エッセー、の、ようなもの、孝

 商売でお仕事で、「これこれの文字数です、この枠に収まる文章」って発注されているのなら(そんな経験、ないのだけれど。だから妄想、なのだけれど)、かっちりきっちりオチつけて終えるような作文をするのが大人の、社会人の、常道なのだろう。……というようなことを「募集」のお題を眺めて思う。有償、無償とか賞が出る出ないとかと関係なく「求められているもの」が「募集」お題には、あるんだろうなあ(でも、あえて逆らう!)と思う。さすがにnoteさんの「お題」には字数制限はない(逆に「何文字以上」という制約もない)。投稿の「賑やかし」企画なんだろう、なー(全然予想と違うのかもしれないけれども)。

 雑誌のエッセーには様々な制約がある。それは「商品」だ。字数制限も、あるいは文字が置かれる配置、1行の文字数に対する配慮とバランス、挿絵や写真との調和云々。さすがプロの物書きは違うなあ、と気軽に気楽に読んでは捨てる「毒にも薬のもならない」エッセーを、取っておくこともしない。雑誌は雑誌、嵩張るからと紐で縛って処分することを繰り返す。

 一方でブログの記事に作文に制約がないかといえばそんなことはない。
盛んに改行する、段落を付ける、小見出しを付けると編集さんの仕事も書き手は担っている(読む限り、そう感じる)。ここ note も、ブログの一種なのだそうで(あまりそういう意識はなかった。無料掲示板で雑文駄文を書き散らしてきたわたしなので、読み手の視点に無頓着であった。今後も、あえて無頓着でありたいな、と思っている。心境が変わることもあるやもしれないけれど)、他の方の記事を見るとそれぞれに「ちゃんと」気を配り工夫しているんだなあ、と感心する。……感心しつつ、身を入れて読むことは少ない。少ないどころか希有だ(すいません、みなさん)。正直、つまらない。読み飛ばしてしまいにできる作文は、こちらから「面白み」を探さない限り、どうしたってやっぱりつまらない。それは視点、興味が違うからなのか。違いが違い過ぎたなら「別の角度のものの見方」として興味を寄せることもあろうか。同じような「好き」と同じ視点の共感を抱けたらつまらなくないと読めるだろうか。

 改行少なめ、段落もさしてない、そういうブログばかりを「読んできた」わたしの習慣が、どうやら note 記事を「さらっと読んで済ます」態度につながっているようだ。
 できる限り、そういう「つまらない」読みやすい(らしい)ブログ作法を模倣してみるのだけれど、どうなんだろう。

 読み易ければおもしろいのか、読みにくければつまらないのか、オチを必ず付けねばいけないのか、オチなしで放り投げて良いものなのか、つらつら作文を繰り返すけれど、なんだかよくわからないまま、内心の動機だけで書き続けている……みたいな感じです(オチなし)。

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