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それでも私は人を愛する。

近頃は、ままならないことばかりだ。他人との関わり方も、自分のあり方も。

最近まで転職活動をしていた。Wantedlyのプロフィールの一番大きなフォントで表示される欄に「人の全体性と共にある」と書いたので、カジュアル面談や面接の自己紹介の際はいつもこの言葉に触れていた。

でも、思い返すとこの言葉にどんな意味を込めているのか、いかに自分にとって大事な言葉かを本気で伝えた機会なんてほとんどなかった。せいぜい、「人のいろんな感情を大事にしたいという気持ちから、コーチングに興味を持って〜」ぐらいに、コーチングというそこそこメジャーになってきた自分のキャリアを紹介する繋ぎに使うのが関の山だ。

自分の大切なものは揺るぎないのに、変えられる気も変える気もないはずなのに、いざ他人に言葉として出そうとすると軽く、雑に扱ってしまう。それは、「どうせわかってもらえないから、伝わりやすいことだけ話そう」という諦めからだった。

実際、自分が大事にしていることを本気で表現した所で理解してくれる人はそんなにいないのかもしれない。面接で理解されにくい話をして印象を下げるより、わかりやすく自己を表現しようとした自分はある意味"賢い"のかもしれない。

でも、それは自分が望んでいる生き方ではない。例え理解してくれる人が世界に数%しかいなかったとしても、表現することをやめたら、私の人生ではなくなる。

明日から、新しい職場での人生がまた始まる。その前に改めて自分の信念を宣言したくて、このnoteを書いた。

人間は自然に変化していく存在である。無理に成長しようとする必要なんてない。また、成長すれば幸せになるわけでも、成長しなければ不幸になるわけでもない。

人間は多面的な存在である。そして、明るい側面だろうと暗い側面だろうと、それぞれの面に優劣や良し悪しはない。全ての側面がその人をかたちづくっている。

そして私は、そんな人間と共に居続け、愛し続けたい。これからも傷つくことはたくさんあるかもしれないけど、それでも。

P.S. 表紙の写真は、自分で撮ったもの。ゴミ箱という汚いものの象徴の上に毛布が無造作に置いてある光景が、私にはなんだか温かく美しく見えた。


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