【音楽】乃木坂46のはなし。
僕がこの記事を書くにあたって、誰かを貶めようとも、何かを否定しようとも思っていないということを念頭に置いて聞いてほしい。
※なお、文中では敬称略させていただきます。予めご了承ください。
26thシングルは製作段階・企画段階で山下美月をセンターにしようという構想・方向性ではなかったのではないかと思う。或いは山下美月イメージして書かれた歌詞ではないように感じるのである。
何より1オタクとして疑問符が打たれるのは、なぜ今なのか。
こんなことは後出しじゃんけんで、言いがかりに他ならないのかもわからない。ただ、時間が経った今だからこそ見えたこと、言えることがあるのだ。
僕の中でコロナ禍であることや最近の潮目(前3シングルや配信限定シングル)、制作陣の革新的な采配の少なさから見るに、26thシングルには重きは置いていなかった。故にこの話に推し補正がないことを理解してほしい。また乃木坂46の歴史の流れから考察しても「新四期生」或いはエース・齋藤飛鳥のセンターが妥当(盤石)な采配・濃厚だろうと予測していた。
しかしながら、実際は大きく異なった展開を見せたのだ。
それは全体的なメンバーの人選は勿論、フロント(最前列)の真ん中に3期生を固めたことだった。
だが、この段階すなわち選抜発表の段階では、このメンバーに疑問はなかった。ただ、堀未央奈や四期生がフロントから外されたり、復活を遂げた北野日奈子や選抜定着が期待された鈴木絢音、23rdシングルや代打での献身的な活躍を見せた渡辺みり愛、レコード大賞請負人・ファッショニスタとして人気の高い寺田蘭世などの二期生が相次いで選抜から漏れたということは筆者を含め、多くのオタクの中でショックを隠し切れなかったと言えるだろう。
では何故このことが「山下美月センター曲」に筆者の中で疑問符が打たれるようになったのか?
話を横道に逸れてみることにする。
遡ること2年前。2018年。
前年には悲願であった東京ドームでの公演、一流アーティストの証ともいえるレコード大賞の初受賞を成し遂げ、誰もがグループの第一章完結に熱狂し、今後の展開に夢を膨らませていた。
しかしながら多幸感は長くは続かず、何かを成し遂げれば新たな道へと踏み出す者もいる。
卒業ラッシュの到来だった。
特にここでフォーカスしたいのは生駒里奈の卒業である。
彼女は今でこそ絶対的エースと誰もに崇め奉られる白石麻衣がセンターになる以前、1~5thシングルまでセンターとしてグループをけん引し、グループの絶頂期には嫌われ役を買って出るなどキャプテンシーの強いメンバーであった。
だからこそ、多くのファンもメンバーも卒業シングルになる20thシングルはプレゼント的にセンターに立つものだと考えていたし、実際に制作陣もその方向で調整した。しかしながら本人がそれを受け入れなかったことで、卒業シングルにぽっかりと空いたセンター。困った制作陣は白石麻衣をセンター、生駒里奈を選抜の真ん中(二列目中央)に据え楽曲を何とかしたという話がある。
察しのいい人は筆者が何となく言いたいことがわかると思う。が、まだ言及しないことにする。
その後のグループと言えば、度々インタビュー等で卒業の質問をされる白石麻衣をよそに、エース級の西野七瀬や福神(選抜1、2列目)常連のメンバーが次々に卒業する中で、三期生の台頭や齋藤飛鳥のエースとしての自覚など面白い要素が増えていった。
特に面白い要素となったのが山下美月の存在であった。
20thシングルで初選抜・フロントに選ばれると、映画やドラマの出演が次々に決まり、彼女の持つ高いビジュアルはCanCamの専属モデルをもつかんだ。AKBグループと坂道グループの夢の競演第三弾であった「初恋ドア」では遂にセンターを務めるなど確実にアイドル界の次世代エースの一途をたどっていた。
実際に乃木坂46のセンターも夢ではない、次期(23rd)センターとも目されていた矢先、休業発表。
23rdシングルを休んだことでその空いた期間には多くの三期生が躍動を見せ、24thシングルでは思いがけず四期生がその席を先に射止めるなど、センターの席から遠ざかっていくことは明白であった。
では26thシングルでは何が起きたのだろうか。
すげ替えか埋め合わせどちらかだと僕は考える。
少なくとも前者でないことを願いたい。
どちらにおいても妄想の範疇から出ないのかもしれないが、このシングルにおいて、この歌詞で、これはもう「山下美月」だよね。山下美月しか務まらないよね。とピッタリはまる人物像か?と考えると確実に答えは「No」だ。可能性論としてフロントに据えられた三期生のどの子に当てはめてみても一番しっくりこないのは山下美月さんだと感じてしまう。
別に山下美月が悪いと言っているわけでは無くて、欅坂が確立したような歌詞の主人公に寄せていってるようにも感じられない、だからといって歌詞をセンターに寄せるわけでもない、気持ちの落ち着かなさがこの論の基礎にある。
では誰なら「Yes」と言えただろうか。
答えは間違いなく「堀未央奈」だろう。
二期生オタクだからだ!あるいはアンチ三期か。と、さじを投げないでほしい。
このシングルの歌詞もポジションや人選も堀未央奈の卒業とまったく関連していないと言い切れないことは事実としてあり、少なくともこのシングルで卒業することが確定している現在において、今から話すことがもっぱら、的を射てない発言であるとは思わない。
まずこのどちらの論においてその根拠たるものは存在しえないが、前提としてシングル製作前或いは製作中に卒業が決まったと考えられるということおさえてほしい。
すげ替えがあったと仮定するなら、人選から見るに卒業当人と制作サイドの間で何らかの交渉があったように思える。その交渉が自分がセンターの曲なんだから二期生を多く入れてほしいという意見に対して、制作陣の答えが「No」であり、すげ替えた可能性があるということ。
あるいはセンターが決まっていた上で、制作陣と何らかの相違(特に歌詞面(ここでは著作権の関係上載せることは差し控えるが、ぜひ調べてほしい。))があり一方的に卒業を迫り、報復措置としてのすげ替えた可能性があるということ。
一方で埋め合わせがあったと仮定するなら、制作以前に秋元Pへの連絡があって「堀未央奈センター」での卒業という方向性で進んでいた中、生駒里奈の時のように堀側から「No」と申し入れた可能性があるということ。
どんな可能性もゼロではないが、筆者は堀未央奈が生駒里奈同様にセンターを断った可能性を信じたい。
それは誰よりも二期生を愛し、誰よりもグループを愛し、誰よりも苦難の道を歯を食いしばって、実力でつかんできた堀未央奈だからこそ出来る選択なのではないかと考えるからだ。
そしたまた、どんな論においても一つの結論にたどり着く。
それは「山下美月」以外に任せられなかったということ。
これはグループの新時代において大きな重圧に耐えながら、潰れることの怖さを知っている人に任せたかった制作陣が居ると思う。
絶対的エースであった白石麻衣が実際に抜けた今、齋藤飛鳥に並ぶ或いは超えるような新たなエースを確立することが急務となった。何より堀未央奈が断ったセンターに先輩の齋藤飛鳥を入れることは無理だったということが「山下美月」で行くしかなかったという理由と考える。
その中で堀のように一人に大きなものを背負わさないという制作陣の気持ちの表れが、三期生を真ん中に固めるという答えだったのだと僕は思う。
最後に
乃木坂46の運営(制作陣)は保守的だ。つまらない。くそ。などとうっかり言ってしまってる人を見たことがある。しかしながら、10代から20代の多感で女の子たちをご両親から預かっている身にもなれば、トップアイドルに育てて商売をしなきゃいけない一方で大事に扱うということを念頭においている運営さんというのは、本当に苦労されていることと思う。このシングルをきっかけとしてより多くのファンに愛される「強く、美しく、魅力的な日本を象徴するアイドル」として、これからも乃木坂46の活躍が非常に楽しみであり、僕は心から願っている。
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