みたいものをみている

 ギガジンさんところの翻訳記事にIQテストの話題があった。

https://gigazine.net/news/20210507-iq-humans-smarter/

 結論は記事の最後をご覧あれ。

 さて、ことIQスコアに限らず、評価にせよ観察・観測にせよ、なんらかのものさし(標準)や評価、価値観からくる「みる角度」というものは必然として備わるものだ。いくら「客観だ」と唱えたところで、それは「みたいものをみている」だけのかもしれない、という危うさを常に孕んでいる。数字だから間違いない、だとか、客観的事実だからと説得しようとする向きは多い。そういうたいど「こそ」が科学的姿勢なのだと信じて一片もひとひらの疑いも「自分自身に対して」ない様子が、わたしからしたら誠に滑稽だ。まあ、社会に対して害毒を流さない限りにおいては笑い話で済むのだけれど、そういう「信念の人」はしばしば社会に致命傷を負わせてしまう面がある。一方で、そういう馬鹿信念に人があることで社会が「より良くなる」場合もあるから、コトは簡単でないのだけれど。現代における「中世ヨーロッパ観」のように硬直化した社会は、どうやら今現在の日本社会の鏡に映した像のようにぴったり重なっているようなのだけれど、まあそこはここでは触れない。

 さて、面倒な根本問題(人は「決して」万能万全な「客観」を獲得し得ない)は、面倒な難問だし書き表して「わかってもらえる」ことすらなかなか難儀なことなので、こちらも脇に置く。IQスコアのことだけ書いてこの作文を終えます。
 世の中のテストには、それがどんなテストであろうと「傾向」と「対策」があります。テストが「不具合のなさの確認」や「正当な評価」のために行われるものである一方、テストは「ものさし」であるが故にそこには、「不具合があっても合格するノウハウ」や「合格点に到達してなくとも、『正解』を答えまくる術」がありうるのです。この辺りは程度問題。ひどいものは「不具合を隠して合格したことにする不正検査」とか「カネを払って正解を入手する不正入試」となるでしょう。
 IQテストでこの手の不正が行われるとは考えにくいでしょう。だからスコアが良いのは「IQテストに正答するスキルが身についていたから」だし、スコアが悪いのはその逆だってことでしかないでしょう。端的に書けば「IQテストに正答するコツ」の有無でしかない、となるでしょうか。

 IQテストの質問項目は時代とともに刷新され、場所と言語に応じて調整されていると聞きます。そもそも、その性質上、場所(言語)の「公平性」と時間の「公平性」は、担保しうるものなのかどうか、わたしには判断ができません。IQスコアが高いことをやたら誇る賢いバカタレも散見されます。「微笑ましいなあ」と見ていますが、権威を振り回して悪事をなすのであれば、ちょっと看過は難しい、ということになるでしょう。……なんてなことをちょっと思いました、とさ。

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