ヒットラーという現象

 おもしろ動画、って書くと誤解されるかな。興味深い動画。

https://www.youtube.com/watch?v=Mg5MlCZ-M6M

2016年12月12日 1時間49分20秒
(若干、リベラル寄りっぽい。当時の日本国政権を時事的に批判非難がところどころ挟まれている。けど、現代社会でもヒットラー独裁が発芽する危険性ついての警鐘という点においては反リベラルの人間にも学ぶべきところがあると考える。マジ(真剣)に新ヒットラーの台頭を防ごう!と思えばあらゆる人間に耳を傾けてもらい説得しそれぞれに対峙してもらえるようにすべきだろう、とわたしは思う)

・ヒットラーは「(ドイツ国民すべてを含んで)支えられることで成立した」
・ドイツおよびヨーロッパが「臭いものには蓋」式に「ヒットラー」の実像を知らなければ、「再発」を防げないのではないか、という提言、意見(批判)

・「作られたヒットラー」(30歳以降)
 1) アジテーター(扇動政治家)大衆動員 プロパガンダリスト
   集会と宣伝が大好き
 2) 差別主義 レイシスト 優生思想(劣るものの排除)
 3) 反ユダヤ主義 「ユダヤ人種」という「敵」を用意した
   (そもそもユダヤ人とはユダヤ教に「帰依した」人々の呼称。古代ユダヤ社会や経典では血筋の強調がみられるが、古代ユダヤ王国が破れて以降、散り散りになった人々とは別に、「国まるごとユダヤ教を受けいれた」国家もあった。現在のいわゆるユダヤ人はその国の末裔が多い、とも聞く)
 4) 反共主義 (マルクスの書物などに端を発するコミュニズムを「敵」とする考え)

・ポピュリスト 大衆迎合 (エリート層のすべてを敵視はしなかった)
労働運動の指導者 社会民主主義の政治家 ユダヤ資本家 特定エリートを敵視 (保守エリートではない、新興エリートを敵視し、保守エリート・古参の政治勢力と協調し取り込みを図った)

(建築家になりたかった、けどなれなかった)
様式美 親衛隊 突撃隊
様式美を政治闘争にもちこんだ カッコイイ制服 行進
「秩序」に適応できない人間を排除する姿勢

独善家(自分勝手) 冷徹 日和見(空気読む)
人を惹きつける能力 カリスマ、天才の自負 (1923年ごろ)
演出、宣伝

「我が闘争」 失敗談や欠点にはいっさい触れず、脚色と演出だらけ (後の研究と調査から「事実にそぐわない」記述多し)

ミューヘン一揆 被告人弁論 自分の都合で過去の出来事を整理
「嘘も真実になる」?

国民社会主義ドイツ労働者党 (政敵からは「ナチ党」「ナチス党」などと呼ばれた。隠語っぽい)
国民主義、民族主義
前身はドイツ労働者党 (マルクス主義から労働者の解放)

弁舌の力 観客動員力 「スター」
カリスマを周囲から認められ、自ら進んでカリスマを演じた
国民社会主義ドイツ労働者党という組織とヒットラー個人は「一体」
ドイツ・ワイマール憲法体制のもとでは「珍しい」政党
(党 パーティ の運用は「民主的」であるのが通例だった。党首も民主的手続きに基づいて選出される)
(国民社会主義ドイツ労働者党の党首選出手続きが「民主的ではなかった」とする根拠が不明。実際には確かにヒットラーが再任され続けたけれども「口達者が票を集める」なんてことは、さもありなん、ではなかろうか)
国民社会主義ドイツ労働者党(もともと政党ではなく政治団体。そのため「任期」に関する党内規約が備えられていなかった)
ヒットラーは表看板 救世主

カリスマ、カリスマ支配 の定義
非日常的偉業を示し続けることが前提 (捏造的広報活動が大事)

台頭の要因
 ・世界恐慌(第1次世界大戦後のドイツ国内の不況)

都市進出に失敗(社会民主党や共産党、労働組合の影響力が絶大)
農村進出に成功 (窮状 政府が見捨てた「農民」こそが主役 農民を中心とした国家に)

ワイマール共和国打倒を目指す保守系政党(代表は国家人民党14.2%1928年)、そして国民社会主義ドイツ労働者党
反「ヤング案」国民運動 政府が受け入れ 国民が反発 反政府運動として保守党勢力を糾合(国民社会主義ドイツ労働者党も合流)
(ヤング案)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%83%B3%E3%82%B0%E6%A1%88

1929年 世界恐慌に対する政府の対応 デフレと増税政策
「ワイマール共和国は憲法があっても実現できていない」という批判
議会機能不全
若者の急進化 「資本主義はもう終わりだ」 コミュニズム宣伝の迫真 共和国離れ コミュニズム(共産主義)か保守系新進気鋭の国民社会主義ドイツ労働者党(ナチズム)か 極端な二者択一(なんだかマインドセットっぽい)
利害対立 富の再分配 対立激化 政党議会政治による調整機能が機能しなくなる
カソリックの中央議会政党だけが党勢を維持
(カソリックは地方・農村を母体とした宗教に基づく保守勢力)

1930年9月 選挙
第2党 国民社会主義ドイツ労働者党
第3党 ドイツ共産党

国会(立法府)が法律を制定できない状態に
ワイマール憲法に定める「大統領の大権」だけが国政運用の頼みの綱に

1932年7月 選挙 第1党 国民社会主義ドイツ労働者党
ドイツ共産党も伸びる
(両方合わせると議席の過半数となり、大きく対立するふたつの派閥によって国会は開催してもなにも決められない状況になる)

街頭が政治の場に

1932年秋 選挙
国民社会主義ドイツ労働者党 議席を減らす
ドイツ共産党 議席を伸ばす(100議席)

財界の危機感
「議会制政党政治に反対」
「階級闘争の克服」
「ドイツ経済の再興のため」
「ヒットラーを首相に」 大統領に対して懇請

国民社会主義ドイツ労働者党 若者を中心に 大衆基盤の獲得
個別利益のアピールよりも全体の利益を主張
(42分20秒)
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(120210809月)

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(後半)
1932年秋 国民社会主義ドイツ労働者党 低落
地方政治 地方選挙
低落する国民社会主義ドイツ労働者党に手を差し伸べたのは保守政党勢 ヒンデンブルグ大統領
(この動画公開当時の、麻生さんの「手口」発言への言及)
議会で党勢を落としているときにヒットラーは首相に任用された(ヒンデンブルグ大統領によって)

(わたしも麻生さんと同様に「議会多数派になったから」という理解をしていた)

(1933年)1月30日 ヒットラー 首相就任(保守勢力のヒンデンブルグ大統領による)

ヒンデンブルグ大統領の判断に対する「なぜ」
 財界からの圧力 先にあげた選挙後の請願書
 議席を伸ばす 勢いに乗るドイツ共産党への牽制として、国民社会主義ドイツ労働者党とヒットラーを利用しようとした。
国民社会主義ドイツ労働者党の統制は衰え、いずれ消えるであろうと思われるからこそヒンデンブルグ大統領は対抗勢力として引き立てた。

目的。
 1. 機能不全に陥った議会制民主主義を終わらせ、機能する新しい体制に移行すること
 2. 資本主義経済活動を終わらせてしまうドイツ共産党を倒し脅威を取り除くこと
 3. 第1次世界大戦の敗北により課せられた(ベルサイユ条約による)ドイツ武装解除を覆し、再軍備すること

 つまり、「強いドイツ」が保守勢力の思惑。そのために国民社会主義ドイツ労働者党とヒットラー党首は「使える駒」と思えた。

 ヒットラー政権発足。 閣僚。国民社会主義ドイツ労働者党はヒットラー含め3人。他は保守政党の人。

(ドイツ内政のための、ヒンデンブルグなど保守勢力の傀儡としてのヒットラー首相……のつもりでいた……)
総議席数584議席のうち、与党は248議席。国民社会主義ドイツ労働者党は196議席。連立相手の国家人民党52議席。国民社会主義ドイツ労働者党と連立相手だけでは過半数に満たない。少数派内閣。
(副首相フランツ・フォン・パーペン)

ヒットラー、ただちに国会を解散。国民社会主義ドイツ労働者党だけの過半数獲得を目指して選挙へ(1933年3月5日投票)。

首相ヒットラーの道具。
 1, 大統領緊急令 ビューニング、パーペン、シュライヤーの歴代首相が使った「緊急事態命令」 ドイツ共産党ゼネストの可能性に対して発動 国会議事堂炎上事件(1933年2月27日) 共産党に対する疑惑をもって国家防衛のため大統領緊急令発動。「議事堂炎上令」 48条第2項。基本的人権の効力を一時的に停止。
 2. 国民社会主義ドイツ労働者党の親衛隊と突撃隊
 3. 国民社会主義ドイツ労働者党の大衆宣伝組織

(51:16)
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(120210809月 追加)

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(つづき)
ドイツ全土で当分の間(12年以上続いた)「基本的人権停止」の大統領緊急令
(目的はドイツ共産党の国会議員の拘束、労働組合指導者の拘束)
(戒厳令ではない ヒットラーは軍を信用していなかった)

令状なしで被疑者を拘束(逮捕)できる
ユダヤ人迫害へと繋がっていく
州(地方は中央の「共和政体」に対して一定の独立を保っていた)の「共和政体」支配
授権法(大統領から首相への全権委任法)制定

1933年3月 選挙
ヒットラー政府による公然たる選挙妨害にも関わらず、国民社会主義ドイツ労働者党は単独過半数の議席を取ることができなかった(43%程度)
与党の国家人民党 + 国民社会主義ドイツ労働者党 で過半数超え
投票率 89%
4割以上の人がドイツ共産党やドイツ社会民主党という野党に票を投じた(国家テロリズムに対する反抗がそこにみられる)

授権法(全権委任法) 国民と国家の苦境を除去するための法
ドイツ語: Ermächtigungsgesetz
1933年3月23日 国会審議(審議1日。翌日24日に発効)
行政の長(政府、首相)に執行の全権および立法権を与える法律
三権分立を破壊する法律
(1933年の授権法は、政府に「憲法改廃」の権限までも与えた、と別の資料にあった)

https://www.weblio.jp/wkpja/content/%E6%8E%88%E6%A8%A9%E6%B3%95_%E6%8E%88%E6%A8%A9%E6%B3%95%E3%81%AE%E6%A6%82%E8%A6%81

条件: 国会議員 2/3以上の出席 および 出席した議員の 2/3以上の賛成投票
(そのため81人のドイツ共産党国会議員の身柄を拘束し賛成票の比率を上げようとした)
(社会民主党は「2/3以上の出席」を割り込む戦術に出ようとした)
当日の会議冒頭で、議員運営規則を変更し、社会民主党の欠席戦術を封じ込めた。欠席理由を議長(ゲーリング)が認めない場合は「出席扱い」

ヒットラーが組閣してから54日でドイツ全体の司法、行政、立法のすべてを国民社会主義ドイツ労働者党および党首のヒットラーが掌握

あらゆる法律(「ナチズム法」、非「ナチズム法」)が成立・発効
予算編成と歳入歳出は国民社会主義ドイツ労働者党およびヒットラーによってなされた (1934年以降は非公開に)

決められる政治

1934年8月 ヒンデンブルグ大統領 死去の直前に「総統」ヒューラーという役職が制定される
総統 = 大統領職 + 首相職
(1年半 ヒットラー独裁の完成)

ヒットラー独裁を可能にしたもの(法的根拠)
 1. 1933年2月28日 大統領緊急令 (非常事態条項)ワイマール憲法が定める国民の基本権が停止(無効化)された
  ヒットラー政権に反抗する地方政治(州)および共和政(中有)のドイツ共産党、ドイツ社会民主党は更迭可能になった
 2. 1933年3月23日 授権法成立 (無制限の立法権)

 ワイマール憲法は「棚ざらし」 ヒットラーは新しい憲法をついぞ作らなかった ワイマール憲法を「形骸化」

授権法成立前後から 簒奪投降者 古参の国民社会主義ドイツ労働者党党員が新規党員を揶揄した言葉 大量の入党者 公務員が多かった 最終的に党員は800万人に

ヒンデンブルグ大統領 半信半疑で「とりあえず、任せた」
矢継ぎ早に物事を進めるヒットラー政権を支援するようになる
ヒンデンブルグの信任表明(授権法審議の直前)ポツダムの日 式典 保守派中道層に影響
有力者 学者、聖職者 ハイデッガー、カールシュミットなど

ドイツ(ワイマール共和政)の分裂分断
階級闘争(階級分裂) 政党間の対立 中央(共和政)と地方(州)

「民族共同体」 ドイツをひとつに

ヒットラー カリスマ宣伝 (国全体に)

(1時間06分07秒)
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(120210810火 追加)

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(つづき)

ヒットラー 首相就任後
 「民衆宰相」 (民の側、「エリート、貴族」ではない、庶民)
 「平和愛好」 (首相就任前はベルサイユ条約を破棄しドイツ再軍備を確約していた)
 (親しみやすい首相像)

失業対策 トリック
「女性就労者を家庭に戻す」政策 (失業率の分母を小さくする)
勤労動員制度(青年男子) (国が仕事をさせた)
1936年 一般徴兵制導入 毎年100万人が兵士に

宣伝 ゲッペルス 啓蒙宣伝省
(アウトバーン (Auto + Bahn) の建設と使用は失業対策としてはほとんど貢献していない)

国民の分裂は克服された という印象 実感

戦争を再びする という目的

権益の恣意的な配分 新設役職
ユダヤ人迫害からも国民が受益するよう作られていた

(最後)
首相ヒットラー カリスマ 戦争が始まってからも圧倒的な国民からの信頼 なぜか
外交 デプロマシー ベルサイユの軛(くびき)から解放
(天才的軍事指導家は誇張)

1933年5月 平和演説 平和の訴え バチカンと相互不可侵条約 国際連盟脱退 ポーランドと相互不可侵条約
1935年 ザール地方(ベルサイユ条約によりフランスが統治)を住民投票の結果によりドイツに取り戻した
「一般徴兵制」
UKとの海軍協定
1936年 ラインラント地方(非武装地帯)へのドイツ軍進駐
1936年 ベルリンオリンピック 開催
1938年 オーストリアを併合 民族自決の実現
チェコスロバキア 解体 ズデーデンのドイツ人居住地区をドイツに併合
ネーメルラント(バルト海の方) ドイツに統合
(ワイマール期からドイツ国民全体の願望。これらをヒットラー政権は「戦争に陥らずに」達成した)

1939年9月 戦争開始 (ヒットラーの評価が一時的に下落)

ヒットラー外交 相手が居る
国際的評価 背景には「プロパガンダ」
ソビエト連邦の進展を抑え込むための防波堤としての「ドイツ」

第一次世界大戦 ドイツ国民熱狂
第二次世界大戦 開戦当初は「将来への不安」が優った しかし電撃戦でパリをも陥落させたことから再び国民の支持を集めた
「無比の天才」 西部戦線 マンシュタイン ライン線
1940年夏 支持絶頂に

1941年 独ソ戦 (ドイツ国民「勝てないかも」)
スターリングラードの戦い(1942年-1943年、およそ半年) ドイツ敗退
ヒットラー 国民からのカリスマ的な信頼を失っていく 支えた続けたのは国民社会主義ドイツ労働者党 ヒットラーに「ブレーキをかける」人もいなくなった

ヒットラー自身が抜け出せないカリスマ支配の軛の中
ドイツ敗戦 (ヒットラー自裁により、ドイツ側との停戦交渉、敗戦処理に連合国側は苦労する羽目になった)

(質疑)
1. 司会倉重篤郎さん「マスメディアはなにをしていたのか」
(日本新聞協会主催だそうなので、この質問はもっともだ)

マスメディアは早々に統制下に置かれた。
国民啓蒙宣伝省(大臣ゲッペルス)の監督下にマスメディアは置かれた。
しかし、「すべての議論」が統制下に置かれた訳ではない
あえて「多様性」を担保するようにした実態 フランクフルト新聞(高級紙) ゆるやかな

国民投票 統治下 4回
 国際連盟脱退 可否
 総統になった時 可否 89%賛成
 ラインラント進駐 可否
 オーストリア併合 可否
  平均9割以上の賛成(ただしヒットラー政権下である点に注意)

国民の支持を印象つけるための国民投票 戦略(宣伝)

2. 司会倉重篤郎さん「政権奪取以前のヒットラーの政治ビジョン」
ヒットラーの意図を汲む優秀な人材の存在
フリック(法律専門家)内務大臣 (3年前、トゥーリンゲン州 大臣 授権法、非常事態に関することを実際に施行)

1923年 天文学的インフレーションの対策として授権法が使われた先例がある 授権法というものを使う土壌がドイツには前々からあった (適用範囲(経済金融)と期間(数週間)を区切って)

「やられた」ことを「やりかえす」
ワイマール共和国時代 共和国防衛法 共和国の秩序を破壊する言論を含む活動は禁止する ヒットラーはこの法律によりしばしば制約を受けた

3. カワキタさん「初期。ヒンデンブルグ、ルーデンドルフ ミューヘン一揆で、ルーデンドルフはなぜヒットラー行動を共にしたのか」
第1次世界大戦 ヒンデンブルグとルーデンドルフ 軍最高司令官
第1次世界大戦 敗北後 ルーデンドルフ 右翼運動 ルーテンドルフ夫人がキリスト教に批判的発言
ヒットラーとしては「軍部への影響力」としてルーデンドルフは利用価値があった
ミューヘン一揆の時点ではルーデンドルフの評価は低くなり影響力はなくなっていた
1925年 ワイマール共和国大統領選挙 ルーデンドルフも出馬(投票率1% この敗北の事実をもってヒットラーはルーデンドルフを排した)
ルーデンドルフからヒンデンブルグへの助言 (恨み節に聞こえかねない批判)

4. 読売新聞ミヨシさん「ドイツ国内のヒットラー研究の現状は?」

・ヒットラーは第一世界大戦を英雄的に勇敢に闘った、という俗説は覆された リスト連隊の資料 伝令兵 臆病 前線に出ず後方にいた 「うすのろ」(目を毒ガス兵器でやられた、も「ない」記述) 我が闘争のヒットラー自身の部分はほぼすべて捏造と思っていい 歴史の書き換え(経歴詐称) イメージ通りに書いた 「口述筆記」ではなかった タイプライターで自分が書いた

5. 読売新聞ミヨシさん「USA歴史学者ティモシー・シュナイダー ナチドイツとスターリン ドイツの歴史学会の中で大きなストーリーを書いているものはあるか? ナチの非道を相対化することへの忌避は続いているのか?」

ドイツ 議論 ティモシー・シュナイダーを評価する人もいる
ナチズムとスターリズム
1980年代 歴史家論争
ナチズムと何かの比較 ホロコーストと何かの比較 相対化
そうすることで「罪を免れる、免責」に繋がることを危惧している
学者の強迫観念

6. ナイトウさん(元NHK)「尋常小学校 国民学校(ホルクスシューレ) 戦災(焼夷爆弾) 日本で戦時閣僚だった人物が敗戦後に閣僚となっている。子や孫が総理大臣になっている。日本における戦争意識を危惧。見解は?」

学ぶべきものを学んできたら、いまのような政治状況にはなっていない
近過去の歴史 岸(呼び捨てだ) 安倍(呼び捨てた)
(日本は)過去との連続が強くありすぎた
70年

敗戦後のドイツ
15年くらい 旧ナチ体制のエリートがかなりの部分残っている
パージ(排除)、裁判
閣僚
旧体制との連続性
新しい社会 転換 1960年代末

日本では転換のための厳しい試練を乗り越えず、経済的繁栄だけを追い求めたのではないか。

7. タカヤマさん(朝日新聞OB)「内在的な捉え方ばかりではなく、移り行く政治経済関係との関わり 本日の講演は『内在的』な権力奪取過程確立過程。 同時期、スターリンの強権化 1936年-1938年粛清。ソ連国内サボタージュ。関東軍との小競り合いノモンハン、アムール川。日本スパイを恐れた粛清。西からドイツが台頭。 内外のプレッシャー。 ドイツの場合はソ連のような外圧はあったのか?」

ドイツ 共産主義の増長、拡大 ソ連の影響下 コミンテルン
コミュニズムの恐怖(テロル)
ボリショニズムとユダヤ人をヒットラーは一緒くたにし敵視
「ボリショニズムはユダヤ人が作り出したものだ」
「ユダヤ人はソ連、USA、UKにいる。寄生するユダヤ人」
第二次世界大戦はヒットラーにとって「ユダヤ人との戦い」

ドイツにとってソ連は脅威 ソ連にとってドイツは脅威 独ソ互いに「幻影をみていた」面があると言えるかも

8. マツウラさん「トランプの当選 心配 大衆の叛逆オルテガ 不真面目と冗談 ヨーロッパ全体に笑いのげきが吹き荒れている。 近頃のポピュリスト。 見て楽しい。 ルペン(当時のフランス) ポピュリストのリーダーとカリスマ性、大衆性。 悲劇なんてない、破滅的なことはおこらない。 ヒットラーの人気の根源は?」

ドイツ歴史博物館 ヒットラーの写真らしい
「ヒットラー首相」 国民アピール

ヒットラーの人気の源泉 複数
1920年代前半 ヒットラーの語り、ヒットラーの声質 聞き取りやすい声 響く声 資質と訓練

極端な政策 大胆な政策 政治のプロならやらない手を打つ
幸運にも恵まれた 国際状況
「こういう男でも、ドイツのためになるんだ」という国際感情、国内感情
「治安を回復した」 ヒットラーになってからこんなに治安がよくなった 警察権力が強化したから (一方で個人の基本権は「停止」していたのだが……。ユダヤ人共産主義者平和主義者は逮捕されてゆく)
国際ジャーナリストは感動して報道(ベルリンオリンピックや経済復興など)
ヒットラー人気 疑問を挟むと「反体制」 はむかえない 変人と思われると恐れる
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市民的勇気を持って
19世紀初頭 ドイツ 自立した個人が自分の頭で考えて

ネクタイ贈与
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(120210810火 追加)

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 軽く感想。
 端々に奔り出る「リベラル」学者感がいい味出してる、と皮肉りたくなるけど、まあ学問知見としては尊敬すべきだと思う。
 日本与党批判といよりは、なんでそこまで捻くれるかなというくらい非難する。しかもそれは建設的な提言をする気のない、万年野党の遠吠えのような見解。きっと「リベラル」系ではこういう「あいの手」を入れるのが作法なのだろう。
 ここまで深い見識をお持ちなら、より「日本国のためになる」提案をいくらでもお出来になりそうにわたしには思える。「不真面目」なのは果たして誰なのだろうか。おっと、また皮肉ってしまった(苦笑)。

 ヒットラー政権および国民社会主義ドイツ労働者党を学ぶことは、「今を見る」ためにも大切なことだと改めて思わされる、そんな講演動画でした。厭なとこ端々にあるけれど、本筋は実に身になる気が致しました。
 政治家・ヒットラーとして捉え直すと、あれ?今の日本国の政治家にも、こういう「お調子者」っぽく政治の海を渡り歩かれる人が多くあるような、印象が重なってみる方が多いような気がします。公費で自己宣言に励まれるアノ人とか……経歴詐称なアノ人とか。
 石田勇治先生はイヤな「リベラル」学者だけれど(苦笑)最後には「テメぇのおつむで、考えな!」と良いことおっしゃってました。「市民的勇気」をアジテーションに使われないよう各位くれぐれもご注意ください。
 おしまい。





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