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山の手ってどこなの?

近頃、出身はどこですか?と聞かれ
「東京です。父方が小石川で、母方が浅草です。」と答えると「あぁ、両方共に下町ですね。」と言われることが多い。
逆に、「あぁ、この人歴史がわかってないか地方出身者なんだ」と思ってしまう。浅草が下町なのは分かるし、育ったので下町は大好きですが、小石川は山手線の中央に位置する山の手中の山の手なんですけど....
渋谷、田園調布などいわゆる西端、山手線外側は山の手とは言いません。

東京においては歴史的に、江戸時代前期の御府内(江戸の市域 = 朱引、もしくは大江戸)において、江戸城の近辺高台の山の手台地を幕臣などの居住地帯として開発。

東京府は1878年(明治11年)に府内に15の区を設けた。区名は麹町、神田、日本橋、京橋、芝、赤坂、麻布、四谷、牛込、小石川、本郷、浅草、下谷、本所、深川の15区。
このうち山の手と呼ばれたのは四谷区、牛込区(神楽坂、市ヶ谷)、麹町区、赤坂区、麻布区近辺、小石川区、本郷区を言い地理的には武蔵野台地の東端の街が該当します。
これらは昔から「老舗の山の手」とも呼べる山の手です。幕臣たちの住んでいた屋敷に加え、有力外様大名の上屋敷や中屋敷、下屋敷跡周辺にも広がっていき大名や武士たちは、地震や津波、台風などの自然災害に強い高台を選びそこに住んだのです。したがってこれらの山の手の街の多くが高台に立地していたのも特徴。


浅草、下谷、本所、深川は言わずと知れたちゃきちゃきの江戸っ子下町。御神輿も三社祭り、深川の木場千貫神輿、神田や鳥越の木遣りと千貫神輿の弓張提灯と町会の高張提灯などが有名ですよね。私も町内の三社祭りで若い頃は担いでいました。

時代が流れ、麹町、小石川が牛込(神楽坂)のわかる人が少なくなったのは残念です。

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