見出し画像

ダンスフロアで死ぬということ。

いつか書く時が来ると思っていた"事件"の話。

ダンスフロアの存在意義について、改めて考え、向き合うことを余儀なくされている今だからこそ書きたいと思う。

「ダンスフロアで死ぬということ。」

それは比喩でもなく、常に起こり得ることだ。という話。

ちょうど昨日会ったあるDJさんも、自身のプレイ中に同様の経験をしたことがある。と語ってくれた。

多くの人はそんなことは想像すらしないと思う。
けれど、僕たちが毎年通うヨーロッパの野外音楽フェスティバルでその"事件"は起こった。

1週間におよぶフェスティバルの中日あたりの昼間。
メインステージの前方、かなり真ん中のあたりでのことだった。

僕たちは人垣の外にいたし、野次馬的に人が集まってはいけないと考えたから、どんな人だったのか?どんな措置が取られていたかも直接見てはいない。

しかし、メインフロアの中まで救急車が入ってきてすぐに、目の前で起こっていることを理解した。
そして救急車は間も無くその人を載せて去っていった。

印象的だったのは、救命措置が取られ、救急車が入って出ていくまでの間もメインフロアの音が止まらなかった。ということだった。
若干音が小さくなったのは確かだと思う。プレイしているアーティストも状況は見えていただろう。

しかし、音は止まることはなかった。
フェスティバルは続いていった。


後日聞いた話で、救急車に載せられた男性は心停止で亡くなった。と聞いた。

話を聞いて最初に思い浮かんだのは、
「もし、私が"事件"の当事者になったとしたら、同じように音を止めないで欲しい。」
という考えだった。

きっと亡くなった彼もそういう風に考えたに違いないと思ったから。

何故なら、そのフェスティバルは、アーティストにとってだけでなく、
オーディエンスの誰にとっても年に一度の特別な場所。

約束の場所であり、かけがえのない瞬間の連続であり、
ダンスフロアを大切に思う人なら、そこに傷跡を残したくはないはずだ。
と考えるからだ。

あるいはそれが起こってしまったとしても、彼は責められるべきでは無く、
むしろ、望まれるような死であって欲しいと思う。

「彼は最愛のダンスフロアで最期の時を迎えられて幸せ者だったね。」
そう思ってもらえるなら本望じゃないか?

画像1

似たような"事件"に、日本のパーティーでも出くわしたことがある。
その時は心停止で、生きて戻ったらしいけど、音は止まらなかったと記憶している。

僕の働くageHaではまだ経験は無い。しかし起こりうる"事件"ではある。
これらのことは、どれも状況次第だけれど、ageHaなら音を止めると思う。
フロアのど真ん中でそれが起こってしまったら、周りの人ももはやパーティーを続ける気持ちにはなれないだろうから。。。


さて、僕がこの話を何故このタイミングで書く気になったのか?
それにはコロナが影響していることを否定はしない。

けれど、僕自身がこの経験から、このコロナ禍でイベントをすることに対する、何か有用な知見を得たのか?と聞かれても明確な答えはない。

ただ、コロナのことを考える度に、いつもあの"事件"のことが思い出されて
そこから、僕はひとつの結論を導きだす。

集うこと、そこで繋がることに、人は自分の命以上の価値を見出す存在である。という事実。


その”事件"から2年ほど経ったその同じフェスティバルで、
夕暮れの丘に佇む夫人と交わした会話もまた忘れられないものだった。

60歳ほどのその夫人は、なんとも切なげで、なんとも優しく、なんとも言えない表情で夕日を眺めていたから、僕はどうしても気になって、話しかけてみたのだった。

聞けば、夫人の息子さんもまた、そのフェスティバルの最中に亡くなったのだという。
何故亡くなってしまったのか?とかそんなことは聞かなかったけれど、
息子が何度も通い、何よりも大切に思っていたそのフェスティバルがどんなものなのか?ひと目見てみたくてはるばるやってきたのだという。

「誰もが優しくて、美しくて。天国があるとしたらここに違いない。
ここで死んだのなら、あの子は幸せだったのだと思うわ。
ここに来れて本当に良かった。」

そう言って、涙ぐみながら笑った夫人。

その後にハグをしたのか、握手だったのか、もはや覚えてはいないけれど、
心が通じ合ったことだけは確かに覚えている。

ダンスフロアで死ぬということ。
生きるということ。

それを望むことが困難な今、僕たちは、命の燃やし方を探しているのだと思う。

フロアの外に居る人には想像もつかないと思うのだけれど、、、

パーティーや、フェスティバルにおけるダンスフロアは、快楽や開放の場であると同時に、連帯と人間性を取り戻すことができる場所。
世界を良くしていくためのアイディアがたくさん詰まった学びと実践の場所であり、聖と俗が共存しているからこその、他にはない価値や可能性が詰まっている。


この話で僕が皆さんに伝えたいのは、

こういった生死の境界線というものは、ダンスフロアに限らず、自分にしろ、周りの人にしろ、僕らの日常のすぐそばにあるのだということ。そして、それを理解し、心づもりしておくだけで、情報や感情に無駄に振り回されることはなくなる。
ということ。

そして、僕と同じように、再びダンスフロアを分かち合える日を望む全ての人に伝えたいことは、
ダンスフロアのために生きることの意義を、今一度信じて欲しい。ということ。そのためにパーティーを続け、ひとりひとりがダンスフロアの価値や可能性を世界に発信し続けてほしい。
ということ。

あなたが輝かせた命は、
今もこれからも、世界中のダンスフロアを繋げ、導いてくれています。

魂よ、ダンスフロアと共にあれ。。。永遠に。

画像2


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?