喜びの根底 〜SKIN CARE SALON VOEUX オーナー 小沼加奈
この度ご紹介しますのは、「SKIN CARE SALON VOEUX 」オーナーの小沼加奈さんです。その確かな技術と経営手腕で、多くのお客さまに美を提供し続ける彼女が最も大切にしていること、それは心。
真の美は心と密接に繋がっているという信念と、確かな経験と知識から選び抜いた信用できる製品と、一流の技術をもとに、多くの人を心身を癒し続ける、彼女の半生に迫ります。
【目次】
序章
1章 美との出会い
2章 向き不向き
3章 大人の社会
4章 美と真理
5章 心と美
6章 ワーカホリック
7章 確かなモノ
8章 心から
9章 美と癒しを叶える場所
あとがき
序章
「そんなに好きなら、君がここでお店をやってみてよ。」
静岡の小さなエステサロンで店舗責任者として勤務していた小沼加奈の人生を変えた言葉の主は、まもなく空物件になる加奈が愛情を持って勤めてきたエステサロンのテナントのオーナーだった。
気づけば長い間エステティシャンという仕事を続けてきたが、これほどまでに惚れ込んだ製品は後にも先にも『エンビロン』以外になかった。エステサロンの閉店が決まり、静岡でこの製品を使ったサービスができなくなるなんて本当に残念だと、加奈がテナントオーナーに漏らした言葉がきっかけだった。
「僕もエンビロンが好きだから、君が続けてくれたらすごく嬉しいよ。
このエステサロンがこれで終わりなんて寂しいし、せっかくなら信頼のおける人にこの場所は使ってもらいたいんだよ。
君のことならもう知っているし、信頼もしている。ボクも君に使ってもらえるなら安心してお貸しできる。正直いい条件だと思うんだ。考えてみて。」
正直、起業なんてなんだか面倒くさそうで、自分には縁がないと考えないようにしていた。しかし、これまでに自分が思い描いてきた、より近く、より深く、お客さまの癒しと美を叶える場所を実現する、またとないチャンスを前にNoを言う理由も見つからなかった。
「加奈さんがやるならついていきます!」と、信頼する同僚スタッフが。
「やってダメなら辞めればいい。決めるのはそれからでも遅くないよ」と、パートナーが背中を押す。
周りから加奈に向けられる言葉にも、テナントオーナーが出してくれたまるで宝くじにでも当たったかのような好条件にも、Noを言う要素は微塵もなかった。
やるからにはとことんやってみよう。ダメならすぐに辞めればいい。
そう思い営業を続けてきた加奈の理想のエステサロンVOEUXは、気がつけばもう10年。静岡の小さな店舗から美と癒しを人々に発信し続け、今では知る人ぞ知る話題の場所となっている。
「不可能なことなどない。Impossible(不可能)という単語の中に、I’m possible(私はできる)と書いてあるのだから」美の妖精と呼ばれたハリウッド女優、オードリー・ヘップバーンはこう話す。
静岡の小さな美の発信地VOEUXでその指先から、多くの人々に美と癒しで勇気と希望を与え続ける小沼加奈の半生もまた、経営や美のメソッドだけにとどまらず、軽やかに、潔く、自分らしく生きることの美しさを感じさせてくれる。
ここから始まる本文で、その一部があなたに伝わることを願って。
1章 美との出会い
小さな頃から美しいモノが好きだった。
3人姉妹の真ん中に生まれた加奈。一つ下の妹は予定日よりも早く生まれたせいか、まるで双子のようだった。6歳年上の姉は真面目でとても面倒見がよく、幼い2人の妹の世話をよくやいてくれた。
美しいモノの中でも一際大好きだったのがお母さん。日本屈指の夜の街、銀座の高級クラブの経営に携わっていた母はいつも美しく、幼い加奈の自慢だった。
夕方4時になると、母は毎日より一層美しくなる準備をはじめる。
艶やかなドレス。鏡台に美しく並ぶ化粧。品香り高い香水。母が身にまとう全てのものが美しく、幼い加奈は見るたび心を弾ませる。
「学ぶは真似ぶだ」と言う人がいる。幼い加奈の日常はまさにそれだった。
毎日母が丁寧に支度するのを見て学び、何をどのように使うのかをみて覚え、どこに片付けられているのかを覚えた。母が出かけるとこっそり試して遊ぶためだった。
「あれ?おかしいな?シャネルの口紅、いつの間にこんなに減ったの?」
きっとこの無邪気なイタズラに気付いていただろう優しい母。とぼけて気付かぬふりをして、決して咎めることはしなかった。
「夜は一緒にいてあげられないから」
母はいつでも子どもたちには良いモノ、良い経験を与えてくれた。
服は必ず高級デパートで一緒に選び、外食をする時は一流の料理店。旅行にもたくさん行った。幼い加奈は子供ながらに自分は良い生活をしていると実感していたし、この生活をとても気に入っていた。
その豊かな生活が変わることはなかった。
なに不自由ない生活の中にも、もちろん不満はある。いつも夜6時になる頃には、母はタクシーで仕事に出かけていった。夜の世界で重きを置かれるサービス、お客様と一緒にお店に入るいわゆる同伴出勤に向かうためだった。子供心に大好きなお母さんを奪っていく男性客が疎ましく思えて、物心つく頃には中年男性を嫌うようになっていった。
母が仕事へ出かけていってしまうことはどうしても好きになれなかったけれど、一方で嬉しい側面もあった。母が出かけると代わりに母のお店から若いお姉さんたちが子守にやってくるのだ。家にやってきては思いっきり遊んでくれる、綺麗で優しくて母のようにいい匂いのするお姉さんたち。まるで物語のお姫様があそびに来てくれるような気分で嬉しく楽しみだった。
「かわいい!」「すてき!」「上手!」
お姉さんたちもまた小さな姉妹たちと遊ぶことを楽しんでくれていたようで、幼い加奈や姉妹たちが、手をかえしなをかえ遊ぶ姿をとても喜び、ことあるごとに褒めてくれた。それが嬉しくて仕方がなく、いつしか加奈は
(もっと喜んでもらうには、褒めてもらうには、どうすればいいだろう?)
と常に考えるようになっていった。
2章 向き不向き
「暇だ。なんなんだこの毎日は。」
毎日この言葉が加奈の思考を、まるで霞で満ちていくようにぼかしていく。高校生になった加奈は、学校生活に何の価値も見出せずにいた。
周りを見渡せば学ぶことに価値を感じているとも思えない同級生たち。両親に多額の費用を払ってもらって、なんとなく毎日を過ごすなんて、まったく意味がわからない。
なぜわたしはこの中にいなければならないのだろう?
なぜ将来なんの役に立つのかもわからない話を、聞き続けなければならないんだろう?
そんなことばかりを考え続ける日々は、加奈にとって苦痛でしかなかった。
正直なところ、高校に進学するつもりなんて微塵もなかった。
「高校には進学せず、東京に出て美容専門学校に行きたい!」という言葉に、優しい母もさすがに焦りを滲ませ、せめて高校には行ってほしいと加奈を説得した。それでも簡単には折れない加奈。珍しく親子がぶつかった。そして最終的に母が出した落とし所が、
「高校受験に落ちたら、東京に行けばいい。」
「わかったよ。受験はする。」
そう言って、加奈は受験をする。目標は「高校受験失敗」。
受験勉強など何もせず、私立で滑り止めなど一切考えず、公立高校を一校だけ受ける。結果は、合格。思いがけず加奈の東京への夢は破れた。
かくして行く気などさらさらなかった高校生活は、加奈には何の彩りもない、グレーな世界。毎日じっと席に座って、興味もない授業を聞く。入れる気なんてさらさらない知識は、加奈の上を上滑るだけ。こんな時間が一体何の役にたつんだろう。
「おもしろくない」
ここは自分の場所ではないことを早々と悟る。そうとわかった加奈は持ち前の潔さであっさりその場所を手放す。入学から4ヶ月、夏休みが明ける時、高校の教室に彼女の姿はなかった。
3章 大人の社会
学校を辞めた加奈は、働くことに没頭する。とはいえ、これといった仕事にすぐにたどり着くことはできなかった。とにかくいろいろなことを手当たり次第試してみたが、加奈が探し求める「心から面白いと思える場所」はなかなか見つからなかった。
いろいろなアルバイトを転々としてみたり、母の仕事を手伝ってみた。お金を稼ぐということは楽しかったが、仕事そのものを心から面白いとは思えなかった。何かに夢中になりたかった。
中でも若い加奈が煩わしいと感じたのが接客業だった。思ってもいないことを話さなきゃならないサービストークというのがどうにも性に合わない。まして相手が幼い頃の因縁の人種、中年男性とあっては、ことさら思ってもいないことを話すことが嫌で仕方なかった。
ある時、友だちが美容師の専門学校に通うと聞いた。専門的な仕事を志す彼女が眩しく感じた。
「何か自分にしかできない専門的な仕事なら、おもしろいかもしれない。」
そんなことを考えながら加奈はなんとなくインターネットの専門学校情報を眺めていた。
(友達と同じ美容師だと真似をしたと思われるかもしれないし、なんだか気が引けるなぁ。)
そんなことを、ぼんやり考えながら、何を読むでもなく通り過ていく専門学校のPR画像を何となく見ていると、ある写真に目が止まった。そこには美しくカットされた犬と、笑顔でハサミを握る女性が佇んでいた。
(そういや妹がトリマーになりたいって言っていたな。)
ふと思い立った加奈はふと検索エンジンの窓にキーワードを入力した。
「トリミング 専門学校 静岡」
するとなんと、静岡市内にトリミング専門学校があるではないか!
「犬ならいけるかも!」
動物がとても好き、、、というわけでは決してなかった。あえて言うならば犬がなんとか触れるくらい。煩わしい接客を、犬が相手ならばしなくていいのではないか!?だって犬は話さない。
「これならいける!」
思い立ったら即行動。それが加奈の特性である。
早速母に専門学校に進学したいと相談をしたら、母は二つ返事で快諾してくれた。練習をするためにプードルを買うという条件も喜んで引き受けてくれ、最高級のプードルがこの日から家族の一員となった。
4章 美と真理
トリマーとしての一歩を踏み出してからの加奈の道は、控えめに言っても順風満帆だった。
入学から数週間でその才能を見出された加奈は、本来であれば数年かかる下積みを一年足らずで終え、さらにドックショーの選抜チームにも抜擢され、トリマーとして華々しいキャリアをあゆみ始める。仕事に大会にと忙しい日々を過ごしてた加奈だったが、残酷にも世の真理は、彼女のやる気を押し流していくのだった。単価の安いトリマーとしての仕事は、どんなに身を粉にして働いてもお給料の頭打ちはあっという間にやってきた。
「どんなにやっても稼げないじゃん。」
加奈の目の前にトリマーの世界の真理はさらに立ちはだかる。何度も大会に出る内、加奈はあることに気がついたのだった。
それは優勝するチームの背景には必ず大きな団体が関係しているということ。純粋に技術だけで勝負できると心のどこかで思っていた。しかし、それだけではない世界。大人の世界ではよくある話だし、必ずしも悪いわけではない。貪欲に勝ちを追求する方法はいくらでもあるし、きっと彼女にもそれはできただろう。
が、そのことに気づいた途端に、何だか自分の努力が急にバカバカしく思えた。
「なんだそれ。おもしろくない。」
社会の真理に嫌悪感すら感じた。
気づくと同時に加奈のトリミングに対する情熱はみるみる内にに萎んでいく。
心と体は繋がっているとよくいうが、集中力の切れた加奈の体は悲鳴を上げた。ずっと違和感を感じていた腰に、ある日激痛みが走る。そしてそれは耐え難いものになっていった。それまで熱中していた、トリマーの仕事に心も体も全く集中できなくなった。
心が途切れたと同時に、体もバランスを崩す感覚がなぜか不思議と脳裏に残った。
腰の痛みは椎間板ヘルニアだった。前屈みの姿勢が長く続くトリマーの仕事は、今後続けられないと伝えられ、周りに切望されたトリマーとしての輝かしい未来から、加奈は潔く手を引いた。
5章 心と美
世の真理の中でもあからさまなのが、お金との付き合い。
どんな事情があろうとも、何もしなければそれは入って来なくなる。そういうものである。その道理を知っての親心なのか、とても優しい母だけどお小遣いをくれるほど甘くはない。またこの頃になると母の事業も以前ほどの景気の良さは無くなってきていることを、加奈も横目に感じていた。
「生活費は自分でなんとかしないとな」
仕事への情熱もこだわりもなく加奈は実家のダイニングテーブルに向かい1人腰かけ、妹が持って帰ってきた求人情報誌をなんとなくパラパラとめくった。トリマーという熱中から覚めた加奈の心は、新たな熱中を渇望していた。
仕事を探す基準はなんでもいいから割りが良く座ってできる仕事。
そして見つけた求人が、メンタルクリニックの受付だった。座っていられて免許もいらないその仕事は食べるための仕事、いわゆるライスワークにはもってこいだった。面接にもすんなり通った。
毎日受付に座ってほんの数分だけ患者さんと事務的な会話をするクリニックの仕事は、正直とても退屈だった。これまで全身を使って仕事をしてきた加奈にとって、それはまさにライスワークそのものだった。
そんな仕事の中にも楽しみがあった。業務内容はつまらなくても、仲のいいスタッフ同士のお喋りの中で、医療事務を担当する先輩の話は特に興味深かった。例えば患者さんがどんな悩みを抱えているのかという話を聞くうち、加奈はあることに気づく。
どんなに美しい顔立やスタイルのいい人でも、心がすさむと表情が暗くなり、艶が無くなる。加奈は美と心の繋がりに興味を持つようになっていった。
またクリニックで使われるアロマについて知ることも、幼い頃から美に関することが大好きだった加奈にとっては興味深いものだった。院長のアロマがどのように心を癒すのかという話は楽しくて仕方がなかった。
ある時スタッフで誰かアロマを勉強して、クリニックの調香師になって欲しいと言う院長の言葉に、誰先に手を挙げたのは加奈だった。なんとなく過ごしている退屈なこの場所のどこかに、自分にしかないやりがいを求め始めていた。
そうと決まればすぐに行動に出るのが加奈。まずは本で勉強してみた。が、この方法は全く面白くなく、自分にはあっていないとすぐに気づく。潔さが持ち味の加奈は、本からの学習をあっさり手放した。それでは習えばいいと、あっという間に知人のアロマセラピストに習いに行くことを決めた。
アロマの勉強は楽しくて仕方がなかった。
教室では香りのことはもちろん、それに合うトリートメントの種類や簡単なハンドマッサージなど、アロマがもたらすいろいろな効果を教えてくれた。
すると加奈の中である変化が起こる。練習でマッサージをさせてもらうと、その人の体が変わる瞬間にその表情もふわりと柔らかく明るくなる瞬間に、加奈の心は釘付けになっていった。自分の手から生まれる美と喜びが嬉しくてたまらない。また、ありがとうと感謝し、変化に喜び感動したと褒めてくれることがとにかく嬉しかった。
釘付けになった加奈の心は貪欲に、そして一直線にその機会を求め始める。アロマを使って美を提供する、エステティシャンになりたいと考えるようになったのだ。その旨をクリニックの院長に伝えると、寂しいけれどやりたいことをするのが1番だからと、快く送り出してくれた。そしてまた加奈は無職になった。
6章 ワーカホリック
今度の職探しの条件は明確だった。未経験でも体に触れてエステティシャンとしての経験を積ませてくれて、且つ給料が高い店と具体的な条件のもと求人を探した。
偶然見つけたのが、全国70店舗あるエステサロンチェーンの新店舗スターティングメンバーの求人だった。加奈は見事にチャンスを勝ち取った。
店舗がオープンすると主力店舗から応援部隊と呼ばれる成績上位の猛者たちが全国から集結する。加奈はその敏腕エステティシャンたちに張り付いて、その技だけでなく話術まで、見て、真似て、メモを取り、必死でそのスキルを盗んでいった。そして持ち前のセンスと貪欲なまでの努力でオープンから半年、売り上げ成績1位という全店舗70店舗のエステティシャンの頂点を勝ちとった。
一方で、加奈は違和感に襲われていた。偶然広告を見て店に予約をしてやってきた友人を前に、困惑する自分がいたのだ。
「なんできちゃったの!?ここにはきちゃいけないのに!」
と心が叫んでいた。1人に対して100万円以上のコースを進めていた。新規の予約が入ると、本部からその売り上げを確認される。それが当たり前の世界だった。でもいざ友人を前にした時、それが普通ではないことに違和感を感じたのだった。
さて、1番を取った者の道はその先2つに分かれる。継続して頂点を目指す者と、さらに理解を深めたいと運営という裏方にまわりたくなる者。加奈は後者だった。1番を取ったと同時に加奈の心は経営の方に向かっていった。
一位をとるまでの過程で気づいたのだ。それは自分の意外な特性。
スター選手やエースという目立つポジションがどんな仕事にもあるが、加奈にとって楽しいと感じる役割は、そのポジションをアシストしたりアレンジする裏方としてサポートしたり、ディレクションをする役割が心底楽しかった。自分が脚光を浴びるよりも、裏方として仕組みを回すことの方がおもしろいと感じている自分に気づいた加奈は、我が事ながら意外だと驚いたのだった。
マネジメントに興味が湧いた。店舗責任者になった加奈は月に一度開かれるマネジメント研修に招集されるようになった。広告や経費の考え方など、外部講師を読んで勉強をするそれが、加奈にとってとてつもなく楽しかった。好きこそ物の上手なれとはよくいったもので、加奈のいた静岡店はあっという間に全店舗中数店舗しか選ばれない優良店舗の常連店となった。
また、もう一つの楽しみが出張だった。優良店舗の責任者になると、今度はうまくいっていない店舗のボトムアップ要員として派遣される。うまくいっていない店舗のヒアリングをし、課題を深掘り、仮説を立て、戦略を練り、実践する。その計画が思った通りに動き出すことが楽しく、また訪問後うまくいくようになったと喜びの報告を受けることがとにかく嬉しくてたまらなかった。
しかしその反面、小さな違和感はどんどん大きくなり、経営に対する不信感へと形を変えていった。どれだけやっても都内のカリスマ店のようにはなれないもどかしさと、継続して求められる高すぎる目標に、どんどん疲弊していくスタッフ。求められているのはエステティシャンとしての技術ではなく、売り上げを上げられる話術だと痛感したのは、売上のために自分のスタッフが借金をして売りきれなかった自身の回数券を買っているとわかった時だった。
「やってられるか!」
プライベートまで切り捨て打ち込んできた仕事を、加奈はまたあっさりっと、そして潔く手放した。またしても無職になった。
7章 確かなモノ
職を離れて間も無く、加奈は高級ホテルスパのエステティシャンになっていた。
と言うのも、これまでに感じたことのない渇きを感じたからだった。
人を癒し美しくする技術をもっと学びたい。自分の技術を向上させていきたい。経営の不条理に苦しみ嫌気がさしたはずのエステだったが、こんなにもこの職を愛していることに離れて初めて気付いたのであった。
さて、ホテルスパで求められたのは売上ではなかった。確固たる技術の習得がそれだった。OPENまで一週間。それまでに10個、新しい技術を覚えなさいと言われる。全身を使うエステのそれは、正直とてもきつかったが、この上ない充実感を味わった。達成することがたまらなくて、気づけば瞬く間に1位と言われるポジションに立っていた。
しかしここでも加奈の前に違和感が立ちはだかる。今回のそれは化粧品だった。そのサロンで使われているトリートメントなどの製品を売って欲しいと言われるのだが、製品の裏に書かれている文字はドイツ語。どんな商品なのか調べようにも調べられない。
「この製品について、成分表や効能など詳しい情報をください。」
加奈の声に応えられるものは誰もいなかった。もちろん本部にもである。
とりあえず海洋深層水だからいいだとか、サラッとしたとか、しっとりしたとかいうテクスチャーで売って欲しいと言われた時、加奈の頭の中にカチンという音が響いた。売れと言われればなんといってでも売れる。そんなことはわかっている。だが、なぜ自分がわからないモノを人に進めなければならないのかという不信感が、加奈の心に広がっていった。
「根拠のないもの売るの、なんかヤダ。つまらない。」
加奈の心が新しい場所へと疼き出した。
そんな時、美容オタクの友だちからエンビロンのことを知らされた。ホームページを見てみて驚いた。美容ではなく、医療のような雰囲気に驚いた。
「こんな化粧品だったら勉強してみたいな。」
そんなことを思いながら、今度は妹が持って帰ってきた求人しをパラパラとめくってみた。
すると、まさに興味を持ち始めたエンビロンのエステサロン静岡新店スタッフ募集が偶然にも載っているではないか。いても立ってもいられず、早速その求人に応募した。求人倍率はなんと10倍その狭き門を前にして大きく開く。晴れてエンビロンエステサロンで働くことになった。
採用が決まったのち、ホテルスパに退職のお願いをした。人事マネージャーに自信を持てる商品を使って、本気でフェイシャルを学びたいと話した。ものすごく共感された。頑張ってねと強く背中を押され、みんな不条理に気付きながらも、どこかで仕事と割り切って働いていることを感じた。
8章 心から
人間の直感力は90%的中するという説がある。加奈がエステティシャンとして、プロとして感じたエンビロンと言う製品への直感もまたそれにピッタリと当てはまった。知れば知るほどに自信を持って人におすすめできることがとにかく嬉しく、勉強会や研修に出向いては知見を深めていった。
それとは裏腹に加奈が店舗責任者を務めるエステサロンの経営は、オーナーが思うほどには伸びなかった。結果2年足らずで静岡店は撤退し、浜松店だけを残すと方針が固まった。
「せっかく没頭できるものが見つかったのに。もったいないな。」
これまでどこまでも潔いい加奈の足が止まる。違う仕事を探そうかとも考えたが、どうにも前に動き出せなかった。この仕事を、この製品を愛していた。
ふと隣を見ると、同じ店舗で働くとあるスタッフもまた立ち尽くしていた。エステティシャンとしての確かな腕と知識、それに美しい容姿を兼ね備えた彼女に、この先どうするか尋ねると、働ける場所がないのなら職を変えるしかないと言う。
「もったいないな」
その時、加奈には勝ち筋が見えていた。
そんな時、そのエステサロン店舗のテナントオーナーが偶然にも遊びに来た。なんとなく、もう次に入る店舗は決まっているのか尋ねてみた。
「まだぜんぜん決まってないんだよね。しかも前回も今回も数年足らずで出ていかれていて、正直また新しい人に貸すことに億劫になっているんだよ。誰かこの店をよく知っている人に続けてもらえたらすごく嬉しいんだけどな。加奈さんはどうするの?」とテナントオーナー。
そう聞かれて、加奈はエンビロンという製品や、この仕事が好きだという気持ち。できればこの仕事をどこかで続けて行きたいという思いを話した。それを聞いたテナントオーナーの一言が大きく加奈の人生を動かす。
「そんなに好きなら、君がここでお店をやっちゃいなよ。」
ないなら作ればいいというその言葉は目から鱗だった。正直なところ、自営業を営む母をみてきたので、その苦労を心のどこかで避けてきていたかなだったが、テナントオーナーが加奈に出す条件の良さはそれこそ宝くじにでも当たったのかと思うほどの好条件だった。手出しは100万円。エステサロンに必要な機材は全て整っているので、新しく必要なものは看板やタオルといったものだけだった。こんなチャンスは二度とないと感じた。
それでも踏ん切りがつかなかった加奈は、その話を真っ先に自営業で飲食店を営んでいる夫に話した。すると彼はいった。
「昨日までいたところで、昨日まで一緒にやってきた人と、自分の思い描いたものが作れるんだ。やるしかないよ。ダメだったらやめればいい。ダメでもたった100万円。いい勉強だと思えるよ。」
次に一緒に仕事をしてきたスタッフに話した。
「加奈さんがやってくれるなら、私、一緒にやりたいです。まだ一緒にお仕事したいです。」
誰にも止められない。ただただ嬉しかった。腹を括った。それでも信じられないどこかにいて、サインをする前に、これでもかというほど契約書は何度も読み上げた。
9章 美と癒しを叶える場所
同じ場所、同じスタッフで、変わったのは店の名前とまっさらなタオルだけだった。
それでも加奈はやるからにはとことんやりたいと、叶えたい思いをできるかぎりのせた。加奈が叶えたかった思い。それは訪れるお客様が、心から安心して信頼できる空間で心身をともに癒すことで、内からも外からも美しくなれる場所を作ることだった。
驚くべきことに、オープンしたその月に売り上げがたった。テナントの家賃も、スタッフのお給料も全て支払い、その上で黒字化できたのだ。
「よかった。これならやっていける。」
オープンから一ヶ月、やっと落ち着いて息ができた気がした。手の震えに自分がどれほど自分が緊張していたかを痛感し、それがどこかおかしくて笑えてきた。
全店舗と何も変わらない場所、商品、スタッフ。変わったのは「やる気」と「責任感」だった。それだけがあれば何を変えなくても、人も経営もすぐに変われること痛感した。
それからも加奈の挑戦は続いたが、経営の本質は何年経っても変わらなかった。見た目が大きくなればかっこいいかもしれないと、規模を拡大したこともあった。だが、見た目がどうということよりも、目の前のお客さまに満足してもらえるよう、余裕を持って行き届いたケアをできることが大切だと知った。
それを続けることで、数年前から全国に2000店舗ほどあるエンビロン販売店のうち30店舗だけが選ばれる5STARという認定を受け続けている。今ではその噂を聞きつけて、静岡内外から予約が入る人気店となった。
加奈が大事にしている本質は大切な家族にも同じことを感じていうる。習い事などプロとの時間ももちろん大切だが、1番大切なのは愛娘と一緒に過ごす時間が1番大事と、仕事を終える時間を学校が終わる時間に合わせた。
大きく広げることよりも、大切なことがあるというのが加奈の持論である。
そして次なる加奈の目標が、目の前にいるスタッフの夢を叶えること。他店のコンサル業も考えたが、それよりも何よりも大切な2人の同志の幸せを叶えることこそ、加奈が辿り着いた本質だ。
今日も静岡の小さなエステサロンVOEUXで、加奈は一人一人のお客さまの美と癒しを叶え続けている。
あとがき
まずはじめに長文を最後まで読んでくださってありがとうございます。
今回加奈さんの半生を書かせていただいて感じたのは、「継続は力なり」という言葉の本質が彼女の半生の中にあるということです。
一見いろいろな仕事を転々としているように見える彼女ですが、半生を通して一気通貫しているのが、美と心のつながりへの興味。また、充実した時間の中で学び、その経験と知識の全てを駆使し、人に尽くす。それによって喜びが生まれる場所にこそ自身の居場所があると感じ、前進していらっしゃるということ。ブレているようで決してブレない、確かな核である「自分らしさ」が、加奈さん自身の中にあることを強く感じました。
自分のそれはなんだろうと、自分の中に思いを馳せてみましたが、残念ながらうんともすんとも思い浮かばない。きっとそれを知るには少し離れたところから自分という人柄を見る必要があるのだなぁと、夜中のキーボードに向かいつつ感じました。
最後に加奈さんからインスピレーションをいただいた、大女優オードリー・ヘップバーンの言葉をご紹介して、あとがきとさせていただきます。
「チャンスなんてそう度々巡ってくるものではないの。だからいざ巡ってきたら、逃さずに自分のものにするの」
「Love is action! 愛は行動なのよ!」
オードリー・ヘップバーン
interviewer:masaki
writer:hiloco Nakamatsu
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