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まるぞう音楽遍歴 その2

どうもまるぞうです。今日ぐらいからあったかい日が続くみたいですね。春本番といった感じですね。すでに桜が咲いているところもあるみたいです。僕の近くでも、早咲きの桜が、綺麗に咲いています。濃いピンク色の桜なので、梅と間違っていました。

さて、友達のDJを見にクラブに行ってから、さほど音楽にのめり込んだ入り、クラブに行ったりということはなく、短大に進学しました。僕は、アメリカにバスケットをしに行きたい一心で、得意でもない英語科に進学をしました。在学中は、散々に結果だったことは、いうまでもありません。

当然、バスケは、したいので部活に入りました。バスケ部の練習は、週二回だったので、もの足りず、空いている日は、当然、バスケットのできる環境を探し、社会人のバスケットチームに行って練習に参加したりしました。短大に進学してから、知り合いの方に誘われて、パチンコ屋で、バイトを始めました。このバイトが、後々、僕を支えてくれましたし、いろいろな影響を与えてくれました。

短大に行き始めた頃から、高校の友人と毎晩というくらい遊びました。そこに、幼なじみも加わり、さらに友達の輪が広がりました。夜な夜な遊んでいるときに、友人の車で、衝撃的な曲を聞くことになります。それは、初夏の夜のことでした。夜中に、ドライブをしていた時に、車のステレオから流れてくる曲に衝撃を受けました。

それは、当時のMIXテープでした。そのテープを貸してもらい、あまりにも僕が気に入ったので、もらいました。本当に感謝ですね。では、僕が、衝撃を受けた曲というのが、ブッタブランドというアーティストの『人間発電所』という曲でした。当時、よくカラオケに行っていたのですが、まだ、HIP HOPがカラオケに入っていない時代でした。

RAPとしてカラオケで歌えるのは、小沢健二featuringスチャダラパーの『今夜はブギー・バック』か、Dragon Ashぐらいでしたね。僕らは、これでもかってぐらい、歌いました。当時は、HIP HOPが流行りだしていましたしね。僕は、その衝撃の曲を聴き始めて、一年ぐらいは、いろいろなアーティストを聴きまくりました。洋楽、邦楽問わずにHIP HOPを聞いていました。

短大の一回生の夏休みから幼馴染の高校の友人とつるむようになり、その友人もHIP HOPが好きで、ダンスをしていて、DJも始めていました。そのことから、一緒にクラブに通い、夜な夜なクラブに通い、夜通しで遊んでいました。毎日ぐらい一緒にいました。寝る時間だけ、家に帰る感じでした。

当時、5〜6名ぐらいでよくつるんでいたのですが、誰かに電話をすれば、たいがい誰かと一緒にいるような感じで、そこで合流をして、最終、夜には、みんな揃う感じでした。お金もなく、遊ぶといったらスケボーをしたり、ダンスをしたりといった感じで遊んでいました。やはりこの時もあまり家には、帰っていなかったように思います。

友人が、DJをしていたこともあり、僕もその影響で、DJを始めたいと思い、お金もないので、親に頼んでローンで、ターンテーブルとミキサーを買ってもらい、月2万ぐらいの返済で、お願いしていたように思います。それが、僕のHIP HOPライフの始まりでした。バイト代のほとんどをレコードにつぎ込んでいました。ターンテーブルを買った頃から、幼馴染の影響で、ファッションに興味を持つようになり、服を買い始めました。

この頃は、ECKOやKari Kaniなどが流行っており、ティンバーランドのブーツにそれらのブランドの服を着て、大阪にレコードをよく友人と買いに行きました。当時は、本当に楽しかったですね。なんの制限もありませんしね。そして、短大一回生の夏休みが終わった頃から、短大に行かなくなり、ほとんどバイトと友人と遊んで、クラブに行ったりダンスをしたり、いった生活になりました。なぜか、部活だけは、真面目にいっていましたね。本当にバスケが好きなんだなぁって今も思います。

あの頃に、戻れるのであれば、戻りたいですね。さて、短大に行かなくなったまるぞう少年。これから、どういったことを始めたのか。

この続きは、後日にアップします。

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