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はじめまして 中編

続きです。

はじめての方は
https://note.com/masaan_01/n/ncc4344d74ea9

師匠のお寺で僧侶になる為、毎月2週間程度お給仕をすることになりましたが、当然タダで僧侶になれる訳ではなく、まずは得度考査という試験、それに合格すると次は得度習礼という試験があります。これらに合格しなければなりません。
考査内容
①筆記  ・宗制の大意 ・仏教の基礎知識
     ・法式規範の基礎知識
②実演  ・正信偈和讃 ・御文章
     ・被着法(黒衣・五条袈裟)
③口述  ・得度習礼及び得度式に臨む意思等について
(本願寺HPより引用)

まず、考査を受ける為の勉強として、実際にお寺で生活をしてみようと師匠が提案してくださいました。長れとして5時に起床し、お寺の周りを掃除、本堂で蝋燭に火を灯し、線香を焚き、仏飯を備え準備が整い次第、住職へ報告。朝の勤行を30〜40分、勤行の講評を受けて朝食の準備。なるべく素早く音を立てずに朝食を済ませ、高校へ通っていました。お給仕や作法だけでなく、仏具の名称や仏教教義についても勉強しました。
http://gonshiki.hongwanji.or.jp/html/example1_5.html
(同上)

高校の授業を受けつつ、仏教を学ぶというのはかなり難しかったと思いますが、忙しすぎて記憶が曖昧です。でも、その甲斐あって考査は無事にクリアできました。

正座

今度は、阪急京都線桂駅のすぐ近くにある西山別院という所で合宿のような日々を過ごします。毎日、3回読経するのですが、誰かが少しでもお経を間違えると最初からやり直し。慣れない頃は、それこそ何回も読経をするので、正座をするのがとても辛かったです。ただ、正座をしつづけると単純に慣れてきます。今でも私は4時間くらいならば耐えられますが、長時間になると靭帯や関節への負荷があるので、御法事でも私は合掌と焼香をする時以外は指導いたしません。足の痛みで供養どころではなくなりますからね。

ちなみに、仏像・仏画などをご覧になればわかりますが、お釈迦様や仏様は正座していません。「そもそも2500年前の北インドに正座はあったのか?日本だってだいたい胡座ではないか?!」と思いながら足の痺れに耐えておりました。ただただ耐えるというのもなかなか辛いものがありますね。

(正座について面白い記事でしたので紹介いたします)http://www.jade.dti.ne.jp/~otera/siki-seiza.htm

https://www.google.co.jp/amp/s/mag.japaaan.com/archives/83075/amp

しかし「僧侶になる以上そんな事は言ってられない」と気合いを入れてひたすら励んだ結果、これも無事に終えました。他にも色々なエピソードがありましたが、得度習礼を一言で表すと「読経(度胸)と正座」です。

どうしたものか

17歳で僧侶となったものの一般家庭ですので、本堂を掃除したり法事をしたりすることもなく、関わりがあるとすれば師匠のお寺の法要のみ。それ以外は普通の生活に戻りました。普通の生活に戻ると考査&習礼の時に必死で暗記した内容や細かい作法など忘れていきます。(アウトプット大事)

「自分は僧侶だけど、状況は何も変わっていない」と気づく訳です。そして、この時アルバイトをしていた幼馴染みの工場から「うちに来ないか?」とお誘いも受けていたので、将来的な事を考えて就職を希望していました。高校2年生は複雑な時期です。就職か進学か。私は、1人暮らしに強い憧れがあったので、僧侶としての進学は正直考えていませんでした。その思いを師匠に伝えると、「大学に行けば4年間は考える時間あるよ?まだ焦らなくてもよいのでは?」と助言をいただき、考えた末、進学を決意しました。しかし、この時、鬱になる。

仏教を学び、僧侶となった者が鬱病になるとは本末転倒な気がしますが、簡単に言えば私の場合は受験勉強と人間関係で鬱になりました。(キャパオーバーです)受験なのに、学校へ行けないという日々のプレッシャー、周りの目もプレッシャー、薬で誤魔化しながら過ごしていました。グダグダな学生時代でしたが、結果的に大学受験は受かり、高校も卒業できました。それは、周りの人達や家族の対応がすごく良かったことと、仏法があったからでした。(これは後日投稿します)

また、大阪から京都へ通うことも心の療養に繋がりました。京都東山一帯の自然と寺社仏閣には感謝しております。20歳になる頃には完治し、学生生活にも慣れ、順風満帆と言いたい所ですが、そもそもの問題が片付いておりません。

この先、僧侶としてどうしたものか

気付けば後2年、師匠の助言によって大学へ進学したものの、進路を固めなければ意味がない。どうしたものかと考えておりました。そもそも、寺がないのにどうやって活動するのか?収入は?場所は?布教活動は?法人格?登記?個人事業主?よくわからないまま、大学3回生となりました。とりあえず詳しい話を聞く為、担任の教授の元へ。
すると本願寺の職員はどうか?といわれました。
早い話大寺院に雇用してもらうことです。その方法を教えていただいたのですが、本山である西本願寺の専門機関「勤式指導所」へ1年間入所し「特別法務員」なる資格を取得しなければならないというものでした。

http://gonshiki.hongwanji.or.jp
(同上)

これが、得度習礼、その上の教師資格(住職資格)よりさらに厳しい修羅への道であることを、この時の私は知る由もなかったのです。

後半へ続く

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