France-Antilles Magazine 2005'

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 巻頭の話題
フェスティバルの地に地平線が交差するとき

フォール・ド・フランス・フェスティバルは今年、まだ残すところ数日ありますが、マルティニークの芸術的創造性や想像力、あるいはこの絶海の果ての地に集まった男女が持つ特異性と類似性に対し、オマージュを捧げるべく開催されています。
マルティニークを代表する3組のアーティストをご紹介しましょう。選り抜きの3組です!まずはキューバからやってきた、正統派ダンスチーム。力強く濃密で、激しいダンスを披露します。次は、クレオール音楽を演奏する日本人グループです。 そうです、日本人がクレオール語を話し、クレオールダンスを踊る…。意外な組み合わせです。 そして、私たちにはより身近な存在でしょう、ポム・キャネルのダンサーたちです。彼らの類まれな技量が、マルティニークの伝統文化をひときわ引き立てます。アーティストたちと共に冒険に繰り出す観客の男女は、数多くの共通点を備えると同時に各人きわめて多様でもあります…。
人はそれを「世界の豊かさ」と呼びます。素晴らしき出会いを!

Sandrine de Saint-Sernin(サンドリーヌ・ド・サン=セルナン)

                      trans.SASAKI AGENCY S.A.


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    ☆TUMBA CRÉOLE ...of Japan
日本からやってきたTUMBA CRÉOLE

~1990年某日、マラヴォア(Malavoi)の来日ツアー時に全てが始まった。パーカッショニストの海沼正利氏は、「一瞬」にしてこの「エキゾチック」音楽の虜になったのだ。彼は最初の和音を聞いた時から完全に魅了され、ついに自分の道を見つけたのだ。以後、音と戯れるこの「独特な」方法を模し続けている。~
マラヴォアを聞いた時から、海沼氏の人生は一変した。日本人ミュージシャンである彼は、カリブ・ブラジルの伝統的音楽のバンド結成に向けて奮闘する。 マラヴォアのツアーが人々の注目を集めたこともあり、バンドリーダーは15名のミュージシャンを集めることに成功した!まさに冒険のはじまりである。そしてTUMBA CRÉOLEは、このカリビアン・アドベンチャーで大成功を遂げることになる。というのも、現在では、彼らは曲も作ってしまうのだ!もはやスタンダードメロディーを奏でるだけでは満足しない域に達している。
それから数年後、TUMBAにとって決定的な出会いがあった。タンブー奏者・Sully Cally氏との出会いである。Sully氏は日本人グループの音楽に心を突き動かされ、彼のレーベル「Collection patrimoine(コレクション・パトゥリモワン)」からTUMBA CRÉOLEをプロデュースすることを決意した。その後同氏は日本へ旅立ち、様々なレッスンを提供し、グループの「クレオール」音を完成させたのである。Sully氏は彼らにズークの踊り方まで教えこんだのだ!
 「日本でのSully Cally」
グループとSully氏の間では理解が深まり、メンバーたちは彼と共に更なる前進を望んだ。タンブー奏者であるSully氏が、TUMBAの作詞を手がけるようにもなった。
今回フォール・ド・フランス ・フェスティバルの主催者は、このたいへん個性的なバンドを特別公演の出演者として選出した。Tumbaが「Imaginaire Insulaire(イマジネール・アンシュレール=島特有の幻想的世界)」に十分相応しいとされた証である。
このようにTUMBAの軌跡が素晴しいものであることは特筆すべきである!クラシック音楽のアカデミー出身の日本人たちが、道半ばで「方向転換」して、クレオール音楽を創りあげる・・・何とも独創的ではないか!100%カリビアンミュージックを演奏する100%日本人のグループ・・・時として空間を超えた運命のいたずらがあるものだ。
最後にSully Cally氏は笑顔でこう語る。「本当に彼らはクレオール愛好家です!彼らは音による表現ではあるけれどクレオール語を話し、それが年々進歩しているのがわかります。クレオール、そしてクレオール文化が彼らの生活に根付いたのです!彼らの拠点はクレオールにあり、グループリーダーの海沼正利氏はクレオール語の名刺まで持っているのです。僕でさえもっていないのに!」

「右下写真コメント」
TUMBA CRÉOLEは7月26日までマルティニークに滞在し、マルティニークのアーティストたちと交流を深める予定。島内で開催される様々な合同スペクタクルも予定している。


                  trans.SASAKI AGENCY S.A

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