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アーダルベルト・シュティフター『水晶』読書感想〜「建築、岩絵の具と測りあえるほどに」(初出「なしのつぶて」)

 今からここに書かれているのは読書感想です。作者はアーダルベルト・シュティフターで作品名が『水晶』。『石さまざま』という短編集に収められていて、全ての作品に石の名前が付けられています。
 「つまらなかった」の一言でも良いので何か書いて欲しい、という、低いハードルを『なしのつぶて』同人(?)の堤あやこさんの方から示していただきました。それよりはマシなコメントは出来るだろう思い、本を送ってもらう事にしました。


 本が届いて封筒を開けて手に取りましたところ、なんとも地味な、地味すぎるあまりに高揚感が沸き立たない、なんとも絶妙な装丁、と感じる本で、どうなんでしょうか、みなさんの意見も聞いてみたいところですが、ものすごく良く言えば「質実剛健」という事になるのでしょうか、「中身で勝負に来てるのかな?」と思わせる仕上がりになっていました。試みに「水晶」の項をパラパラ〜っとめくって字面で面白そうかどうかチラ読みしたところ、これまた何とも字句的な起伏に欠けると言いますか、派手な語句やテンションの上がる固有名詞や洒落た言い回しの様な物が見当たらない感じで「どうしよう」と思いました。

 いざ読むにしても意外とボリュームがあります。どうにも食指が動かず、仕方がないので「解説」をひとまず先に読んでみました、ら「教養」という文字が飛び込んで来てそこにフリガナで「ビルドゥング」って添え書きされていました。それが個人的にツボでした。何故ツボだったかはここには詳しくは書きませんが、その一語との出会いが「一語一会」となり、良く効く食前酒の様に効能を発揮。一気に読書欲が沸き立つのを感じました。せっかくなので「もう一杯」と、上巻を図書館で予約、序文を読んだらこれが醸造酒を蒸留酒に精製したような、濃いエッセンスを更に蒸し詰めた様な文章で「シュティフターここに極まれり」な感じがあり、酔いました。私の中にもシュティフター酵母が読書を通して入ってきて、身体のなかで色々な発酵が始まったようでした。

 序文の中には納得できない表現もありました。シュティフターは身の回りにある些細な物事の中にこそ、足を止めて、観察し、描写するべき大事な事があって、逆に津波とか地震は小さな事で扱うに足らないものだと主張するのですが、それはさすがに無理がある主張なんじゃないかと。何かに意固地になって、不適格な比喩を使って後世に残る宣言をしてしまってるような感じがしました。しかしそれでも脂の乗った干物の様な旨味の沁みたとても良い文章ではあったのですが。


 『水晶』序盤は意外と快調に読み進める事が出来ました。シュティフターの子供の頃の記憶を元にしているであろうキリスト教の習俗、祭祀に関する記述は、ノスタルジーに特有の温もりを感じさせてくれました。親切な出だしに自分にしては上出来な読書が出来ました。茶の湯で言うところの「和敬清寂」の雰囲気でした。野球で言えば一回表を打者三人で抑えた感じでした。不味い比喩ではありますが。。しかしこのノスタルジーの温もりの室内からドアを開けて表に出た途端、画家でもあるシュティフターの怒涛の情景描写が始まったのです。野球に喩えれば二回表がいつまでも終わらない感じでした。ピッチャーは私しかいませんでした。全く読書が進まず意識が朦朧としてきました。情景描写を飛ばしてしまいたくなりましたが、シュティフターのこだわりが情景描写にあることは序文を読んで知っていたので幾晩にも渡って情景描写を読む日々が続きました。長く続く日照りに雨乞いをする様に、情景描写の終焉を乞いました。しかし願いは通じず、画家であるシュティフターは懇切丁寧に季節によって色彩を変化させる山肌の色合いを言葉巧みに説明してくれるのでした。しかもその山肌の色彩の変化は季節を経ることで変化するだけでなく、年を経る事によっても変化していくのだという様な深淵な真実を、私の朦朧な意識に向かって説きかけてくるのでした。しかし悲しいかな私には一向にその情景が思い浮かびません。高解像度のデータが送られて来ても映し出すモニーがポンコツなのです。麻雀のルールを知らずに「麻雀放浪記」を読んだ時の事を思い出しました。あの時は麻雀に関する記述はすっ飛ばして麻雀以外のストーリーだけ読んでいてシリーズ物を何冊か読みました。すっ飛ばさずに一応読んでるんだから今回はまだマシな読書だと、人知れず自分を励ましました。


 私は何故だか、シュティフターを超マイナーな作家だと思い込んでいました。ウィキペディアも後になるまで調べずに、後に松岡正剛さんが千夜千冊に『水晶』の書評を書いているのを発見した時は失礼ながら驚いてしいました。それで意外と有名な作家なんだと知ったので試しに身の回りの何人かの人に「シュティフターって知ってる?」と聞いてみました。

 1人目は写真家の友人の三木さん。私は住宅基礎工事の作業をしていて三木さんは記録写真の撮影に来ていました。「最近何してるんですか?」との質問に「シュティフターって知ってますか?いま『水晶』って短編小説の書評書いてるんです」というと「アーダルベルト・シュティフターですか?」と私がまだ覚えていないフルネームを正確に発音されたので面食らってしまいました。三木さんは信州大学の森林科学科の学生だったので、友人にシュティフターを読んでる人がいたという事でした。


 2人目はごみ収集のバイト先の同僚の文学青年で演劇をやっている市川くん。市川くんが昼休みに更衣室のロッカーに背をもたれて読書していたので「ねぇ、市川くんシュティフターって知ってる?」と聞くと「何でしたっけその人?」というので「『石さまざま』って本書いた人」というと「あー高校生の時に読みました。あーゆうのは自分の調子によって違ってくるんですよね。意地になって読んでたのを覚えてます」という事でした。「ベンヤミンが評価してたらしいね」というと「ベンヤミンは変なやつなんで、後期に「物」と「名前」、物の名前みたいな事をたくさん言っていて、人類が滅びそうになってるのは、人間が物を間違った名前で呼んでいるからだ。その点シュティフターは物をよく見ていて偉い」みたいに褒めてました。」とそんな感じの事を教えてくれました。昨日も一緒の車だったので移動中の車中で読書のコツを聞いたら「作家を凄く尊敬する為に読むのでは無くて、友達になってみるようなスタンスで読むのが良いですよ」と教えてくれました。物と名前とシュティフターの話は「シュティフター論」ではなくのパサージュ論の三巻に確か書いてあったという事も教わりました。

 他にも石井ちゃんという日本画を描いている同僚にも「石さまざま」という本を読んだ話をしたところ様々な石を色鉛筆でデッサンした絵の写真を見せてくれて、それをTシャツにする話、その石は先日岩手県宮古市に絵を描きに行った際に海が見たくなって海に行ったら津波を食い止める防波堤が眼前に建設されていて、その足で浄土ヶ浜まで行ってそこで何個か石を拾った時に石って良いなと思って石の絵を描いた話、顔料の粒子のサイズに段階がありそれを立体の様に描くのが日本画である、という様な話を聞かせてくれました。


 さて、一応ここでシュティフターさんがどうゆう人なのかを紹介しておきます。シュティフターさんは19世紀のドイツ人で、彼が生きた時代にリアルタイムで起こったドイツでの革命に序盤熱く期待するも途中からはゲンナリ幻滅。その反省から社会変革の手段として、身の回りにある小さな自然の観察を通して感受性を培う基礎教育の大切さを痛感します。そしてそれが革命に拠らない社会変革の為の一つの手段になるとも考えた様です。(wiki情報)


 読書はなんとなく「山登り」に似ていると思います。山登りでは目指す頂上に用事があるわけではありません。登る事に必然性はない。一歩一歩登る。本も一語一語読む。本も山も名前と形は事前に知る事ができる。だけどその内容は実際に登ったり読んだりしないとわからない。それなのに人は山に登るし本を読む。それだから人は山に登るし本を読む。昔の人は「山登り」をしなかったと聞いた事があります。なんの用事もなく山に登るためだけに山に登る人は「山登り」が始まるまでは1人もいなかった。これラジオで聞いた話。いま聞くと不思議な気がするけど、確かにそうかもと少し考えたら、思えます。序盤必ず上り坂が続くというのも山登りの重要なポイント。登るという事が目的になり得るから山登りが成立する。頂上があること、登れること、季節を感じられること、平地にいたら見れない景色が見れる事、それらの複合的な理由を動機にして人類は用事もないのに山に登る。その用事以外の動機を混ぜ合わせて発酵、蒸留、結晶させて「目的化」したのが登山であり読書なのかもしれません。更に「水晶」は読書と登山を「結晶化」させるようにして書かれている様に感じました。


 少し話が逸れますが「水晶」を読んでいて「水晶小屋」という山小屋を古い友人が経営していたのを思い出していました。図書館でその友人のお父さんが撮影した山々の写真集を借りて来ました。これは素晴らしい、素晴らしいとはこうゆう写真集の事を言うのだ、という「素晴らしさ」の見本みたいな本なのですが、見事な本で、正に「見本」です。シュティフターの『石さまざま』と併読すると読書がホログラム度がグイーンと上がります。全く入ってこなかった高解像度の情景描写のデーターがここに見事に現像されていました。それにしてもやけに良い写真なんです。なんでなのでしょうか?人の表情、登山服のデザイン、山の表情が重なり合ってミルフィーユ状態です。水晶小屋は建設時に伊勢湾台風が直撃したり三度も空中で分解したらしい。そんな信じられないくらい大変な話が世界にはあるのですね。写真集のタイトルを『源流の記憶』と言います。伊藤正一さんが撮影者、著者です。『黒部の山賊』という本もあり、こちらには山小屋建設と「伊藤新道」という山道の建設のドキュメントが描かれています。山は文明から距離を取って人間社会を客観視できる特別な場なのですね。伊藤さんはその山という人間に必要な場を仲間たちと共に守り切り開いた。偉人です。生きた不屈の精神です。


 ちなみに世界で一番最初に「山登り」をしたのは詩人だったらしいです。シュティフターは自分は詩人では無いと断言しています。そんな事を断言できるなんてなんかちょっと凄いです。


  読書は「参加」だと以前誰かがツイッターで言っていました。確かに。と『水晶』を読んで納得しました。序盤はまるで身体が本に入っていかなくて困りましたが、いざ出来事が起こり始めてみたらば、ゲームセンターの体感型のカーレース・ゲームのように本に身体を持っていかれる様な感覚を、この読書から得ました。


 本ってスゲー、本って不思議。揺さぶられた私は、もはや読者として傍観者ではいられなくなり同行者であるしか選択肢は無いと感じたのでした。なんなのこれ?と書面から目を離してみても再び小説の中に戻って行かざるを得ない何か使命感の様な感覚が発生しました。本の中にシュティフターが生きていて私を見つめていたのか、本が生きた世界になって本の中に流れている時間が現実の時間よりも重要になった様な感覚です。伝説のギタリスト、ジミー・ヘンドリックスは自分のコンサートを「スカイチャーチ(空の教会)」と呼んだ。俳優でラッパーのチャイルディッシュ・ガンビーノはコンサートで「ここは俺の教会だ。スマホを下ろしてくれ」と言った。同じようにシュティフターにとっても我々のために用意してくれた未来の来るべきこの読書は、正に教会だったんだと思います。怒涛の様な教会。荒っぽい宣教師。ジミヘンのバンド名は「エクスペリエンス」と言ったのですが、シュティフターの「水晶」も私にとっては正に「エクスペリエンス」(経験)でした。


 しかし序盤は物語を引率する人物がなかなか登場せず、状況描写が綿々と続いたのでした。相当な量の意識を要求してくるシュティフターに対して、何度も根をあげたくなった事を白状しておきたいです。日頃常に意識がそぞろな私は何度も何度も行きつ戻りつして、字面を微かにでもイメージするのに相当な労力を費やしました。これと比べたら肉体労働の方が軽作業と思えました。


 私は2000年代初頭から高山建築学校というサマースクールに参加しています。高山建築学校は世界有数の豪雪地帯とも言われる飛騨数河高原にあるのですが、そこでは主にコンクリートの建造物をデザインして敷地内に建造する作業が行われるのだけど、ある年に参加したオランダ人のファビアンが敷地周辺に転がっている多様な石を石ノミで砕いて、その破片、粉、をサイズ別、色別に分類して手製の竹筒に入れて、その色粉を使ってインスタレーションをした事がありました。シュティフターの言う、些細な事への感受性が行う行為がファビアンのインスタレーションにも見てとれます。それは一見「建設」とは真逆に向かっているように見えて実は建設の本質がそこにあるんじゃないかという様な、気付かされるような、即、着工してしまう、急き立てられ追い立てられ、急いた挙句、手抜きまでしてしまう、本末転倒な私たちを元どおりにしてくれる様な一種「地点的」な態度がそこにはある様に感じました。地震と津波の比喩は悪かったけど「タワーマンションの建設」と「岩絵具の製造」の対比をシュティフターは語りたかったのかもしれない。直ぐに着工して、急いて急かされての挙句に手抜きまでして、結果、抱えた不良債権処理の為の更なるタワーマンション建設という止められない急く事の悪循環を食い止めるべく、未来の現代人たちに観察の機会を与えるべく本の中に教会を建設したアーダルベルト・シュティフター。


 『音、沈黙と測りあえるほどに』という武満徹のエッセイ集があります。『水晶』のこの読書感想にタイトルを付けるなら『タワマン、岩絵具と測りあえるほどに』となるのかまたは『岩絵具、タワーマンションと測りあえるほどに』になるのか?どちらだろう?いやいや、タワーマンションと岩絵の具とは測りあうことはできない。岩絵の具とタワーマンションでシーソーをやったらタワマンの方がビューンって宇宙の彼方までぶっ飛んでいっちゃう。そのくらいに、ここ「シュティフター水晶教会」ではタワーマンションと岩絵の具(石の粒子)の質量が逆転している。


 そうですねここは「タワマン」より「建築」に喩えた方が良いかもしれません。「建築、岩絵具と測りあえるほどに」これをタイトルにしたいと思います。


 ビルドゥングとビルディング。これにて終了です。ありがとうございました。


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