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自分が変わることから始まる

1.中国進出で失敗した日本企業の特徴

 中国市場は手ごわい。中国に進出した日本企業も成功事例より失敗事例の方がはるかに多い。
 失敗の原因は何か。簡単にいえば、中国の常識、中国の商慣習、中国ビジネス等に対応できるように、自らを変えることができなかったからだ。
 日本人の多くは、中国より日本の方が進んでいると考えている。中国に学ぶという姿勢はなく、自分の流儀を中国で押し通そうとする。
 例えば、日本のアパレル現金問屋A社が上海に進出した時の話。日本の現金問屋は正札販売が基本だ。つまり、商品に付けられた値札通りの価格で販売する。そして、小売店にも小売価格を守ってもらう。それが互いの信用につながり、小売店と太いパイプができると考えている。日本ではその手法で成功したからだ。
 A社は、中国に正札販売を浸透させ、中国の流通を変革するという高尚な目標を掲げ、自分たちは中国の模範になると意気込んでいた。そして、温州商人の問屋街の中心部に出店した。
 しかし、中国の服装市場には安い商品はいくらでもある。日本企業から仕入れるのは、利幅が取れる商品、高く売れる商品だけだ。開店当初の目玉商品がなくなると、客足は途絶えた。中国の小売店は、値引きをしてくれる中国人の問屋に戻っていったのである。結局、日本型の正札商法は通用せず、その企業は中国から撤退した。
 これは中国進出企業の典型的な失敗例だ。自分が正義であり、中国の商売は未熟だと考え、自分の流儀を中国に押しつけたが受け入れずに失敗するのだ。
 中国人の友人はこう言っていた。「中国を変えようとしないでください。中国で成功したければ、日本企業が変わることです」

2.新疆綿のボイコット問題

 中国は新疆ウイグル地区でウイグル人の人権弾圧を行っている。米国は、経済制裁として新疆綿を使った製品の輸入を禁止した。
 日本ではユニクロと無印良品が新疆綿を使っていることを明示して販売していたため、国内外から批判を浴びることになった。
 ネット上では、中国から撤退しない企業に対しても批判が集まっている。「人権弾圧する悪の国で商売をして儲けている企業も悪の企業」というのだ。
 しかし、ネット上では威勢のよい書き込みをしていても、大多数の人たちはユニクロや無印良品の服を着ている。不思議なことに「ユニクロの不買運動をしよう」という声は聞こえてこない。
 政府を批判する。企業を批判する。中国を批判する。ユニクロを擁護する人を批判する。他者は批判しても、多くの人は自分の行動を変えようとはしない。
 ユニクロが許せないと思うなら、ユニクロの服を買わなければいい。他者を批判するより、自分の行動を変えた方が余程効果的である。それでも足りなければ、不買運動をすればいい。
 日本市場で流通している綿製品のほとんどは中国製であり、中国製品の7~8割には新疆綿が含まれている。したがって、本当に中国の人権弾圧に抗議して新疆綿製品を不買するならば、中国製の商品は全て避けるべきだ。
 私個人の見解は以下の通りだ。中国の人権弾圧は許せないが、それを解決する手段としての新疆綿製品の輸入禁止は不適切である。新疆綿製品のボイコットは、中国政府にダメージを与えるより、現地で生活しているウイグル人の生活基盤を破壊することになると思うからだ。
 それに、ユニクロの縫製工場は品質管理が厳しく、刑務所や収容所の中の縫製工場では対応できない。また、綿花栽培で奴隷労働が行われているという主張も証拠がない。特に、輸出向けの綿花畑では機械化が進んでおり、奴隷労働の入る余地はほとんどない。
 勿論、国内向けの安い商品の生産工程の中で違法労働が行われているかもしれない。しかし、それらの多くは中国国内向けの商品である。
 中国政府を制裁するならば、日中国交の記念式典を中止するとか、中国共産党幹部の日本入国を禁止するとか、中国人留学生の補助金廃止とか、孔子学院廃止とか、方法はいろいろとあるだろう。
 米国政府が新疆綿製品の輸入禁止したのは、米国が綿産国であることと関係している。どんな国も、自国が困るような経済制裁は行わない。正義が建前だが、実際は自国の国益で動いているのである。
 

3.歴史観、価値観の戦い

 日本人が考える正義のイメージとは、互いに争わず、平和を維持することだろう。しかし、「弱肉強食の原理」「力の原理」で生きている人もいるし、そういう人が独裁者となっている国もある。ロシアのプーチン大統領は「国境は曖昧なものであり、常に変化している。力のある国が領土を拡大することは、歴史的にも当然のことだ」と言っている。
 これに対し、「武力による現状変更は許せない」というのが西側諸国の立場だ。そういう西側諸国も歴史的にみれば、武力による現状変更を行ってきた国々だ。
 西側諸国はソ連崩壊後の秩序を重視しているが、プーチンは第二次世界大戦後の秩序を重視している。
 もう少し意地悪な見方をすれば、ソ連崩壊で冷戦が終了した後、世界は中国を軸としたグローバリズムをひた走った。グローバリズムは国境を否定し、愛国主義を排除し、経済とお金の原理で世界を動かそうとした。強欲な市場経済はバブルを生み出し、そのバブルは崩壊しようとしている。そして、一部の個人に富が集中し、貧富の格差は拡大した。
 グローバリズムの推進は、ある意味で「経済秩序の破壊行為」といえるかもしれない
 こう考えていくと、単純に一方を正義、一方を悪と判断することはできなくなる。この問題は歴史観と価値観の違いに由来するものだ。
 現在、我々は歴史観、価値観を問われている。これは国家だけでなく、個人も同様だと思う。
 

4.正しい教育と正しい情報

 個人としての歴史観、価値観を構築するには、正しい教育と正しい情報が必要だ。
 正しい教育とは、一つの固定した価値観や歴史観を強制するような教育ではなく、対立する考え方を含め多様な歴史観や価値観を教えて、個人が自分で思考できるように育成することではないか。
 現在、中国は習近平思想を小学校から教えている。これは一つの思想を徹底的に植えつけるものであり、個人の自由な思考を阻害している。
 日本はどうだろうか。少なくとも中国よりはマシだと思うが、それでも学校教育はかなり偏向している。
 例えば、進駐軍による日本弱体化の方針や、国旗や国歌さえ否定する左翼思想の影響がみられる。これは私自身も経験したことだ。
 情報はどうだろう。中国マスコミの偏向報道は分かりやすいが、日本のマスコミ報道も偏向している。
 例えば、世界で重要なニュースとして報じられている国際問題のニュースは取り上げられないことが多い。視聴者が興味を持っていないので視聴率が取れないのが原因と言われるが、国民が正しい判断をするためには、必要な情報を提供するのがマスコミの使命ではないのか。マスコミは報道しない権利を楯に、国民の知る権利を侵害している。
 また、新聞社やテレビ局が、現政権に忖度し、政策に反対する意見を取り上げないことも多い。マスコミは、反対意見を含む両論併記をせずに、自分たちで結論を決定し、その結論に誘導するような報道をしている。
 そもそも日本のマスコミには、海外の報道機関のように自立したジャーナリストの署名原稿を掲載することもほとんどない。そして、記者クラブという政府との癒着を促進する制度も温存されている。
 最近、こうした偏向報道が次第に明らかになっているのは、インターネットの影響である。インターネット上も言論統制は行われているが、それでも、マスコミでは報道されない様々な情報があふれている。勿論、情報は玉石混淆であり、信頼できない情報も少なくないが、それでも、信頼できる人を絞り込み、継続的に情報を収集していると、これまで見えなかった事実と事実のつながりが見えることもある。
 学校教育が偏向していたなら、大人になってから自分で本を読んで勉強すればいい。マスコミ報道が偏向しているなら、ネット上で信頼できる情報を収集すればいい。それにより、自分の頭で考え、それを行動に結びつけることができるようになる。ようやく、それが可能になる仕組みが整ってきたのだ。
 他者を批判するだけで、自分が変わらないのでは、結局誰かにコントロールされてしまう。まずは、自分が変わること。変わる努力をすること。そこから全てが始まるのではないか。

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