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雅楽に関する署名に賛同した件


 最近、署名に賛同した。

 篳篥の蘆舌の材料である葦に関する署名だ。



 と云っても、大抵の人には「篳篥」も「蘆舌」も馴染みが薄く、よくわからないのかもしれない。


篳篥とは何か


 篳篥とは、雅楽で使用されている管楽器のことである。

 雅楽自体があまりメージャーではないので、これもよくわからない人も多いかもしれないが、元旦に初詣で、神社に参拝したさいに、流れている音楽はなんとなく聞いたことがあるかもしれない。

 あれが雅楽である。
 正確に云うと、雅楽の楽曲の一つ「越殿楽」である。



 曲の中で、ラッパのような音を出している楽器に気づくと思う。

 それが「篳篥」である。



 構造はクラリネットやオーボエ、サックスと同じで、吹口に植物の茎を潰したリードを笛に差し込み、リードが振動することで音が鳴るのだ。

 実際、構造は単純で、チャルメラやストロー笛も似たような音を出す。




 篳篥はリード楽器でもかなり古いタイプに属しており、形が千年以上変化していない。トルコのズルナやヨーロッパのオーボエ、インドの蛇笛、中国の管子も同様の構造を持っているので、同じ系統の楽器を先祖に持っているとされているが形はだいぶ異なる。







 中国の唐代のころの絵画で、「唐人 宮楽図」と云うのがある。唐の宮廷で働いていた女官が楽器を演奏している場面を描いている絵画だ。よくみると、縦笛を吹いている女性に気づく。
 これが篳篥の先祖であるリード楽器だ。千年以上前から形に変化がないのがわかると思う。




 この楽器が古代の日本に入って「篳篥」になったのだ。


 篳篥は、当時の大陸で演奏されていた楽器がどのようなものであったのかを伝えている。


 唐詩に「胡笳曲」と云う作品がある。「胡笳」は北方の異民族・胡人が吹いていた笛で、篳篥によく似ていたと云う。悲しい音色を出していたと云う。


 


 絵画や詩にも出てくるわけだから、当時の中国ではメジャーな楽器であったことがわかる。唐代の文化を吸収していた古代日本人が日本に持ち込み、それが形をほとんど変えずに残ったと云える。


 平安時代の絵画で、「信西古楽図」と云うのがある。平安時代に使用された楽器や舞曲が描かれている絵巻で、その中に篳篥が描かれている。唐代の女官が吹いていた縦笛とあまり変わらないのがわかる。




蘆舌とは何か


 「蘆舌」とは、篳篥のリードのことである。蘆舌は葦を潰したもので、強く吹きかけると、ラッパのような音を出す。


 この署名で問題になっているのは、蘆舌の材料である葦の産地である大阪府の高槻市の鵜殿の葦原で行なわれていた「葦原焼き」がコロナ禍で中止になり続け、葦が他の雑草に負けてしまい育たなくなっていることである。葦が育たなくなれば、蘆舌が作れなくなり、篳篥が演奏できなくなる。

 なぜ、蘆舌にここまでこだわるかと云えば、篳篥にとって蘆舌こそ、もっとも重要な箇所だからである。

 署名動画のコメントをみると、鵜殿の葦でなく、代用品を使うべきではないか、と云うのがあった。

 実は、私は高校時代に少し、雅楽をかじったことがあり、格安のプラスチック製の篳篥を購入して吹いたことがある。実際、蘆舌の手入れは大変である。蘆舌を購入しただけでは、すぐに演奏ができるわけではない。
 吹口がガチョウの口のように閉じており、演奏するには吹口を開くためにお湯に浸す必要になる。お湯も普通の水よりもお茶の渋味があると、蘆舌が強くなると云うことで、お茶を使用する。
 さらに、開いた蘆舌をそのまま吹いても演奏ができない。開いた蘆舌の吹口を調整するために、藤で作った輪っか「世目」をはめないといけない。
 あとは篳篥本体に装着すれば、音が鳴る。しかし、まだやらなければならないことがある。篳篥はとても小さい。リコーダや横笛を吹いたことがある人ならわかるが、管楽器は小さければ小さいほど調整が難しい。少し息の吹き方を変えただけで音程が変わる。
 篳篥はリード楽器なので、蘆舌を調整しないといけない。具体的には、蘆舌を削る必要がある。ナイフや紙やすりで削っていくが、削りすぎると、当然壊れる。なので、なるべく削りすぎないように慎重に削らなくてはならない。削る加減は具体的な答えがなく、演奏者の肺活量、曲目によって変わると云う。
 演奏終了後、収納するさいは、「縮(しめ)」「帽子」と云う檜などの木で作ったキャップをはめなくてはならない。開きっぱなしだと音が出なくなるくなるからだ。なお、次の演奏では蘆舌は閉じたままなので、またお茶を用意しなくてはならない。
 蘆舌は葦と云う植物の茎を加工している。当然、時間が経てば劣化し、腐っていく。なので、篳篥を演奏し続けるためには、蘆舌を頻繁に取り替える必要がある。

 ここまで読んでいただければわかるように篳篥の蘆舌の手入れは面倒だ。なので、高校時代の私はプラスチック製の代用蘆舌を購入したことがある。プラスチック製なので、手入れの必要がほとんどなく、すぐに演奏が可能だ。
 しかし、しばらくすると、物足りなくなることに気づく。それは音が葦と比べて劣ることだ。プラスチック製なので、ストロー笛のような間の抜けたような音に聞こえるのだ。
 最初、篳篥の音はラッパのような音に聞こえるが、いろいろなリード楽器の演奏と聴き比べると、篳篥の音は独特の深みを持っているのがわかる。それは篳篥のサイズが非常に小さいために、人間の吹く息に影響されやすいからだ。
 また蘆舌の手入れでお茶に浸す必要があると述べたように、蘆舌は湿った状態で演奏する。すると、乾燥したプラスチックよりも湿った蘆舌のほうが吹きやすいことに気づく。管楽器を吹いたことがある人ならわかるが息を吹き続ければ結露を起こし、音程が狂う。篳篥も結露を起こすが、しかし蘆舌があらかじめ湿っていることで、プラスチック製の蘆舌とは違う深みのある音が出る。


 例えば、署名を呼びかけている東儀秀樹さんの演奏を聴くと、独特な音色なのがわかる。




 蘆舌がプラスチック製よりも葦のほうが良い音色を出せるのは、リコーダでも学校でよく使用されるプラスチック製よりも木製のほうが温かみのある音色を出せるのと似ているかもしれない。

 古楽が演奏されたルネサンスやバロックの時代は木製のリコーダが使用されたように、唐代の中国や平安時代の日本で演奏された篳篥の蘆舌は葦から作られた。代用品を使うと楽器が持っていた本来の音色が損なわれてしまう。
 なにより、演奏するにしろ聴くにしろ、ある程度やっていくと、代用では満足できなくなる。そのとき、昔からの音色が欲しくなるのは人情である。          そして、雅楽や古楽の価値は、昔の音楽や音色が聴けることにある。昔の絵画や詩に出てくる音楽を聴くことで、かつての人々の想いに触れる事ができる。それは貴重な財産である。中国では篳篥が変質しており、唐代の音楽も消滅している。管子と篳篥を聴き比べてみると、その違いがよくわかる。

 だからこそ、蘆舌の原材料である葦が大切なのだ。

雅楽とは何か


 ここまで「篳篥」のことを述べると、「雅楽」についてもしるさないといけない。

 雅楽は、唐代の中国の音楽に影響を受けた音楽である。使用されている楽器も大陸由来のものが多く、前述の「唐人 宮楽図」をみると、雅楽に使用されている楽器が多数みられるのがわかる。

 現在の雅楽は神社などの宗教施設で演奏されることが多く、一般の人には馴染みが薄い。

 そもそも「雅楽」の本来の意味は、「伝統的な上品な音楽」を指す。巷で演奏されているような俗曲とは対置された音楽とも云える。雅楽はもともと宮廷で演奏された音楽なのだ。

 現代人にはなかなか理解し難いものがあるが、古代中国では「伝統的な上品な音楽」が国家の統治で重要とされていた。論語では、孔子が弟子の顔淵から国家の統治の仕方を訊ねられ、以下のように返答した、としるされている。


子の曰わく、夏の時を行ない、殷の輅に乗り、周の冕を服し、楽は則ち韶舞し、鄭声を放ちて佞人を遠ざけよ。鄭声は淫に、佞人は殆うし。
 
先生はいわれた、「夏の暦を使い、殷の輅の車に乗り、周の冕の冠をつける。音楽は〔舜の〕韶の舞いだ。鄭の音曲をやめて口上手なものを退ける。鄭の音曲は淫らだし、口上手なものは危険だから。」(金谷治訳注『論語』、309-310頁)


 他にも、孔子は人間の教養に音楽を挙げている。音楽こそ人間の教養を完成させる、と云う。もちろん、ここで云う音楽は「伝統的な正しい音楽」である「雅楽」だ。


子の曰わく、詩に興こり、礼に立ち、楽に成る。

先生がいわれた、「〔人間の教養は〕詩によってふるいたち、礼によって安定し、音楽によって完成する。」(金谷訳注、156頁)


 また孔子にとって、音楽は単なるBGMや個人の表現ではなく、社会を正しく動かすための重要な装置であり、「言」「事」「礼」「刑罰」に並ぶと云う。
 あるとき、弟子の子路が衛の国の王に招かれて政治を任された場合、何を先にするか、と訊ねた。孔子は有名な「名を正す」と返答する。そんな孔子の返答に子路は、どうして「名を正す」と云うような遠回りなことをするのか、と改めて問い直す。それに対し、孔子は以下のように答える。


子の曰わく、野なるかな、由や。君主は其の知らざる所に於いては、蓋闕如(かつけつじょ)たり。名正しからざれば則ち言従わず、言順わざれば則ち事ならず、事成らざれば則ち礼楽興らず、礼楽興らざれば則ち刑罰中らず、刑罰中らざれば則ち民手足を措く所なし。故に君主はこれに名づくれば必ず言うべきなり。これを言えば必ず行なうべきなり。君主、其の言に於いて、苟くもする所なきのみ。

先生がいわれた、「がさつだね、由は。君主は自分の分からないことではだまっているものだ。名が正しくなければことばも順当でなく、ことばが順当でなければ仕事もできあがらず、仕事ができあがらなければ儀礼や音楽も盛んにならず、儀礼や音楽が盛んでなければ刑罰もぴったりゆかず、刑罰がぴったりゆかなければ人民は〔不安で〕手足のおきどころもなくなる。だから君主は名をつけたらきっとそれをことばとして言えるし、ことばで言ったらきっとそれを実行できるようにする。君主は自分のことばについて決していいかげんにしないものだよ。」(金谷訳注、248-250頁)


 もちろん、孔子が生きていた時代の音楽は消滅してしまったので、彼が聴いていた音楽がどのようなものだったのかはわからない。しかし、その後の中国を中心とする東アジア文化圏において「正しい政治を行うには、正しい音楽が必要」と云う思想は残り続けていく。
 遣隋使や遣唐使を送り、中国の政治制度や文化を学んで古代日本にも同様の思想が入っていく。実際、東大寺開眼供養が行なわれたさいに、雅楽の曲が演奏されたと云う。平安時代でも貴族たちは雅楽をたしなみ、宮中の行事では雅楽の演奏が欠かさなかった。その様子は、『源氏物語』や『枕草子』で描写されている。
 中世に入り、貴族から武士の世になると、皇室の権威低下とともに雅楽も廃れていく。特に、応仁の乱から戦国時代にかけて一気に楽器や曲目の散逸した。もっとも、楽人が寺社仏閣に匿われたことで、雅楽は生き残る。
 関白になり、皇室の権威を利用した豊臣秀吉は宮中行事を復興するために、各地に散らばった楽人を招いた。その後、幕府を開いた徳川家康も雅楽を保護した。江戸城内でも雅楽が演奏され、大名や武家、学者は「伝統的で上品な音楽」である雅楽を演奏するようになった。
 明治になり、武士の時代が終わると、明治政府は東京に皇居を構え、宮中の行事を行なわせた。そのさい、雅楽を演奏する楽人たちを招き、宮内庁式部職楽部を創設する。なお、署名を募った東儀秀樹さんはかつて式部職楽部の職員だった。
 古代朝廷や平安貴族、秀吉や家康、明治政府にしろ、「正しい政治には、正しい音楽が必要」と云う孔子が説いた思想を引き継いだと云える。

 「雅楽」は、孔子以来の東アジアの思想を体現する音楽なのだ。

 だから、現在でも雅楽の本場は皇居である。

 もっとも、だからこそ、現代の私たちにとって「雅楽」は縁遠い音楽で、篳篥の蘆舌の材料である葦が危機的な状況にあることがあまり話題にならなかったのかもしれない。


 さて、ここまで、記事を読んだら、ぜひ署名をして欲しい。

 署名方法は、「雅楽協議会」にメールやFAXを送って、賛同の意を示すことだ。ちなみに、私はメールにした。


雅楽協議会
mail     gagakudayori@yahoo.co.jp
fax       042-451-8897


 孔子によれば、この世には「有益な楽しみ」と「有害な楽しみ」がそれぞれ三種類あると云う。


孔子曰わく、益者三楽、損者三楽。礼楽を節せんことを楽しみ、人の善を道(い)うことを楽しみ、賢友多きを楽しむは、益なり。驕楽を楽しみ、佚遊を楽しみ、宴楽を楽しむは、損なり。

孔子がいわれた、「有益な楽しみが三種、有害な楽しみが三種。礼楽と雅楽をおりめ正しく行なうのを楽しみ、人の美点を口にするのを楽しみ、すぐれた友だちの多いのを楽しむは、有益だ。わがままかってを楽しみ、怠け遊ぶことを楽しみ、酒もりを楽しむは、害だ。」(金谷訳注、331-332頁)


 篳篥の蘆舌や雅楽を守ることは、単に日本の伝統芸能を守ることにとどまらず、東アジア圏の人間が大切にしていた価値観を守ることでもあるのだ。少なくとも、経済成長や科学技術では韓国や中国、台湾に後塵を拝している現代日本にとって、かつて孔子が説いていたような音楽を守っていると云うのは大切にすべきことなのではないだろうか。

 なお、署名の締切は、今週の29日までだ。もし署名を行なうさいは、早めにすることを勧める。

最近、熱いですね。