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はじめまして 前編

note初投稿 石原です。
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ひそかに愚案をめぐらして書いていきます。

私は、大阪市生野区にある浄土真宗本願寺派 幸教寺の住職をしています。しかし、お寺の生まれではなく一般家庭出身です。年齢は30代で、幸教寺に来たのは平成24年のことでした。それまでは、京都の龍谷大学文学部に通い仏教学を専攻しておりました。このように、浄土真宗の僧侶バリバリのルートを歩んできておりますが、17歳で得度(出家)するまで、普通の生活を送ってました。そんな私が今は寺の住職を名乗り、自転車やバイクに乗ってお参りをしている訳ですから、どんな経緯で僧侶になったのかをよく聞かれます。

何故僧侶になったのか?

このように聞かれると、仏様が見えたとか、光輝くものが空から降りてきたとか、生まれつきの第六感がとか、言えたらいいんですが、残念ながら未だに明確な理由がある訳ではありません。でも、あえていうなら祖父が毎朝仏壇の前でお経を読んでいたことと、突然の父の得度(出家)からはじまった師匠との出会いです。

先程、普通の生活をし17歳で得度したと書きました。しかし、普通の生活をしていて得度するまで飛躍しすぎているので、説明します。まず、私の実家は二世帯7人家族で、長男として生まれました。おじいちゃん子で小学生の頃までよく一緒に寝ていましたので、必然的に和室(仏間)で過ごしておりました。朝7時になると仏壇のおりんが鳴り、線香の香りが漂い、お経(正信偈)が聞こえる。更に、追い討ちをかけるように祖母がTVを大音量で付け、流れてくる音楽はあの国民的坊さんアニメ「◯休さん」のOP、私の目覚ましは非常に仏教に満ちていました。そんな朝が1人部屋を与えられる中学生まで続きました。

しかし、祖父と共に読経をしたり仏壇にお給仕をすることはありませんでした。それは単に、「おじいちゃんの仕事」と思っていたからです。それでもほぼ毎日、お経を聞いていたら「門前の小僧習わぬ経を読む」というように正信偈はほぼ暗唱できていました。不思議なもので、毎日仏事に触れ、あげく暗唱までしていたのに、あまり仏教に関心はありませんでした。(これについては後日投稿します)

早くも人生の転機

中学生になると突然、父が得度を宣言。家族一同唖然となりました。(この時の不安だけで記事書けます)理由はいくつかありますが、1番大きな要因として、父は若い時から宗教や哲学に興味関心を持っていたことです。この父の得度を機に、私の仏道が本格的にひらかれていくことになります。

一念発起し仏道へ入門するというのは、ドラマや小説のような話ですが、実際は一般人が僧侶になっても、寺がないので何処かのお寺へ役僧(法務員)として出仕しなければ収入がないのが現実です。なので、父も大阪市市内のお寺へ行くことになりました。そこが、ご縁としか言いようがありませんが、私の師匠のお寺でした。16歳の時、父から「お盆の手伝いにこないか?」と誘われました。この時は大型機械の修理をしている幼馴染みの工場でアルバイトをしていたのですが、ちょうどお盆休みだったので、興味本位と相まって行くことにしました。

師匠のお寺は二階建てで、一階が庫裏(住まい)二階が本堂という構造です。私のその時の仕事は、一階の応接間で読経の順番を待つ檀信徒(門徒)さんの過去帳をお預かりし、二階本堂へご案内するというものでした。得度をしていないので、袈裟をかけず作務衣で対応し、邪魔にならぬよう本堂の外のテラスで待ったり、一緒に読経したりしていました。そのうち師匠(住職)より「僧侶にならないか?」とお誘いを受けましたが、お断りいたしました。

その当時、私の中で僧侶とは「仏法や世の理を説き、教え導く(導師)で、その為に日夜修行と勉学に励む人」と思っていました。私などがそのような人になれるはずがないと。しかし、師匠からは「大丈夫」の一言。「考えさせてください」と梵天勧請のようなやり取りをし、得度する決意をいたしました。それからは、僧侶になるための訓練として、師匠のお寺で作法や読経を習いつつ、高校へ通うという生活がはじまりました。

中編へ続く。

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