太平記 第九巻 足利殿上洛の事 1

太平記 第九巻 足利殿上洛の事 1

吉成学人(よしなりがくじん)
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この章で、のちに室町幕府を築くことになる足利尊氏が登場します。このころは「高氏」と云う名前だったそうです。北条高時から京都へ上洛し、倒幕勢力と戦うように命じられます。
このとき、尊氏は病気で、二年前に父親を亡くしており、幕府からの命令を「憤り」「遺恨」に思ったそうです。
尊氏は北条一門から外れた「外様大名」でしたが、源氏で、初代執権の北条時政の子孫でもありました。
高貴な身分でありながら、高時にあごで使われていることは「身の不肖」と思い、後醍醐天皇側につき、六波羅探題を攻め滅ぼし、「家の安否を決むべき」と考えます。
尊氏が一族郎等全員を京都へ上洛しようとする様子を怪しく思った北条家の執事の長崎円喜は、神仏に偽りのないことを宣言する「起請」を書かせ、「その子を質に出だして、野心の疑ひを散ずる」ように提案します。
要するに、尊氏が裏切らないように、こどもを人質にしようと云うわけです。
尊氏は幕府からの命令に内心「鬱陶」と思いますが、怪しまれないように面従腹背します。
尊氏は弟の直義に意見を訊きます。
直義は、天皇のために兵を挙げると云う「大儀」を行なうのだから、嘘の宣言でも神仏の加護があるとし、こどもたちも付き添っている部下たちが逃してくれるだろうと述べ、史記の「大行は細謹を顧みず」(大事業を行うときは、ささいなつつしみは顧みない」を引用し、「猶予あるべきにあらず」と、尊氏を励まします。
尊氏は「至極の道理」と思い、幕府側の要求に答え、疑いを晴らし、一族郎等三千騎を引き連れ、京都へ向かいます。

最近、熱いですね。