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「月の妹たち」各章まとめ

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「月の妹たち」を各章に分けて投稿した記事を集めています。お好きなところから読んでいただけると幸いです。
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#朗読台本

月の妹たち 第一章 ~待機~

「みなさん、たとえ月の光に狂わない女の子がいても、驚かないでほしい。 女性たちは、より純粋なものほど深く、より傷ついているものほど強く月に傾倒してゆくのだ。」 ①~待機~ 遮光カーテンを引いて閉ざされた部屋は濃い闇を宿して、 アラビア数字をあしらった大きな金色の置き時計が午前一時十七分を迎えようとしていた。 同じ型のベッドがふたつ、壁に沿って同じ方向に並べて置かれ、 窓際のほうにはピンクの上掛け、そのすぐ隣には、水色の上掛け。 ベッドの間は大人がひとり横ばいで入れるほどの隙

月の妹たち 第二章 ~犯行~

カエルの鳴き声がすぐ近くでコントラバスの響きを真似て聞こえる夜、それは周囲の青さに溶け込んで、永遠を手にしたように繰り返される。 夏が迫っていた。 片方だけ開け放たれた重いカーテンが創り出す、長方形の薄明かりが、部屋の中に冷たい月の光を投げかけている。窓辺に置かれた扇風機の微風が、廻っては通り過ぎ、まるで闇が規則的に大きなため息をついているようだ。 ベッドの上のふたつの人影は、そのため息に包まれて、安らがずに起きていた。 眼が四つ、月明かりに向かって視線を伸ばしている。 まっ

月の妹たち 第三章 ~揺るがぬ夢~

その夜、家を抜け出した町の住人は、小さな姉妹だけではなかった。 姉妹の広々とした平屋建ての家から、2キロ先、田園地帯の端にぽつんと建つ古いアパートの一室。女がひとり、午前1時に明々と蛍光灯の灯るバスルームで、日焼け止めを肌になじませていた。 その上から、化粧下地を塗って、ファンデーションを施すと、顔を鏡に左右照らして出来映えを確かめる。滑らかな顔の質感に満足した女は、瞼の上に丹念なグラデーションを作って、マスカラを塗った。そして仕上げにローズピンクの口紅を上下の唇を合わせての

月の妹たち 第四章 ~命日~

月の織りなす不思議なヴェールが、二重に連なる瞬間をみたことがある人間は、どれほどいるだろう。 その日、夕方7時に早すぎる床についた七十八歳の老婆が目を覚ましたのは、閉め忘れたカーテンのせいで、窓から入ってくる月光がわずかに強まったのを薄い瞼が感じ取ったからだ。 ゆっくりとひとつ瞬きをして、ここが晴れた南フランスのまぶしい空の下ではないことを確認する。 そんな優雅な夢をみていたのだ。 空気に入り交じる小川からの湿気に鼻をくすぐられて、老婆はようやくむっくりと闇の中に上体を起こす

月の妹たち 第五章 ~酔狂~

庭に佇む大きなふたつの自動車の影は、姉妹を人目から隠すのにうってつけだった。 こんな夜更けに誰の目があるかって? それは、木立に巣を作る目白一家の母親の、敏感な眼かもしれないし、姿はないのに花壇を荒らしている土竜の狡猾な視線かもしれない。 少なくとも、人間の眼差しがそこにあるとは、幼い姉妹も思っていない。 しかし、月明かりに出なくては、ここから動けそうにないのは明らかだ。 姉と妹は相談する。反対ごっこにすればいいじゃない。そうか、反対ごっこにすればいいんだ。 つまり、月明かり

月の妹たち 第六章 ~挑戦~

はじめは、もちろん恐る恐るだった。だって、自分を試すのだから。 老婆は回想する。 自分にも、まだその力があるだろうかと、気にはなっていたのだ。 息子が帰省するたびに、習慣化している庭周りの草刈り。毎度毎度、お願いするのは気が引けた。 だからって、今更、自分でやると言い出すには自信がない。運転免許を返納してからここ数年、出来ないことが、毎年増えていく。 長い一人暮らしに慣れてしまえば、家の中での失敗はご愛敬。またやっちゃったわ、で済ませることができた。 だけど、他人に見られてい

月の妹たち 第七章 ~邂逅~

まばゆい月が天空にぽっかり大きな光の輪を広げているものだから、こんな夜は軽視されがちだが、どんな田舎町でも、外灯がところどころに灯っていて市民の安らかな外歩きを見守っている。 そのひとつの外灯の下には、大きな滑らかな岩が何百年前からか居を構えていて、幾度の災害でも揺るがぬその石に、皆が有り難い名前をつけて大事に崇めていたという。 そんな大昔の伝説のような話など知らない若いハイヒールの女は、自分の歩みで弾む影が、ある瞬間を境にふたつに分かれ、それぞれ別の方向を向いてしまったこと

月の妹たち 第八章 ~密売~

秘密という言葉が、自分の口をついて出たことで、女は色めきたっていた。老婆が全面的に同意するように微笑んだのを見たことで、だがが外れる予感がした。 秘密なら、わたしの十八番(おはこ)、わたしの専売特許、わたしの核心であり、わたしの別の呼び名。 女は今はもう薄れてしまった疚(やま)しさを、記憶の彼方から呼び寄せてみる。 初めて身体を売ったのは、誰を相手に、どのタイミングだっただろう。自ら納得して抱かれてきたと思い込んでいたのに、どこか冷たい魚みたいだったのは、なぜなんだろう。 女

月の妹たち 第九章 ~空想少女~

沈黙が、老婆と女の間で風にたなびく木立の影のように細かく揺れていた。老婆の痩せて骨張った手は、女の白い両の手の中にあって、お互いにひんやりと夜の息遣いを感じ取っている。 姉さんの手は、乾いて美しく冷たいまま。わたしだけ日に焼けて、醜く年老いたのね。 老婆は泣きたい思いに駆られるが、涙となるはずの水分が身体から湧いてこない。 老婆が姉と別れたのは、二十八の年だった。あのとき姉に関しては、一生分泣きつくしたのだ。 自殺だった。 嫁いだ先で子供に恵まれず、思い詰めて、柿の木に首を括

月の妹たち 第十章 ~変形~

女は少しの間、自分の秘密の生活を話してみようかと躊躇って、やめにした。老婆に重ねた手のひらから不思議な波が押し寄せるのを感じて言葉を飲み込んだからだ。 それは、未だ生きている思い出の影、ほとばしる情愛の泉、枯れるまで尽きなかった深い悲しみの森、そして半世紀を駆け抜ける走馬灯の美しく鮮烈な光の渦だった。 二人の若く、聡明な騎士が真剣を交えて戦っているような、火花散る合戦の最中にいるみたいな、 そんな錯覚を起こす目まぐるしさがあった。 しかしそれはよく見ると、男装をした少女二人で

月の妹たち 第十一章 ~夢見る人形~

そろそろ、れんげ畑へ向かった幼い姉妹のことを話しましょう。 姉妹の艶やかな黒髪の頭がふたつ、遮るものもなく月に照らされて、鈍い光を跳ね返している。 ふたりは一面、可憐な花の咲き乱れる大きく広々と開けた畑にたどり着く。 見渡す限り緑がうねって、その上を可憐な薄紫色の花弁が贅沢に行き渡り、まるで宝石の散りばめられた人魚の住む海の底みたい。 姉妹の両目は月明かりにすっかり馴染んで、その全貌に安らぎと興奮を同時に感じ、自分たちがあっという間ににその場所の虜になるのを認めざるを得なかっ

月の妹たち 第十二章 ~兆し~

ふたりのそっくりな女たちは、一人はハイヒールにミニスカート、ひとりは薄い寝巻きに草刈機を担いで、歩き出した。 あなた、それ重くないの?ハイヒールの女が訊ねると、あなたはその靴、痛くないの?寝巻きにサンダルの女が軽々と草刈機を持ち上げて聞き返す。 奇妙な二人組は、道なりに坂道を下り、線路に行き当たると、直立不動の遮断機を横目に、いよいよ人気のない、田園地帯へ入っていった。 舗装された道が途切れたことで、ひとりの女はハイヒールを脱いだ。ほらね、と言わんばかりに草刈機の女が目配せす

月の妹たち 第十三章~貴婦人の采配~

朝焼けが山間の霞に遮られている間、最後の見送りのために、月の精霊は降りてくる。 眩しい金色の四頭立ての馬車に乗って、貴婦人に姿を変え、月の妹たちの帰り道を照らすために、降りてくるのだ。 れんげ畑では、まだ女になりきらぬ少女がふたり、青い草の上に水玉のスカートを広げ、その上に長く編み込んだ花冠をいくつも散りばめて、微動だにしなかった。 月の精霊の息遣いが、その耳元を軽くくすぐっても、ふたりは手を繋いだまま、動こうとしない。 4つの瞼はパタリと閉じていて、時折り夢を映してぴくぴく

月の妹たち 第十四章 ~記憶~

老婆が目覚めたのは、開け放たれた窓から何かのエンジン音が次第に近づき、眠りの帷を破るほど大きく迫ってきたからだ。 ゆっくり瞬きをして、そこが七十年前の姉の布団の中ではないことを確かめる。 夢を見ていた。 母の泣き声が聞こえないように、八歳だった双子の姉が小さな両手で耳を塞いでくれていた。ただ温かさに包まれて薄目を開けると、月の光が一筋、障子の隙間から射していた。 月、か。 なにか大事なことを忘れたままのような、それでいて、永遠なるものを手に入れたような、不思議な感覚に襲われる