登った梯子は外される

 そういう経験を、ちょっと上の世代は一度ならず何度も経験している。
 「デジタル・トランスフォーメーション」のジャンルに限っても、ビジネスマン・事務方なら最低2回は実地に苦痛を味わっておられるのではないだろうか。いや最低1回かな。

 「日本語ワードプロセッサー専用機」
 これに「手が馴染んでしまった」人を多く知っている。……PC/AT・IBM互換パーソナルコンピューターにバンドルされるマイクロソフト・ワードは英文作成には最適解であったかもしれないけれど、日本語作文にはまったく向いてなかった。なに、このウンコは……。英文タイプライターから正当に「進歩した」歴史経緯を思えばむしろ「使い勝手のいい」道具と感じた人もあったことだろう。文字を叩くだけで「書籍のような」見栄えの文書が印字できたのだから。
 ……日本語ワードプロセッサ専用機は滅んだ。いち早く「デジタル・トラスフォーメーション」の利便に乗っかった人々の梯子は外されたのだった。

 シャープ『ザウルス』ほか
 紙に書く手帳の「デジタル・トランスフォーメーション」として忘れられないのはザウルスという電子手帳だろう。
 電子手帳という商品はいくつか作られた。
 それはカード電卓が発展したかのような代物だった。
 わたしは「似たような物」はつかていたけれど「ザウルス」そのものには触れていない。のちに中古屋で「ゲームボーイ向け電子手帳アプリ」というのには触れた。先に「ポケットモンスター」の小さいウィンドウが開くインターフェイスに慣れてしまっていたので、「ゲームボーイ向け電子手帳アプリ」のインターフェイスの「悪さ」に驚嘆したことを覚えている。子供向けにまで電子手帳は広がりを見せていた。けれど、ザウルスともども日本の電子手帳は滅びた。

 全銀協の送金ネットワークが「はじめて」「一度」不具合を起こして世間は軽く騒動となったらしい。

 「デジタル・トランスフォーメーション」に夢を託すかのように振る舞う方々には、「歴史を訪ねる」ことをお薦め(レコメンド・『勧告』)したい、と思う次第です。

 おしまい。
#デジタル・トランスフォーメーション


《追記》
 最後に「全銀協送金システムの不具合」を持ってきたことで論旨がぼやけてしまった。すまぬ。
 でも、このままとしておきます。

 ガラパゴスと揶揄された「携帯電話機」、その前の「ポケットベル」。
 あるいは「ホームビデオデッキ」。
 商品という形で結実し、物理として目の間の物としてあったそれらの教訓は、形が不確かで、だからこそ移ろいやすく失われてしまうことも容易に思われる「デジタル・トランスフォーメーション」の具体・実装におていはより一層の「梯子かけ」と「梯子外し」が起きることを、あらかじめ腹を括って「覚悟」できてますか? と問いたいなあって思っています。


《追記の追記》
 追記の追記じゃない気もするが。

 「デジタル・トランスフォーメーション」議論を眺めると、「足元」がおそろかになっているように感じる。
 社会基盤・インフラストラクチャー、つまり「高速通信の実装・具現」を「規定のもの、『湯水のようなもの』」と軽視しているようだ。
 移動体通信「6G」にしても、アンテナの(5G以上の)緻密な設置とアンテナに対する有線の回線敷設といったことを "バカチンな"政府はひとつも顧みていない様子だ。民間企業、平たく言えばNECや携帯電話企業に丸投げして、基礎がダメなのはテメエらのせいだと、好き勝手に打ち合えておいて責任とコストのツケは「しもじも」に丸投げしようとしているとしか、わたしには見えない。
 なんですか? 「デジタル庁」(あたまスカスカ、菅義偉政権。「ウポポイ」の恨み忘れまじ)だ? 「デジタル田園(調布)」だ? 「新しい資本主義」だ? テメエら、少しは「自前の、親から譲り受けたテメエのおつむ」を使いやがれ!ってんだ、と腹が立ってきたゾ(苦笑)。
 実装、具体、実現の見込みもなしに、なーに抜かしやがってんだよ、って思う。思ってしまう。
 太陽光発電、風力発電の優遇が明らかに「失敗」している。なのに路線変更すら「出来ない」。バカチン以外の、これはなんと表現されるべきだろうか。
 失敗に学ばない、失敗を顧みない。テロ組織オウムよる都心地下鉄車内の毒ガスサリン散布の犯行を、現時点の日本は速やかに対処できるのか? 安倍晋三氏暗殺の再演を防げるのか? 最近開催された方の東京オリンピックは人出を抑制する条件が揃っていたとはいえ「無難に」警備が出来た実績はあるとしても、次は、次の次は、果たして誇れるほどに役目を果たせるのだろうか、とわたし個人は疑問に感じている。

 話、だいぶ逸れてる?

 でも、「夢」を語るのなら、それが実装・実現する見通し、具体を片鱗でも示す誠意は必要ではないだろうか?
 具体のためには、過去の経緯をおさらいすることが必須ではないか?

 「軽い言葉」と思われる演説を国民にする「ナントカ眼鏡」様におかれまして、腹の底にちゃんと「日本」という重たい国家観を置くように。置けるように、「聞く耳」で学びちゃんとノートを取って、「テメエのおつむ」でお考えいただきたい、と思います。……そんな「当たり前」のことを忠告する側近すら、いないんでしょうか? 宦官しかいない?

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