「らしくない音楽家」が出来上がるまで

どうも。太田代です。

訳あってnoteを始めましたが、個人的には私の主義主張を書き連ねたいのではなく、ある目的のために使いたかったのですが…

思いの外リアクションをいただいてるので、気ままに書き続けていきます。あくまで気ままに(笑)

今回のネタは「らしくない音楽家が出来上がるまで」。

音楽が身近にある家庭で育ったのは間違いないですが、親から専門教育を受けた訳でもなく、習い事をした訳でもなく、あくまで遊びのひとつに音楽があった幼少期。

子どもながらにカッコいいと思って聴きまくったのがゴダイゴ「モンキーマジック」とSHOGUNの「男達のメロディー」。耳コピした英語風な何かを口ずさみ、運が悪けりゃしぬだけさ〜と歌い上げる幼稚園児。この時点でおかしな人です…

※その後SHOGUNのボーカル、ケーシーランキンさんと知り合ってその話をしたら「ヤバいガキだな!!」と大笑いされました。

小学生になる頃には自分でラジカセを駆使して歌番組を同録。そんな中で初めて自分の小遣いで買ったレコードが田原俊彦の「ハッとしてgood」。何故かはわからないけどマッチよりトシちゃん。

そして4年生の時、その後の人生に影響を与えるというか、人生を決めてしまう出来事が。

ミュージカル「サウンドオブミュージック」にクルト役で出演。まあ親父の仲間たちが立ち上げたプロジェクトで、いわゆる市民ミュージカルですが、昭和50年代に1000万円の予算をかけての公演。とんでもない舞台でした。

舞台に立つ楽しさ、そして達成感、さらには打ち上げの盛り上がりを知ってしまったマサタカ少年は音楽の世界にのめり込んでゆくのです…

小学校高学年になると親父に連れられ様々な舞台に立つようになり、岩手大学附属小学校合唱部に入り、コンサートやらコンクールやら音楽漬けの毎日。

毎日朝と放課後に合唱部の練習(指導者は親父)があり、もはや合唱部のために通学してるくらい。その一方で従兄弟の兄ちゃん(イケメン)が「これいいぞ」と聴かせてくれるカセットテープが、私にとっての教科書であり、この世で一番カッコいい音楽なのでした。

例えば…YMOとか!!

続きはまたいずれm(_ _)m

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