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やはり血は争えない。旧い物好きの私のDNAを受け継いだ次男!そして気づいた ヴィンテージの必要性!

先日ウチの次男(10歳)と一緒にお風呂に入っていたときのはなし。

次男が自分の好きなものについて話しだしました。

ちなみに、ウチの次男は映画や第二次世界大戦の戦闘機や戦艦が大好きなのです。

以下、次男(子)、わたし(父)。

子:「お父さん、ぼく新しいものには全然興味がないんだ。」

父:「へ~、お父さんと一緒じゃん。」

子:「戦闘機だって今の戦闘機より絶対ゼロ戦のほうがカッコいいし・・・・・。」

  「ミサイルも今のミサイルは狙えば必ず当たるから、嫌い。 機関銃で当たるか当たらないかを狙うのがいい。」

「前に学校で昭和館(地元にある昭和のものがいろいろ展示してある。ちょっとした、ミュージアム)に行ったけど、あそこは楽しかったぁ。やっぱり僕は旧いものしかカッコいいと思わないなぁ。」

父:「あっそう、お父さんもお前さんと同じくらいのときに、アメリカが好きになったんだよな。それがずっと続いて今はそのころの旧いものが好きだね。」

  「旧いもの好きは一緒だね。」

子:「笑、そうかぁ。」

こんな会話をお風呂タイムにしていました。

いろいろな視点で、大人が思いもしないものを見ている次男の発言には、

いつも耳を傾けます。

そんな話をしていて思ったことが、

わたしら世代は、昭和から平成、高度成長からIT革命を生きてきた世代で、

子供のころ、

「TV電話なんてものが未来ではできるんやって。」とか、

「クルマが自動で動くようになるかもしれんのやって。」なんてことをいってました。

それがどうでしょう、今はそれらすべて現実のものとして、わたし達の目の前に現われています。完全に50年前の人が夢見た未来を生きているわけですよね。

だから自分達はネットにしろ、スマホにしろ、自動運転にしろ、すべてがめずらしいし

カッコいいと思ってしまう。。。

だって、むかしは未来の世界のものでしたから!

そこで次男の発言を聞いてわたしは思った。

オギャ~。と言って生まれたときから、ネットもスマホもある今の子供世代は、今あるものをカッコいいという目線では見てなくて、彼らが知らない時代の物のほうがカッコいいと思うのかも。ということ。

40年、50年前の旧いものがカッコいいと思うようになるのかもしれない。

そうすると、自分が今思っている旧いものが見直されるということが、

これから起こるかもしれない。

大歓迎だね!

40年、50年前のデザイナー達が、

「未来ではこんなデザインのクルマが走り、こんな家具が使われているだろう。」と想像して世に送り出していたものが、わたしたち未来人が見直してカッコいいと思う。

なんともいい話だ!!

あとは現代人の自分らが、未来の人たちに何を残せるか?

目に見えないデジタルというもので、本当に人の心は満たされて、癒されるんだろうか?

物として何十年、何百年も前のものが現代に残っているから、いま生きているわたし達はむかしの人たちの思考や感性に触れることができる。ありがたいし、ロマンがある。

でもデジタルというものはとても便利だが、果たして後世の人たちが自分らと同じように、今のわたし達に思いを馳せてくれるだろうか? 

・・・・・、疑問だ。

とにかく今の自分は幸せだし、楽しい。ヴィンテージというものが残っているから。 

これを残してくれた昔の人たちに感謝しなければ!

これからもいっそうヴィンテージに熱を入れそうだ。

ヴィンテージを身近に置くということは、ただ所有するということだけでなく、何十年も前に生きてた人の感性、思考に触れるということなんだ。


次男との会話でこんなことを考えました。


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