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僕の輪理

人としてこだわり守るべきを倫理というなら、僕が輪行というスタイルに拘泥する理由を「輪理」と呼ばせてもらおう。

ブロンプトンはよく走る。トップギアでペダルを1回転させると8メートル前へ進む。時速30キロが出せる。

たとえば毎度の通勤。姫路駅前に借りている仕事場(mocco)へは自宅から7キロほどだ。平らな地形だから快適に走れる。わざわざ電車・バスへ持ち込んで輪行する必要があるだろうか。

必要がある。なぜなら運転中、自車と関わる二輪車の存在を意識できない・意識しながら邪魔者扱いする四輪至上主義者がドライバーの大半を占める姫路では、リスクが高すぎるのだ。用心するにしくはなかろう。

2011年8月。僕はオートバイ乗車中に漫然運転の自動車と衝突して大けがを負った。140日近く入院しても完治せず左足には後遺症がある。ライターとして培ってきた経済的な基盤も多くを失った。

かごの鳥さながらの境遇であしたのエサを心配する暮らしは、もう経験したくない。だから自転車だけを足にせず、輪行できそうなら電車・バスへ持ち込む。これが僕の輪理である。

写真は、かごの鳥が見ていた景色。

(2015年2月13日)


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