自立の仮免から本免への変遷
2023年は自立の「仮免」のような一年だった。
引きこもり、実家暮らし、ニートからの派遣社員。
東京に上京し就職。退職からの初めての一人暮らし。
怒涛とも言える数年を過ごし、それなりに笑い話も抱えるくらいには経験できた。電車の乗り継ぎも慣れたもので、魔境魔窟と言われる新宿駅も山手線から中央線の乗り継ぎくらいなら案内を見なくても行き来できるくらいには成長した。
自然とできることが増え、家族に話せば毎日がお祝いになるくらいの成長っぷりを見せている俺も、向上心が高いのかなんなのか、できないことばかりに意識も目も何もかもがむく。
口を開けば「あれができないこれができてない」「あれも欲しい、これも欲しい、もっと欲しい、もっともっと欲しい」といった感じだ。
度重なる失敗と、挑戦できなかったコンプレックスが地層のように重なり、気づけば好奇心が埋もれるくらい卑屈になっていった。
心の裏にあるキラキラ輝く星を忘れ、今日も卑屈を積み重ねる日々だった。
そんな自分が一念発起し、いい加減自分らしく生きたいと思い、昨年は1年間を使って自らを変化させるために時間もお金も投資してきた。
竹内晶貴という人間の根底にあるのは好奇心とどこまでも自由を求めるその青々とした爽快感ではないかと思う。
しかし実際はコンプレックスと怒りと喪失感、絶望などの暗くて重い感情の数々だった。
自身が持つ能力や特技が一般的には理解されにくいもので、生かし方もわからないとすると、当然批判の矢印は自分に向く。
当時の俺はそこを跳ね除けて進むだけの強さがなく、むしろ吹けば消えてしまうような繊細な感性の持ち主だった。
今でもそこは変わらないが、あまりにも繊細がすぎていたと思う。
箱の中に色々な感情が入ってる。
「見栄」「体裁」「世間体」「プライド」「恐怖」「喜び」「怒り」「悲しみ」
取り繕っているものほど上にあって、体験を通してメッキがどんどん剥がされいてく。
言語のみで理解した人生の本質とかなんか成功した人が言うライフハックとか成功法則とか。
まるで自分が体験したかのように錯覚するが現実に戻るや否や一気にその時受けた希望や熱量が消失する。
そんな感じで自分という箱の中身が取り払われた時、底の底に本当の自分がいる。
「それでも俺は俺らしく生きたい」と。
どんなに傷ついても、嫌な思いをしても。
死のうとして失敗して、死ぬことすらできないのかと本当に自分が嫌になっても。
それでも自分らしく生きたい。という熱は消えなかった。
2023年はそんな自分と向き合い、現実的に行動して環境を変えるために奔走した日々だった。
そのおかげで随分変わることができたが、心のどこかに引っ掛かりがあってそれが解消されることはなかった。
2024年になり早速体調を崩した。
2023年の勢いのままに今年は龍のように飛躍するんだと意気込んでのこれだ。
流石に凹んだがそもそも身体が動かない。凹む元気もないので諦めて寝続けた。
人間本当に具合が悪いと、落ち込む余裕すらないのだとこの時初めて体験した。
でも、これが逆に良かった。
割り切るということが苦手で、常にもう1つの選択肢を念頭に置きながら行動してしまう癖が俺にはある。
メリハリというものが苦手だった。
決断してもそれを引っ込めるとか、終わったことを振り返って正しかったのかどうか考えるとか。
元々自信がなかったり損をするのが極端に嫌で常に「大丈夫な道」の模索ばかりしていた。
そんな時「あれ、2023年て変化することができたけど補助輪ありきの決断だったな」と気づいた。
最終的に決定して行動するのは自分でもそこに至るまでのプロセスがあまりにも安心安全なものすぎたのだ。
だから「何かあったらこの人に聞けばいい」とか「何かあっても助けてくれるだろう」という意識が常に頭の中にあった。
補助輪ありきの一年だったなと。これのおかげで変われたから悪いわけでなく、今年はそこからさらに進んでいかないといけないということに気づかなければいけなかった。
だから2024年のテーマは「自分を信じることを完璧にする」だ。
去年までは自立(仮免)だった。
今年は自立(本免)にすることに決めた。
自分を信じ、自分で選択して行動する。
そういう体験を積み重ねる一年にする。
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