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自己紹介

Masahiroと申します。RUNTEQ入学に際して(もう2ヶ月ほど経過してしまいましたが…笑)見ていただいた方と繋がれたらと思い、自己紹介をさせていただきます。


生い立ちと価値観

1995年生まれ、二人兄弟の長男、兵庫県出身です。関西出身といっても、幼少から大学まで親の仕事の都合で兵庫→東京→名古屋→大阪→兵庫と引越しで転々としてきました。  

あと、社会人はほぼ東京暮らしです。なので、普段は標準語で、たまにエセ関西弁を話します。

大企業で猛烈な働き方をする父の背中を見て育ち、尊敬の念を持つ一方で、股関節を悪くしても職責のために外科手術を延期し、無理をして働いている姿も強く印象に残っていました。

これまでの「企業の時代」から、個人がサービスを提供できる「個の時代」に生きるものとして、自分らしい生き方を模索したいと考えていました。

学生時代の起業経験

大学生になった当時の私にあったのは「自分の力で何かを成し遂げたい」という強い思いでした。父の姿を見て育った私は、会社に縛られない生き方に憧れていたのかもしれません。

様々なスモールビジネスに挑戦し、特に目に見える結果が出たのがいわゆる「せどり」に属する、安く買って高く売るというシンプルな商売でした。

主に国内の中古カメラやゲーム機など、海外需要が高い商品を仕入れて輸出することで、個人事業規模ながらも商売の基本を幅広く吸収できました。

幸いにも一定の結果を出せたため、就職の道と天秤にかけた結果、個人事業主としての道を進みます。(寛大な親に感謝!)

自営業としての成長

そこから、5年ほど同じビジネスに関わり順調でしたが、「このビジネス、もっと効率化できるんじゃないか?」と気づくことが多くなりました。

気づけば興味のままに、PythonやGASを用いた業務効率化スクリプトや、国際宅急便の各社配送料金比較システムを自発的に企画して、エンジニアの方との制作に熱心になっていました。

とはいえ、このころから、個人での限界も感じ始めていました。せどりが本質的には労働集約型のビジネスモデルなので、外注だけで回すには限界があり、これ以上規模を求める場合は人を雇用したり、大量に在庫するための広い事務所をもつ必要がありました。

「このまま一人で続けていくべきなのか?」そんな迷いが心の中で大きくなっていきます。

会社員時代の気づき

そこで、キャリアを築いて市場から求められる人材になりたいと思い、1000人ほどの越境ECにまつわる企業で新規事業開発職として中途入社します。

わくわくしながら入社しましたが、現実は甘く有りませんでした。求められるスキルと自分の力量のギャップ。チームで働くことの難しさ。挫折を味わう日々でした。

1年間は本気でコミットしてみたものの結果は乏しく、素晴らしい環境が整っていても自分の力量次第では活かすことができないと悔いました。

自分ひとりの力では限界があって、「適切に周りの力を借りて結果にこだわる」ことの重要性も実務を通じて学びました。

結局、仕事のサイクルが落ち着いたところでキャリアを再考し、退職することにしました。

気づかぬ間に自分の中にできはじめていた無用なプライドもボキボキに折れて、人としてのバランスは良くなったのかもしれません。笑

エンジニア転職を目指す理由と目標

ビジネス職としてエンジニアの方と一緒に仕事を進められたことは、間違いなく自分の中でとてもいい経験となりました。

業務効率化のプロジェクトを企画していたり、大きなサービスの根幹を担っていたりするエンジニアの現場を間近で感じて、やはり本職の方の知見や形にする技術力は凄いなと、強烈に嫉妬心やリスペクトの念が湧いたのを記憶しています。

この体験から、技術を使ってビジネスの成長に貢献できる人になりたいと強く思いました。そこからProgateを一通りやってみたり、情報収集した上で本格的にエンジニアを目指しはじめてRUNTEQへ入学します。

最後に

未経験からエンジニア転職にあたっての毎日の学習は決して楽ではありませんが、同期や先輩方と協力しあってエンジニア転職を成功させたいと思います。

みなさま、どうぞよろしくお願いします!