解釈。


日は分かるが月が強引だな。
なぜ星が入ってない?
日月神示。
日津久神示。
ひふみ神示。
123神示。
123の〇詛。
鏡合わせで1〇3。
キリ〇トともつながる。
六芒星はレ〇族。
ダ〇デの星。
レ〇族とキリ〇トの関係。



ここからは神社の画像紹介。


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【手水舎】

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【道祖神】
道祖神には諸説あります。
人参が備えられてることもあるようです。
ということはこの神社は馬に関係する可能性が高いって地元の人は知っているってことかな。

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【祓戸社】
祓戸四神を祀る。
祓戸四神
瀬織津比売(せおりつひめ)・・・ 諸々の禍事・罪・穢れを川から海へ流す
速開都比売(はやあきつひめ) ・・・海の底で待ち構えていて諸々の禍事・罪・穢れを飲み込む
氣吹戸主(いぶきどぬし) ・・・諸々の禍事・罪・穢れを飲み込んだのを確認して根の国・底の国に息吹を放つ
速佐須良比売(はやさすらひめ) ・・・根の国・底の国に持ち込まれた諸々の禍事・罪・穢れをさすらって失う

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狛犬。

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獅子。

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御神輿が入ってます。

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御神輿は三つ巴が三つ。

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神楽殿。

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【拝殿】

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【天神神社】
天穂日命の子孫である菅原道真様。

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【天日津久神社】
馬来田国造の家系は天津日子根命の子孫だからあるのかな?

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【本殿】
稚産霊命様。
人神でいうと天穂日命様かな。
そしておしら様。

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【猿田彦神社】
つながりますね。

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【青麻神社】
こちらもの麻の六芒星の社紋。

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【幸霊神社】
御祭神の幸魂。

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大杉へ。

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【古峯神社】
日本武尊。
平定するのに印旛で一番先に降りた場所。

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【三峯神社】
伊弉諾尊、伊弉册尊、造化三神、天照大神。
稚産霊命の祖母を祀る。

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【印旛國造神社】
印旛國を造ったとされる伊都許利命。

貼られているのが氣になる。

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【馬来田郎女神社】
親交があった馬来田国造。

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【大杉】

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〇印されてない?

怖い。

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【子安神社】
安産・子育ての神が祀られている神社。
木花咲耶姫。
子孫繁栄ってことですね。

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【大権現社】
地神様でしょうか。

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【一の鳥居】
社務所の方に一の鳥居の場所を聞いて移動。
一の鳥居が結構離れている。

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あくまで個人の見解です。



次回は、麻賀多神社(手黒)篇へ。

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