死生観

飽きた。夢、幻の様だと読んだが長い。陰毛に白髪を発見してまだ呼ばれないのかと思う。
 食事排便睡眠の繰り返し。
 元々飽き性なので幼少の頃から気づいていた。人生は長いと。
 私の祖母は百二歳まで生きた。九十歳あたりで生きるのに飽きたのか早くお迎えが来ないかなと毎日言いながら肉やピザやケーキ魚食べられる物は道に生えてる草まで他人の十倍は食べて山の様に排便して暇さえあれば寝ていた。百二歳まで自力で歩くどころか自転車で何処までも行く元気の塊の様な人でよく骨密度が成人より固く石のようだと医者に褒められていた。
 私が産まれた時にはもう老人だった気がする。しかし世界中日本中旅をしていた。暇つぶしに。かなり長い暇つぶしだったが病気怪我一つせずに百二歳まで元気に我がままに自己中心的に過ごして何の悔いも無く最後まで明るく楽しく過ごしてある日コロリと亡くなった。あと二十年は生きると思っていたのでびっくりした。
 身内は大体私が看取っていたが一番呼ばれるのが遅く本人は毎日仏壇に早く迎えに来てくれと祈っていた。が亡くなる前に目が霞むので手術すると言うほど元気だった。本人もまだまだ生きる気満々であった。
 多分本人は寝て起きたら亡くなっていた感じでびっくりしただろう。祖母に比べてみると。
 私は拒食という訳ではないが飴玉一つで二日は食欲がわかない。というより食べるのが苦痛である。排便も小便もほぼしない。ほぼ寝ない。一日一時間位目をつぶるだけで満たされる。
 それ以上横になっていると頭が痛くなる。なので余計に一日が長い。飽きてしまう。人生百年時代とか聴くとぞっとする。
 そんな事を小学生の時には感じていた。かといって自殺願望がある訳では無い。何事も誰にも習わずともできるので直ぐに飽きてしまうのである。勉強もスポーツも趣味も。幼稚園の入学式に一人で幼稚園バスにも乗らずに行った記憶がある。親に命令された訳ではなく自発的にである。既に自立していた。産まれて来る時も一人で死ぬ時も一人である。自立は早いほど良い気がする。
 産まれてすぐ亡くなる人もいれば百年以上生きる人もいる。
 亡くなる事は自然な事である。0歳だと悲しくて百歳だと悲しく無いと言う事も無い。
 同じである。まだ私は死んだ事が無いからわからないが死ぬのは全く怖くない。寝たきりで一生過ごす方が辛い。身内に何人かいて介護していたが本人が一番辛いと感じる。死にたくても自分で死ねない人も沢山いる。死ぬのは悲しい事なのだろうか?。遺された人の感情なのではないだろうか?。呼ばれる事は本人にとっては楽になれるのではないだろうか?。
 私は自立が早かったのでかなり小さな時からそう思った。
 死ぬ事は自立する事と同じ様な感じを受けるのはおかしいだろうか?。生死は表裏一体早いか遅いかだけ。生死の執着から自立する事執着を捨てる事なのでは?。そんな大それた事でもない気がする。
 うちの母方の祖母が百二歳まで生きたのだが先祖を辿るとアイヌの呪術師と嘘か真かよくわからないが祖母が言っていた。
 アイヌの考え方はかなり不思議らしい。祖母は身内だけの秘密にしていたしほぼ会話に出てこなかったが。予言予知はよくしていて百発百中であった。祖父が戦争で乗る船が沈むと予知して祖父を止めてその船が沈むとか叔父が単車で転ぶと予知して革ジャンを買った日に転ぶとか叔母が小さな時死ぬ予知をして直ぐ亡くなるとか。亡くなるのは必ず当たりその日その時間までわかり必ず看取るとか。祖母に恨みをかうと何故か亡くなるとか。心を読む事にもたけていて嘘を見破るとか。不思議な力を持っていた。母は遺伝なのか予知夢や他人の死がわかる人でうちには私が産まれた時から沢山のわんこがいたが皆んな母に看取られた。しかし祖母のようなコントロールする力は無かった。私にも幼少の頃はあったみたいだが消えた。祖母と母は心を読める人達だったが私の心はかたく閉じていて見えないので何を考えているのかわからないとよく不気味がられた。そんな私にも何か力が遺伝したらしくテレビのクイズ番組の答えが全て解ったり全部のキー局の番組が再放送でもないのに全て記憶にあったりテストで出る所が全て解ったりした。心の中も読めてしまう時期があり疲れるのでこちらから心を閉ざすと相手の心も解らず楽になった。しかし騙されやすくなりよく騙された。祖母からきつく言われたのは他の人に自分達の事は言わない様に言われた。それが身内であっても。なぜなら迫害されるからだと。なので私は祖母と母以外には誰にも言わなかった。
 呼ばれる事がしばしばあった。声が聞こえる訳では無い。
 感じるだけである。しかし行かないと嫌な予感がするので行く事にしている。
 小学校の頃自転車で走っていると突然呼ばれてかなり走るとスクラップ置き場があり山の様に車が積んであった。正門には怖そうなおじさん達がいて裏に周り忍び込み車の山の中から呼ばれる方に行くと下の方に真っ赤に錆びた戦車があって何故戦車があるのか?びっくりして中に入り探索した記憶がある。特に何も発見はしなかったが真っ赤に錆びた戦車は博物館とかにしか無いと思っていたので驚いた。多摩川が近くにあり呼ばれて行く事もしばしばあった。
 川向こうに工場があり忍び込んだりゴルフ場に呼ばれて入り係員のおじさんに追いかけ回されたり。不思議に見張りがいてよく見つかった。何かやましい事でもしていたのか?小学生の私にはよくわからなかった。神社や寺にもよく呼ばれた。気になるので行くが特に何も無かった。一応お参りだけして帰るだけであった。小学校の終わり頃突然親が引っ越すといいだし幾つか隣の街に引っ越した。
 そこは元々縄文時代だか?なんだか?わからないが壺に入った人の墓跡の上に家を建てたと母が言っていた。うちの周りも全部そうだった。家に誰も居ないのにドタンバタンと物凄い音のする家でうるさくて仕方がなかった。しかし何が見える訳でも壊れる訳でもなかったので気にしなかった。しかし周りの家では自殺者が多発して近所で数十人亡くなった。うちには被害は無かった。私は何故か何をしても怪我病気をせず、例えば学校の校舎の屋上から飛び降りる度胸試しなどなどしたが無傷であった。大型トラックに幼稚園の時はねられて数十メートル吹き飛んだが無傷であった過去がある。何かに守られている様であった。たまに夢に小さな時亡くなった祖父が出てくる時があり祖母に言うと家から出ないように言われて一日出ない様にしたりもしていた。私は予知夢をたまにみる事があり夢で見た事は調べる事にしていた。大体が吉夢であった。悪い事が起きそうだと必ず祖父が夢に出てきた。兄が幼稚園に行くか行かないかの頃母が毎日夢で兄がバイバイバイバイと言う夢を連日見て祖母に言うと祖母は何やら祈祷したらしい。翌日からその夢は見なくなったと母が言っていた。柱の釘を刺す位置も祖母は口煩く、この柱には釘を打つと身内が亡くなるとか言っていた。皆んな祖母の言う事には従った。女帝であった。しかし私だけは祖母の言う事をきかなかった。物心ついた時にはわんぱく坊主になっていて手がつけられない状態であった。家族から無視され学校ではあまりにも手がかかるので国旗を上げるポールに縛られて蔓下げられて宮本武蔵の山狩の時捕まった様な状態でよく過ごした。祖母も私はコントロールできないと手を焼いていて。心の中が読めないとよく言っていた。不気味がり毛嫌いされた。私は自分自身の力が大きすぎてコントロールできなくなっていった。更に死ぬ事に全く恐怖はなく飽きていた。
 エネルギーが身体中から湧き出るのがわかった。それを抑える事も出来なかった。思うがままに呼ばれるがままに行動した。溢れる力を持て余し毎日三度は喧嘩をしていた。学校には行っていたが授業は受けた事が無くそれでもテストは何時も満点で先生の言う事など一切きかなかった。未熟な先生達を見下していた。狭い世界で子供に威張る先生を毛嫌いした。人として未熟な人達しか居なかった。心がすすけて見えるのである。スポーツも武道も習わずとも何でも一番出来てしまい直ぐに飽きた。親はとっくに見放し手を焼いて六大付属のバンカラな学校に無理やり入学させられた。
 入学式に校門で先生方が服装のチェックをしていていきなり私は捕まる。私はおかしなカッコはしていなかった。職員室に連れて行かれ正座させられて先生に変わるがわる腹に蹴りを入れられる。袋叩きにされた。私が立ち上がろうとすると退学だと言った。逆らえば退学だと。
 意味がわからなかった。
 この人達は気が狂っているのか?と。ストレス解消にやってるとしか思えなかった。散々袋叩きにした後教室に行けと言われた。殴られた理由は未だに解らない。その後教室に行くと明らかに自立していない幼稚園児の様な集団が親自慢大会をしていた。自分の親は凄い金と権力を持っていると。マウントを取り合う。不毛である。皆んなロレックス 、パテックスをしている。直ぐに群れが出来弱いものいじめが始まる。それはこの世のものが考えたのか?と言う様ないじめが。男同士を裸にしてシックスナインをさせて水をかけて写真に撮るといった陰湿を超えたいじめが。金持ちのいじめは凝っているアイデア満載であった。親やクズなら子供もクズである。親の金と権力で入ってきたクズばかりである。それらを容認している先生方はよりクズである。どうしようもない。心を閉ざした状態でも人相でわかる。腐りきっていた。
 私は自分が爆発する前に不登校を決めた。そして外で爆発した。まず地元のヤンキー狩りを始めて周りに拡大していった。夜の街に出てはヤンキー狩りを始めた。爆発したエネルギーをヤンキー達に当たり散らした。まだ街に極道がいた時代である。
 プロの人達は私をみて関わっては損だと解るのだろう無視してくれた。毎日毎晩暴れまくる。ヤンキーが警察に泣きを入れて警察から私が呼び出しをよくもらう様になる。ヤンキーや不良と呼ばれる人で喧嘩の強い人に会った事は無かった。弱いから群れ、派手な服を着て派手な髪をしてはったりで事をすますのである。それでも私は自分のエネルギーを抑えて暴れていた。十分の一位に。でないと本当に殺してしまいそうなエネルギーの塊であった。世の中拝金主義が絶頂を迎える頃である。呼ばれるのである。
 私が家に居ると夜中呼ばれた気がして久しぶりに心を開く。
 西からである。遠そうだなと兄の単車を出す。とりあえず中央道へ。西へ西へ。私は方向音痴である自宅の周りでも道に迷う。幾つか分岐した。もう何処を走っているのか解らない。
 とりあえず呼ぶ方へ向かう。
 高速を降りてしばらく走ると真っ暗闇の中に鳥居と橋があった。とりあえず自動販売機でコーラを飲む、エネルギー充電をしながら朝を待つ。朝になると雨が降り出した。大きな橋を渡る。何処だ?砂利道を歩く。今にも侍が出てきそうな雰囲気である。大きな神木が沢山天高く伸びている。うろうろする。広すぎてよくわからない。小一時間はうろうろするがここからではないみたいである。橋を戻りわきに入りぐるっと池がある。
 こっちから呼ばれている気がする。と池を回ると茜社とある。鳥居が並んでいて鬱蒼としている中ずんずん進むと誰も居ないが神社らしき社が並んでいた。ここからだ。うろうろしながら参拝。かなり怖い感じである。しかし何やらすっきりする。やはりここから呼ばれたみたいである。身体中からエネルギーが吸い取られる様な感じである。そこに年寄りのおじいさんが現れてお守りが置いてある部屋に入る。宮司さんかな?。なんか怖そうな人である。
 とりあえずおみくじをひかしてもらう。大吉である。怖そうなおじいさんが珍しい番号が出たなと呟く。意味はわからなかった。しかし大吉だからいいかと会釈して茜社を出る。とたんに身体に力が入らなくなる。座りこむ。這う様に池のベンチへ。しばらく池を眺めながら休むと少し体力が戻る。さて帰るかと単車まで行き一気に来た道を戻る。気づくと家に着いていた。眠らないで平気な私がそれから三日程眠る。
 私は一般人である。それも不良が大嫌いな。世は学歴社会である。当然このまま六大に行くつもりである。ゆえに不登校と言いつつ出席日数は計算して休んでいた。当然テストは全て満点である。教科書は学校にあるので試験前に試験範囲をきいてパラパラと読むだけである。頭が良いわけでは無い、テストの点数が満点なだけである。地頭は悪いし記憶力も無い。要するに馬鹿である。祖母は自分の過去の話をしないが薄っすら記憶にあるのは馬鹿とは言わなかった気がするが意味的には馬鹿程感度が良くなる様な事を話した。要するに野生の勘みたいなものなのかもしれない。アイヌ的な考えなのかもしれない。自然全てから学ぶ的な。カムイが宿る的な事かもしれない。拝金的な考えとは真逆なのかもしれない。私は別れ道にいる気がした。今の現状ではレールにのっている。六大付属に入った今このまま六大に勉強しなくてもいけてしまうのが今の日本の教育システムである。学校も商売である。金さえ払えばなんとかなってしまう例え私の様な馬鹿でも。そのまま国家公務員か一部上場企業にも入れてしまうだろう。試験の点数だけなら司法試験でも受かるだろう。しかし私が呼ばれる感度は失われるだろうし特殊な能力も消えるだろう。現に予知夢的なものは見なくなってきていた。
 祖母は稲荷様には近づくなと恐れていた。父方の家には稲荷様があり祀られていた。祖母は父方に近づかなかった。父方の本家近くに馬頭観音や色々な地蔵様が建てられていてもう一人の祖母曰く建てる所建てる所で死人が続出したり寝たきりになったりで色々な所から本家に稲荷様や馬頭観音やら地蔵様が庭に沢山祀られていた。父方の家は信心深い人はいなくて昔からあると言っていた。しかし母方の祖母は決してその家を訪れなかった。その理由はそれらにあったのかもしれない。父方の家の近くに大きな木が立っている。切ろうとすると請け負った業者に死人が続出し工事が出来ずにその木を迂回して造成が行われた。今でも立派に立っている。
 同級生にもの凄い有名で大きな寺の息子がいる。極悪非道とは彼をいうのか?と言うほど殺人以外の犯罪はクリアしている。しかし親の力で捕まる事は無いらしい。身体障害者を拉致監禁強盗レイプを集団でしたと自慢するような人である。見た目は普通のお坊ちゃんである。しかし犯罪集団の主犯らしい。
 彼を観察しているが天罰の様なものは一切降らない。
 私は相変わらず抜身の刀の様に暴れていたが相手がいなくなり用心棒の様な事をして暇を潰していた。何故かわからないが極道や右翼といったプロの方達に好かれてよくご馳走になる様になる。兄弟分になろうと言う人はかなりいた。私は馬鹿なので意味はわからなかった。赤ちゃんや子供動物女にも好かれた。
 私がゆういつ心を開いていたのはうちにいるわんこ達だけにだった。いつでもわんこの為なら死ねる程に。恐れを知らぬ馬鹿な私だったが戦争を体験している世代の人達は何故か苦手であった。相対すると怖いのである。男女関係無く。生きる事に執着が凄く逞しく目が笑わないのである。祖父の弟は満洲でエリート職業軍人の人で大金持ちであったが数えきれない人を殺したとよく言っていた。因みにその人と会話した記憶が無い。他の老人にも近づかなかった何かが戦後に育つ私達とは違うのである。親が戦争を体験しているぎりぎりの世代の子供はやはり何か怖い雰囲気がある。
 私はたまに西に呼ばれた。
 単車に乗りとりあえず中央道に乗り名古屋あたりまでは記憶にあるのだがあと分岐があると何処を走っているのか全くわからなかった。京都に入る時は何となく違和感を感じた。何か結界の中に入り込む様なかんじである。神社や寺に入る時にも感じる。京都で降りたのは流石にわかった。完全に町が普通とは違う雰囲気をもっている。京都全体が一つの塊の様である。が方向音痴なのであとは勘である。
 呼ばれているだろうと感じる方向に進む。しかし単車に乗っていると速すぎて感覚が鈍る。歩きや自転車の方が直ぐに辿り着く。街を過ぎて山の方山の方に人気が無くなる。ある山の麓まで来て迷う。単車を降りて感度を鋭くして心を開く。とはいってもリラックスして深呼吸を深くするだけである。呼吸は難しい考えながらすると苦しくて咳き込む程。皆んな自然にしているが何回吸って吐いたか数えるとかなり難しい。山に登る。
 こちらからだ。鬱蒼とした山道をざくざく登ると民家が建っている山の中に普通の人が住んでいるんだ?と更に登ろうとすると違う。この民家から呼ばれている?そんなはずは無いよな?と民家のインターホンを。誰も出てこない。おかしいな?と家と家の隙間にがある。身体一人通る程度の隙間である。こっちだ。隙間を抜けると民家の裏側に隠す様に大きな滝が落ちていて何やらわからないかなり大きなきな五メートル位はある古い銅像が沢山並んでいる。岩場は平に削られていて石畳の様に綺麗に平である。ここだ!。何をする所かわからないが暫く滝を眺めて休んでいた。するとその隙間から山伏のようなごっついおじさんが白装束で現れる。一応会釈する。何やら修行をしている人のようだ普通の人では無い。大きな滝に何やら唱えている。何時間も。黙って横で座って見ていた。儀式は終わったみたいである。話しかけてみた。
 滝自体が神様らしい。そこを守っている人が民家に住んでいてもりびとだと。山伏らしい人は挨拶に寄ったと言う。滝の神様に。物凄い豪華な大きな古い銅像が山のあちらこちらに建てられている。一言二言話すとその白装束の山伏は消えた。こんな山の中に神様が住んでると皆んなが祀っていて殆ど誰も知らない秘密の場所の様である。あとは誰も来ない。もりびとも来ない。何もお告げらしきものも無い。何故呼ばれたのか?さえわからない。身体がピリピリした。静電気が身体中で発生したような感じである。もう帰ってもいいのかな?とりあえず今日帰らないと会釈だけして帰る。走り下山大した大きな山ではない直ぐに下山して単車に乗り来た道は覚えてないが適当に勘で京都市内を目指す。町に出てインターを探して一気に帰る。帰りながら思う。何の目的があり呼ばれるのか?私自身変わらない。意味が無い。しかし行かないと気持ちが悪い。
 誰にも言えない行動である。頭がおかしいと思われる完全に。声が聞こえる事も何か見える訳でもない。呼ばれるのである。こないだも呼ばれたかなり近所だったので自転車でむかった。それもなんとなく自転車で徘徊している時に。近所は国が造成した住宅街である。駅もできていて見渡す限り住宅である。そこに明らかにおかしい小高い山を見つける。それを避けて平地にしたので両脇に家がマンションが建っている。今にも崩れそうで危ない。その小高い山に呼ばれて歩いて登る階段も無い。てっぺんにかなり大きな古く赤いぼろぼろの祠が。何も書いて無いので何を祀っているのかと中を覗くと古い大きな狐様が見える。会釈して帰る。特に何をする訳でも無い。暫くしてその道を通ると小山が祠事消えて造成されて家が建っていた。住んでる人は説明されていないだろうな。説明責任も無いしと思いながら帰る。祖母が狐様をかなり恐れていたので私は敬意をもっている。現生利益をもたらすらしいし身近にある。
 見かけたら一応会釈だけはする事にしている。祖母は近くに武蔵野一大きな神社があるのに行かない。興味がないみたいである。しかし弘法大師様の月命日には必ず行くかなり大きな寺がありお堂に篭り何時間も出てこない。そこに祀られているお不動様や大日如来様にも行かない。弘法大師様だけである。聞いても答えないし訳がわからないが毎月一緒に行く。何をしているのか不気味である。
 私が幼稚園時代叔父が祖母に頼まれて年に何回か東北巡りに連れて行かれた。記憶力が悪いので何処に行ったかわからないが東北は一つ一つ回ったようである。基本車中泊だった気がする。滝や洞窟を巡る旅だったようだ。観光地には行かない。まだ開発されてない頃で洞窟などは蝋燭を持ち下は川の様な流れの氷の様に痛い水の中をひたすら歩いた記憶が微かにある。はいつくばり崖を飛び降りたりしてガイドから離れたら帰れないと言われた気がする。
 冷たい滝にもよくうたれた。
 東北をくまなく周り滝行、洞窟巡りを三人で小学生の時までよく行った。うちには兄がいるし叔父にも子供が二人いたのに、何時も祖母叔父私の三人旅であった。何故かはわからない。何をしに行っていたのかわからない。何故か祖先がいるという北海道には入らなかった。
 祖母は何も教えてくれない人であった我がままで自己中心的な人で頑固を塊にしたような人だったので誰も逆らえなかった。皆んな祖母を恐れていたののかもしれない。その頃のわたしは物凄いわんぱくと言うよりエネルギーの塊の様な状態で既に誰の手にも負えない状態であり当然祖母にも嫌われていたのにである。旅に行けば行くほど研ぎ澄まされた気がする。馬鹿なのでよくわからないが荒業をさせられた様な気がする。それから東北には行っていない。
 何故か呼ばれない。
 物心つく頃には祖母に連れられて大きな寺の弘法大師様が祀られている寺によく通っていた。祖母が籠る弘法大師様の社があり私は暇なので寺の中でよく遊んでいた。鬱蒼とした山には八十八の何かを巡る電気も何も無い山でよく過ごした。
 国宝だかのお不動様が寺の中心にあり寒いのでよく寺の中で暖をとっていた。護摩を燃やすので開け広げのお堂の中でも少しは暖かかった。沢山のお坊さんが一日何回も何か唱えていて何やら聞いていると眠くなりよく寝ていた。今思えば凍死に近い程中も寒かったし夏は熱中症になるほど暑かった。よく死ななかったと思う。
 熱くマグマの様になると色々な所に呼ばれた。
 その日の夜中も突然呼ばれて単車を西に向ける。名古屋地点でまたよくわからなくなる。呼ばれているのかもわからないで兎に角走る。今程警察はうるさくないかった時代である。
 飛ばしても大丈夫であった。
 全開で走りに走ると日本は狭い。数時間もあれば大概は着く。迷いに迷い朝になると目の前に自動販売機がある。止まりコーラでエネルギーを入れる。
 目の前の看板に熊野古道とある。登ってみるか?とふらふらと歩いて登る。何にも無いただの山である。何時間か歩くと山の中に地蔵様が沢山並んでいる。一応会釈。何やら急に怖くなる。嫌な予感である。急いで来た道を駆け戻る。何やら不気味な山である。何か嫌な予感がして帰る方向に走り出す。また迷う。気づくと東名に入っていた。東名は初めてでトラックが数メートル単位で繋がりながら物凄いスピードで走っていた。単車だとかなり危ない。トラックが煽ってくる。道も歪んでいてぼこぼこで単車だと走りづらい。と道のど真ん中でエンジンが止まる。後ろも前も横も逃げられない。急激に減速したなで後ろのトラックがギリギリを避けていく。単車のミラーを弾き飛ばしながら。死ぬのか?と私は冷静である。案外と短い人生だったなと思いながらエンジンが完全に止まり道の真ん中でストップする。と後ろを見ると後続車が居なくなっていた。単車を押して路肩に寄せる。するとまたトラック軍団の列が目の前を走り抜けていく。一分位の出来事である。一瞬トラックが途切れた時に単車が道の真ん中で止まったみたいであった。
 案外死なないもんだなと。
 思った途端に冷や汗がドッと出る。身体は死ぬのは嫌みたいであった。足が震えている。
 かなりの恐怖だったようで細胞から冷や汗が噴き出ていた。
 ガードレールに腰掛けて震えが止まるのを待ちながら単車を眺めているとエンジンから煙があがっている。さてどうやって単車と帰るかと考えていると目の前に平積みのトラックが止まる。路肩に止めておじさんが寄って来た。危ないよ、そこに居ると、ガードレールの外にいなと。会話すると近くに単車屋があるからトラックに載せて運んでくれると言う。善人である。甘える事にして運んでもらい高速から降りて単車屋までのせてもらう。単車ダメだから捨てて帰ったらと言われながら。運ぶだけで単車買えちゃうよとアドバイスをもらう。
 単車に下ろしてあっさりおじさんは居なくなる。善人である。
 旅をしているとかなりの確率で善人に会う。不思議である。
 単車屋だと言われた所は潰れそうなガレージで単車は一台も無い、人も居ない。声をかけるとガレージの後ろからおじさんが出てくる。どうした?とぶっきらぼうである。東名で突然止まってよくわからないというとぶっきらぼうなおじさんは怖い顔をしながらよく死ななかったなと。みといてやるからその辺で時間過ごしてこいと言われる。善人である。ぶっきらぼうだが完全に善人である。はいと返事をして時間潰しに散歩をする。なんにもない。うろうろしているとまた道に迷う。私は物凄い方向音痴である。と呼びような気がする。そちらの方にうろうろと歩いて行くと大きな赤い鳥居に辿り着く。誰も居ない。かなり大きなな鳥居である。中に一礼して入って行くと屋台みたいな小さなテントにおばさんが座っていた。おばさん受けは良い。話しかける。ここは何処ですかね?と。おばさんはにこにこしながら豊川稲荷だよと言う。暇つぶしにおばさんと話し込む。有名な寺だと言う。説明を受けながら食べ物や飲み物を貰う。なにやら祈祷した指輪を売っているといい、あげるよと祈祷した指輪も貰う。
 善人である。なんでもくれたら商売にならないと思いながら三種類のデザインがあるから三つあげると私の指にはめてくれた。三つ。一つ五千円と書いてある。それを三つ貰った。
 凄い縁起の良い寺だからまわってみて来なと送り出される。
 凄く縁起が良いというのに誰も居ない。物凄い広さである。坊さんもいない。シーンと静まりかえる寺に狐様が沢山祀られているのかあちらこちらにある。とりあえずふらふらしながら狐様達に会釈しながら散策すると呼ぶ感じがする。寺の裏からである。ふらふらとその方へ。寺の裏に山の様な狐様の異様な数である。会釈しながらうろうろする。狐様の墓地みたいだなと思いながら。ここに呼ばれたみたいであった。て事は単車が止まったのもそのせいでかな?と思いながら。一応全てぐるっとまわり挨拶だけしてまたおばさんの所に戻ると屋台事無くなって居なくなっていた。
 お礼を言いたかったんだがまたくればいいかとまた来た道を迷いながら帰る。その間おばさんにしか会わなかった。考えてみると寺のど真ん中に屋台ってだして怒られないのかな?と不思議に思いながら単車屋らしきガレージに辿り着く。おじさんは単車の前でタバコを吸いながら私を待っていた。近づくとなおったから気をつけて帰れと。
 修理代を口にだすと不機嫌にいらないと言われた。善人である。お礼を言い、会釈して単車にまたがりヘルメットをかぶるともうおじさんの姿は無かった。渋い善人である。エンジンをかけると来る前よりいい音になっていた。腕もピカイチか、渋いと思いより回るエンジンを楽しみながら帰宅した。
 祖母に指輪の話をすると物凄い怖い顔をして捨てなさいと言われた。余程狐様が怖いのである。因みに私も祖母も学は無い。豊川稲荷がどんなところか知らない。私は呼ばれたらいくだけである。
 祖母は子供に泣かれるしうち犬のわんこにも激しく噛まれる。私はどんなに泣き叫ぶ赤ちゃんや人見知りの子供にも懐かれるし他の家のわんこにも噛まれた事は無い。どんな獰猛な動物でも好かれる。この事は今でも不思議である。しかし祖母は子供が好きでわんこが好きだという。私は子供が好きな訳では無いしうちのわんこ以外に興味は無い。私は思う。死について。昔先進国は後進国を支配していた時毎日後進国で大量な人を死ぬ統計をとったと聞いた事がある。意図的に人口を操作していたと。何故かはわからないが労働力としてなのか?奴隷としてか?調整していたと聞いた。物と同じく。今現在年々世界の人口は爆発的に増えている?とフェイクかもしれないが聞く。日本の人口はどうなのか?はっきりとはわからないが少子化と聞く。身の回りには確かに老人が沢山いる。老人はぴんぴんころりと言いながら毎日を謳歌している。近くのスポーツジムなど朝開く前から老人達が並んで待っていて見に行くとプールもジムも老人だらけである。長生きは楽しいのであろうか?祖母は確かに我がままに自己中心的頑固に毎日大量に食べ排泄して寝ている。お金も何故か持っている。一日は物凄い長く暇ではないだろうか?苦痛ではないのか?パチンコ屋にいけば老人が暇つぶしに大量に打っている。賭け事はしないのでわからないがギャンブル場には沢山の老人がいる気がする。金と暇はあるし健康にきをつけていて丈夫で暇だから。介護をする人が身内に多いのでよく施設にも行くが時間で食べて寝て起きて繰り返しまるで動物園のようにいる動物のようにただただ生きているだけである。楽しいのだろうか?。そこまでして生きなくてはいけない意味が私にはわからない。寝たきりで何十年生きるだけは苦痛としか私は感じない。身障者の施設も沢山ある。社会問題化している。ボランティアにたまに行く。決して楽しそうでは無い。介護している側は儲かるのかもしれない。経営者は。スタッフもその賃金で生活をしているのは確かである。綺麗事を言うなら無償でボランティアするべきである。
 何か老人も身障者も利用されて騙されている気がする。
 少し話は変わるが向精神薬という依存性の高い薬がばらまかれている。違法ではない。モルヒネというのも合法みたいである。世の中には依存性がある物で溢れている。違法薬物と呼ばれる物とどう違いがあるのか?わからない。死ぬ危険性を言うなら合法薬物にもあるだろう。
 経済的な問題はあると感じる。依存性のある違法薬物が一回二万とする一日何回のむのか打つのかわからないが一日一回と計算して一年で二万かける三百六十五日で七百三十万である。実際年収で七百三十万稼いでいる日本人はどの位いるのかわからない。これを死ぬまでやれる資産がある人はごく一部の富裕層だけではないだろうか?。一回のむうつしたら一生止められない病気とか綺麗事を言うならきちんと自分で計算して考えるべきではないだろうか?。年収一千万の日本人はどの位本当にいるのかわからない。そういう違法薬物を一生できるだけの資産がある人はやるのは構わない気がする。合法化して名前も変えて医者で処方してもらい安く管理すれば向精神薬のようにばらまいても同じではないだろうか?。違法合法の意味がわかない。馬鹿だからなのか?。透析もしないと死ぬらしい降圧剤や心臓の薬も何が違うのだろうか?。税金の問題なのか?。国がやっているギャンブルは合法で違う人がやるのは違法?。意味がわからない。
 話を戻すが死について。
 今は切腹が許されていない。
 日本は旅すればする程素晴らしい国である。明治維新で異国が入ってくるまでの文化も。
 美意識の問題ではないか?
 それは十人十色皆んな違うと思うが。私の様に馬鹿だと命や時間の概念が他人と違う。自分の命に価値は無いし時間も早く過ぎて欲しい。長生きに意味を感じない。嘘か誠かわからないが土方歳三の最後の一騎がけなど読むと楽しそうに散ったなと感動する。
 呼ばれない時はかなり呼ばれない。呼ばれる時はしょっちゅう呼ばれる。色々な所に身近であったり西の方だったり。
 私は此れを距離関係なく旅と感じている。一人旅である。
 目的も目的地もわからないで彷徨うのである。意味は無いし感じる事もないが楽しい。
 うちの近所の真っ直ぐな道路でよく事故がおきて死人がでる。毎年数人は同じ場所で事故して亡くなる。私もたまにその道を自転車で通るが見通しの良い直線である。不思議に思い自転車を止めて眺めていた。位置を変えたりして。すると違和感を感じる。一見直線に見えるが微かに曲がっているのである。
 そしてアスファルトも路肩に傾いている。目の錯覚というやつで直線に見えるが微かに曲がっているのでスピードを出してしまいガードレールに突っ込んでしまうみたいである。見通しがいいので皆んなかなりスピードを上げるのだろう。高度成長期に無理矢理計画も無しに道は沢山作られた。きちんと考えてつくればこんな場所は無くなる。首都高などその典型である。川の上に無理矢理高速をつくったのでくねくねしているし合流や分岐も適当である。事故が起きるのが普通である。よく事故が起きる場所には大概理由がある。しかし何故直さないのかがわからない。旅に行くと昔の町は凄く考えられて創られている。昔の日本人は物凄い賢かったのだろう。町並みが綺麗である古い町は。言い伝えなども科学的に根拠があるのだろう。
 無視した都市改造を続けてきた弊害が出てきている。旅をしていると沢山の事に気づく。
 江戸幕府をつくった徳川家康などは関東全体を一帯として考えた都市をつくったと聞いた事がある。日光も全て計算されて東京に影響があるみたいである。言い伝えではなく科学的根拠が将来わかるかもしれない。地脈や断層といったきちんとした理由が。千葉や湾岸辺りを単車で流しているとよく道が波打っている。昔は夢の島とかゴミの島とかいい埋められた土地なのかもしれない。きちんと考えて作ったとは思えない。関東大震災を私は知らないがくるくると毎年言っているがきたら凄い事になりそうだなと思いながら都心を走る。私は貧乏である。親も貧乏である。お金どころがご飯すら食べさせてもらった記憶は無い。なので土木工事のバイトをしている。ユンボで掘り返したりブルドーザーでならしたり、バイトは手掘りである。ユンボで掘った穴に入り横に掘っていく様ないつ生き埋めになってもおかしく無い仕事である。雨が降ろうが雪が降ろうが腰まで水に浸かりながら掘り続ける国の仕事である。私は馬鹿で素人である。その私が百キロ管とか五十キロ管とかを繋ぎそのまま土で埋めてしまう。出稼ぎのおじさん達曰く砂や砂利など段階をふんで埋めないと地盤沈下するらしい。しかしやらない。いきなり土を入れて埋め戻しアスファルトをひいてしまえばわからない。会社は利益しか考えてないので適当である。しかも作業しているのは何もわからないバイトが管を繋いでいる。これが現状である。大阪城の石垣など何十トンとある石の塊を全国からあつめて組んでいるそうである。仕事の質が天と地ほど違う。そんな事を考えながら今日中に終わらせろと監督が言う。
 退化しているとしか思えなかった。命がけの仕事で一日五千円である。安い命である。
 そんな事をしながら高校に上がる。出席日数はあと数日休んだら進学できないと言われていた。早速単車の免許をとり大型に限定解除する。貯めたお金で大型バイクを買う。これでいつでも何処でも旅に行ける。わくわくした。
 旅が好きである。旅行ではなく一人旅が。なるべく他人と関わらないでふらふらするのに単車は最適である。道さえあればどこまでも行ける。誰とも会わずに。他人がいると勘が悪くなるしストレスになる。大体の問題はお金か人間関係のような気がする。あと単車だと死ぬ時一人である。他人に迷惑をかけない。その点も気楽で好きである。フルスロットルで全開で走っているとぎりぎりのラインを感じる事ができる。生死の境目である。あと一ミリ捻ると死ぬとか一瞬の遅れで死ぬ。そのぎりぎりで走っている時生きていると実感できる。ぼっと生きている人にはわからない感覚である。死ぬ覚悟は幼児期からあるが誰かに迷惑かけたり殺す覚悟は無い。殺すくらいならあっさりと殺された方が気持ちが良い。単車にはその潔さがあると思う。誰かをひきそうになったら自爆すれば回避できる。他人の自由を奪う事は罪である。私は家にわんこ達がいる。わんこ達の自由を奪っている。だからこそ自分を犠牲にしてでも長生きしてもらいたいし楽しく過ごしてほしい。わんこは私より上に位置する存在である。食べ物や水が一人分しかなくどちらかが餓死するのなら迷わず私は食べ物や水をわんこに与える。私が餓死を選ぶ。その覚悟をもちわんこと生活させて頂いている。そのうちのわんこ達を三匹隣のおじさんに殺された。二匹は農薬を食べ物に入れられて毒殺一匹はスコップで撲殺された。うちは高台にあり外から侵入出来ない。うちははじにあり隣のおじさんしか殺せない。警察に言ったが門前払いされた。私より大切なわんこ達の命を絶たれた。
 理由はわからないがうちは余所者で隣は地元の人間。うちは嫌われていた。そのはらいせに殺された。私達の変わりに家族であるわんこ達は殺された。私は隣のおじさんを殺さなかった。一秒後にぽっくり死ねるのか寝たきりで百年生きるのか誰にもわからない。単車を買い旅に出た。それも夜中いきなり行きたくなる。呼ばれた訳では無い。自分が生きているのか試してみた。中央道を西に全開で走る夜が明ける頃鹿児島に居た。日本は狭いんだなと感じる。
 自動販売機のコーラをのみ桜島を眺めながら堤防で日焼けして休んでいた。桜島の凄さに感動しながら。力が漲る感じを受けた。生きているんだなと桜島は感じさせてくれた。
 途中熊本あたりで真の闇の中全開で走っている時何も見えないのと山に挟まれる様な恐怖を感じた。熊本の山は何故か怖かった。途中から上がってくる地元の車のテールランプを頼りに走ると地元の人が引っ張ってくれ九州の人は善人だらけで助かった。代わる代わる引っ張ってくれた。しかし熊本の山は怖かったなと生きているとしか考えられない山の圧力であったなと。桜島にも同じ様な圧力を感じた。怒らせたら怖そうだと。単車で走っていると怖い怒ってる山と優しい山があるのに気づいた。優しい山を走っていると穏やかな気持ちになり怒っている山に入ると冷や汗が出るほど恐怖を感じた。風圧でフルフェイスは虫の死骸だらけ、服はボロボロになっていた。風圧で破れるのである。風ってすごいなと感じながらフルフェイスを磨いて視界の虫を拭くがなかなかとれない。高速で走ると虫も凶器となりぶつかり潰れる。形の無い虫はなかなかおちない。
 さて帰るか?と一息つくと目の前にフェリー乗り場が、何処に行くのかな?わくわくである。乗り場に行くと沖縄みたいである。夕方出港とある。一日一便。乗るしか無い。それまで当てもなく鹿児島付近を走り回り時間潰し。行き当たりばったりで散策するがのんびりしたいい場所ばかりで感動する。兎に角人が善人である。迷わない様にフェリー乗り場を中心にして走り回り、時間が来てわくわくしながら乗り込む。沖縄は昔は琉球、異国であった。文化が違う。本土の文化は死んでいたが沖縄は文化が生きていそうな気がしてわくわくした。とりあえずかなりうねっていて立てないほどである。皆んなはごろごろ床に避難している所を壁にはりつきながら食堂に。うねってる時に食べる人は居なくて誰も居なかった。カレーを頼んで呑み込む。久しぶりの食事であった。水が溢れて倒れそうなうねりの中のカレーは最高に美味しかった。手ぶらである。免許とお金をジーパンのポケットに入れて。きのみきのまま夜中にふらっと出かけて沖縄に着く。降りると夕方で寝る所を確保しないと。近所の定食屋に入る。おばあちゃんがいた。居酒屋みたいな演歌のポスターだらけの定食屋である。おばあちゃんの言葉がわからない。外国語よりわからない。適当に頼み食べながらコミニケーションをとる。ジェスチャーまじりである。二階が空いてるから泊まっていきなみたいな事を言われる。善人である。かわりに定食屋もどきを手伝う事になる。お酒を勧められる。呑めないとというと情けないと言われる。沖縄ではお酒をのまないと駄目な文化みたいである。お客様はほぼこないのでおばあちゃんの話し相手である。おばあちゃんは兎に角何か得体のしれない食べ物をつくり食べろ食べろと言う。私は超小食で食べるのは拷問であるが食べる。なにやら精力のつく食べ物ばかりらしい。豆をいったりしてかなり原始的である。
 沖縄出身の歌手を皆んなで応援していて歌手もよく来るらしい。沖縄人は皆んな家族といった雰囲気である。たまにおじさんがふらっと酔っ払い入ってきて呑んで出て行く。勘定をしている雰囲気は無い。おばあちゃん曰く男は働かないで一日中呑んでふらふらしているらしい。
 その分女の人が働くシステムのようである。勉強もしないらしい勉強する人はかっこつけてると馬鹿にされるらしい。まるで本土とは違う文化に感動する。男は酒を片手に海に銛を持っていき魚をとって朝まで呑むとか沢山話をしてくれた。ほぼ言葉がわからないので勘であるが。朝方まで話しを聴いて朝一単車で沖縄をぐるっと周る。何でか道が滑る。本土の道とは違う。北へ北へ向かうと海の水が水道水のような海で岩場から海を見ると物凄い大きな魚が直ぐ下に沢山いる。海とは思えない透明度であるし魚が大きい。移動しては誰も居ない海で日焼けした。なんだかわからないが日本では無い感じがした。夕方に定食屋に帰り手伝いをする。なんだか時間の流れが何十倍も遅い感覚に襲われる。まるで竜宮城である。一日が異常に長い。
 しかし単車で町をながすと基地があり店も外国のようである。アメリカ軍人が沢山いる。情緒に欠ける。国際通りなどほぼアメリカである。アメリカ人にケバい若い女の子がべたべたしている。戦後か?と思うような雰囲気である。偉そうなアメリカ軍人達の群れをみて本当のヤンキー狩りをしたくなる。エネルギーが漲る。軍人狩りと思うだけで身震いがした。しかし旅の最中は喧嘩はしないようにしていた。というより善人ばかりで喧嘩にならないのである。沖縄の人は皆んなおっとりしていて明るくていい人ばかりであった。本土とは何かが違うみたいである。時間の流れも土地の雰囲気も。誰にも呼ばれる雰囲気すら無かった。
 真っ黒に日焼けした頃夜中突然帰りたくなり朝一おばあちゃんに挨拶とお礼をしてフェリーに乗る。何故かはわからないが本土に呼ばれている気がした。
 海人もどきの真っ黒は私は本土の人にもバレないほど染まっていた。私は短気で癇癪もちである。沖縄ののんびりした雰囲気は合わなかったのかもしれない。人生長い暇つぶしが沖縄にいると余計にそれを実感した。生きている実感が無かった。
 海はあまり好きでなかった。地元には海は無く東京湾にも行く機会は無かった。しかし遠泳は得意でどこまでも泳げたし激流の川でも平気で泳げる。
 しかし単車でかるく鎌倉湘南あたりを流していると夜の海は物凄く怖かった。本能なのか?海にはちかずくと緊張した。海には何かあるのかもしれない。
 朝方鹿児島に着き、そのまま九州一周をする。宮崎の鬼の洗濯板は凄かった。自然てすごいなぁと思いながら方向音痴の私は九州をぶらぶらした。何故か長崎には足が向かなかった。呼ばれなかったのである。何かあるのかもしれない。と博多に向かう。何故か関西弁の人が多い。働いてる人もアジア人が多く不思議な雰囲気であった。夜空いてから東京に逆走した。フルスロットルなので直ぐに着いた。ポケットの金はすっからかんであった。これで一応東北から沖縄まで制覇した。
 ふと不思議に思う。四国は弘法大師ゆかり?八十八ヶ所巡りとかあるのに祖母は決して行かない。口にもしない。高野山にも祖母は行かない。口にもしない。しかし月命日には近所の誰もが知るお不動様には行くがお参りもしないで弘法大師の部屋に篭り下手すると一日出てこない。弘法大師を信仰しているとも聞いた事が無い。祖母の行動は不気味であった。沖縄から帰りバイトバイトであった。出稼ぎのおじさんは百キロ管を軽々持ち上げるプロの土木の人は百キロ管を担いで鼻歌まじりである。異常である。昼穴掘りして事務所に段ボールをひいて寝る。の繰り返し。たまに地中に大きな何百キロもある石が出てくる。私にはお手上げである。出稼ぎのおじさんにたのむと鉄の棒を差し込んでほじくり出し担いで穴の外に出す。異常である。おじさん達は皆んな真面目で大人しい。更に小柄で華奢である。信じられない光景をよくみた。事務所で寝ているとよく呼ばれた。作業着で単車を出す。神奈川方面からである。厚木まで行き小田原まで行き迷うと箱根神社九頭龍神社に呼び出された。何の神様だかは知らない。とりあえず鳥居から入りうろうろして朝方神社内なのかわからないが蕎麦を食べながらおばさんと話す。随分と遠くから来たねと言われるが箱根などフルスロットルで直ぐである。散歩程度の道のりである。おばさんからすると東京は遠いのかもしれない。箱根九頭龍神社には毎日の様に呼ばれた。何十回と呼ばれただろう。すっかりおばさんと仲良くなった。仕事があるので最速で毎日帰った。
 西湘バイパスは夜無料の時があった。最高速トライをする為によく通った。あの辺の雰囲気は良くて夜の海も怖くなかった。鎌倉辺りの海は夜いくと何故か海を見れないほど怖かった。この差はわからない。
 ある日最初の地元の幼馴染が急に単車で家に訪ねてきた。
 昔の面影は無くニグロパンチに眉なしで特攻服をきて派手な遅い族車に乗って。
 久しぶりだったので朝まで話した。昔の地元の族の頭をしているとの事だった。連合だったので数百はいるしOBはプロだというので就職先まで決まっていた。幼馴染はしきりに昔話をしていた。私は昔話はしない。すると幼馴染が不思議な事をいった。私が死ぬと誰かが耳元で言うと。だから気になり会いに来たと言う。今も聞こえると言う。私は大丈夫か?と逆に心配になる。その日の朝までそんな話を繰り返していた。幼馴染は帰った。その日幼馴染の仲間から私に電話が入った。幼馴染が自殺したと。低層マンションの踊り場から飛び降りたと。その高さが三メートル。私は学校の屋上から飛び降りて無傷だった事があるので三メートルでは死なないだろ?と聞くと無傷で原因不明だと警察は言っていると。しかし二階の踊り場に指紋が出たと発表されたと。
 わかったと電話を切り後悔した。あの時その気配に気づいていればと。何か予兆が出ていたのかもしれない。私には祖母や母のような能力が無い。止めれたかもしれないと思う。彼は最後に何故私に会いに来たのか?止めて欲しかったのか?
 何故自殺したのか?本当に自殺なのか?未だにわからない。
 飛行機が墜落しても生き残る人はいる。お風呂に入っただけで死ぬ人もいる。事故で突然死ぬ人もいる。突然殺される人もいる。生き物は生まれてきて必ず死ぬ。自分自身で生まれてくる事はコントロールできないが死ぬ事はコントロールも可能である。殺す事も。生まれる事は自分の自由はないがもしかすると死ぬ事も自由にはならないのかもしれないのではないか?。
 その時がくるまでどんな無茶苦茶な事をしても死なないのではないだろうか?。祖母や母はそれを感じるのではないだろうか?。遺されたものがそれを理解する事が仮にできたら悲しむ事はないのではないだろうか?。知り合いのおじさんに会う度に缶コーヒーを渡した。初めはありがとうと言っていたが直ぐに当然の様になる。缶コーヒーのセットを渡したがあまり変わらなかった。徐々に高い物を渡したが対して喜ばなくなる。時にはブランド物を渡しても喜ばなくなる。ある日タバコをワンカートン渡した。少し喜んだ。しかし二度目からはリアクションがなくなり当然といった感じになる。考えるのも億劫になる。寸志とかいた小さな袋に五千円入れて渡した。喜んだ。会う度に五千円渡したがそのうちお礼も無くなる。一万円にしてみた。喜んだ。それから会う度一万円渡した。お礼は無くなった。この人はどこまでリアクションなく貰うのか?実験してみた。物は何十万でも喜ばないみたいである。一万二万三万と増やしていった。寸志の封小袋に入れて。五万を渡して家に帰った。暫くすると電話が入りこんなにもらえないと言う。
 気持ちだからと言うとそうかと言って電話を切った。人は物より金が好きみたいである。しかも同じ金額だと麻痺するみたいである。お金とは不思議な力があると感じた。それからは祖母や親や兄や友達にも金を渡す様にしている。人間は直ぐに順応して慣れるみたいである。
 自分の一番小さな単位である歯車が一つ欠ける、亡くなる。
 が時期に慣れて他の歯車が代用されるようになる。友達や仲間知り合いといった歯車が亡くなっても対した影響は無い、直ぐに違う歯車を入れて交換するだけである。戦争中など目の前で毎日人が死に殺す毎日を過ごした人達にはたいした影響はないのかもしれない。慣れというやつなのかもしれない。他人の死など自分にはほぼ影響はないのかもしれない。自分に置き換えて影響は出るのかもしれない。ようは自分自身の事しか考えていないのではないだろうか?自分が死ぬのは怖い。自分が寝たきりになるのは嫌だ。手足が無くなると不便だとか。他人の不幸を自分に照らし合わせて恐怖するのかもしれない。
 しかしそれも祖母ほど経験をもって百二まで生きると対した事ではないのかもしれない。
 しかし不思議だったのが死ぬ一ヶ月前位に突然泣き出して止まらない日があった。毛嫌いしていた私に抱きつき何時間も泣いた日があった。あの涙はなんだったのだろうか?。
 ある日たまたま家で寝ていると母が入ってきて父がなんか変だと言う。親の部屋に行くと父は胸を押さえて苦しんでいる。慌てて救急車を呼ぶ。母はぼっとしていた。着替えて着替えてと急かす。救急車が直ぐにきて搬送される。母は付き添い私は単車で後ろについて行く。近所でもヤブ医者で有名な緊急指定病院にである。直ぐに中に入るが医者が出てこない。苦しむ父の手を握りながら一時間、私は我を忘れてキレまくった。二時間程すると医者が来て私は怒鳴りまくるが覚えていない。何処かに運ばれていった。朝を迎えた頃医者に呼び出されて病室に行くと父は寝ていた。一命はとりとめたようであった。どんな処置でどんな病気かも説明は無かった。母はぼっとしていた。兄は飲み歩いていて連絡はつかなかった。暫く入院と言われて毎日病院に私は通った。退院まで。私は自分がこんなに動揺するとは思っていなかった。うちはネグレクトで父の自慢は私を一度も抱いた事が無いといい。
 触れた事もないそうである。
 母も同じようなものであった。その父が苦しむのをみて我を失った。それから三度程夜中に同じ病院に運ばれた。多分心筋梗塞からの脳梗塞である。
 父は寝たきりになる。
 話す事も排便も食事もできなくなる。完全に寝たきりである。私が面倒を見る事にした。
 母は何故か面倒を見なかった。兄は当然みない。祖母も。
 山ほどの書類を書き市役所に出す。馬鹿だからと言う訳ではなく賢くても出せる内容や量では無い。しかし出さないとケアを受けられないのである。しかも寝たきりなのに一級どころか一番軽い等級しか認められずケアはほぼ受けられなかった。私の知り合いにがんがん働いている年寄りが何人かいるが一級を貰っていた。基準がよくわからないがかなり困った。私は馬鹿なので自分の時間と身体を使って介護するしかなかった。しかし本人が一番辛い。そう感じるだけで辛くなった。マッサージをしたりリハビリをしたりして車椅子には乗れるまでは回復した。自分では乗れないのでのせるのだが。トイレにはいけないので垂れ流しであった。その都度お風呂に入れて身体を洗い部屋から車椅子から洗浄する毎日であった。少し出かけて目を離すとうんちをてになすりつけ壁から廊下から家具になすりつける。理由はよくわからない。
 ボケてはいない。うんちを撒き散らす度に母はヒステリックに父に怒鳴りちらした。すると更に父はうんちを撒き散らし家中うんちだらけになる。それを私が掃除した。ある日家に帰ると父は居なかった。母が介護施設に入れたと言う。私はそれからも毎日介護施設に洗濯物を取りに行き洗濯した物を補充しに通った。母も兄も祖母も誰も介護施設に行かなかった。勿論親戚や友達もである。友達がいたのかわからないが。私は一年に何度か父を温泉に連れ出した。
 担いでおぶって抱っこして温泉に入れた。父は特に喜びもしなかった。父の為に鍼灸師になると思い立ち母に言うと激昂した。中卒、高卒なんて人間ねクズだと。そのまま六大にいけと激昂された。その時期にも呼ばれる事は多々あったが父の介護で行けなかった。兄はかなり歳が離れていて親から溺愛されており武道家であり格闘家でもあり文武両道を絵にかいたような人で幼稚園から塾に行き周りから天才と呼ばれ自分でも天才と思っている人で六大を卒業して直ぐに大手電気会社取締役のお嬢様と結婚して一流銀行に勤めて初年度からトップになりエリート街道まっしぐらであった。祖母にも溺愛されていた。
 なんの苦労もしないで生きている感じで実家にはほぼ学生時代から居なく実家を出てからは縁が切れたように顔を出さなくなる。順風満帆の時を過ごしていた。自然死自殺安楽死事故死その他もろもろ、死には変わりは無い気がする。昔戦国時代に死ねば極楽に行けると闘った人達がいるらしい。ある意味正しいのかもしれない。経験がないのでわからないが。死ぬのに差は無い気がする。楽しく長生きしていると死ぬのは嫌かもしれないが苦しい生き様なら早く死にたいだろう。その差だけのような気がする。延命で儲かる人は延命したいだろうし。周りの身内は自分が悲しいから長生きして欲しいだろう。本人の問題ではない。好き勝手に生きてる母や祖母や兄は長生きしたいだろう。寝たきりの父は早く苦しまずに死にたいのではないだろうか?。本人が望むなら安楽死をさせる方が本人の為ではないだろうか?。自分の命、人生位は自分で私は決めたい。自然死の意味がわからない。全ては自然死なのではないだろうか?。
 父が介護施設に入り少し時間ができた。突然海外に行きたくなり安く行ける所を探す、グアムかサイパンが安いみたいである。直ぐに旅行会社でチケットをとり出発。一応パスポートは何時でも何処でも呼ばれた時ように作ってあった。ジーパンにティーシャツにジャンパーを羽織りポケットにパスポートとチケットをいれてあとは金をかき集め直接ポケットに。準備完了。空港に向かい直ぐに飛行機に。コンビニに行くのと変わらない。ふらっと出かけてあとはきのみきのまま。直ぐにグアムに着く。何にも無い。ジャングルである。熱海より栄えていない。私は外国語が嫌いである。何故なら中一の時の先生が大嫌いで一度も授業に出なかったからである。嫌いになる理由などそんなものである。ABCもよくわからない。なのに偏差値は全国模試で八十である。笑える。空港に降りるといかにも現地人の柄の悪い人が話しかけてくる。今の様に日本語は海外では通じない時代である。ボロボロの車に乗れと言っているようである。とりあえず旅行会社でとった部屋の住所を見せると満面の笑顔である。とりあえず乗ると音楽をがんがんに鳴らしながら何か話しかけてくる。道は舗装されてないような何にもない所をひたすら走る。女の人ならレイプされて殺されて棄てられてもおかしくない状況である。ここは外国である。銃を持っている可能性は高い。流石に喧嘩好きでも銃には勝てない。とボロボロのコンクリづくりの建物の前でとまり満面の笑顔で指を刺す。ボロボロの建物には大きな鉄の門があり見張りの人らしき人が拳銃をぶら下げている。
 何十ドルとかふっかけられ、金が無いと言うと何ドルかになる。チップもよこせと威圧してくる。一ドル渡して降りると陽気に帰って行く。門番に名前をいい中に入れてもらう。今にも壊れそうな建物である。周りはジャングル。わくわくした。
 スリル満点である。いつ殺されてもおかしくない。とりあえず部屋に入ると汚いベッドとキッチンとバストイレ。素晴らしい廃墟のようである。虫がいっぱいいる。私は虫は苦手である。部屋に入るがやる事がない。食糧を調達するかとボロ宿を出るが見渡す限り何もない。門番にジェスチャーでスーパーを聞く。そして炎天下の中歩く。まだまだ未開発である。何にもない。何時間か歩くとスーパーがあり適当にカロリーがありそうなお菓子を買い飲み物を買う。飲み物はデカいし安い。
 来た道を重い荷物を持ち帰る。汗だくで帰りスナック菓子を開けると中はカビだらけである。気にせず食べる。死にはしない。ジュースはとてつもなく甘い。しかも味が砂糖の塊のようである。カロリー高そうだなと飲む。不味い。とりあえずまた外に出て銃が撃ちたいとジェスチャーすると指をさす。かなり馬鹿にしていて威圧的である。アジア人を馬鹿にしている。殴ってやろうかと思ったが銃をもっているのと法律がどうなのか?わからないので止めておく。指刺す方に歩いていると物凄い音楽を鳴らす車が近づいてくる。乗れという。ジェスチャーで銃が撃ちたいと言うと満面の笑顔である。南国の人は陽気である。派手なボロボロのオープンカーに乗り一時間位。ジャングルの中に入っていく。
 普通の人なら怖いであろう。私は死ぬのは怖くない。更に喧嘩で負けた事は無い。なんとかなるさとわくわくドキドキである。ジャングルの中で降ろされ金を払えとまた交渉である。めんどくさいが金は無い。何ドルか払い降りるとジャングルの中に銃を山で撃つ所がひっそりとある。誰も客は居なくてごっつい外国人が何やら話しかけてくるのでまたジェスチャー。通じたのか銃を渡されて金を払う。
 山に的がありそれをうつみたいである。ボロボロの銃である。暴発しないのか?と思うぼろさである。銃身をみるとかなり曲がっている。死ぬのはいいが指が無くなると不便である。
 あとは運である。適当に一発撃ってみる。やはりかなり曲がる。私は何故か銃や弓やアーチェリーなどが習わなくても理解でき上手かった。何センチ斜めに飛ぶから逆算すれば的に当たる。二発目からは全弾真ん中に当たる。威圧的な外国人が褒めてくれる。真っ直ぐに飛ばない銃だと言うのに当てたのでびっくりしたのであろう。飽きた。帰る事にしたが帰りの車が無い。近くにいた外国人に送れと交渉する。何でもかんでも交渉である。めんどくさい。陽気な外国人が送ってくれた。当然お金は払う。ボロ宿に着きやる事がないので近所をうろうろする。見渡す限り何もない。真っ暗になり黒人の人達があちらこちらでたむろしている。かなり野性的な雰囲気を出している。歌舞伎町や六本木の外国人とは違う。危ないなとボロ宿に帰り際ファーストフードのボロボロの店をみかけて話すが明らかに馬鹿にしている。喧嘩を売られているのである。とりあえず指差しでハンバーガーと野菜を買い帰る。ボロ宿に帰り食べようとするとハンバーガーが生焼けで野菜サラダは腐っていた。気にせず食べた。食にも興味はない。水は危険らしいので飲まなかった。夜は真の闇で外にはでなかった。暇なので寝た。常夏の朝は早い。早起きすると直ぐに出かけた。何かに呼ばれて。とりあえず呼ぶ方に歩く。誰も居ない道。そこにまた陽気な外国人が派手な車で話しかけてきた。乗れと言うので乗った。ジェスチャーでとりあえず指差して呼ばれる方に車を走らした。小一時間見渡しの良い所で海が全面に見える綺麗な場所である。お金を払い降りる。
 現地人が少し真顔である。何故かな?と思いつつ崖の方に歩く見渡す限り崖である。風もすごい。ここだな。なんだろ?。
 崖ぎりぎりまで行き下をみると吸い込まれそうである。私は高い所から飛ぶのが好きである。衝動にかられるがなんとか堪える。しばらく膝を抱えて海を見ていた。綺麗な海である。パンツ一枚になり日焼けをする。日焼けは大好きである。
 うとうと寝込む。誰もいない海と崖と風と物凄い日差し。凄い気持ちいい。時間の流れが止まる。暫くするとさっきの現地人がやってくる。なにやら言っているが私は馬鹿である。何もわからないが帰ろうと言っているみたいである。仕方なく帰る事にする。陽気な音楽をかけるぼろ車に乗りながら現地人が何か話している。どうやら心配して来てくれたみたいであった。バンザイクリフ?。知らない。
 身投げで有名なのかもしれない。まあ男一人崖に向かえばそう思われるのかもなと。この人も善人みたいである。他人が死のうがどうなろうが関係ないと思うがと思いつつ。それからまたその人が何処かに連れてってやるみたいなジェスチャーをする。のりのりである。ジャングルを走り抜け生茂る木や草をかき分け歩くと立ち乗りのジェトスキーが何台か並んでいる。乗れと言う。ジャングルに囲まれていて外から見えない小さな湾である。何十ドルか渡してパンツ一枚で乗る。立ち乗りねジェトスキーに軽く乗り全開で走りカウンターを当てて止まり曲がる。マッチョな現地人が褒めてくれているようだ。単車に比べれば落ちても死にはしない。全開全開である。浅瀬なのか所々で岩に当たる。落ちたら血だらけだなと沖に出る。と下にサメがうようよいた。サメにも色々いるらしいから怖くは無かったが現地人が慌てて手招きしているので戻った。マッチョな現地人が沖は危ないとジェスチャーする。危ないサメのようである。直ぐに飽きて上がった。どうやり違法でやっているみたいな感じである。柄が悪い。マッチョ達は陽気にハイタッチをしてくる。褒めてくれてるようであった。プロ系の人には何故か好かれる。ジーパンを濡れたパンツの上に履き日焼けで痛いので裸でティーシャツをこしに巻き。連れてきてくれた派手な車の人の車に乗り込みなんか土産物が見たいというと満面の笑顔でハイタッチである。暫く車を走らせると何軒か土産物屋がある。どんなものが売っているのか?何時もは土産物屋なんていかないが暇つぶしである。すると小さな時幼馴染だった人にばったりあう。お互いにびっくりした。世界は狭いんだなと感じた。幼馴染は女と来ていた。暫く話したらプロになったと言う。元々の地元の奴らは大体プロになったと。儲かるの?ときくとパシリだそうである。上下関係が一日でも早い方が偉いらしい。馬鹿馬鹿しいと思いながら大変だねと別れる。土産物など興味はないがろくなものは無かった。派手なぼろ車に泊まってる所まで送ってもらう。少しお金をサービスして。お金は潤滑油として役立つ。日焼けし過ぎて身体中が痛かったのでそのまま水を浴びて休んだ。次の日は合法?なのか?室内できちんとレクチャーしてくれる所で銃を撃つ。なにやら異常に高い。ぼったくりである。しかも銃も撃ちすぎていて真っ直ぐに飛ばないボロ銃である。しかも数発しか撃たしてくれない。不完全燃焼で終わる。火薬の量が少ないのかモデルガンのようであった。飽きた。ふらふらして数日、飽きた。何もする事がない上に足がないので不便である。しかも外国人だとかなり威圧され馬鹿にされるので殴りたくなる衝動を抑えるのが大変であった。スーパーではガードマンに銃をつきつけられたり。言葉が通じないのはかなり疲れる。
 飽きたので直ぐに帰った。
 それが初めての海外一人旅であった。なかなかスリルはあったなと今度は何処に行くかなと考えながら帰りの飛行機で思った。国内一人旅はほぼお金はかからない。が海外はそれなりにかかる。仕事を変えた。パチンコ屋である。当時は一番稼げる仕事であった。面接に行き次の日から入る。かなりハードなシフトであり週に一回通しと言うのがあり朝一から入り夕方少し休み夜中二時位まで働く。早番遅番とはあるが新装入れ替えというのが突然言われて早番遅番関係なく夜中に新台を搬入する仕事があり朝までかかり取り付ける。休みなんて無い仕事であった。当時住み込みの流れ者が沢山働いていてアパートに住み込んでいて名前すら本名では無い人プロだがなにやら問題を起こし逃げている人犯罪者などが沢山いて楽しかった。組みの金や薬を持ち逃げしたとか?拳銃を常に携帯してるおじさんとか指名手配の人とかがいて毎日アパートで飲み会をしていた。毎日喧嘩が絶えず起こり私には好都合で一時間に一度ペースで喧嘩をしていた。毎日何千万と売り上げがありそれをある日の夜中に集金に来るプロレスラーの様なスキンヘッドのおじさんがアタッシュケースに手錠をかけて持って帰っていた。パチンコ屋とは要塞のようなつくりでカメラが死角無しで取り付けてあり、事務所には鉄の扉その中にはカメラが数十台録画していてその奥に更に金庫部屋があり事務所には数人の幹部しか入れず常に中から鍵が何十にもかかっていて空き巣など入れないつくりになっていた。私は直ぐにプロの人達に好かれて兄弟兄弟と皆んなに好かれた。何故なら毎日喧嘩をしていて用心棒的な存在となっていた。ある日流れ者達のアパートで集まっていると危ない話が持ちあがる。集金する日は大体店の人はわかっていた。しかも夜中に一人で来る。一億はある。
 流れ者はこれを狙わないわけが無かった。危ない話だなと思い。暫く近寄らなかった。ある日の集金日スキンヘッドのプロレスラーは襲われて金を奪われた。犯人は捕まらなかった。
 流れ者も入れ替わりが激しく結局うやむやで終わる。そんな時代であった。パチンコ屋自体も警察に届けたのか?わからない。何か届けられない理由があったのかもしれない。スリルのあるバイトであった。そんな事をしているうちに私は大学生になる。六大に進む。直ぐに女と同棲を始めた。当然父の介護施設にも通いながら。かなりお金もあり車も買った。四駆である。旅には四駆が良い。単車もあり金もありかなり自由になる。ふらっと韓国にいく。すぐである。びっくりしたのは日本語を皆んな話すのである。国はまだまだ栄えていなかったが旅というより同棲していた女が行きたいと言うので焼肉を食べにいく。観光地をまわる。
 そこで何十万人の反日デモを見る。日本語も通じるし皆んな親切だし見た目も変わらないのに凄く嫌われているのにびっくりした。本当の理由はわからないが。日本には朝鮮学校や朝鮮の企業が沢山あり私の元の地元では朝鮮の人達が仕切っていて皆んな仲良しであった。朝鮮の学校の人は喧嘩が強い人が偉い風潮があるのか?近くに学校があったのでよく喧嘩もしたがいい人ばかりであった。喧嘩友達だった。喧嘩も強かった。
 仲悪いのか?と韓国に行って感じた。しかしあう人あう人皆んな親切で善人であった。旅と旅行の違いは全く違う。旅は自分が行きたい場所になんとなく導かれて辿り着き何かを感じて得るものがある。旅行は観光地をぐるぐるまわり疲れるだけである。感じるものも得るものも無い。旅は自由だが旅行は不自由である。
 大学に入り六本木や麻布を中心にした学生企業に参加した。
 大手スーパーの息子が代表で親から三億出資してもらい色々な事業に手を出した。イベントから旅行、飲食から流行までなんでも金になりそうな事は悪いこと以外した。かなりお金は自由になるようなる。ふらっと一人でハワイに行く。三か月はいれる。現地の人達が住む所に住み現地の人達と遊び現地人として過ごす。オウムを持って日本人と写真を撮りお金を稼ぐ遊びをしたりまだホノルルが栄えてない頃だったので熱海位な感じであった。ホームレスも沢山居てまだハワイが貧しかった頃である。日本語は通じなかった。毎日三十キロ走り現地フードを食べる。ロコ食は力も筋肉も付きマッチョになる。毎日日焼けしているので完全にロコになって過ごしていた。ロコしか知らない場所で過ごしてると、ハワイは不思議な所で時間が止まったような錯覚を覚えた。しかし現地のロコは皆んな貧乏であった。観光地から排除されていた。ホノルルマラソン時期になるとロコやホームレスは排除されて観光地から消えた。私は一応ホノルルマラソンに出て思った。本当のハワイの良さは観光ではわからないと。それ程ハワイは良い所でありロコは皆んな善人であった。色々な地元の人しかいかない所に連れて行ってもらい、色々な仕事の手伝いをして過ごした。西の海にはサメがうようよいてそこで遊んだ。
 ハワイは自殺率が当時高く観光?留学?できた人達がふらっとビルから飛んでしまうらしい。まるで天国のような島にいて帰るとなると現実逃避したくなるのかもしれない。最高に楽しい時に死ぬ、それもありなのかもしれない。そんな気持ちにさせてくれるくらい気持ちのいい島である。腹上死、あんな感じなのかもしれない。
 家に数ヶ月ぶりに帰る。
 真っ黒でマッチョの私に同棲してる女がびっくりする。
 ハワイは体質さえも変えてくれる。そんな時実家から電話が入る父方の叔父が亡くなったと特に付き合いは無い。母も付き合いがない。父が寝たきりでも一度も見舞いに誰も来ていない。何やら変死らしく原因不明らしい。御体満足若い叔父である。
 結婚はしていたが女遊びが好きで別居していて子供はいなくて呑んで風呂に浸かって死んでいたらしく。別居していた叔母から連絡があったと。葬式もあげないと。父方の叔父は三人いて自称プロと語りダンプを生業としていたらしい。
 女兄弟も三、四人いるらしい。付き合いがないので私は詳しくはない。まあ酒飲んで気持ちよく温かい風呂で死んだのなら幸せではないのかな?と。思った。この頃知り合った骨董商の人がいてなる程なと思う。
 田舎の蔵を整理してやると周りその時整理代金としてかなり貰う。それを処理するとトラックで運ぶ代金と処理代金を貰う。それを骨董好きに一点一点講釈をたれて売る。金を貰い引き取りそれを何十万何百万で売る。皆んな喜ぶ。物に価値は無く付けるのだと。私にはゴミでも他人は何百万の価値をつけるかもしれない。商いの基本らしい。本人が言っていた詐欺師みたいなもんだなと。商いとは詐欺と同じだと言い切るおじさんに納得した。命も同じだなと感じた。見ず知らずの人が世界中で毎日死んでいる。でも私には影響がない。家族が死ぬと少しだけ影響がでる。自分が死ぬのは影響はないが遺された人にはあるかもしれない。命に価値などない。思い出だけである。
 旅をすると沢山の人と出会い経験する。皆んな価値観は全員違う。外国にいくとまるで宇宙人と対しているようである。
 そして外国に行けば行くほど日本の素晴らしさに気づく。自分は日本人だと理解する。外国に全く興味は無い。しかし経験はしないと否定もできない。だからこそ外国には長く滞在して現地の人と生活してみる。そして自分がなんて恵まれているのか?恵まれた国にいるのか?を感じる事ができる。不自由を経験して自由をしる事がある。
 毎年何回かは外国に出るようにしている。不自由を感じる為に。叔父が死んでも私には何の影響も無い。思い出でもあれば感傷にひたるのかもしれないがそれすらないので世界で誰かが亡くなるのと変わらない。当然私が死んでも誰にも影響はない。世界は変わらない。家族は厄介払いができたと喜ぶかもしれない。つまり叔父の命に価値は無い。少なくても私には。
 骨董商のおじさんが言っていた事と同じような気がする。
 しかし父が寝たきりと言うのは私の人生にかなり影響がでている。面倒をみる時間考える時間経済的にも。ネグレクトの家である私でもこんなにも影響がでる。母はヒステリックになり兄の尻拭いをしたり祖母の面倒をみたり家族に何かあるとかなり人生に影響がでる。家族などはじめからない方が自由ではないだろうか?。同棲していてもかなり自由を束縛される。そして旅に行きたくなる。今は時間も金もある程度自由である。この時間をできるだけ外国に当てようと思う。不自由を全力で感じに。自力をつける為に。
 ある日大学に行くと授業前に大手ゼネコンの息子が自慢げに昨日事故して同乗者が死んだんだが三億でかたがついたと。法律にも詳しくはない私は捕まらないんだ?と聞いていた。親の目の前に現金三億積んだらその親は何も言わなかったと。よく裁判沙汰になるのをテレビでみていたが。今後このような事故事件がない様に私は闘うとか聴くが金を積まれると黙る訳か?と。生涯賃金が三億とかいうので人の価値とは三億で買えるんだと。聞いていた。
 そう言えば埼玉の大地主の同級生の弟が脳腫瘍だか?で余命一ヶ月と言われたが認可されていない治療を一億でして治った。と聞いた。お金で延命もできる訳なんだと。命とはそんなものなのだなと。お金と自由はセットなのかもしれないなと。
 なんとなく富士山に行きたくなり富士山に向かう。単車で全開で行くと直ぐにつく。富士山を単車で登る。アスファルトはかなり凍っていて真っ直ぐに走らないのをコントロールしながら。物凄い寒い。行ける所まで行き止まり眺める。富士山は生きているのに不思議に怖くない。スッキリとする。不思議な山である。富士山も噴火すると言われながらしないなと。一息深呼吸をして感度を高める。やはり日本は良い。富士山は凄く良いなと感じてからゆっくり滑らない様に単車でそろそろと降りる。降り終わり少し離れて富士山を眺める。美しい山だ。
 降りてみた方が美しいと感じる。本当に不思議な山である。
 焚き火にあたると凄く落ち着く火を見てパチパチと木が焼ける匂い最高である。エアコンの風にあたると体調が悪くなる。
 温度の関係とは違う気がする。人にも相性がある。焚き火があう人ストーブが合うひとエアコンが合うひと。その人との相性を知りたければ海外に二人でいくとわかる気がする。いくら日本で気取っていても言葉も文化も食べ物も何もかも違う国に行くと本質が出る。不自由だからである。ストレスもたまる。感情出る。ぶつかる。相性が解る。韓国に女と行った時に私は一緒に行った女を命をかけて守ると覚悟して行った。私が死のうと女だけは助けると。海外に行くならその位の覚悟は必要である。インド女一人旅など聴くと覚悟してないんだなと思う。韓国で反日デモを見ていたが私は怖くなかった。女だけは逃すだけの知恵は馬鹿でもあるつもりだったから。同棲している女がどこか行きたいと言うので近場のサイパンに観光チケットをとる。一流ホテルで安全な観光地を回るように飛行機もビジネスをとる。私は物凄い面食いである。しかも男尊女卑である。物事は腕力で決めるのが一番早いし公平だと思っている。
 しかし女や弱い人を殴ったりはしない。口喧嘩は誰よりも弱い。しかし幼稚園時代から今まで女に困った事は無い。好きな女は必ず自分の彼女にしてきた。寄ってくる女には興味がない。嫌いとか無理だとか障害があればあるほど好きになる。同棲している女も一回り上で大企業に勤める旦那と幸せにくらしていた人妻を奪って同棲していた。その女と今度はサイパンに。もの凄い善人でいい人である私に対しては。他人にはキツイ。海外に行くと露骨にそれがわかる。物凄く尽くしてくれる。怖がりであり、慎重である。キツイふりをしているが虚勢である事がわかる。海外だと薬が手に入りずらい。少し日焼けがやけどになり熱が出ただけでも大惨事である。しかし彼女は医者を手配していざとなると言葉がつうじなくても動くタイプであった。私はできるだけ安全な旅行を提供した。観光地でアトラクションなどをして過ごす。私には退屈だがそれも経験である。きちんとしたレストランできちんとした食べ物を食べて買い物をして。プールでのんびりする。相性が合わない人だと直ぐに喧嘩になるはずである。試してみると面白い。たまにハプニングをつくりどうリアクションをとるのか?。彼女とは二度目の海外だが価値観が近い人だとかんじた。同じ地域で生まれた育つというのも大事だと思う。隣の町でも人柄はかなり違う。彼女とは大体同じ土地で生まれ育ったと聞いた。歳は一回り違うが関係なかった。
 がやはり同世代の幼馴染が付き合うなら楽だとは感じた。
 生きてきた時代が違うとそこはかなりずれる。しかし我がままで自己中心的な私には年上の方がこの時は楽であった。
 サイパンも何もなくてまだまだ未開発で危ない島ではあったが観光地のみを回ったのでアクシデントは無かった。しかし安全の為に一人行動はさせなかった。守る為に。その覚悟がない人は大事な人と海外には行かない方が良い。日本国内ならなんとかなるのでそれほどの覚悟はいらないと思うが。嫌われたら別れればいいだけである。ストーカーをしたり殺したりする必要性はない。無駄な時間である。執着しなければ楽である。
 海外にいくと自分が如何に無力なのかわかる。地位や名誉や権力が通じないのである。金はある程度は力になるのかもしれないが私は貧乏なのでわからない。私は海外に行くようになりより感覚が鋭くなった。危険を察知するのは当然だが電話が鳴る前に気付けるほどに神経がピリッとする。日本に帰っても暫く感覚はピリピリしている。
 日本で裏道に入るのと海外で裏道に入るのではそこで生死が別れる。観光地も戦地も変わらない。それ程日本は安全な国なのである。日本にいても危険はある。ある日車に学友を乗せて走っていると学友が運転したいという。何時もなら断る。単車も車も危険な乗り物である。他人の自由を奪う乗り物である。自分が運転していて何かあるのは運でしかない。私は車に乗っている時は法定速度しか出さないし裏道にも入らない他人を引いてしまう可能性をできるだけ下げる。大きな道路なら人は歩いていない。事故するとしても車同士か単車かである。雨の日もなるべく乗らない。単車移動である。それだけ他人には迷惑をかけないように心がけている。しかしあまりにひつこいので人生で初めて自分の車を他人に運転させた。直ぐに対向車と接触した。当時誰もが恐怖したベンツの黒塗りのAMGにである。道の真ん中にそのベンツは止まり私達ははじに寄せた。ゆっくりとがたいの良いパンチパーマの明らかにプロの人が降りてきてゆっくりと歩いてきた。
 プロが生き生きとしていた時代である。
 終わったと私は思った。
 運転していた学友は平気な顔で降りて行く私は慌てて降りる。プロらしき人が無言で二人を通り過ぎる。私はひたすら頭を下げ謝る。プロらしき人は助手席のグローブボックスを開け車検証を持ちながらベンツに戻る。私はひたすら謝る。ベンツにプロらしき人が車検証を持ったまま乗り込む。終始無言である。ドアの窓が開き名刺を渡される。明日電話してと言うと真っ黒なフルスモーク窓が閉まりゆっくりとベンツは走り去る。
 和紙の名刺には誰もが知るプロの看板が書いてあった。私の人生は終わったと思った。学友は平気な顔で立っていた。
 プロの怖さを知らないのである。親、親族根こそぎ迷惑がかかるパターンである。プロの方は無駄な事はしない。全てを金に変える人達である。私の命など一円にもならない。学友が警察に行こうと言う。無駄だとはわかっていたが一応何もしないよりは心が紛れる。所轄警察署に行く。学友が警官相手に事情を説明する。警官が無表情に事務所には行かないようにと一言。
 それで終わりである。私はわかっていたので学友を家に送った。学友はいない方がいいと判断した。車検証には私の住所氏名しか無い。被害は少ない方が良い。車検証の住所は実家であった。直ぐに家に帰り同棲している女は女の実家に帰した。
 次の日まで名刺を眺めながら思考が止まる。何もうつては無い。私だけなら良いが親親族までいく事にどうしていいのかわからなかった。プロの人達と少しは交流があったので展開がわかった。次の日事務所に電話した。ある駅の喫茶店で待ち合わせが決まる。謝って済む人達では無い。時間前に喫茶店に行き思考は停止したままである。人生の終わりである。急に来る。
 とそこに昨日のプロの方が一人で現れる。立ち上がり四十五度に頭を下げる。もう声も出す気力さえ無い。プロの方が対面に座り車検証をテーブルの上に置いた。君は私の知り合いと仲が良いと聞いた。これからは運転に気をつけてと言うとプロの方は立ち上がりそのまま店を出ていった。私は何が起きたのか暫く解らずその場でへたりこんだ。思考は停止したままである。見送らなくてはと思うが腰が抜けて動けなかった。
 思考が回るようになり少し体に力が入る。車検証を手にして外に出るがプロの方は居なかった。助かった?。知り合い?。
 なんだかよく解らなかった。
 プロの人達の情報網や速さは警察より凄いと聴く。半日の間に私の全てを洗ったのかもしれない。そして金にならないと判断されたのか?本当に誰か私の過去の知り合いが口をきいてくれたのか?よく解らなかった。それから数日は本当にゆるしてもらえたのか電話を待った。
 私から電話をかける勇気は出なかった。
 日本に居ても突然人生が終わる事もあると実感した。
 命をとられるより怖い事が突然おきるのである。不満やストレスはエネルギーになる。人生最大の危機を運で乗り切ったがストレスはかなり溜まった。
 不満やストレスがたまると愚痴を言ったりクレームを言ったり無駄にジムで体を動かしたり解消してしまうが勿体ない勿体ない。愚痴やクレームや悪口や意地悪などに変換させると他人に迷惑がかかる。無駄に消すのは勿体ない。酒をのんで誤魔化すとか。逆に体に染み込んでしまう。そのエネルギーは旅に使う。旅に行くには物凄いパワーがいる。それに変換するのである。小さな嫌な事や不満イライラを少しずつ少しずつ貯めて貯金する。何かにつまずいたり何かで指にかすり傷がついたり本買ったら帯の端が微かに破れていたりささいな不満を貯めていく。お金儲けが好きな人はそれに変換すればいい。私は旅に変える。呼ばれたら行かねば。
 行きたいと思うのも呼ばれているのだと思う。私は四国八十八ヶ所を単車で回ってみたいし高野山にも行ってみたいがどうも腰が上がらない。何故かわからないが。出雲大社が有名だが行ってみたいと思わない。そこには何かがあるのだと思う。
 そこに行くだけのエネルギーやパワーが無いのかもしれない。海外に私が行くのは不自由な不満やエネルギーを貯めに行っているのかもしれない。精神は常にピリピリして感度がよくなる。危機管理能力も高まる。
 海外に行くのは日本の素晴らしさを事細かに感じる為なのかもしれない。私は海外に興味は無い。海外に行けば行くほどに日本が素敵に感じれるから行くのである。日常すら感謝できる程。飽き性の私が何故か旅は飽きない。旅行は行く前にから億劫である。家にこもっていた方が自由で楽である。大学生くらいになると喧嘩するエネルギーも無くなる。あの小さな頃マグマの様に身体中から湧いて出てきていた溢れ出るパワーが無くなる。元々三大欲求すら無い。
 今まで生きてこれたのはあのなんだかわからない溢れ出るパワーのおかげで過ごせた。音楽
、運動、芸術、学業なににもはまらなかった。仕方なくしていた仕事は一番辛くお金儲けが苦手である。六本木で学生企業に属してありとあらゆる金儲けをして疲弊してしまったのかもしれない。お金を稼ぐとは途方もないエネルギーを使うみたいである。仕事でツアーを組んで就いていくだけで気力が萎えた。
 どうやら私はお金儲けと相性が悪いみたいである。才能だけで営業トップを取るたびに何かが失われた。祖母が馬鹿になれと言っていた気がする。反対の道を進んできてしまったのかもしれない。賢くなる度にずる賢くなって濁ってしまったのかもしれない。そう言えば祖母を食べ放題に連れて行く事がよくある。私はピザ一切れで満腹だが祖母はずーっと食べ続ける。ピザのLを十枚でもぺろっと食べるエンドレスに高カロリーの物を選び食べているのかもジュースが変わっていて全部を少しづつまぜて訳の分からない飲み物にして飲む特に糖分が高い物を選んでいる様に見える。いちいち見ている訳ではないのでわからないがエンドレスに食べて甘い物を飲む。相撲取りより食べるだろう。しかし太らない。何処にあのカロリーがいくのか?
 理解はできない構造である。お腹が満腹だと聞いた事が無い。常に何かを食べている。私はプロにプレッシャーを限界まで与えてもらいエネルギーが満タンになった。日本の何処かに行ける。海外にいくと溢れ出るから行けない。神経は限界までピリピリしていた。島に行こう。新島か神津島が良さそうである。近いが遠い。まずは新島に行こう。とまたふらっと竹芝桟橋まですぐである。ふらっと船に乗る。何時もと同じでジーパンティーシャツである羽織りものを持つ。金はポケットに。手ぶらである。不思議に船に乗るとうねる、酷い時は台風に直撃される。しかし私は甲板で豪雨を打たれて波をかぶり転覆する程ゆれても眠くなって寝てしまう。何時もは眠らないがそう言う場面に合うと物凄く眠くなり豪雨に打たれながらでも寝てしまう。飛行機も離陸する前には寝てしまう、気づくと現地についている。飽き性なので座っていると飽きてしまう。単車で旅に出ると途中て雨だろうが雪だろうが単車と自分を鍵で繋ぎ豪雨でも外で寝てしまう。たまに死んでいると間違われてびっくりされて起こされる。この日も波はうねり豪雨であった。何故かわくわくする。転覆しても泳いで戻る自信があるからか?。生死の分かれ目が見えそうな感じになると眠くなるのかもしれない。AVを見たりセックスをしてると眠くもなる。不思議である。何か脳から出ているのだろうか?。船に乗り直ぐに眠くなり起きると着いていた。物凄い長い時間でも乗り物に乗っていると眠る。スイッチが切れる感じである。記憶が飛ぶ。現地新島。サーフィンとナンパで有名である。何にも無い。土産物屋が数軒と民宿くらいである。土産物屋に行き働かせてくれと頼む。金はいらないと。大体大丈夫である。現地に溶け込む。ナンパ目的の男女がうじゃうじゃいる。昼間はそこで働かせてもらい店の裏で寝かせてもらう。夜の海外で皆んな青姦である。何にもないのでセックスくらいしかする事が無い。平和である。数日も経つともう現地人である。現地の人達と過ごす。店に出ていると女から声がかかる。それも異常な数から。私は性欲は無いが女好きである。声がかかれば島を案内する。現地人のふりをして。
 島は綺麗で海も青い。外国のようである。現地の人はやはり酒好きが多い。飲め飲めといってくるが酒は苦手である。呑もうと思えばいくらでも呑めるが美味しくない。というか防衛本能が鈍る。危機管理できなくなるのがまずい。一月くらいすると仕事に飽きる。島も狭いので行くところもなくなる。スッキリしたかんじである。そこに台風が直撃する。民間人?全員退去命令が出る。わくわくが止まらない。船には甲板まで佃煮のようにパンパンに人が乗り落ちたら死ぬ。満員電車の船バージョンである。甲板の先端に陣取り高波で空が見えなくなる中で私は直ぐに睡眠に入った。とりあえずベルトを甲板に結んで。
 ジェットコースターを訳九時間である。悲鳴の中東京に着くまで起きなかった。スッキリである。泣き叫び喜ぶ人達の中をかき分けて降りる。いい旅であった。ピリピリしたものはゼロになっていた。しかし身体からあくが抜けた感じである。すこぶる体調も精神も良い。便秘が治った感じである。また家に帰ると女がびっくりする。別人かと思ったと。それ程旅は人を変えてくれる。まだまだ学生成長期である。一日会わなくても変わるのである。その後直ぐに学友がサーフィンに神津島に行きたいと言い出して旅行に行く。
 私もサーフボードを担ぎ男三人旅行である。宿をとり船をとり段取りして行くまで大変で行ってからも三人行動ストレスを溜めて帰ってくる。わくわくもドキドキもない。疲れに行っただけである。旅と旅行は全く違うモノである。私は勘が異常に鋭い。祖母にも鍛えられた。
 しかし祖母も私もギャンブルはやらない。母方はギャンブル禁止令が出ていてトランプさえ禁止である。私は試しに競馬場が近いので小さな頃実験した。
 ルールはわからないので一着だけ決める。するとその馬がビリになった。全てのレースをして全てビリになる。何故かはわからないがやるなと言う警告のような気がしたのでそれからギャンブルはトランプさえしない。小さな時から不思議に思っていた事がある。例えば受験である。修学旅行や年始や何か困った事があるとほぼ皆んな神頼みしただろう。わかりやすいのは受験である。皆んな合格祈願をしたはずである。しかし受かる人は受かり落ちる人は落ちる。私は小さな時から祈願はした事がない。特に年始などもいかない。空いてから挨拶とお礼には行く。旅に出ても神社仏閣や不思議な場所に導かれるが祈願はしない。挨拶だけである。
 もし何か祈願して叶うとそれはそれで借りができてしまうような気がして一生通わなくてはならなくなる気がする。
 祖母が弘法大師に一生通ったのは何か祈願して叶ったからかもしれない。だから迂闊には祈願しない。自由でいたい。
 連鎖が始まる。突然電話があり父方の祖母が亡くなり密葬したと母から。近くにには住んでいたが父方とは母方は仲が悪く付き合いが無かった。私は小さな時に少し会話した。昔の家にまつわる言い伝えである。
 本家が元々あって造成された土地には沢山の狐様や馬頭観音地蔵などなどがあり地域の全てが集められていたらしい。今の本家には無い。祖母ははやくに痴呆症になり病院に入っていたらしい父方と私も付き合いがないので知らなかった。原因はわからないし密葬したあとの事後報告だったらしい。なになに小町と言われる程その地域では美人だったらしい。因みに両方の祖父は私が幼稚園に上がる前に死んだらしい。父方は原因不明で何十年と寝たきりだったらしい。母方はガンらしい。祖母の死を皮切りに父方の叔父二人叔母二人が亡くなる。しかも皆んな原因がわからない。気が狂ったとも噂されたが本家からは情報が入ってこなかった。事後報告が母にあったらしい。残る父方は本家の叔父と父だけになる。すると夜中にファミレスで女とご飯を食べて家に帰ると留守電に父危篤至急介護施設に来いと母から入っていた。慌てて車を出す。私は都心に住んでいたのだが介護施設は高尾であった。いままでの父方の死人は私の生活の歯車に入っていないので問題無かったが今度は父である。しかも昨日洗濯物を取りに行きあっている。ぴんぴんしていた。車椅子で動き回り悪い所は無かった。手足の麻痺だけである。中央道に乗ると夜中なのに渋滞して動いていなかった下道の甲州街道はもっと動いていない。高尾まで数時間かかってしまった。ついた時には祖母と母と兄がいた。遅いと兄が激怒する。父は蘇生措置を何時間も無駄にしていたらしくもう発見された時は心停止していたらしい。それを数時間蘇生措置をして私が来るのを待っていたらしい。私が到着すると医者が蘇生措置を止めて死亡報告を母にした。母はパニックになり虚で反応が無い。祖母は何か念じている。至って冷静である。兄は仕事があると帰った。私はかなり動揺した昨日元気だったのに?何故か?と医者に詰めると咳をしてたんがからんでむせたのが原因だと言う。窒息死だと。看護婦が休憩に入り誰も居なくてたんを吸引する機械でとればいいだけだったが、、、と話を濁した。それお前らのミスだよな!と私がキレた。すると母と祖母が私を羽交い締めにして止めた。お前ら殺す!。私はキレてしまい訳が分からない事を口走り医者を襟首をもち壁に叩きつけながら暴れた。他の医者や看護師や母や祖母が止めに入るが私の怒りは止まらなかった。すると医者が心筋梗塞ですからといいなおす。余計にキレて暴れるが周りの人にとりおさえられる。医者や看護師は逃げて別の部屋に行き少し私も我にかえる。周りの人を振り払い父の手を握るとまだ温かい。どう言う事がおきたのか?少し理解した。父が死んだ。私はネグレクトで親から食べ物すら貰った記憶は無い。両親も抱いた事は無いと自慢していた。私は幼稚園からもう既に自立していてなんとか生き抜いてきたので私の生活歯車に家族で入っているのはわんこ達だけである。父が寝たきりになって私だけが面倒みてきたのでかなりの負担にしかなっていなかった。思い出すら無い。しかし何故か精神的には歯車に大きく入っていたみたいである。また怒りがわいた。医者をおいかけて見つける。お前ら絶対ゆるさないからなと怒鳴りちらし襟首をもち壁に頭を叩きつける何度も何度も。また周りの人がきて取りおさられて医者が逃げる。母と祖母が入ってきて祖母が落ち着けと言う。母は呆けて無言である。ヒステリックな母が。また少し落ち着き周りの人を振り払う。母に死亡解剖してもらい告訴しようと怒鳴る。絶対あの医者も看護婦も許さないと。母がぼそっと小声で首を横に振りながら父の身体に傷は付けたく無いと言う。もういいと。祖母は何も言わない。無表情で私を観察している。急に落ち着く。身体の力が抜ける。
 泣きはしない泣くのは自分によっているか他者へのアピールである。本当にかなしいと笑う。笑うしかないのである。
 母に言う。好きな様にしなよと。それからあまり記憶が無い。病院お抱えの葬儀屋が来て取り仕切っていたようである。
 なにぶん身内が死ぬのは初めてで段取りもわからない。葬儀屋の言いなりになり話は進む。
 祖母は何も言わないし関わらない。理由はわからない。経験豊富なはずだが。母は呆けていて使い物にならない。結局私が全て段取りを葬儀屋と詰めてやるしかなかったが葬儀屋とはかなり骨董屋に近くかなり詐欺臭い。今になると調べれば良かったと思うが私も素人である。いいなりで話は進んだ。とんとん拍子に全てが決められて機械的に進む。数百万のコースが普通だといわれて一千万近く最後に払う事になる。墓も無い本家の墓には入れないと叔父に言われて墓も買う段取りを葬儀屋がする。これも普通はと言われて数百万コースに話は進むが結局一千万近くかかる。ぼっとしているうちに終わる。全て葬儀屋任せである。金は出さないが本家が口をはさみかなり大事になる。
 あっと言う間に終わり私はくたくたになり母はまだまだ呆けていた。祖母はなにもしない。兄は仕事の合間に少し顔出しただけである。私はやっと家に帰る。金はなんとかわたしが工面した。なんだか父方がほぼ全滅した。それも短期間で。
 私の歯車には私とわんこしか居ないと思っていたがネグレクトだろうが虐待があろうが家族は歯車にがっちり入っているのである。あの怒りはそうなのかもしれない。寝たきりでいない方が楽だとは思っても精神的にはがっちり歯車に入っている。それが家族のようである。家族の中の父とはかなり大きな中心なのかもしれない。母が体調を崩す。祖母の面倒がみれないので祖母は叔父三人をたらい回しにあう。そこで我が強く我がままで頑固の塊のような祖母は喧嘩しまくり母の体調が戻らないうちに戻ってくる。すると叔父二人が単車で事故死する。一人は舌癌になり緊急手術になり舌をとるが転移して直ぐに肺癌で亡くなる。母方は少しは集まりが昔はあり顔見知りなので祖母と母を連れて葬式や見舞いやでてんてこまいになる。毎月の様に葬式である。私の歯車には無い人達であったが不思議なのは祖母が悲しそうで無い事である。
 一族の長として親戚や知人が集まる中心になり威張っていた。孫もひ孫もかなりいる。大家族の歯車であるはずである。
 その子供三人がほぼ同時期に亡くなるが全く動じていなかった。都合が悪くなると耳が遠くなったりボケたふりをしたり。
 私は一番身近にいたので小言も全て耳に入っていた。祖母と三人はかなり派手に喧嘩をしたみたいであった。うちの母もそうだが皆んな我がままで自己中で頑固な人達なので会えばぶつかるのである。母とも毎日喧嘩ばかりしていた。すると突然母から電話があり体調が悪いと言う。世代的に救急車とか呼ぶのは恥ずかしいとか思うみたいである。慌てて私は実家に帰ると祖母と母と三匹の室内犬の狆がいた。そとのわんこは隣のおじさんに三匹殺されて外わんこは全滅していた。急いで救急車を呼び近くの緊急指定病院に入る。虫歯一つ無い母である。しかも寝ない食べない仕事は日本舞踊の家元で二十四時間三百六十五日稽古や舞台であり超人である。全ての検査をする。母と私は呼び出されて言われた。全身癌ですと。骨にまでいっており余命一ヶ月もつか?どうか?。過去を考えても一ミリも変わらない。未来を考えても今死ぬかもしれない。現在、今日次何すべきか?だけである。母はかなり冷静に聞いていて何を次にするのか聞いていた。私も父の時の様に何故か取り乱さず聞いていた。とりあえず入院で色々な抗がん剤をやりましょう。手術は無理です。私は聴きながら母を見ていたが特に何時もと変わらず気丈な顔である。とりあえず明日からでいいですか、用意があるのでと母が言う。医者は頷き機械的に処理する。二人で家に帰る途中に私がセカンドを試してみようと言うが頑なに嫌がるし医者に余計な事は言うなと言う。家に帰り祖母にその様に伝えると頷くだけである。予想していたかの様に。母もわかっていたかの様に動く。まず家元だから世襲手続きを弟子にするが理由は言わない。病気は身内だけの秘密にと病気だとも伝えない。衣服や洗剤や歯磨き道具などが詰まってる旅行用のセットがあり世界中旅を祖母や弟子としていたので支度はすぐに済む。祖母は家に残る。もう叔父三人死んでいくところがない。わんこ達はブリーダーに電話して返す段取りをした。がそれはわたしが止めた。私の命より大切やわんこ達である。皆んな旅行前の段取りの様にたんたんとしている。予定していた様に支度もできていた。私は眺めながら違和感があり。近所の藪医者でなく違うところを探そうと再び言うがヒステリックにキレられて終わる。仕方ない他人の言う事など聞く人では無い。自分の命は好きにすれば良いと私もわりきる。余命半月らしい。藪医者曰くだが。私は自分が冷静なのに驚く。次の日医者に送り入院。あっと言う間に癌病棟を仕切る母。天性のリーダーである。兄には告げるが忙しいと来ない。それから抗がん剤を試し始める。あっと言う間に髪は抜けはげる。毎日見舞いに行くと五、六時間帰してくれない。誰にも言ってないので暇みたいである。あっという間に数ヶ月が経つ。余命半月?とか言っていたが元気そのものである。藪医者は抗がん剤があったのだというがそうは思えない。短期退院が認められた。それ程元気なのである。そのタイミングで家のわんこが一匹亡くなる。原因はわからない。半月わんこの葬式など埋葬などしてまた入院。暫くまた違う抗がん剤をまた数ヶ月。退院許可がおりる。家に帰ると直ぐにまたわんこが亡くなる。また葬式に埋葬である。そしてまた入院。わんこの死の原因はわからなかった。一匹残るわんこは流石に私が直ぐに引き取る。このままではわんこが全滅する方が早い。
 そしてまた違う抗がん剤にして数ヶ月結局一年以上繰り返す。が元気そのものである。やはりセカンドを頼めば良かったと母に言うが断固として嫌がり黙れとヒステリックに言う。
 この間毎日私は見舞いに行き毎日五、六時間話し相手をする。兄も祖母も来ない。
 突然病院から電話があり母が気が狂った様に家に帰ると言うがどうしたら良いか?と言われて慌てて病院に行くともう母はタクシーで帰っていた。家に行くと祖母と母がいた。何時もと変わらず二人とも元気の塊である。とそこに電話が入り私が出る。警察からである。変死体が兄の部屋で腐っていたと。近所の人から匂いがひどいと警察が入ったらどろどろに溶けた人間がいたと。兄かどうか見にこいと警察からである。母と祖母に伝えると特に慌てる事もなく母だけが行くと言う。警察の安置所に母と二人で行くと真っ黒に溶けて原型の無い人型が横たわって凄い匂いである。警察が兄ですか?と言う。私は原型はわからないが直ぐに兄だとわかりそうですと言う。母は黙り込み溶けた身体をさすっている。どうやら兄が死んで今日発見される事を予知していたみたいである。かなり冷静だが何故か怒りが母から感じる。そういえば奥さんはどうしたのか?警察に聞くがわからないと言う。死亡解剖すると言う警察。原因がわからないと言う。親も祖母も溺愛していた兄である。特に母は兄の為ならなんでもしてきたし命をすてても兄の為ならと言う人である。
 それにしてはリアクションが無い。不思議に思いならがら家に帰り祖母に話すがリアクションが無い。二人とも予知していたような雰囲気である。流石に二人に違和感というか怖さを感じた。この二人は死を予知しているとしか思えない、それか操作している?。あまりにタイミングが合いすぎる。全ての死に二人は関わる。まるで二人で殺した様なタイミングである。父の時叔父達の時わんこ達の時、二人だけは冷静であった。そして今回兄である。隣のおじさんにわんこが二匹毒殺され一匹は撲殺された時もそういえば数日まえに電話で家に来る様に連絡があった。まるでわかっていた様に。そしてまた母は入院した。死亡解剖の結果が出て警察に行く。原因はわからないとのこと。死後三ヶ月程経っていていると。その足取りから毎日毎日飲み歩いていたキャバクラの領収書が途切れた日がありそのあたりではないかと推測した。殺人事件ではないのか?と聞くと部屋は内側から鍵がかかっていて密室なのでわからないと。日本の警察はよく世界一とかいうがわからない事件は全て事故死か変死にしてしまうからだと私は警察にもプロにも知り合いがいるのでしっていた。帰り際に奥さんとかなり前から別居してますよと耳打ちされた。母の病院に行き変死だと理由はわからないと告げる。母がまた急に退院すると言い出す。兄の住まいに行くと。仕方なく退院させて警察から聞いた住所に行く。マンションに住んでいたらしく大家さんに連絡して鍵を開けてもらう。大家さんはかなり怒っていた。それはそのはずである。事故物件になってしまったのだから。早く荷物を出す様に言われる。中に入るとこの世の匂いとは思えない匂いが充満していた。吐いてしまう程の匂いである。母はきが狂った様に何かを探していた。ベッドには兄の溶けた後が残りそのベッドカバー引き剥がし部屋中をかき回した。すると保険の用紙が出てくる。死亡時一億円の。受取人は奥さんになっていた。それを発見すると鬼の様な形相で帰るといいマンションを出る。兄は飲むうつ買う人でかなり借金があると聞いていたその額三億とも五億とも。
 小さな時から兄の借金は母が肩代わりして全て払っていた。カードを何十枚とつくり支払いは母がしていた。勿論誰にも秘密で。家に送り私は自分の家に帰る。奥さんの電話番号を警察から聞いていたので電話してみると奥さんの親が出てかなり前に離婚したと言う。この辺はかなり曖昧で警察も介入したくないようで警察からは何も聞けなかったし奥さんからも聞けなくてよくわからなかった。兎に角離婚している。となると兄の借金は親、私に降りかかってくる。
 財産放棄の手続きをしないとまずい事が判明した。それから私はより忙しくなる。一人一人順番に放棄していかないといけない兄がどう言う生活をしていたのか?わからない。調べないと放棄手続きができないのである。隠し子や認知している子供など山ほどいそうである。まず子供から放棄させないといけない。調べるのには役所しかないが他人の住所を知るのは大変である。探偵や警察でもない限り無理である。しかも母は余命宣告が出ていて更に複雑である。まだ法的に処理できる所での借金なら放棄できるが出来ないところでかなり借金がありそうだった。一から全部調べて戸籍を取り寄せ放棄していかないといけない。死んでからも迷惑をかける人が身内にいると最悪である。母と祖母とわんこの面倒を見ながら同時進行しなくてはいけない。これには時間があまりに足りなかった。しかも自分の生活もあるのである。ここ数年死ぬより辛い拷問のような時期である。それでもやるしかなかった。死ぬというのは楽な選択である。更に兄の葬式もやらなくてはいけない。パニックになる選択肢も無かった。戦争時に精神病になる人はいないと聞くがそんな感じである。そんな選択肢もないのである。兄の部屋に様子を見に行く、放棄するのでこの部屋の物は触る事ができない。そんな悪臭の中電話がなる。電話に出ると兄が車で事故をして高い外車を修理をだしていたのが直ったからお金を払いとりに来てくれとの事である。
 これに加えて何処かで事故までしている。外車の修理費が数百万だと言う。事情を話すがそんな事は知らない金払えの一点張りである。これもややこしく修理費を払うと混乱するおそれがある。むやみに何か支払う訳にはいかなかった。とりあえず何も言わず電話を切った。すると急に寒気がした。何かいる感じがするのである。慌てて部屋を出た。嫌な予感がした。実家に帰ると元奥さんの親から電話が入り保険の件であいたいと。母は鬼の形相で会わないという。これ以上母が家にいるとややこしくなるのでまた入院してもらう。元奥さんと両親とが来て保険の件を話された。証書を渡した。終わりである。財産放棄と保険は関係が無い。ややこしくなるので排除した。一応聞き込みをする。どうやら子供が二人いるみたいである。認知していて結婚前に揉めたみたいである。養育費の問題で。住所や電話を聞くがわからないと言う。振り出しに戻る。うんざりである。家族とは付加でしかない。今まで自立して一人でなんとか稼ぎやってきたが家族が何かしでかすとこちらの歯車まで回らなくなる。いくら距離をとり疎遠でも容赦なく付加がかかる。兄のマンションに行き手掛かりを探す。私は馬鹿である。六大だが馬鹿である。めんどくさい事が一番嫌いである。自由を一番に大切にしている。しかしこの様である。
 するとまた電話がなり都心にオフィスを構えてるらしく何やら怪しい電話である。経営コンサルタントとかいっている。サラリーマン以外に何をしていたのか?天才故に沢山の金儲けに手を出しているのは明白である。お金が大好きな人だったので。色々な事業に顔を突っ込んでいるみたいである。ますます早く財産放棄しないとまずいと感じた。サラリーマンはどうしたのであろう?銀行マンであるはず、付き合いがないので全く私にはわからなかった。とりあえず余計な事は誰にも言わずにおかないと借金とりが押し寄せそうである。無言で電話を切る。私は誰かに頼らない。警察弁護士政治家、頼ると必ず藪蛇になるからである。彼等は金儲けで動く。つまりは金にならない事には動かない。金を積まないといけないし損だと考えると消える人達である。しかも法律内でしか動けない。それ以上の事が出てくれば結局私が処理することになる。静かに誰にも気づかれずに揉め事は処理するに限る。プロでも出てきたらアウトである。その前に全てを終わらせねばならない。そう言う事に関して祖母や母は全く役に立たないどころか自分の立場も理解していない。法律とか勉強とか全く理解していないので逆に説得するのが大変なだけである。だから説明もしない。時間の無駄である。邪魔されるだけである。
 とりあえず兄の謄本から全て出した。遡りながら全て。名前は出てくるが住所がわからない。そしてまた遡るをくりかえして認知している子供達を探し出して母親に説明して財産放棄の手続きをしてもらう。厄介なのはやはり祖母で説明する。がなんで兄の借金が祖母と関係があるんだとキレまくる。説明しても無駄であった。北海道出身らしく北海道に電話で連絡して謄本など全て取り寄せる手書きの謄本はややこしくて困難した。それからやっと母の謄本などをだして手続きをする。やっと私までたどり着くまで数ヶ月かかる。ぎりぎりであった。私も全てを放棄して一応完了した。しかし借金取りに途中気づかれて督促やら弁護士やら裁判所までまきこんで催促がきて、いちいち説明しに行かなくてはいけず余計に時間がかかった。そしてマンションの家財は貸し倉庫に入れてマンションを解約したりで使い物にならなくなった部屋の改修なども難しい課題だったがなんとか乗り切る。高級外車を預かっていたディーラーは一番しつこく裁判まで持ち込まれた。それはそうである。車を処分すらできないのである。皆んなに迷惑をかけて兄は死んだ。正規のルートでない借金取り達からは実家に定期的に電話があったが無視した。ここは腹をくくるしか無かった。死に金が絡むと大変である。皆んな鬼のようであった。勿論祖母や母の介護をしながらである。わんこにもかなり寂しい思いをさせた。兄の葬式は密葬で身内だけですまし誰にも知らせずに祖母と母だけが参加して直接墓に入れた。墓にいれるだけでも何十万とかかり冠婚葬祭ビジネスは本当に儲かるシステムになっている。嫌気が差すほどに。父の時の様にはやらずに最小限ですませた。全てを一人でやり切る。
 母が余命宣告されて数年元気の塊であった。本当に癌なのか?と疑う程に我がままに自己中に過ごす。ある日病院にいくと暴れたらしく拘束されていた。それを取りながら私は無言で椅子に座る。すると母が私から虫が出てきているとか言い出す。抗がん剤による幻覚である。すると私の後ろに黒い影が居るという。当然無視する。すると突然祖母が会わられた。嫌な予感がした。祖母が来る時は誰かが死ぬ時である。タクシーで来たと言う。椅子に祖母を座らせてジュースを買いにいく。
 戻ると母の意識が無くなっていて医者が鼻からチューブを入れていた。祖母は何か唱えながら見ている。どうやら母は死ぬみたいである。祖母がきたので間違いないと諦める。何時間かそんな事をしていると脈やらを測定している機械が乱れる。看護師は個室に移動させると言うが母は死ぬ時は個室には行きたくないと言っていたので断ると看護師から文句を言われる。
 カーテンで周りを仕切り脈が止まるのを待つ。不思議な時間である。お産の逆である。祖母と二人で眺めていると脈が止まりブザーがなる。看護師や医者が駆けつけて死亡確認をする。
 あっと言う間の出来事である。祖母が呪文を唱えながら目を塞ぐ、顔を整える。儀式?なのか?。直ぐに病院お抱えの葬儀屋が来て身体を拭き出す。有料である。直ぐに安置所に移される。移動代も有料である。直ぐに兄の時に使った格安の葬儀屋に電話する。そこで看護師が文句を言ってくるうちの葬儀屋を使ってもらわないと困ると。
 無視して格安葬儀屋が来るのを待つと待ってましたとばかりに格安葬儀屋が来る。競争である。焼き場のスケジュールを抑えるそして母の身体も預かってもらう。家に戻すと周りにばれてしまう。内密にと母に言われていた。直ぐに母は車に乗せられ運ばれた。終わりである。長かった。人間なかなかしなないものである。あと始末をして祖母を連れて帰る。余命半月が二年である。いい加減な予想である。セカンドを使えば治った可能性もある。しかし本人の意思である。諦めるしかない。父の時のような動揺も無い。心の準備さえしておけばびっくりしないものである。まだやる事は山程あるのにうんざりしていた。飽きた。こう続くと流石に飽きる。しかし祖母の介護があるのでまた大変である。まだ続くと考えるだけでげんなりとした。
 それからたんたんと火葬して直接墓に入れた。坊主などは一応呼んだが祖母もなにも言わないのでやる必要はなかったが形だけ兄の時と同じく。父の時に仏壇も高いものを買わされた。
 今となると邪魔なだけである。戒名だなんだかんだで何百万とかかかる。金が無いとこの国では死ねないようである。ざっくり終わりにして少しスッキリした。祖母をみなくてはいけない最後の人になる。大変だな、どちらが早く行くか疑問な位祖母は元気であった。他人の何十倍食べ排便してよく寝る。風呂にも入れなければいけないし。我がままで自己中で頑固の塊である。家に帰る暇もなく過ごす事になる。わんこは女がみていてくれていた。それだけは救いであった。とりあえずエネルギーは満タンである。一人旅に日本全国に行ける程。祖母とハワイに行く事にする。母と祖母は世界中旅にでていたらしいが海外にわたしが連れて行った事がない。祖母にハワイ行くか?と聞くと行くと言う。旅行会社に行きファーストクラスと一流ホテルのスイートをとる。ガイドを祖母に付ける。三週間ゆっくり観光である。かなりの歳なので最悪を考えての最高のサービスを選ぶ。二人でタクシーで空港までファーストクラス専用の部屋で待つそれさえ祖母には苦痛になる。食べて飲んでエネルギーを貯める祖母。大丈夫そうである。飛行機に乗り私は寝るだけでファーストもエコノミーも変わらない。ハワイに着き至れり尽くせりで祖母の奴隷の様に動く。ダイヤモンドヘッドに行くために祖母にスニーカーを買うと言ったがいらないの一点張りで靴屋で数時間説得する。やることなすこと頑固で意固地である。ダイヤモンドヘッドに行くが途中おぶれと言う。途中から天辺までおぶり登頂直ぐにおぶり下山。祖母はがたいが良い凄い重い。観光地をタクシーで回る。ご機嫌をとりながら夜は買い物である。アラモアナからぶらぶらしながら色々と買い与えるがいちいち要らないと数時間説得。ツアーにも参加するが皆んなの迷惑になるので間に入りコミニケーションをとる。兎に角のんびりする暇は一分も無い。夜も早く寝てくれればいいのだが寝ない。なんだかんだと話しかけてくる。休む暇などない。そんな地獄の三週間をハワイで過ごす。私はマイナスのエネルギーにプラスして祖母との海外での負のエネルギーでくたくたになり日本につく。すると空港で突然具合が悪いといいだして大事になる。ハイヤーを借りてそのまま医者に。検査するがどこも悪くない。それから家にハイヤーで帰る。私は祖母が耳が遠いふりをしたり具合が悪いふりをするのを前に自分で嘘だと言っていたのを聞いているのでまたか?と、ぼけたふりも平気でする。元来私は老人と相性が悪い。特に祖母とは。今までも日本中一緒に旅してきたし温泉に定期的につれていったが意地が悪いのか?あーいえばこー言うし口は達者で天邪鬼である。母も毎日喧嘩していた。それでも何回かハワイに連れて行く。ハワイは行くたびに開発されて大都会になり日本語も通じるので楽なのである。両親、兄、祖母、ありがとうとごめんなさいと言っている所を聞いた事が無い。そんな人達である。それでも家族であり最後に残った身内は祖母しかいない。なんでも買い与える何処にでも連れて行きなんでもした。周りからやり過ぎというよりおかしいと言われるほど家族に尽くした。ネグレクト故の反動なのかもしれない。
祖母のケアの書類を山ほど出してなんとか少し時間をつくる。
 血の繋がらない叔母などはいるが使えないが一応母方の血族になりまたややこしい。口は出してくる。何故なら血の繋がらない叔母達が住んでいる家の名義が祖母だからである。遺言一つで出て行くはめになる。祖母はお金の力をよく理解している。少しでも逆らえば終わりだと言う事になる。実家は母名義だったので私が相続した。少し休みたい。一人旅を日本でしたい。疲弊していた。それ程一気に父方母方全滅した。歯車には私と祖母とわんこである。あとは死のうが寝たきりになろうが関係ない。旅に四国に行きたい。が何故か腰が上がらない。とりあえず中央道にのり道に迷う。伊勢神宮の近くにビジネスホテルをとる。伊勢神宮を裏表正式な作法で回るのではなく適当に回る。するとまた単車が止まる。山の中である。近くに大手バイク屋があったがそこで買わないとみないと断られる。田舎に行くと小さな店は少ない。私は機械音痴で自分では直せない。ジャフを呼びビジネスホテルまで運んでもらう。このビジネスホテルも何か雰囲気が変でかなり大きなビルだが私しか居ない。かなり不気味な雰囲気である。私は一人旅の時の食べ物はコンビニである。コンビニも東京と地方は違い名前もやり方も違う。ご飯はその場で盛り付けてくれる所もある。バスを使い伊勢神宮の周りをくまなく回る。なんだが神系の大学でもあるのか?礼儀正しく作法をする人があちらこちらに。少し高い山に登ると見渡す限り山山山で所々の木が伐採されてはげている。兎に角神聖な山みたいである。骨董屋や古本屋が好きでみつけると眺める。東京ではお目にかかれない物もたくさんある。地元の人達と同じように動く。夜は長い。店も無いし閉まるのが早い。伊勢神宮の近くの定食屋に珍しく入る。物凄い美味しい。揚げ物や生物が食べれない私が珍しくカツを食べる。不思議な店もたくさんある。伊勢で一月過ごす。茜社にいくと少し変わっていた。寄進があったのか?雰囲気が変わっていた。
 宮司さんに聞くと私は商売が苦手でねと笑う。宮司さんも維持するのは大変みたいである。
 基本御守り関係は買わない。毎年返しに来なくてはいけなくなる。伊勢神宮も細かく隅々まで回る。空気が違うのにびっくりする。物凄い手入れされている。そう言えば学友が伊勢神宮のかなり偉い氏子?だと自慢していた。家の家具は御神木でできていると。本当かはわからないが。日本中の金持ちが氏子なのか?と思うくらい綺麗である。しかし人は居ない。風が吹くのである。いい風である。ハワイでも沖縄でも感じない風である。何かちがうのである。飽き性の私が伊勢神宮には一日いれるのである。不思議な場所である。身体からすっかりあくがとれる。よくパワースポットとか言うがエネルギーを与えてくれる場所ではなくて吸い取ってくれる場所なのではないか?。とビジネスホテルにかえり単車に火を入れると快適にまわる。まるで足止めされていたかのように。精算して一気に家に帰る。実家にも顔を出すが相変わらず仏頂面で機嫌が悪い。元々相性は最悪である。様子をみて直ぐに帰る。女にも色々と買い与えてはいたが旅行にも連れて行かなくてはとシンガポールに連れて行く。ファーストにスイートである。シンガポールは全く和製英語は通じない。マーライオンは修理中でドブの様な海である。観光の街ではない。買い物の街である。ロレックス などを女にプレゼントしてご機嫌をとる。わんこは祖母にあずけてるので一応安心である。人種の坩堝でありホテルも異常なくらい高級である。貧富の差が激しく屋台なども出ているが胃腸の弱い私は屋台では食べない。買い物は楽しい。観光地はつまらない。海外でしかみれないものもお店には沢山ある。観光の楽しみは買い物である。全くコミニケーションがとれず馬鹿にされてイライラしながら帰ってくる数週間。空港で学友と会う。海外に行くと不思議と知り合いに会う。空港でいきなりデカい声で名前を言われる。態度のデカい人は声もデカい。三多摩の与党の後援会を仕切る大物の息子である。三多摩ではかなり顔が広く地位名誉権力金があり、建設会社や材木屋など土木なんでもやっていて地主でもある。私は不登校などで殆どの人は知らないが相手は何故かしっていた。親の出迎えに来たらしい。少し会話して別れる。これだけでもかなり都心にいると稀な事である。隣近所と付き合いがないので隣にだれが住んでいるのかわからないし会わないからである。この頃急激に未来が見えなくなる。クイズやテレビの予知が出来なくなる。当然学校のテストも予想できなくなる。勘が異常に鈍くなる。大学という所はテストだけというわけでなく論文や色々なものをださないといけない。テストも範囲らしき物はなくてざっくりしている。何より同じ文章で回してテストの答えを出しても単位がもらえる人ともらえない人がいてわけがわからないシステムであった。教授の好き嫌いで単位が出る出ないがきまる。寄附金の問題?親の問題がある。白けた私はテストすら出なくなる。所謂やる気を失う。実験で同じ論文をテストで数十人でだすが単位をもらえたのは一人でかなり力のあるゼミをとっている生徒のみであった。それが実状である。心理学系にのめり込み調べに調べた。色々な心理学を学ぶ度に疑問が増えた。哲学にものめり込み矛盾を感じた。どうやら私は少し賢くなってしまったのかもしれなかった。勉強が好きになっていた。世俗の垢がたまってしまったのかもしれない。それだけ苦労もしてきた。
 乗り切るにはずる賢くなければならなかった。道を間違えたのか?。焦りを感じた私は祖母を連れて北海道の祖母や祖父のルーツを旅する事にする。祖母が生まれ育ったの北見らしい先祖供養ではないが祖母も死ぬ前に行きたいと言うので北海道一周する事にする。北海道まではすぐである。北海道に入ってからはとんでもない広さであった。祖母は地図も見ずにあっちこっちと指を刺す。その通りに走るとまるで昨日まで住んでいたかのように道案内をしてくれた。身内は大体いないみたいであるが墓はある。墓めぐりである。あちらこちらに墓があり山道を巡る。右左と言うと墓が出てくる。おまえりをする。祖母は何やら呪文をとなえる。私は墓に興味は無い。しかし年寄りは墓参りがすきである。海外国内色々と連れて行ったが一番生き生きと楽しそうに昔話を車で話しながら旅をする。日がくれると宿を探して泊まる。開発されていないのか?それとも勘なのか?百発百中で墓に出る。祖母祖父の先祖や身内の墓めぐりである。ふとだれが管理しているのか?疑問に思う。それでももの凄い古い墓は存在していた。しかし北海道は広かった。
 隅々まで車で走り切るのに一月以上かかった。その間祖母の介護をしながら食べ物を山ほど車に積み食べさせながら移動。三度どころか五度六度の食事宿での介護マッサージ至れり尽くせり。しかし珍しく喧嘩にはならず終始ご機嫌であった。私の短い人生の中でであった人で他人の運を吸い取る人が二人いた。その人は凄くい良い人でみんなから好かれているのだが一緒にいると運気が無くなるのである。怪我病気事故受験失敗単位落とす女にふられる命まではとられないが細かい嫌な事が頻繁におきるのである。私は学生時代その二人と仲がよく一緒にいたが人気者で皆んなに好かれるキャラで中心に必ずいるタイプである。観察していたが本人は何も意識していない。がまわりが不幸になっていくのである。私は何故か一緒に居ても被害は無かった。強力に何かに守られているかのように。祖母も言っていた私の心が読めない。つまりはコントロールできないと。恐ろしい恐ろしいとよく嫌っていた。つまりは祖母がコントロールできないほど強力な方?に守られているみたいである。そろが誰かは私にはわからないが。祖母といても怖くない。喧嘩しようが恨まれようが大丈夫である。何故か自信がある。私の方が力があると。
 芸能人などは良い例などでは皆んなが応援すればする程芸能人は人気がでる。願えば願うほど。飽きられれば消えていく。運気を集める能力がある人がいるのかもしれない。その分集められた人の運気は下がる。人気。人気とはそう言う物なのかもしれない。人の気は左右できるのかもしれない。それを祖母は意図的にできるのかもしれない。祖母の誕生日に豪華な花を手渡したらその場で叩きつけ踏みつけるような祖母である。かなり扱いにはふつうは手こずるだろう。しかし北海道の旅はたいそう喜んだ。自分のルーツと言うのは大切なのかもしれない。満面の笑みで旅は終えた。その後何故か暫く高熱をだした。私は熱には強く四十度あっても動けるし病院嫌いなので兎に角ねて汗を出して自力で治すのだが何故か身体中が痛く頭痛が酷く仕方なく栄養剤?点滴を打ちに病院に行く程ふらふらであった。一週間は寝込んだ。小さな時も体調が悪いと厚着して寝て治す。骨折しても病院に行かずに治していた。治ったかな?と単車に乗ったら突然車にはねられて数十メートル飛び落ちた所に単車が落ちてきて背骨を直撃した。普通なら死んでるパターンである。背中に載った単車を腕立てで持ち上げて呼吸を確保する。そのまま単車を跳ね除けおきる。引いた車の運転手がびっくりする程。覆面パトカーらしく警察病院に連れて行かれた。事故自体ない事にされた。勿論だれが引いたのかわからない。かなり偉い人らしく警視、警視正クラスらしく。詫びもなかった。単車は全損である。スネの細い方がヒビが入り手術しないと駄目だと言われていきなり膝下を横に斬られ膝の靭帯を真っ二つに。失敗してびっこになる。その次の日その医者は辞めたか移動でいなくなる。ひびなどほっとけば治るのに治療費欲しさに。昔はそんな感じである。知り合いなど峠族なのだが拳より大きな石を次々投げつけられ大怪我したが事故として処理された。北海道に行ってから急に運気が落ちた。いやまてよ?ここ数年で身内はほぼ居なくなり最悪の数年を過ごした?。嫌な事は続くみたいである。まあ他人に迷惑をかけていないのでよいのであるが。少し疲れたのかもしれない。勘が鈍くなったのかもしれない。
 祖母は元気そのものである。
 最近血の繋がらない長男の嫁や次男三男の嫁が何か企んでいるみたいで祖母によく会っているみたいである。しかも自分の親族を交えて祖母にあっているらしい。このまま祖母が死ぬとややこしくなるのはたしかである。叔母三人は排除される可能性が高い。孫で分ける事になる。億単位の遺産である。貯金もいくらあるかしらないがかなりあるみたいであるし年金もかなり貰っているみたいである。一番面倒を見ているのは私だが一番嫌われているのも私である。かといって面倒を見ないわけにもいかず。どうやら死んだ長男の嫁が資産管理すると言う事になったみたいであるが当然私には何も知らされていない。秘密裏に弁護士が動いたみたいである。長男の嫁の親が祖母に土下座したとかしないとか?後で聞くことになる。
 急に腹痛がする。痛み止めをのみまくり散らすがある日気を失う。救急車で運ばれて腸をごっそり切られる。が失敗してそこから便が身体中に周り死にそうになる。しかし医者は認めず二度目の手術をすると言う。人工弁を付けると言い出す。拒否する。私は便秘なので腸を切ったのも誤診であった。大学卒業したばかりの新卒に実験台にされる。しかしカルテ操作され証拠を消される。月が変わった瞬間に退院を勧められる。一日でも一月分の治療費をとられる。家に帰るが高熱と吐き気が止まらずまた救急車で運ばれる。緊急手術と言うが署名せず。死ぬと言われたが無視する。わんこは彼女に任せている。もう役目もない。お釈迦様も最後は治療しなかったと言うし。祖母の面倒にも疲れた。すると絶食と点滴に変わる。すると治る。がっかりである。結局誤診である。病気なんて寝てれば治るのである。医者は癌になると抗がん剤は決して使わないそうである。
 私は医者嫌いである。しかし祖母が来なかった。来ないと言う事は死なないと言う事である。体重は三十キロ代まで落ちる。身体にメスを入れると免疫力が下がる。腹に四十センチの切り口を入れられて腸を取られたダメージは大きかった。膝靭帯もびっこに。医者は商売である。信じてはいけない。延命という名の商売である。自分の生命力を信じた方が良い。何やら次は私のようである。死ぬのは良いがわんこを遺していくのだけはまずいと考えた。彼女にも迷惑がかかる。そこで大学卒業が決まる。学生企業に属していたので就活をしていない。するとバックにいたスーパーとその息子が普通に撤退して学生企業が崩壊した。属していた学生は皆んな慌てた。もう就職はできない。それなりに皆んな金持ちの子供達。親のコネで一部上場に滑り込むか留学した。私は体を壊して職も失い金も失う。
 人間辛い事があっても耐えられるが金がないと耐えられない。それは人相や精神にくる。
 金がない人はそれはひどい人相になる。それまで六本木麻布を城に派手に金を使っていたのが無一文になる。学歴などなんの意味も無い。まず女が逃げた。金の切れ目が縁の切れ目である。どん底が見えそうになる。がまだ下がありそうであった。苦しい時泣くのは三流歯を食いしばるのは二流上を向いて笑う、天高く笑うのが一流である。わんこを遺していくわけにはいかない。祖母にはまだ叔母や孫ひ孫三軒の家に貯金や年金がある。私が居なくても大丈夫である。身の振り方はどうとでもなる。わんこには私しかいない。重なる。祖母がデイケア中に意識が無くなったと。慌てて病院に行くとピンピンしている。また嘘?か?と医者にきくと不整脈があると。それは昔からで母も私も不整脈である。注目を浴びたい時倒れたふりをするのは祖母が自分でやると自慢していた。酒を呑んだりして脈を乱す技であると。本当は耳も遠く無いしボケてもいないし体調は絶好調と私には言っていた。常に和の中心にいたいのである。しかし年寄りだけに入院となり私はしっちゃかめっちゃかになる。病院には毎日行かなくてはいけないわんこも、更に金も工面しないといけない。仕事は無い。八方塞がりになる。まだまだ下がありそうであった。私自身まだ病人であり三十キロ位しか無かった。因みに身長は百八十である。実家は私のものだが祖母がいる為売りに出せない。身動きかとれなくなる。こんな時頼りになるのは金である。どん底近くまで落ちるとわかる。金の有り難みに。健康でも金が無ければ死人より下である。保証人すら居ない。この国は保証人がいないと部屋も借りれないのである。今の家は彼女が借りた家である。引越しができない。実家に戻るにも五DKの部屋は全て物置の様にドアの天井まで物が山積みである。祖母と母の趣味は買い物で買って積む買って積むを繰り返して祖母一人寝るスペース以外無かった。所有権は祖母にあるのである。どうにも出来なかった。いっそ家事になり灰になってくれと願うほど困った。火災保険はかけてある。しかしそううまくは運ばないのである。因みに何故私に貯金がないか?女が管理していて貯金から家財まで持って消えたのである。私の服から靴まで家に帰るとわんこだけが居た。しかしそれまで私の様な男尊女卑に尽くしてくれたのである。感謝こそあるが文句など何も無い。猛烈に一人旅に行きたくなる。それも伏見稲荷に。何故か?はわからない。しかし現実はむりである。まずは仕事である。当時教育関係の訪問販売がまだ許されていた。東京はある企業が独占していて入り込めなかった。東京で訪問販売は難しい。まずはフロントで全滅するのである。当時まだ私は他人の心を読む事が出来た。しかしオートロックにカメラ付きインターホンが普通の東京では挨拶さえできない。地方とはちがいのである。そこにある大企業だが東京に進出してきたが苦戦していたのを聞いた。話が上手でもフロントにはいれないのである。支店長に会う。全国で名を売ったやりてである。しかし失敗していた。サラリーマンとして働くのは馬鹿らしい。フルコミでやりたい様にやらせてくれと交渉する。フルコミだと大体大丈夫である。やってみれば?と上から目線である。当時は個人情報など無かった。一応名簿はあるが古い。今では許されないが中学生にこえをかけて名簿を持ってきてもらう。そしてどのこが学校を仕切っているのか?不良、イケメン、美人、スポーツマン特に不良である。公園に不良君達を呼び出す。何十人か。学歴社会である。不良でも夢はある。何十人相手に夢を叶える為にはどうしたらよいのか?説明する。暴走族や愚連隊になりプロになっても所詮は金儲けができないと出世できない。講演会をする。不良は素直である。やる気が直ぐにおきる。まずは夢を叶える為に専門でもなんでも良い指針をたてさせる。その為に今のままでは駄目な事を得心させる。私自身馬鹿である。勉強に意味が無い事は説明する。しかし学歴は必要だと。テストさえ出来れば良いと。その為の教材をあると言う。と当然欲しいと言う。なら家に帰り親を説得してこいと言う。その頃には私は携帯の営業マンも歩合でしていて携帯を持っていた。金額もハッキリ言う。量も凄い事も。嘘は一つもつかない。訪販は嘘をつくから後からクーリングオフが来る。
 初めから全部本当の事を話せばよいのである。不良君の家では不良君は厄介者である。その子が突然勉強がしたい金をだしてくれ夢があるんだ。と言われて断れる親はいない。次々と電話が携帯にかかってくる。お金がない家も当然ある。しかしローンがある。その点も子供に話しておく。あとは簡単である。フロント関係なく入れて契約書に印鑑をもらうだけである。何十人を一気に成約する。当時百万弱一日で一千万軽く超える。そしたら次に学校に噂を不良軍団にひろめてもらう。リーダー的な人間やスポーツマンやイケメン美人に。また講演会をする。やる気が出る。家で親を説得、呼ばれて成約。一つの学校の半分以上を成約する。異常である。しかもSNSも無い時代である。私は一月でとんでもない成約をとる。しかも歩合である。しかし税金の関係でかなりの金額はとられてしまう。だが一件一件まわる非効率に比べたら講演会をひらいてやるのである。時間は短く大金を稼げる。一つの中学を落とせばあとはドミノ式である。地域性はかなりある。皆んなが持っているのに自分だけ持っていない。ゲームとおなじである。とりあえずは買う。やるかやらないか?は本人次第である。しかし多分これは違法である。私は歩合のアルバイトだからできた技である。
 あとは子供に好かれるキャラである事まだ二十歳位に見える事など色々な事が時代とタイミングが合う。一番大事なのは嘘をつかない事。クーリングオフもきちんと説明しておいてあるので嫌ならクーリングオフすればよい。しかし親は子供に一生恨まれるだろう。その地方の教材会社は一躍飛躍する。東京進出に成功したのである。その頃は現金支給だったので銀行に行く暇無く動いていた私は常にバックに何千万か入っていた。使う暇がないのである。金が入れば女も寄ってくる。元々女好きである。直ぐに女と同棲を始める。命より大切なわんことの時間は必ずつくった。祖母はすぐに元気になり世界中日本中叔母や友達と旅をしていた。その金は勿論私もちである。その教育関係の会社は毎週全国ランキングが出ていて拝金主義の権化のような会社で毎月大会を開き賞金をかけていた。全国大会も一年に一度あり優勝者には地位名誉金がついてきた。そして年に何回も海外に無料招待して散財させてまた稼がせるやり口であった。一般的にフロントからはいりアンケートをとり壁とりから段取りを踏む方法も一応はなんでも実践した。ようはフロントが突破できるかどうか?である。東京ではそこが無理であるが私は突破した。やり方は色々あるのである。あとは現地に入る前にどれだけ情報を集めるか?である。それで決まる。私は女子供動物には好かれる。更に心が読める。玄関の雰囲気や靴や服や話し方仕草で一瞬で決まる。第一印象である。私は営業や接客や交渉事でほぼ話さない。一割は話をふり九割は聴く。話すのは苦手である。一番大切なのは自分を信用してもらえるか?どうか?である、おしゃべりは詐欺師である。その為にはコミニケーションを一瞬でとれるか?にかかる。所謂壁取りである。仲良くなれば仕事の話などしなくても決まる。接客もおなじである。アプローチだのニード比較などなどありクロージング。詐欺である。小さな頃から肉体労働から学生企業までありとあらゆる仕事をしてきた。そこで学んだのは儲けた人と損した人がいる。それが拝金主義である。不思議に思ったのは中卒や勉強してこなかった人が成功した時に私は他人より勉強した努力した。本を読めば努力すればとたまにきく。本をよんで百人同じ努力しても成功はしない。商売は勉強とはちがうのである。運と才能とタイミングである。履き違えた経営者が他人の十倍働けばとか言う。同じ人件費で何十倍も働かせれば会社の利益は上がる。だから努力根性気合いと言う言葉が嫌いである。体育会系の会社にありがちである。確かに体育会系の人は成績を出す。しかし他人の何十倍も働けば多少は結果も出るだろう。拝金主義は精神が疲弊する。
 歩合で全力で仕事するのな三年が限界である。だからそう言う会社は出入りが激しい。向いていない人なら半日ともたない。才能がない人は努力しても無駄である。あとは運とタイミング。私の知り合いの社長にエロ本でビルを三棟建てた人がいる。まさに運とタイミングである。才能はケチである。と言う事かなと。散財しないで投資に回したと言う事かと思う。
 VHSDVDが出た時にはもうおそいのである。もう一度言う商売は運と才能とタイミングである。ホテルや旅館も賃貸も同じである。
 父が寝たきりの頃や母が車椅子の時、わんこと旅したい時、日本は本当に不便である。マンションを借りるとしても大体は不可でもしくは大金を出せ完全にフルリフォームしてから返せなどなど地主の力が異常に強い。父と母と祖母でよく車椅子可というので予約するとフロントのみであとはバリアフリーでは無い。お風呂など普通の露天風呂でだっこしておんぶして湯船にどうしたらいれられるのか?わんこなど物扱いである。異常である。ゲージに何時間も入れていたら死んでしまう。その点では海外はすすんでいるみたいである。罰則も人間同様である国もある。旅にでたくなる。またポケットにパスポートと金をいれてハワイに行くと毎回来るたびに変わった、ハワイは完全に昔の面影は無く銀座の様になっていた。薄汚れた映画館やゲームセンターなどなくなりビルだらけに。ワイキキなど日本人しかいない。路面店など日本語が話せる人しか居なくなっていた。ロコを探すが土地が急騰したのかほぼワイキキ付近にはいない。西か北の方においやられてしまったのかもしれない。ホノルルマラソンのコースを走ると別荘が立ち並んでいた。そして渋滞。もはや天国ではなくなっていた。がっかりして直ぐに帰ってくる。もう海外に行く事はないのかもしれない。不便ではなくなってしまっていた。数十回海外に行き改めて日本の景色や治安や人間の素晴らしさをしった。それで十分である。学生企業の時も海外ツアーを組んで沢山の国に行ったが日本より良い国だと感じる事は無かった。ハワイから帰り直ぐにキャンピングカーを買う。わんこに負担をかけない様に。断熱材がきちっと入った暑さ寒さを感じないきちんとした。これで災害があろうがわんこは守れる。彼女とわんこと三人で伊豆をぐるっとまわる。意外とキャンピングカー禁止が多い。キャンプする所以外で停泊できないのに驚く。キャンピングカーは売るがキャンプ場でしか停泊できないのでは意味が無い。何処にでも停泊できるから楽しいのではないだろうか?。キャンピング場のみならキャンピングカーは必要ないのではないだろうか?。呼ばれる事が無くなった。何故だろう?。行きたいと思う所は沢山ある。がなんとなく行きたくないのである。夢に茜社が出てきた。しかし腰が重く動かない。前ならその日起きたら単車で向かっていた。半日コースである。やはり身体にメスを入れたせいだろうか?身体にメスを入れると絶不調になる。膝に二回腹に一回確実に免疫力も無くなり体力も無くなった。そんな時キャンピングカーで三人で京都の観光に行く。外人コースを選び小さなバスで外人がまわるコースをまわった。その間わんこは心配なのでホテルに預ける。泣きそうなわんこ、狆は吠えない。目でものをいうのである。直ぐに帰ってくるよと。外人コースはハリウッド映画の日本みたいなわけのわからない時代みたいなモノをみる。それはそれで楽しい。外人からみた日本人が少しわかる。少し北に行くと飲み屋街?があり黒塗りの車がずらーっと並んでいる。京都は街と昔が混ざっていて不思議な空間である。有名な湯豆腐を食べる。産まれて初めて湯豆腐が美味しいと思った。
 観光地もなかなか面白いと感じる。外国人気分でみると新鮮である。日本中旅したが京都のご飯が私には一番相性が良かった。そんな楽しみ方もあるのだと気づく。よく金持ちがラーメン食べに飛行機で博多とかいうがそれも楽しいのかもしれない。新しい旅の楽しみ方をみつける。ひりひりした単車の生と死の間を感じる旅も良いが旅には色々あるみたいである。身体を壊してわかる事もある。
 昔から敦盛の歌が好きで暗記していた。どうやら私は生き急いでいたみたいである。のんびりいきるか?
 と考えながら京都で過ごした。商売の才能は無い。時代は携帯電話にパソコンが大学時代に出てきて大きく変わろうとしている時である。ここで一歩間違えるとまた大変である。助けてくれる人は居ない。昔からだが。兎に角金である。いざと言う時金が無いと何もできない。
 また教材の訪販に復帰する。
 今度はキャンピングカーがある。現地に入り泊まり込みでできる。通勤時間のロスが無い。手当たり次第名簿を学生に持ってこさせて暫くは学生達とコミニケーションをとる。そのうちお母さん方も集まる様になる。名刺には一応大手教育会社が印刷されている為に名刺もパンフも配った。原始的だがチラシというのが一番効果があった。私から商売の話はしない。悩み相談所である。いじめ、非行、勉強の悩み、進路、お母さん達は常に悩んでいる。誰かに話したいのである。常に常駐しているので暇つぶしに皆んな集まる様になる。アンケートをとる。特に意味は無い。学校の情報を集めるのとコミニケーションツールである。先生の名前とかスポーツは何が強いとかである。勿論無記名である。そんな中から話題をふりコミニケーションを深めていく。いい噂も悪い噂も一瞬で広がる。相手が勉強や進学の話をするのをじっと待つ。そうしたらミニテストを家でしてきてもらう。現実を嘘偽りなく話すだけである。あとは子供がやりたいかやりたくないか?やりたくない人は来ない。きた人は大体教材の書類にサインする。あとはネズミ講のように噂で広まる。それで半数は買う。それを繰り返すだけである。一月働き一月休む。私は働くのも嫌いである。短時間で効率よく高額を稼ぐ。同時に携帯の販売やら沢山の商材を持っていたのでこちらが駄目ならあちらという感じで壁取りさえして信用を勝ち取れば何でも売れる。税金を考えてこれ以上売っても税金に取られるギリギリまで売った。それでも半分以上は税金で取られた。他人と同じ事をしていたら金は入ってこない。
 メリハリである。
 生と死にちかいのかも?
 だらだら三十%のちからで働くのではなく三百%自己流で全力で働き三百%全力で遊ぶ。
 企業に入って死んだ目をして一からつまらない部署に配属され五%も働かないみんなと同じく日曜休んで月曜出勤ゴールデンウィークに混雑した所で疲れ六月に鬱になり薬をのみながら無理してみんなと働き夏休み混雑した中疲れに出かけてぐったりしたまま出勤エトセトラエトセトラ。自分の人生にも会社にも不利益でしかない。結婚して子供ができて家を買いローン三十五年なにもかも我慢して生きる。なんの為に生きているのか?。定年してやる事も金も無く何十年も何を目的に生きる?。年金数万円で生活できない。警備員やコンビニで第二の人生。そんなに長生きしたいのか?農家の出であっても武士に憧れてだんだら模様の水色の羽織りを着て散った方が気持ち良くはないだろうか?。少なくても私は背中に傷を負う事なく土方歳三なように生きたい。最後の最後まで全力で闘いながら。人生負け戦の方が楽しいらしい。より目立ち活躍できる。真田幸村の様に六文銭を持って赤い甲冑を身につけて戦国一の兵と呼ばれたい。楽しそうではないですか?。
 そんな時私の携帯が鳴る。
 祖母からである。会いに来いと言う。何かあったのかと行くとぴんぴんしている。しかし会った瞬間号泣する。何がなんだか解らず。どうした?と聴くがただただ号泣していま。具合悪いのか?色々聴くが何も答えない。数時間泣き続けた。百二歳である。ボケた?のか?とりあえず医者に連れて行くが健康そのものだと言われる。なんだか解らないがデイケアに連絡してきてもらう。まだ号泣している。とりあえず介護施設に預かってもらう。帰ろうとすると私の手を握りまだ号泣している。とりあえずまたすぐ来るからと私は帰る。次の日また携帯に電話が入る。祖母が亡くなったというのである。一瞬意味がわからなかった。こないだ目が霞むから緑内障だか白内障だかの手術をうけると息巻いていた。いきる気満々であった。昨日医者で健康そのものだと言われた。
 原因はと聞きと朝起きたら亡くなってましたと。理由はわからないと。慌てて病院に向かう。病院につく前に叔母達に連絡した。病院につくともう叔母達はいた。医者に原因を聴くがわからないと。老衰ではないかと。昨日医者で元気そのものと言われたと言うがわからないと。頭が真っ白になる。それからの記憶はまばらである。ゆういつの身内が死んだ。それからの事は長男の嫁が仕切った。もう段取りは全てついていたようでたんたんと進んだ。お金の管理も全て長男の嫁がしていた。たんたんと葬式を済まし火葬納骨とあっと言う間に終わる。
 私は蚊帳の外であった。何がなんだかわからなかった。
 納骨が終わり母方の血の繋がらない嫁達や孫ひ孫などで食事をしていると突然長男の嫁が私に弁護士と会いなさいと命令した。何の事で弁護士と私があうのか?わからなかった。何で?と聞くと相続を全て任せているからと言われた。そんな権力叔母にあるのか?と疑問に思ったが一応頷き次の日に会った。
 かなり大きな弁護士事務所で老舗と言う感じであった。入ると受付のおばさんがこちらにと応接室らしき所に。そこに老獪な太々しい太ったおじいさんがゆっくりと書類を持って座った。名刺を切られる。老舗である。公正証書解る?と馬鹿にした口ぶりである。要約すると三軒の家は叔母達にあげる。預貯金はゼロ。わたしの母が祖母に借金が遺留分以上あった。と言う事を難しく話した。そしてこの公正証書は祖母自らが望み弁護士に公正証書をつくらせたので叔母達は関係ないとの事。何か異論があるなら私に言え、叔母達には二度と会わない連絡しない事などなど脅しを入れられた。私も母の遺産兄の遺産でかなり調べたので相続については詳しかった。まず叔母三人が住んでいる家をリフォームしたしかも叔母の弟に依頼一軒一千万以上は出ている。これは生前贈与にならないのか?と聞くとそんな証拠は無いと言う。貯金がゼロと言うのは叔母が管理して引き出してゼロなのでは?証拠が無いと言う。母が借金した証拠は?ときくと祖母が言ったと言う。この公正証書をつくった時に一人で来たのか?と聞くと言う必要は無いという。しかし本人が全てきちんと話したと言う。弁護士と言うのは役者である。詐欺師と変わらない。弁がたつのである。あー言えばこー言うのである。終わろうとする。私が祖母名義の通帳をみると明らかに何年か前にごっそり抜かれているだろう途中までしかない。あとは年金が入金と同時に抜かれている。通帳がこれだけか?と聞く。そうだと言う。身内は遡り通帳をみる事ができる。ごっそりぬかれている通帳がこれかどうかわからない。すると弁護士はハッタリを私に言った。母は叔母にも借金がかなりあるみたいだと。余計な一言であった。
 母はもう居ないその母を侮辱したのである。その証拠は?と聞くと叔母が言っていると。
 私は正直祖母の財産など一円もいらない。しかし母を侮辱した事には許せなかった。席を立つ。私は弁護士を立てていないのであなたの言うことは聞けないと帰る。
 直ぐに長男の嫁に会いに行く。家に嫁がいた。財産だの法律だの弁護士だの私には興味が無い。しかし母を侮辱した事について詫びを入れろと。死人に口無しでは済まさないと。叔母は祖母が言った事だから知らないと。シラを切った。
 つい切れてしまった。あんた詫びを入れないと言うなら俺に一生会わないようにいきていくんだな?と。俺は一生恨んで生きていくびくびくしながら一生生きていきなと。親戚一同に伝えておけと。最後に通帳は身内なら遡り請求出来ることを伝えた。そんなめんどくさいこと私がするわけはないのではあるが。引出したのが誰か何てわからないのである。所謂ハッタリである。そして母方とも縁を切った。
 スッキリした。これで天涯孤独である。自由である。叔母や親族は東京にいる限りびくびくしながら生きていかねばならない。しかしあの弁護士はやりてであった。あれだけの筋書きをかいたのはあのおじいさんである。凄いなと感心した。祖母は法的知識どころか常識もない人である。叔母達はみんな学の無い人達である。孫やひ孫も使えない。身内で敵にすると厄介なのは私と兄だけである。その私が一生恨む宣言をした。私は祖母さえ恐る得体の知れない人間である。狙われる恐怖と言うのはかなりのストレスである。
 スッキリである。
 しかし一体祖母は幾らもっていたのか?最後まで謎であった。三軒の不動産価値は公正証書に億と書いてあったが。まあ関係ない話である。他人の財布に幾ら入っていようが関係ないのである。それよりもう誰にも振り回されないで済む自由を得た事が嬉しかった。私の歯車にはわんこと彼女だけである。シンプルイズベストである。家族が居て良かったと言える事が深く遡ると一つだけあった。小学生くらいの時お風呂に一人で入っていると天井から湯船にボトンとふとい長い黒い三十センチ位の百足で湯船に。ぎゃー!。
 私は虫恐怖症である。しかも相手は巨大な百足、悲鳴をききつけ父が風呂に入ってくる勿論無言である。親父百足百足と言うと無言で百足を握り引きちぎった。グローブの様な厚く固いデカい素手でひきちぎった親父を頼もしく思い尊敬した。父方は農家で父は小さな時から農家をしていた。だから虫など怖くないのである。たまに部屋にも巨大な百足が出るとグローブの様なデカい厚く固い素手でバンッと煎餅の様に潰した。私は因みにカブトムシすら触れない。虫で触れる生き物は居ない。農家、親父恐るべき強さである。それくらいである。これでひとまず電話に怯える暮らしは無くなる。家族にシニアがいたり病人がいたりすると電話がなる度に心臓が痛くなる。寝てる時など飛び起きてしまうほどピリピリしていた。父が寝たきりになってから祖母が亡くなるまでまともに寝ていないのではないか?旅にでていても常に心配はしていて気の休まる暇は無かった。うちには私が産まれた時からわんこ達がいたのでわんこ達の心配も絶えなかった。家を出てから実家から夜中に電話がなりわんこが調子悪いとか怪我したとか最悪なのは泣き叫びながらわんこが死んだ連絡がある事が多々あり母もわんこが大好きな人だったので亡くなると気がふれたように泣き叫び電話してきて切るので慌てて実家に戻る生活だった。それだけでなく電球の球が切れたとか高い所の物が取れない庭の草刈りをしてくれ何かが無い壊れたと細かい電話もありそのたびに慌てて帰る。父の介護も重なり私の時間は精神的には休まる暇は無かった。実家、介護施設、市役所、洗濯から掃除まで仕事して夜中に介護施設に行き洗濯物を取り替えて実家により自宅に帰るのがルーティン化していた。旅に出た時はルーティンからは外れるが精神的には常にピリピリして実家に連絡していた。それから解放されたのである。まだやる事は山程あるのだが暫くは何も考えたく無かったというかお役目が終わった感じで一人になりたくなる。旅にいく元気は無い。わんこ命ではあるがそのわんこを彼女に預けて暫く新宿歌舞伎町のカプセルホテルにこもった。何も考える力が無くなった。都会と言うのは田舎みたいに干渉されないので隣に誰が居るかとか死んだとか誰も気にしない。私にはとても心地よい。無法地帯である歌舞伎町がまた心地よかった。ホームレスの方達も道に沢山居る時代で道の真ん中でうんちをしているが皆んな気にせず歩行者天国の様な人混みの中皆んな時間に追われて動いていて他人を気にする人などいない。血だらけの人が倒れていても誰も気にしない。素敵な街であった。
 いい意味で普通と言う言葉があり。価値観も統一されていた。貧乏人は貧乏人らしく金持ちは金持ちらしく公平ではなく。怖い人は怖い服を着て怖い車に乗り見た目でわかった。中流の人は中流の服と車。普通の人は見た目で普通と確認できる。異常者は見た目でわかる。
 自由がかなりあったが時代の境目ではあった。まだハラスメントなどない時代。なにもかもがまだわかりやすい時であった。歌舞伎町と言うのは昔からなんだかわからないがいごごちが良い。まるで時代が止まったような?なにかを閉じ込めて外に出さないような空気感。澄みきった和歌山三重の山の様な雰囲気とは真逆な淀んだ空気。環八雲が降らせる排気ガスの雨の様な人工の物ではない。異様な雰囲気が私は凄く落ち着く。わかる人にはわかってもらえるのではないか?。私は熊の様に冬眠していた。やる事が山積みである。
 空き家と遺品を処分しなくてはいけない。墓など建ててしまったので墓じまいしないといけない。一軒家に天井まで詰まった荷物を処理する事を考えるだけで滅入る。仏壇は処理する?私は独身借家住まいである。業者を手配するにしても悪徳業者ばかり。知り合いにゴミ屋の社長が居るがやり口としては安く見積もりを出して後で積み込みはじめたら金目の物はリサイクル屋に売り後で値段を上げるそうである。大体ニトントラック一杯で安くて五万、ふっかけるパターンならタンスや大型家具など一つ幾らとかとる場合もあるらしい。当然私も参加しないといけないというより私が指示をださないと始まらない。頼むから誰かに全部してもらえれば。私はそのゴミ屋の社長の所で学生の時バイトしていて、それは軽自動車で無料でテレビ冷蔵庫洗濯機など不要な物がありましたら無料で引き取りますとよく廻っているゴミ屋である。あれは詐欺で無料といいながら家に入りごねて何万ととる。ピアノの解体とかは美味しい、解体するのを目の前で途中までしてからごねるのである。払うしかない。竿竹屋や羽毛布団の訪販と同じやり口である。社長は元プロなのか?まだプロなのか和彫ががっつり全身に入っているおじさんである。ゴミ系産廃探偵事件屋金が成る所には必ずプロがいるのである。彼等と会話できる力は一%も無い。病後でまだ体重も百八十以上あるのに四十キロあるかないかである。右膝の靭帯は二度の手術の失敗でびっこである。何よりここ何年間かに人生で起きる家族の不幸処理を全て一人でこなした。やり切ったおかげで真っ白な灰のような精神状態である。なにもやる気がおきないのである。不動産屋がまた面倒くさい知り合いにやはり社長がいるが千三つの世界だと笑う。千の情報をお客様に言うが本当の事は三つしかない世界だと。かかわるのはしんどすぎる。墓じまいしたら骨をどうするのか?。私は馬鹿なまだガキである。調べる事すら苦痛である。頭を抱えてカプセルホテルの中で知恵熱を出すくらい体調が悪かった。よくいくサウナでたまに老人が冷たくなって発見されていた。それはそれで楽になれていいなとか考えつつ。まだわんこが居る。私が先に行くわけには行かないと自らをを鼓舞していた。
 カプセルの中で放心しているとたまに心臓がバクバクする。心臓が動いているのがわかるのである。不整脈なので速くなったり遅くなったり。耳の中が鼓動でうるさい。心臓の音と振動を感じながら不思議に感じる。
 馬鹿なのでどんな仕組みで心臓が動いているのかはわからないが寝てる時も起きてる時も生きてる限りは動いている。心臓が収縮している。止まると死ぬわけである。皆んなは疑問に思わないのか?どうやら心臓は別の生き物のように動き続ける。動いているのは意思があるわけでは無さそうである。単車や車のエンジンの様に死ねまで動く。動くのが当然と思っているだろうがエンジンなど直ぐに壊れる。メンテナンスしてないと直ぐに調子が悪くなり止まる。百年動き続けるエンジンという訳である。それも筋肉で動いているみたいである。凄く不思議で奇跡のエンジンである。心臓が動いているのを感じながら不思議だなと思い。これが止まると死ぬのも不思議だなと考えていた。沢山の死を見てきた。父が心筋梗塞をおこした時も。動いているのが当然だとは思えなかった。とたまに不整脈でばくばく言う心臓の痙攣を感じながら今突然止まってもおかしくはないんだ?とふと思った。
 あれ程身体中から溢れ出ていた力が無い。それどころかまともに身体も心も動かない。死人のようである。これでは旅どころかコンビニすら行けない。私には三大欲求すらほぼ無い。身体や心を動かしてす原動力は多分ストレスである。ネグレクトであり無満があったのかもしれない。行きづらい世の中にも。その根本は家族が最大の負担であり負荷であったのかもしれない。家族が最大のストレス。これが今まで私を動かしていた。家族がわんこしかいなくなりほぼストレスが無くなる。自由になったのである。すると不思議に無気力になった。歌舞伎町のホームレスの生きる原動力はなんなのだろう。案外楽しそうに過ごしている。一度ホームレスをしたら楽で抜けられないと聴く。人の目を気にしないと楽なのかもしれない。縄張りなどがありホームレスにはホームレスのルールが沢山あるらしいが。田舎暮らしに似ているかもしれない。自給自足が楽しいが村全体と調和しないと村八分にされてしまう。ホームレスも大変そうである。田舎暮らしは不自由の極みに感じる。人間関係が鬱陶しい。その点歌舞伎町は良い。人間関係が無い。
 しかし体調が悪い。四十度の熱があっても私はかなり動けるし骨が折れて腫れても医者には行かないで治してきた。痛みには強く身体も丈夫な気がする。精神的にもかなり強い気がする。しかし家族を全て失ってから何故か体調が悪い。気力の問題なのか?。体から気が出ない。病は気からとか聞く。飽きたをとおりこしめんどくさい。
 起きるのもトイレにすらめんどくさくて行きたくない。老人や身体障害者の人の生きているモチベーションはなんなのだろう?。凄いなと思う。生きているだけでかなり辛いと思うのだが。ぱっと散る花のような人生が楽しそうである。散り際が一番楽しそうである。今新撰組があるなら入りたい人達は沢山いる気がする。皆んな暇ではないのか?。カプセルホテルにいると寝返りをうたないせいか背中やお尻が痛い。何か血がが出ているみたいである。ボケるとは究極に楽そうである。人間最後はやはり死にたくないと思うのかもしれないがボケてしまえば何もかもから解放される。ボケるのは自然な事なのかもしれない。祖母は百ニ年もよく耐えたなと。速くボケた方が楽なはずなのに。母は死の恐怖を医者に言われた余命一ヶ月と、それからニ年は辛かっただろう。しかし弱みを誰にもみせたくないで身内にしか余命を言わず同じ病室の人達にさえ言わずに意識が無くなるまで弱音すら吐かなかった。その母が死ぬ一ヶ月位前にやはり大号泣を突然した、祖母と同じように。理由はわからない。その母が私が暴れていた頃よく言っていた私は頭がおかしいのだから刃物を持たないようにと。今カプセルホテルの中でなんとなく思い出した。確かに今刃物を持っていたら危ないなと周りに迷惑かけてしまうなと。母は予感していたのかもしれないなと。外にに行ける元気があったら迷わず薬を買ってしまいそうである。ふに落ちた。気力が出ないのは私が自分で自分に負荷をかけて暴走しないように理性が働いているのだと。今は動かない方が良いのだと。暴発してしまわないように。ぎりぎりの所で脳と心が闘っているようである。今手元に核兵器のボタンがあれば迷わずに押すだろう。理解できると少し落ち着いた。すると耳の中でキーンと音が鳴り何かが変わったような気がする。まだ私には最後のわんこを見取らないといけないと。それまではと思うと少しづつ身体が動くようになる。もう少しだけ心が頑張ってくれる事を祈った。そんなギリギリの人達が歌舞伎町には沢山いるのかもしれない。だから落ち着くのかもしれない。私の価値観は金ではなく力である。世の中は間違いなく金である。うちの父は金に全く興味のない農家出身で暇さえあれば土いじりをしていた人で何を買い与えても何処に連れて行っても興味を持たず元気な時は庭で土いじりを一人でしている人であった。早くに寝たきりになり窒息死をした、何の為に産まれてきて何が楽しみで生きているのかわからない人であった。ただ一つだけ手に入れたのは家庭だけである。私は今何も手にしていない。力こそ全てという価値観さえ歳と共になくなりプロの方や格闘家も金集めが出来ないといけない、そこに変わる事は私には才能が無い。かと言って土いじりや田舎にこもる才能も無い。立ち止まってしまった。天涯孤独で友達も居ない。大学時代にパソコンが普及した時もあえて自分から排除した。祖母は馬鹿になれと。母は学歴をと。一応二人の言う通りにした。学歴のある馬鹿である。世の中で使い道は無いだろう。なにもかも中途半端である。施設育ちの知り合いも居るが皆んな仲間がいたりハングリーだったり案外普通より幸せそうである。欲がある事は大切な事なのかもしれない。家庭を持ち子供をつくり仲間がいる。私にはその才能は無い。カプセルホテルは居心地が良い。私にはこの空間があれば良い。例え世界一お金を持っていても必要な空間はこの程度で良い。起きて半畳寝て一畳もいらない。少し思考が回り出した。するとまた少しづつ身体が動くようになる。ここに居るにも金はかかるのである。心が少しがんばり始めたのかもしれない。頼る人は居ないのである。肉屋でバイトしていた事がある。そこの肉屋のおじさんは何十年も肉を切っていて牛を丸ごと解体とかする人であった。自分の包丁を沢山持っていて常に研いでいた。油で切れなくなるみたいである。刃物と言うのは不思議な道具で刃物を扱う人独特の雰囲気がある。侍みたいな者なのかもしれない。対面すると気持ち悪くなる圧力があり私は感度が良いので吐いてしまう程である。声の出し方も独特なのか怒鳴られて包丁の刃じゃ無い方でよく手を叩かれていた。体が硬直したのを思い出す。歌舞伎町にいるとたまにそんな雰囲気をもつ人とすれ違う。普通の人でもピリピリはしている。
 気を張ってないと街に負けてしまうのかもしれない。六本木や銀座などとは何かが違うのである。金を稼ぐ街でもあるので歌舞伎町にいる人は皆んなハングリーなのかもしれないし独特な人達が集まっている。かなり精神力が強くないとのまれてしまう。私は今気力が無い状態でいるのでのまれてしまっても不思議では無い。しかし何故かのまれずに居る。まるで何かに守られているように自分の力以外の何かが体や心に纏っている感じである。ダンプに幼稚園時代はねられて電信柱位の高さまで吹き飛んだ時も無傷であった時の様に。単車で全開にしてるときあと一ミリアクセルを捻ると死ぬぎりぎりを楽しんでいた時のような感覚である。生きている感覚を取り戻しつつあった。修行みたいなものなのかもしれない。山伏の荒業を歌舞伎町では体験できる。なんとか起き上がる気力が出て歌舞伎町をふらふらとしていると知り合いのバッタ屋の社長と会う。あまり自分の事を語らない人だが元プロなのか企業舎弟なのか歌舞伎町の住民で薬関係も何でも扱うみたいである。地上げ屋とかとも仲良く抑えた物件を何軒も倉庫にしていてそこに謎の住民が沢山出入りしていて常に寝泊りしている人もいる。何をそこで彼等がしているのかわからないが人脈が広い人である。少し会話する。すると夜逃げとかして隠れる人達が居るビルがあるからそこで暫く過ごせばと言ってくれた。わんこが心配になっていたのでわんこも大丈夫かときくと個室だから大丈夫だと言う。
 御願いしますと頭を下げる。
 わんこと暫くこもるには良さそうである。まだ暫く何もしたくない。家に帰る。女とわんこがいた。わんこは喜んでくれる。大興奮である。安心した。
 生きがいはもうこのわんこしかない。一心同体である。女には金を渡す。有り金全てを。受け取らないかと思ったが現金を渡すとすんなり受け取る。やはり金は力がある。家の解約など荷物など全て女に任せた。私はわんこの荷物だけを持ち家を出た。そしてバッタ屋の社長が持っている得体のしれないビルに向かった。そのビルの構造は不思議で一見普通の倉庫のようなつくりで廃屋のようになにやら荷物なのかゴミなのかわからない大量の物?が山のようにあり一見すると普通の倉庫にみえる。しかしそのゴミの山を囲むように見えないような扉が何十と囲んでおり不気味な不思議なつくりであり人が住む構造には見えない。その何十という扉の中には人が居ると言う。人の気配の無い暗闇の倉庫の様なビルの一部屋に案内されて開けると独房のような殺風景なワンルームである。荷物も水回りも無い。そこに汚い鉄の華奢なベットがぽつんと置いてあった。寝るだけの最小限の部屋?空間である。社長はいつまで居てもいいよと帰った。廃屋のようなビルとゴミの山に隠れた部屋である。これなら外部から人が居るとは思われないし夜逃げしている人には最高の場所である。他人と関わらずにいれる雰囲気に落ち着いた。わんこの寝床やトイレシートやドックフードなどをセッティングしてあとは寝袋のみである。わんこは落ち着かない。不安な顔をしている。ベットに腰掛けてわんこを抱きしめて落ち着かせる。私もわんこの顔を見たら落ち着いた。このこの為に何でもできる。温かい気持ちになり気力が出た。まだ私にはやる事があると。カプセルホテルは周りに人が居る。ここは廃屋ビル。人の気配はしない。多分他の扉の中にも人は居るのだろうがわからない。無人島にわんこと二人と言う感じである。ぎりぎりの瀬戸際にいた気持ちが緩みピリピリした感じが自分から無くなる。わんこと会話しながら気持ちが緩みリラックスできた。やる事は山積みであるが忘れる事ができた。わんこの口にドックフードを一粒一粒食べさせながら何かほっとする。このこの為にもう少し生きなければと。わんこと会い落ち着いた。少し眠れた。すると夢の中で今までの知り合いが出てきて同じバスに乗って何処かに向かっている皆んなに何処に向かっているか?と聞くがわからないという。私はそのバスを降りた。明らかに私が行かなければいけない方と違うのがわかる。目的地は歩いて最短で行けたはずである。なのに周りが並んでいる列に並んでしまったのである。考えて並んでる人はいない。そして目的地からどんどん遠ざかるのにも気づかないで皆んな疑問も持たずに乗っているのである。私は夢の中でヒッチハイクをして戻ろうとした。しかしまた知り合いが出てきて違う方向へ。違うと言ってもその人は違う方向へ遠ざかる。私は降ろしてもらう。一人で歩いた方が安全である。と歩き始めた所で目覚める。ぼっとしながら考える。今の夢は?。皆んな何も考えずに疑問も持たずバスに乗っているのだと。周りに流されては目的地から遠ざかるのだと。目的地は最短にあり一人であるいて行けると。よく考えなければいけないと。皆んなといれば考えなくて良い、楽なのである。しかし確実に目的地からは離れている。私は周り道を選んでしまったのである。疑問を持たずに。しかしまだ戻れる距離にいる。目的地は何処かはわからないがそんな気がした。
 私は人生死ぬまでの暇つぶしだと思っているがそれでは間がもたない。楽しみがないと。人それぞれ地位名誉金などなどを求めるのかもしれないがもし世界一金持ちや権力者や大スターなど早いうちに成れてしまえばあと死ぬまで暇ではないだろうか?。勉強でいうと答えがはじめからわかってしまうと楽しくないのでは?とく過程を楽しむ。目的地までの過程が楽しみなのではないだろうか?。成功するかしないかはどうでも良い。一生かけて解けない問題や夢にとりこむ過程が大切なのではないだろうか?。一心不乱に取り込める事が早い段階でみつかりそれを死ぬまで続けられたら楽しいのでは?。大体考えずに周りに流されて生きている人が多い。いい大学いい企業にはいり結婚して子供を授かり家を建てるみたいな流れが良いと洗脳されている。皆んな同じバスや電車に乗って何も考えずに。産まれた環境や親の思想によるもので決まってしまっている気がする。私もやはり環境や親や祖母による洗脳でかなり目的地から離れてしまったみたいである。私には性欲がほぼ無い。しかし性癖というのは誰もが違うと思う。LPGTQは勿論シニア好きやロリコン、スカトロ、SM、盗撮、下着、更には殺人に興奮をする人もいるだろう。各自興奮するものは違うはずであるが普通と言う洗脳をされてみんな同じ事に興奮までコントロールされているし法律で禁止されている興奮も多い。これも結果男なら射精すると終わりである。その過程に興奮するのではないのか?。結果を出すまでの過程が大変な程楽しいのではないだろうか?。ある不良の子がパソコンが出た時にAVを見る為だけに勉強してパソコンが得意になる。AVをみた時よりパソコンを勉強していた時の熱量は凄くわくわくしてたのしかったのでは?ギャンブル大好きな人が勝つのがわかっていたら興奮しないのでは?。結果には意味がない気がする。何処が目的地かは私は今わからない。目的地に死ぬまで着かないかもしれない。その目的地が早く見つかり一人で歩いていくのが楽しい?。夢の中でそんな感じがした。立ち止まると迷う。迷うと辛い。今私は立ち止まってしまったみたいである。祖母が馬鹿になれといった理由がこれかな?と思った。馬鹿は考えない。与えられた情報を鵜呑みにして疑わない。直ぐに行動する。価値観が皆んなと同じである。例えば安い食べ物に高価な値段がついていれば美味しいと感じる。皆んなが良いと言う音楽や絵も凄いと思い込む。馬鹿の特徴なのかもしれない。本質がわからない。味覚聴覚視覚皆んな違うはずだが統一された基準、数字や多数が言う方が正しいと思い込む。確かに自分の脳で判断しない方が楽ではある。最近は世界の情報まで表に出してコントロールされた情報のみだが基準が曖昧になってきて悩むと言う人や疑問を持つ人もでてきてしまい自我が崩壊する人も多い。悩んだり迷ったり考えたりすると壊れてしまうのではないだろうか?。壊れるのが普通で壊れないのは考えてない証拠ではないか?。それだけ純粋なのでは?。もろく儚いものは弱い。雪の結晶のようなものなのでは?。かといって自我を押し通すには絶対的信念が必要で神様でもない限り無理がある気がする。最近少し理解した。年寄りの気持ちもわからないし幼児の気持ちもわからないと。基本他人の事などわからないのが普通であると。ましてや他の生物の事などわかるはずがない。虫や草の気持ちがわからないように。勿論相手も私の事などわからない。だから馬鹿にならないといけないのでは?百ニ歳まで生きた人が出した結論なのかもしれない。沢山の時代を経てきて沢山の経験をしてきた人の。祖母が一度九十を過ぎたあたりで一度死にかけた時に不思議な事があったらしい。心臓が止まるのがわかって気持ちよく意識が無くなり眠くなり暗闇の中に吸い込まれたと。怖くも何も感じなかったと。これが死か?と感じたと祖母が言っていた。仮死状態から戻りそれを私に話した。それが本当かもわからない何故なら祖母は平気で嘘をつく人だったからである。百ニ年も正気を保つ強靭的精神力は私には少なくても無い。何か信念でもないと無理な気がする。なにせ切腹を平気でする民族である。他の国の人とは何が違うのかもしれない。現代を生きる私にわかるはずもない。私の知り合いの鍼灸師に目の前で自分の親が事故にあい動体から首がもげてバラバラになるのをみた人がいるがやはり正気を保てなかったらしく狂った。戦争を乗り越えた人達には普通の事かもしれないが現代人には無理ではないだろうか?。祖母などいつから生きているのかわからないくらい昔から生きていた。今の常識ではわからない。
 私は世界中旅してきたが世界中常識が違う。文化やルールが違うのはわかるが後進国など行くと国自体にルールが無く無茶苦茶な国もあり入管していきなり捕まり終身刑や死刑など国自体が独裁されている国にも旅した事がある。悪人が悪人であるのではなく国自体が無茶苦茶な国だと誰が悪人かすらわからない国もある。善と悪の基準がないのである。世界にはそんな国も情報にはいらないだけでも沢山あるのだろう。昔は日本もそうだったのかもしれない。今の日本は平和である。不平不満を皆んな言うが日本中旅したが日本中平和であった。国が無い人も世界にはいる。知り合いにはいないのでメディアの誤情報?くらいしかわからないが鵜呑みにすればやはり日本人は幸せである。いやなら日本から出て行く自由がある。老人が出ていかないのだから日本は住み心地が良いのかもしれない。現代人より昔の人達は賢かった気がする。少なくても私の周りに学生運動するような知識人はいないし国や思想について語りあうような人達はいない。今に満足している人達しかいない。いや金持ちの知り合いが多いので今の価値観が狂うと困る人達ばかりである。決して日本から出ない。ましてや独裁国家などに移住などしない。私は馬鹿になりきれないようである。立ち止まり迷ってしまった。私の出た大学の人達は大体先祖代々金持ちである。私の家は貧乏であるが私は沢山の仕事を経験して知り合いに成り上がりが沢山いる。今は貧乏人でもいきなり億万長者位になら誰でもなれる。知り合いには中卒で出会い系サイトを立ち上げ年収数億稼ぐような人もごろごろいる。今いる牢屋のような部屋を貸してくれているバッタ屋の社長も中卒らしい。億万長者である。兄が行員だったのでよく話していたが貯蓄百億位の人達は沢山いるみたいである。バブルをくぐり抜けた人達もかなりいるだろう。人の悩みは金か人間関係らしい。百億以上ある人達もいきなり破産する人がいる。それも見てきた。国をコントロールできる側にまわらないと金儲けはなかなか難しいみたいである。しかし官僚の知り合いも居るがその程度では何も変わらない。サラリーマンである。色々な金持ちと出会いその子供達に言われた事がある。大学時代の立場は変わらないがあと十年も経てば私とは雲泥の差が出ると。先祖代々金持ちの人達に言われた。大学を卒業してその通りになった。
 私も多少の金は稼いだが今はほぼ無一文である。根本的に何かが違うのかもしれない。支配する側とされる側では。私の祖母や母は特殊な能力を持っていたそれも私には影響した。目にうつる世界とは違う力もある事に。馬鹿になる事と高学歴を目指した。両極端である。そして身内の不幸が重なる時を全て一人で処理した時に天涯孤独になりなにもかも飽きたを通り越してめんどくさくなる。死を沢山見てきたが別に自然な事であるから悲しくも無かった。お金には昔から興味がない。死ぬ事も怖くない。わりと自由に生きてきたと思う。特に苦労したり努力もした事も無い。営業で東京の街を隅々までローラーをかけたが悲惨な人達を沢山みてきた。生きているのが辛いだろう人達も沢山いる。がわりと皆んな気にせずに幸せそうに生きている。ホームレスは楽しそうだし、孤独な天涯孤独の老人で四畳半風呂なしのぼろぼろの部屋で数十円しかない人でもたまに銭湯に行くだけで幸せだと言う。沢山の人達と出会い混乱したのかもしれない。世界中日本中旅をして表裏の人達とも知り合いになり何が正解で真実で嘘で幻なのか?。ここで自殺切腹する人達も薬にたよったりアルコールにたよったりして楽にはなれる事も情報として理解できてしまう。考え始めると脳が二十四時間考えている無意識に。睡眠欲求もほぼ無い。たまに目をつぶるだけで大丈夫である。女と男のセックスもなにやらわからない。女の胸や陰部をみて興奮する事の本能が無い。彼女はいたが好きな訳ではなく身の回りの世話をしてもらう人であった。なにやら自分自身がわからなくなり崩壊もしない。
 牢獄のような部屋のベットにこしかけて私の命より大切なわんこの狆が心配そうに私を眺めて甘えてくるのをみている私。可愛いを集めるとこんな生き物が出来上がるのではと思う。この子も食が細くあまり食べないので試行錯誤しながら色々なドックフードを一粒ずつ口にいれるがなかなか食べてくれない。匂いを嗅いでぷいとする。そして私に甘える。膝の上に抱き抱えながら私は一生懸命話しかけてたべておくれと一粒ずつ口の中にいれる。そうしてる間だけ思考はわんこだけに集中する。わんこを眺め仕草や表情をみるだけで自然に笑っている自分がいる。天使のような生き物である。私と共鳴しているようである。そう感じると何か心に力がわいた。殺人をする人は悪いと言われている。自殺をする事は罪にはならない。思春期ホルモンのバランスが変わる時やストレスがかかると夏休み明けの九月一日は子供が自殺が増えるなんて情報がある。情報操作なのかもしれないが。産まれてきたものは死んで完成するような気がする。死ぬ事は自然な事である。しかし周りをみているとなかなか人間はしぶとくなかなか死なない。病気の人も殺してくれとか死にたいとかいいながらなかなかしなない。一年でも一日でも長く生きようという本能が働くのか?。思春期のこや悩み事がある人達は自殺する。変な思考回路の人だと死刑になりたいから大量殺人をしたりする。一家心中などもそうである。死にたければ死んでも良い法律でもできれば他の人に迷惑をかけてまで長生きしたい人は減る気がする。孤独死や老老介護など死際さえ自分で決められて昔の姥捨山の様な場所があれば効率的な気がする。安楽死である。生きたくない人達は日本には沢山いる気がする。屍体処理などは国でやってくれれば良い。斬首されるより切腹を選ぶ民族である。散り際はかっこよくありたいものである。しかし私はまだ死ねない、わんこの為にはまだ私は必要かもしれない。自殺願望も無い。執着がないだけである。この廃墟のようなビルには沢山の人達が隠れてるとバッタ屋の社長が言っていたが気配が無い。皆んな寝ているのか?。人の気配がないとピリピリした感じが無くなる。長ーい時間が凄く暇である。暇だと妄想してしまう。中学生くらいから大学生になるまでかなり芸能関係者にスカウトされた。
 全て断った。人様に顔を知られると言う事は自由が無くなると言う事である。芸能人になりたくてなる人達の気持ちがわからない。沢山の人達からモテたい?ちやほやされたい?お金が欲しいだけなら今まさに世の中はネットが普及されて貧乏人でも知恵さえあれば誰でも錬金術師になれる。知り合いに女優さんがいるがギャラは安いみたいである。スポーツ選手のような方達は顔が知られるのはしかたがないのかもしれない。みにきている人達やスポンサーでかなり儲ける人達もいるのかもしれない。引き換えに自由を手放す。芸能人になる人達の気持ちがよくわからない。モチベーションはなんなのだろう?。外でカラスが鳴いているのがうるさい。我にかえる。うちの祖母、母、兄は自己中心的で我がままで頑固で短気で人生好き勝手に生きて死んでいった。父は幼少から農家をしていて一族をたべさせて働き詰めで無口で趣味も友達もいなく早くに寝たきりになって面白そうな人生ではなかったみたいだが家族は一応居て幸せだったのかもしれない。所謂普通と言うものは手に入れたのかもしれない。ベットに腰掛けてわんこを眺めてふと思う。わんこは幸せなのか?。首輪に繋がれて自由は無く食べて寝てを繰り返すのみである。野良猫は見た事ないが野良猫は少しは自由である。捕まれば保健所行きではあるが。うちのわんこは幸せなのだろうか?。わんこの寝顔を見ながら考え込んでしまう。動物園の動物は幸せではない気がする。自然の中でリスクを背負いながらも自由に生きる方が楽しいだろう。うちのわんこは幸せになってもらいたい。しかしこのこの幸せがわからない。室内犬として生きている狆である。野生では生きれないだろう。とねていたわんこが気づき大きな目をあけて起き上がり尾っぽをふりながら甘えてくる。抱き上げて抱きしめる。トイレに行きたくなり部屋から出ると人影がある。暗闇の中に。かなり怖い。少し眺めていると落ち着きなく行ったり来たりしている。歌舞伎町の街でよくみる動き方だ。くすりをやっている人達の。幻覚か幻聴でもあるのか?。近寄ると上下黒のシャカシャカを着た髪が長く頬がこけた目つきの悪い中年のおじさんと目が合う。とりあえず会釈してトイレに向かう。テンパってる感じである。何も食べていないので便は出ない。微かに尿をして部屋に戻ろうとするとおじさんが話しかけてきた。身振り手振りが大きく早い。早口で声が大きい。落ち着きなく動く。瞳孔が開き瞬きすらしない。いい話があるからのらないか?と。このての人からのいい話とは大体犯罪である。いややらないですと目を伏せて部屋に戻る。薬も金も尽きたのだろう。一回数万円かける一年かける寿命を考えてやらないとくすりは苦しいだろう。依存症である。治らない。手を出す権利は貧乏人にはないとわからないか?。ここは危ないなと思う。犯罪に巻き込まれそうである。嫌な予感がしたのでわんこと直ぐにそこを出た。バッタ屋の社長に連絡してお礼をいう。とりあえずわんこと一緒にいたら元気になる。実家に戻る。隣近所は敵である。いごごちは悪い。
 しかしわんこは住み慣れた家にかえり落ち着きを取り戻す。荷物で溢れかえる家である。処分しないといけないがまだその元気はない。ゴミ屋に全て丸ごと処理してもらうのにはかなり金と時間がかかるし当然私が陣頭指揮をとらないといけない。まずはそのエネルギーをためないと。金は女に全て渡して無一文でもある。金も稼がないと。なんとなくこの家は磁場が悪い気がする。誰もいないのに物音が凄いしドアがあいたりしまったり。幽霊など見た事はないが磁場が重く感じる。荷物はほぼ買い物依存症だった母や祖母のもので天井までどの部屋も溢れかえりドアも閉まらない。母や祖母は強い精神力があり負けなかったが弱い人ならすぐに気が狂ってしまう感じである。とりあえず気をためるために頭をまるめる。理由はわからないが気合が入る。そして筋トレをはじめる。弱り切った体にむちうつ。身体を動かすと血流がよくなる。脳に血を送る為にもストレッチに筋トレ、呼吸は大事である。脳の萎縮はネガティブな考え方になる。血流が良くなると勃起する。性欲はなくとも。
 テレビをつけたままでいる。テレビは思考を止めるのに良い。考えないでも良いのである。馬鹿になれる。私は年上が好きだが周りは年下が好きな人が多い。中年や老人になるとより若い子が好きになる。自然に若い遺伝子が好きになるのかもしれない。元気で若い遺伝子なら生きる力も強いのかもしれない。熟女ブームとあり。若い男も熟女が好きだなんて情報があるが若い男は誰とでも沢山セックスがしたい。更にマザコンが日本人は多い気がする。考えないから母親の言う通りに生きているとべったりな関係になり反抗期などもなくなるらしい。ホルモンや思春期すら変化させるほどべったりしている人達を周りに沢山みる。すると若い子は熟女が好きになるのか?それともその時代の女がつくった流行や情報操作なのかはわからない。医学的には女は性欲が歳と共に上がるらしい。男は逆で下がり十代がマックスであとは下がるなんていう噂もある。この情報もあてにはならないが。なんせ私は統計に入っていない。誰がどう統計をとったのか?。きちんと日本人で全員にとったわけではない。大体の論文は海外のもので金が絡んでいる。信憑性が無い。最近私など既に小学生中学生高校生大学生の見分けがつかないほど体が変化した。興味がないからかもしれないが。思考がまわるようになる。髪の毛が伸びるまでリハビリである。髪がかなり伸びる。毎日運動して寝てを繰り返す。安定する。まずは何をすべきなのか?。部屋の物の処理である。知り合いのゴミ屋に来てもらうが高い。タウンページで十社位見積もりをとる。皆んな詐欺師である。かなりめんどくさい。まずはブランド物買取店らしきところにきてもらうとトラックでやってきて値段も言わずに四トントラックいっぱいに無言で査定もしないで積み込んだ。ハイブランド一つバック数十万の物が何百ととりあえずまた来るとトラックで消えた。またくると今度は衣服のブランド物をトラックに積み込むハイブランドばかりである。そしてまた積み込むと帰った。その後空のトラックできて五万を手渡された。私はバック一つで数十万するのをトラックいっぱいにハイブランドの服トラックいっぱいで五万はなっとくいかないというともう倉庫に入れたからよくわからないとかいいだす。はじめから騙すつもりであったのだ。かえしてくれと言うと。調べてみると帰った。その後音沙汰は無く何度も電話しても調べていてわからない。としらをきられた。消費者センターに電話するがなんの解決もしてくれなかった。詐欺は自己責任である。と勉強になる。めんどくさいので諦めた。弱目に祟り目である。売るのはめんどくさいので母は日本舞踊の家元だったので弟子たちに連絡する。欲しいものがあれば全部もっていってくれと。数十人の弟子がやってきて着物などなにかわからないがもっていった。しかしまだまだ天井までどの部屋にも荷物がある。封がきられていない箱に入ったままの物がほとんどで何がはいっているのかわからない。母は買い物依存症であった。一つ一つあけてネットで売ればかなりの金額になるだろう。しかしそんな元気は無かった。知り合いのゴミ屋の社長に頼む事にした。駆け引きがめんどくさいのである。ニトン車いっぱいで五万といわれ好きにしてくれと頼む。十人ほどチンピラみたいな人達がきて無造作に叩き壊しながら積み込む。金目のものは金にするようで大事にわけて積み込んでいた。それでも一週間はかかった。トラック三十ぱい分である。百五十万請求された。当時私は金無垢のロレックス デイトナなどと金、プラチナの喜平を集めていてそれを質屋に売って金に変えて払った。残したのはわんこの物と布団。あとは全部処分した。一度リセットしたかったのである。空の家は気持ちが良かった。そのあと知り合いの不動産屋の社長に売買を頼んだ。この人も詐欺師である。しかし早くこの場所から離れたかった。詐欺師は仕事は速い。大体半額で客を見つけてきた。売り手買い手を見つけてくるのだから本当の値段はわからない。しかし私は一分でも早くここをてばなさないとまずい予感がしていた。私は運が強い、しかしわんこは強く無い。わんこが突然死ぬのを沢山見てきた。ここはそれ程磁場が悪い気がする。隣のおじさんに三匹殺されている。周りは自殺者が数十人いた。つい先日も真向かいの家にいたおじさんが変死したらしく二階に上がると息子が自殺していて二人ともとなりのおじさんが発見したらしい。もしかして隣のおじさんがサイコパスで証拠を残さずにころしているかのようにも感じた。必ず第一発見者らしい。周りの家は自殺者が沢山でているがおじさんの家だけは平和である。なにか違和感がある。警察にも議員にも顔がきく金持ちである。揉み消す事もできる。私は直ぐにここを詐欺師に売った。不動産はかかるときは何年も売れない。タイミングが全てである。叩き売りでも早くここから出たかった。産まれた地元で部屋を探すがまだまだペット可のマンションはほぼ無い。更に保証人もいなければ無職である。日本は地主は神様である。審査というより好き嫌いで判断する。こういう時はやはり歌舞伎町のような街が良い。私の地元はまだまだ地主がルールをつくっている田舎である。街は再開発されて高層マンションだらけになり商店は消えていた。昔の雑居ビルなら借りられたのだが。しかしかなり外人が多いに街ではある。審査はかなり甘いのだがペットには厳しい。街から離れれば離れるほど審査は何故か厳しくなる。地元で最大手の不動産屋は売買しかしていない。賃貸はもうからないのである。駅前のメジャーな不動産屋に飛び込み駅近のペット可を何軒かみて直ぐに決める。保証人はいないので保証会社を使う。かりれるかは五分五分である。しかしいざとなれば買えば良いので切羽詰まってはいなかった。審査は二社落ちてかなり高い保証会社しか通らなかった。しかも敷金礼金も三倍である。如何に地主が強いかである。私の地元は先祖代々地主がはびこる町で市長すらそうである。市長の弟は幼馴染でスポーツ万能で天才であった。東大医学部を出て海外にいったらしい。幼馴染が沢山いるかと思い連絡したが皆んな開発と共に引越したみたいである。プロになった幼馴染に連絡したが直ぐに辞めて堅気になったらしいそれ程キツい世界らしい。顔見知りは市長くらいみたいである。都合が良い。小さな頃暴れまくっていたので顔見知りは都合が悪いし恨みもかっている。駅前の雑居ビルで他の部屋は全て外人みたいである。日本で外国人が部屋を借りるのも難しい。老人や水商売芸能人などなど。このビルは外国人しか居ないと言う事はかなり審査は甘いが家賃は高いと言う事である。日本人名義で借りて外国人が住んでいるパターンである。皆んな水商売なのだろう。私には都合の良いビルである。胡散臭い人達が出入りしているので目立たない。どうやら周りはキャバクラやデリヘルや飲み屋だらけのようである。ビルから一歩出ると客引きがごまんといる。しかし歌舞伎町に比べてピリピリはしていない。和やかな雰囲気である。いごごちはよい。部屋にはわんこの為の物だけしかなく私の物は寝袋のみである。一応仏壇は持ってきた。どう処分するのかわからなかったからである。粗大ゴミとして出せるみたいであるが位牌はどうするのか?考えると面倒なので持ってきてしまった。墓じまいもしなくてはいけない。金がかかる負の遺産である。幼馴染に悪行の限りをつくした坊主がいる。家に五重の塔がある地域で一番でかい寺である。彼を小さな時から見てきたが特殊な力があるとは思えない。地主ではあるし地位名誉権力金はある。悪い事をしても捕まらなかった。しかし魂入れや魂抜きなど儀式があるがそんな力は無い。そう考えると仏壇や位牌も粗大ゴミとして前の家の整理で捨てても良かった。しかし祖母や母の特殊な力も見てきたのでなんとなく捨てる気にならなかった。この頃私には何の能力も無くなり呼ばれる事もなくなっていた。覇気というか気力がでなくなり生きる力が弱くなった気がする。しかしそれが普通ではないかと思う。ノイローゼと昔は言われ今は鬱といわれてる症状が普通なのではないか?。特に周りを見回してみると皆んなかなり喜怒哀楽がはげしく偏った人達が普通であり。法律で押さえつけられ世間体があるので装ってはいるが皆んな狂っている気がする。ボクサーや格闘技をする人が他人を殺してしまうとノイローゼになるらしいが戦争時ノイローゼになるどころか自慢するのと同じで周りと同じだと皆んな安心するのかもしれない。皆んなと同じ服を着て髪型をして車に乗り家を買い結婚して子供を授かりサラリーマンとして働く。日本文化は消えてしまったのではないだろうか?外国で鼠色をしたスーツで集団で歩いている日本人サラリーマンをみると違和感を感じる。中絶は日本では許されているし物凄い人達が殺されているらしい。罪にならないと気にならないのか?。医者は大量の殺人をしているがノイローゼにならないみたいである。ようは罪になるか?皆んなと同じか?なのか?。中絶は殺人である。と法律で決めた途端にノイローゼになる人もでてくるのかもしれない。死というのはそれくらいのもののような気がする。自然死安楽死殺人自殺どれも同じなのではないだろうか?。そんな妄想をしていると電話がなる。学友から。祖父と父がいきなり亡くなったと言う。祖父はもと神主で株で儲けて地主となり息子たちは皆んな六大から商社に専務だか常務だか?で都心駅前に何千坪も土地を持ち一族で住んでいた。祖父は原因不明で亡くなり父は胃潰瘍かなにかで腹を開けたら院内感染にかかり呆気なく亡くなったと。葬式に出る事にする。すると母親が居ない。呼び出して事情をきくと祖父が遺した遺産をめぐり争いが起きて母親は追い出されたそうである。何千坪の敷地も昔の測量で名義も曖昧であり資産や土地ありとあらゆる物の争奪戦になり学友家族は一家離散だそうだ。私はトラブル処理もする。私が医者や親族に話をつけようか?というと疲れ果てた顔でいいと、ある程度は父の遺産があるからと。金持ちは金持ちで大変みたいである。しかし命は儚いなと思った。学友達は飲みに行くというが私は直ぐに帰った。わんこが一人お留守番である。二十四時間エアコンはかけているが命の儚さをみたばかりである。無性に心配になる。帰るとうんちやおしっこをぶりまいていた。寂しさの裏返しである。一時も離れるのは嫌みたいである。余計に愛おしくなる。悪い事をしたという気持ちがあるのかうわ目ずかいではじにより挙動不審である。思わず笑ってしまう。怒られないとわかると寄ってきて抱いてくれとせがむ。抱き上げると顔じゅうなめられてよだれだらけになる。このこがもし支えてくれていなかったら私はどうなっていただろう。このこはわんこである。普通に生きれば私より早く死ぬ。ぞっとした。一気にめんどくさい事がおきて処理に追われていたので気を張っていたが冷静になり残ったのは私とこのこだけである。正気を保つ事ができるか?。未来など考えないし過去もふりかえらない。一秒後次にやる事だけを考えるようにする。とりあえずうんちとおしっこを拭こう。そう考えると心拍数が落ち着いた。とりあえずあと仏壇じまいと墓じまいであるが今は考えるのをやめよう。物凄いテレビのプロデュースをする人がITバブルで成り上がった人達をけなしていた。両方とも天下をとった人達である。ITバブルの社長達はまだ二十代か三十代か?その社長がいっていた。テレビ局を抑えているプロデューサーの執念が凄いと。執念というのは生きる活力なのかもしれない。私のように欲が無い人は生きているガソリンが無いようなものである。老人やホームレスも達観している気がする。世界一の企業の代表や世界一の金持ちなど辛そうにかんじるのは気のせいなのか?。幸せの定義が変わりつつある。脳と言うのは一人一人違うようで視覚的にも各自丸、三角、四角にみえたり数字に色がついてみえる人など見え方感じ方は皆んな違うという人もいる。あばたもえくぼ美女と野獣みたいな恋愛はとても複雑みたいである。他人からどうみられても気にしなくなると何もかもどうでもよくなる気がする。その境地まで私はきたみたいである。ふと祖母が祖父の死際の事を言っていたのを思い出す。末期の肺癌だったが祖父は柔道やノルディックスキーで国体に出るなど超人的な体力筋力をもつ人でちょっと叩かれただけで皮が剥けるか陥没する程人間離れしていてモルヒネを何十倍も打っても心臓が止まらずなかなか死ねなかったときいた事を思い出した。私もスポーツ心臓で強い。肺活量も一万近くある。特に運動もしていないのに。骨が折れても自然に治るしナイフなどで切られてもホッチキスで止めておけば治ってしまう。飽きたを通り越してめんどくさいに入り達観したがまだ若い。欲や執着なくこれからまだ生きなくてはいけないし事故や病気ではなかなかしねないだろう。暇である。何の志も無い。数年?は暮らす金はある。私の周りには金持ちしかいない。働かなくても食べていける。げんに働いてない学友も多々いる。世間体をきにしている金持ちは国家公務員とかになる。しかしハングリーではない。今をキープする感じである。私は暇つぶしにわんこを抱きながら妄想してみた。いい服を着たいか?いい車に乗りたいか?いい女を抱きたいか?でかい家に住みたいか?全てどうでもよい。家庭が欲しいか?子供が欲しいか?めんどくさそうである。好きな芸能人もいない。好きな音楽も無い。世の為人の為になにかしたいか?関わりたく無い。ボランティアをした事がある。身障者施設で。しかし働いている人や関わっている人達の金儲けのように感じて辞めた。皆んな給料を貰っているのに違和感があったから。妄想も直ぐに飽きた。自然が好きである。人がつくった物に興味がわかない。これは私が感じるだけで各自違うのかもしれない。都会イルミネーション、電気の夜景や花火もそう感じる。小さな時友達はテレビの料理番組やCMをみて美味しそうと眺めていた視聴率も良いらしい。私は食べ物をみて胸焼けする。これは私の祖母からの遺伝なのかもしれないが顔をみると心がすすけてみえる。芸能人など洗練されて美しい人が多いが美しくみえない。根性がみえてしまう。うちはネグレクトではあったが世間体を大事にしていたのでしつけには物凄く厳しく虐待されていた。母は日本舞踊の家元であったので動作仕草発音細かく虐待されていた。お辞儀から会釈イントネーションまで。流行り言葉も使えない。そのせいなのか発音が違う言葉を聞くだけで気分が悪くなる。外国語ならわからないので大丈夫だが日本語のイントネーションが違うとイラッとする。私は転校を二回しているのだが言葉には東京の中でも違いがあるのでその都度気分が悪くなった。人が作る物には差がありどれが正しいのかは私は馬鹿なのでわからない。その価値は人が決めているからかもしれない。人が決めた価値に興味がわかないし他人からの目も気にしない。宇宙に行きたいとも思わないしエベレストに登りたいとも思わない。好奇心は猫を殺すなんて聞く。馬鹿を目指して生きている私には必要がない。爪を毎日切る。小さな頃暴れていた時からである。拳を握りやすいようにと、剥がれないようにかなり深爪である。何もせず食べなくても寝なくても爪はのびる。身体は生きている。噂では寝たきりで脳停止した状態でも身体だけは生き続けて成長老化?するらしい。機械に繋げば永遠に身体は生き続けるみたいである。祖母がお参りしていた弘法大師様も高野山の中でミイラ?として生きているなんて噂がある。生きている定義がわからない。私は麻酔が効かない。小さな時盲腸をとると麻酔をかけたがかからず藪医者に数時間身体の中をこねくり回され絶叫した事がある。なんとも不思議な感覚であった。もしかして死んでも痛みは続くのかもしれないなんて感じた。よく手足がない人がない手足が痛むなんてのも聞く。寝転んで天井を眺めて暇つぶしをしていると横でわんこがじっと私の顔?目をみている。お互いに何を考えているか読もうとしているのか?わんこに言う。祖母でさえ私の心が読めなかったのだから無理だよと。表情を変えてはなしかけるがわんこは首をかしげる。私の目の中をのぞいている。私もわんこの目の中を覗き込む。お腹か?お水?うんち?か?抱っこ?おっぽをふりふりする。なる程な。私も読めない。私は心に鍵がかかったまま壊れて開かなくなってしまったみたいである。以心伝心しない。何故だろう?とまた天井を見ながら考えてみる。それをわんこがまた眺めている。あっ!と閃く。肉体が無くても感覚はあると言う事は?。悩み事や痛みは肉体が無くなってもエンドレスに続くのかも!。無い手足が痛む。つまり肉体がなくとも事故や病気で死んだり殺されたりした時の悩み事や痛みはエンドレス?。安らかに眠るようにしなないといけないのかも?。祖母が九十位の時眠くなり心臓がゆっくりとまり気持ちよくなったといっていた。車に乗ってる時いきなり意識が遠のいたと。凄く気持ちよかったと。あの状態でしなないとまずいのかも!。悩み事も痛みもなく寝て起きたらいつのまにか死んでた。祖母は百二の時そんな感じでしんだ。だからボケるのは普通だし本人にはいい事なのかもしれない。安楽死と言うのはどんな感じか知らないが苦しまないで死ぬのは良い事だと肯定できる。なる程!。と祖母の言葉を思い出しふに落ちた。幸せの絶頂で眠るように気持ちよく意識がなくなるのがよいみたいなきがする。となると私は今体調も悪いし内臓も痛い。わんこを遺してはいけないなどなどがある。今決して死んではいけない。その時がくるまで祖母のように生きなくてはいけない。皆んなもそんな時がくるまで死んではいけない。巣鴨や銀座などで楽しそうにしている元気で楽しそうにしているシニア。ぴんぴんころりと大声で笑う。身体も心も健康で死ななくてはいけない事を日本人は無意識にしっているのかも。日本はいい国である。

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