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価値を手放した先にある安心感

こんばんは

一歩ずつ介護医療の世界に
戻る準備を先日より始めました

その中で
自分がこの世界で改めて何を表現できるか?
という気持ちがふつふつと湧いてきていますが

それは注意しなければならなくて
丁寧に見つめる必要があると思っています

なぜならば
こちらが何かを表現しようという気持ちそのものがおこがましいという事に気づいたからです

大切なのは
高齢者だろうと他の方だろうと
その方そのものがどんな状態であろうと

たとえば
歩けない
ご飯を自分で食べれない
トイレで用を足せない
などあらゆる状態であろうと

そこには本当の価値が存在しないのではないかという事

歩けるから価値があって
歩けないから価値がない
自分でご飯を食べれるから価値があって
自分でご飯を食べれないから価値がない
トイレで用を足せるから価値があって
トイレで用を足せないから価値がない

そういう事ではなくて
歩けなくても
自分で食事できなくても
トイレで用を足せなくても

その方の本当の価値は
そこにはないのではないか…
その様に想います

大切なのは
その価値の奥をみようと心掛ける事

そこにあるのは
価値を手放している世界

できるかできないかを超えて

価値を手放している時
目の前の人は安心し
自分も安心している

あなたもわたしも
同じあたたかな感覚に
包まれている

こんな心境の時…
表現なんておこがましい言葉は出てこない

ただ目の前の人に関われている事が
ただただ嬉しい

これからまた人と関われる事が
とても楽しみになってきています

本日も読んで頂き
ありがとうございました

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