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IKN no.14 いっちーの躁鬱日記

こんにちは。
いっちーです。

自分が躁鬱人だということを知り、これからはそんな僕が今までどう生きてきたか、今どう生きているかを日記として、投稿していこうかと思います。
同じ人種の躁鬱人の方もそうでない非躁鬱人の方も読んでいただけたら、嬉しく思います。

僕の人生は、全くの普通で、波乱万丈感は全くありません。
外側から見るとそうだけど、実際体験していた自分としては、感情の浮き沈みがかなり激しかったと今にして思います。
その兆候が大きく現れたのは、中学2年の時でした。

当時僕は、自慢ではないですが、なかなかモテました。
多分人生最高のモテ期だったと思います。そんな多感な中2の僕には、好きな娘がいました。その娘とは、中1から同じクラスで、小学校も同じでしたが、それまで同じクラスになったことはありませんでした。
運動しかできなかった僕に比べ、彼女は運動神経も良く頭も良く顔もいい全てが揃った完璧な娘でした。休憩時間などでよく話すようになり、時にはじゃれ合うようなことも。きっと両思いだったと思います。
そんな時、当時モテモテだった僕は、違うクラスのまともに話したこともない娘から告白されました。躁鬱人の躁状態の特性であるお調子者気質が作動し、有頂天になった僕は、別に好きな娘がいるにも関わらず、そのまともに話したこともない別のクラスの娘と付き合うことになりました。

はじめは良かったのです。初めての彼女。しかも身長が高くスタイルも良くかわいい。そんな娘が僕を好きになってくれて、今では彼女。もう有頂天。
でも、それは長く続きませんでした。その娘といる時も孤独感を感じ、親しい友人といるときも孤独感を感じていることに気づき始めたのです。
だんだんその娘といると疲れてしまったり、孤独感を感じている自分を自己嫌悪し始めてしまい、結局1ヶ月ほどで、別れることになりました。
それからの僕は、誰と過ごそうが孤独感が拭えず、そんな自分はダメなやつだと思い込み、消えてしまいたい、死んでしまいたいと思うようになりました。

当時入っていたサッカー部でも、イライラが募り、ボールを蹴ると見せかけて後輩の足を思いっきり蹴ってしまったり、ボールが顔面に当たっただけでぶちギレ、帰ってしまったり、ダメダメで嫌なやつでしたw
そんな僕でも、誰かが僕の噂(いい噂)をしているとすぐに躁状態になり、鬱状態の時のことを忘れ、お調子づいていたなと今考えると思います。
中学生の時は、みんなこんなことを感じたことがあるのかもしれませんが、当時僕は、「人はなぜ生きているのか」「生きる意味はなんなのか」をひたすら考えていて、部屋で首を吊ろうとしたこともあります。
学校のスピーチ大会では、「僕は犬になりたい」と真剣に発表しました笑
今思うとかなりイタイ中学生ですよねw

そんな状態でも、特に寝込んだり引きこもりにならなくて済んだのは、そのままの僕を受け入れてくれた兄弟や両親の存在が大きかったと思います。彼らがいなければ、今生きていないかもしれません。いやほんとに。

鬱状態の時と比べ、躁状態はそれはもう、無敵!
誰よりも早く走れると思っていたし、誰よりもサッカーがうまいとも思っていました。運動だけでなく、テストも5教科で400点以上取れていました。沈んでいる時はいっても350点くらいだと思います。本当に同じ人間かと思うくらい振り幅が大きのです。僕はAB型なので、二面性があるからかと当時は思っていましたが。

そんな僕も、なんとか卒業し、高校生になります。
問題なのは、この高校生時代。この時期は、かなり曲者。
僕にとって暗黒時代と呼べるでしょう。

それは、また次回お話しします。今日はここまで。

今日もしっかり生きたな。では。

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