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僕はパーティーのフィナーレから逃げ出したことがある。

僕はパーティーのフィナーレから逃げ出したことがある。
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ちょうど20年前のこと。
2002年に青梅の"梅ヶ谷の森キャンプ場"で始まった「蟲の響」。99年ごろからゲリラパーティーをやっていたオーガナイザー、DJ達が、代々木公園での活動が締め出されて始まった実験的野外パーティーだ。

今も僕を支えてくれる原点ともいうべきこのパーティーは、大型レイヴとは一線を画し、前売り限定300人で、毎月1回開催。参加者がやりたいことを持ち寄り、D.I.Yで実現していくという実験的なパーティーだった。

ここに当時のフライヤーが載っています。
https://www.nano-graph.com/mushinone/rave/flyerg.html

僕はこの蟲の響で、ステージを組んだり、サウンドシステムを提供したり、賄いを作ったり。フライヤーも作ったし、ともかく何でも屋みたいなことをしていた。そしてビデオを撮るのが好きだったので、それもまた僕が勝手に始めた自分の仕事だった。まさに今もageHaでやっていることを当時からずっとやっていた。

2002年は3月のプレパーティーから9月まで計7回開催したのだけれど、、、
そのファイナルとなる9月末の3日間。最終日。

「終わりがあるから完成する」

そのコンセプトは、最初から分かっていたことだけれど、
ただただ終わって欲しくなくて、受け入れられなくて。
どんな気持ちで、どんな風に最後の時を迎えればいいのか分からなくて。
自分がどうなってしまうか怖くて。

僕はその場を逃げ出した。

打ち上げのバーベキューの買い出しに行くと言ったまま、最後のフィナーレの瞬間に戻らなかったのだった。

詳しいことは覚えてないけれど、
買い出しに行ったスーパーの駐車場で一人で泣いていた気がする。。。
終わってしまうことも悲しいけれど、そんな選択しかできない。向き合うことができない不甲斐なさにも泣けてきた。それでもその時の自分にはそうすることしかできなかった。

僕は子供の頃から泣き虫だった。

その時の感情は今も胸に刻まれている。
何度だって蘇ってきて今も僕を支えてくれている。

大切なものを見つけたこと。

あれから20年。
もうすぐageHaがクローズする。

その時僕はどんな面持ちで、どんな風にフィナーレを迎えるのだろうか?

ただひとつ言えることは、
「僕はもう逃げたりしない。」
ということだ。

思うに、最後の週末のageHaは
僕たちが初めて体験する
超巨大でリアルなタイムマシンのような空間になるのではないか??

「感情と記憶が交錯する歴史的週末」

そもそもDJカルチャーとは、
音楽で過去と未来をつなぐ時間の芸術だから。

今はただ、僕たちのカルチャーの未来を信じて
新木場での最後の瞬間を駆け抜けたいと思います。

皆さん、ageHaのダンスフロアで会いましょう。。。

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そういえば、2002年の蟲の響のDVDは今まで公開していなかったので、今更だけどYoutubeにアップしました。
興味ある人は見てみてください。雰囲気は伝わると思います。

1回だけ開催した2003年の蟲の響は内容も編集も充実してます。


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