デジタル

 デンタルではない(小ボケ)。

 デジタルは死んだ、デジタルという単語はとうの昔に消費期限が切れて腐って消滅したと思っていた。思い込んでいた。まさか「デジタル・トランスフォーメーション」なんて中身のない言葉になって蘇って来ようとは思いもよらなかった。
 デジタルといったらCD(コンパクトディスク)に音を入れる量子化(音波の周波数成分を小分けにしてどの範囲の周波数の音がどれくらいの強度で入っているかを記録するための、「点」への変換)である。ノイマン型コンピュータの系譜を継ぐ電算機器におけるビットである。それ以上でもそれ以下でもない。

 でも、どこぞのバカタレが好き勝手にDXとかほざきだした。きっとソイツは企業にコンサルタント業務を捻じ込みたい守銭奴に違いない(強い偏見)。ソイツがドイツか放っておこう。知ったところで殴りには行けまい(倫理上と法律上)。

 DXの文脈で、どこぞの国の「頭の軽い」らしいリーダーが「デジタル田園調布構想」とやらを打ち出した……間違ってる? 「田園調布じゃない?」 一億「田園調布に家が立つ!」って、そういうじゃない? それは失礼。すいません。「デジタル田園構想」とやらを出したけど、半年ほどたった今においては「なかった」ことになってるのかしらん。

 こうかいて、「まーた、バカタレ岸田文雄のアホンダラ!って感じの悪口か」と思われた方、そこじゃないです。この作文は。意外なところへ話をもって行きますよー。

 仮にバーチャルリアリティな田園電脳化、地域差のない情報流通が成されたならどうなるか、という話です。

 いまの「失業率(裏腹に「就労率」)」を国家領域内経済の一番大事な指標としている経済学者が多い(国会議員や内閣閣僚や行政官たる官僚からそういう発言、発信をわたしは見聞したことがない。アンテナ感度が低いだけ? 苦笑)。でも、経済の担い手が都市集中から地域内全体への分散へ転じると失業率指標は有用な指標たり得なくなるのではないでしょうか? と疑問を呈したいのです。

 経済規模の大きいところ(経済全体への「寄与度の大きいもの」)に着目するのは「今は」いい。「今は」適切であり「今は」正しいと思います。でも、いつまでも人口集中の限界超えて集中した都市を中心とした「就労」という経済活動の原動力ばかり見ていたら足元を掬われるのではないでしょうか。フリーランスが経済の大きな担い手になってしまったら、既存の経済学の「見立て」は通用しなくなる。なあに、そうなってから「見立て」を変更、改善すればいいやとたかをくくっておられるのでしょうか。
 ほんのわずか前の日本は「農業大国」でした。農林水産産品が経済の主軸、お蚕様万歳!だったではないですか。
 鉄鋼造船や石油合成化学、最近だと自動車産業でしょうか、そういう「経済の主役」が変遷してきた「今」限定でしか雇用指標は経済活動の「消費するカネの供給源」を担えないのではないでしょうか。

 ……わたしの言ってることは無茶苦茶です。既存の経済学の、安定した「見立て」からしたら支離滅裂でしょう。
 でも、過渡期だって思いませんか? 経済学の羅針盤の指し示す先は、ひたすらグルグル回るばかりで方位が定まっていないのではないですか?

 わたしみたいなバカの言うことに、ちょびとだけでも耳を傾けて、検討してみてもよくないかなーって思うですが。どうでしょう。

 都市生活で集中した人々がばらばらと散らばった先で、雇用ではなく自営業の形態で商業なり製造なりをして日本国という領域内の経済の背骨を支えるようになったなら、既存の経済学もどっちみち手直ししないと「使い物にならない」でしょうから、今のうちに変化に備えおくというのも悪くないのではないでしょうかね。……まあ、真に受ける必要もないんですが(苦笑)。

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