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ばーちゃん

2020年11月5日

ばーちゃんが天国へ旅立った。

最後に会ったのが11月3日の朝、実家のある三重から大阪に戻って2日後に母から電話でばーちゃんが亡くなった事を伝えられた。事故でもなく病気でもなく老衰。母(実の娘)に看取られ天国へ旅立った。93歳、大往生だ。

昭和2年に生まれて令和2年に亡くなった。昭和、平成、令和と3つの時代を生きたばーちゃん。

もちろんショックやったけど毎回バイバイする時に『これが最後になるかも』という覚悟はしていた。

コロナ禍で帰れなかった数ヶ月はあったが地元の伊勢で去年から定期的に仕事をスタートさせていたので最低月一回は帰省していた。その都度ばーちゃんに会えていた。だからどんどん弱っていく姿を見れた。         『弱っていく姿を見るのは辛い』とずっと思っていたがそんな事はなかった。歩けなくなって、ご飯も殆ど食べられなくなって、俺の事も誰か分からなくなって、それでも【会えない】時間より、そんな姿を直接見て【会えてる】時間が嬉しかった。

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写真は去年まだ座って喋っている頃。

話は少し変わるが、去年の6月2日に実家で飼っていた犬のこうちゃんが天国へ旅立った。ちょうど森道市場という愛知で開催されていたイベントから大阪へ帰っている車内で母から電話で伝えられて運転してくれてる先輩の横で大泣きしたのを鮮明に覚えている。先輩が優しく慰めてくれたのもはっきり覚えている。こういう時の優しさはきっと一生忘れない。

こうちゃんの時も歩けなくなってしまった時に乳母車に乗せて散歩したり、直接抱っこして散歩したり、そして抱っこしたままお気に入りのTシャツにオシッコされてビショビショになったり。笑                だから【後悔】は少なかった。会える時会えたし、帰省する度に散歩できたから。             

そん時にこうちゃんから【後悔しない生き方】を教えてもらった気がする。

下の写真は2013年の大晦日、7年前。        自分のインスタグラムの投稿。

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もうこうちゃんもばーちゃんもいないけどポジィティブに過ごせたと思います。                2人がいなくなる前に気づけてよかった、ほんとに。

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これは今年の敬老の日の写真。            伊勢にあるマニエラというお花屋さんでプレゼント用に作ってもらった。この時は俺の名前も分かってない状態やったけど花をみて『きれいやなー』って言ってくれたのが本当に嬉しかった。

若くして夫を亡くし女手一つで娘2人を育てたばーちゃん。左が俺の母で次女、真ん中がばーちゃんで、右が長女(現東京)

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載せるか迷ったけどなんかこの一枚の写真が色んな事を物語っている気がして記録として残しておく。      ばーちゃんの介護をずっとしてくれた母親にもほんま感謝している。後悔しないようにこれから沢山親孝行したい。

お通夜とお葬式を通してすごく印象に残っているのがお葬式の花を近所の人達に配っていた時の事。

『たまちゃんの花なら欲しいわ〜』と言ってみんなが喜んで花をもらってくれた。(ばーちゃんの名前はたま)

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凄く嬉しかったし誇らしかったし、もし自分が死んだらみんなにこう思われたいなと思った。

順番通りにいけば自分の親を看取って次は自分、必ず自分も死ぬ。【後悔】ないように生きる。         前から思っている事やけどばーちゃんの死でより強く思えた。

イレギュラーがない限り多分そっち行くのは40年後ぐらいやと思うけどきちんとばーちゃんのいる『天国』いけるようにしっかり生きます。

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ばーちゃんありがとう!

またね!

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