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長谷川暢と猪狩渉

こんな劇的なことがあるだろうか。

大学バスケの会場に2日間いながら、僕は2日とも携帯でバスケットライブの3試合を行き来していた。

思い返すと長いようで、あっという間のシーズンだった。でも、長かったという方が強いかもしれない。

僕は今シーズン前に決めたことがある。

長谷川暢を信じて、この1シーズン応援する。

そして、彼はその想いに結果で応えてくれた。

僕はそう思っている。

彼とは色んな話をした。
それを彼の親友である猪狩渉が驚いていた。

「暢がまさかこんなに宮本さんと仲良くなるなんて…」

そう言われた時は正直に嬉しかった。

バスケのことも、それ以外も色んな話をした。

ただ、彼がいつも最後に言うのは

「秋田のために」

その言葉だった。

長谷川暢は右肩上がりで成長していった。

傍目にはそう見えたかもしれない。
けれど、彼は何度も壁にぶつかった。
そして、自分の考えを聞かせてくれ、僕の考えにも耳を傾けてくれた。

「長谷川暢はこんなもんじゃない。やってやろうぜ」

そんな言葉を何度もかけたし、それは紛れもない僕の本心だ。

そして、彼は秋田を初のCSに導く立役者の1人になった。

僕は「長谷川暢」はバスケに選ばれた男だと、あの頃も今も思っている。

きっとCSという舞台が彼を次のステージへ導くだろう。

CSが遠のいた時、僕は1つの決心をして長谷川暢にこう伝えた。

「沖縄のチケットとったから、あとはよろしく」

その時点で秋田は残り1枠を争う3番手だった。

それでも、彼ならなにかやってくれるんじゃないか。そう信じて。そしてそんな気持ちに少しでもなってくれたら…と思った。

1シーズン本当に頑張った。

あとは思いっきり楽しもうな。

僕は長谷川暢の成長を見て、バスケがさらに好きになった。

ありがとう。

そして、もう1人

猪狩渉にも感謝を伝えたい。

本当ならば、僕は猪狩渉をはじめとした海外の情報をもっと追いかける責務がある。
そう自分で感じている。

けれど、国内を追いかけること、あえて言えば「長谷川暢」を追いかけることでその時間を今までよりも取れなかったのが正直なところだ。

それでも、猪狩渉は「長谷川暢」の話をする僕に何も言わずにいつも感謝を伝えてくれた。

「宮本さん、いつも暢をありがとうございます」
その言葉はもう聞き飽きたくらいだ。

長谷川暢がここまでこれたのは、親友の存在なしには語れない。

アメリカの地で、日本人初のTBLプレイヤーとして色んな壁にぶつかり、自身の夢に向かって進みながら、どんな時も親友を思う猪狩渉は最高のバスケ選手で最高の男だと思う。

そんな2人と出会えたことが、僕のバスケットボールの大きな財産です。

ありがとう。

そして、ここから2人の更なる飛躍を祈っている。


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