続々・鼓笛隊あれこれ【ローカルルールについて】

 まるりんこと私は、25歳で自分教会に戻りました。7年間ほど教会を出ていましたが、立ち上げた鼓笛隊は着実に活動が続いていました。

 鼓笛隊の指導を再開して痛切に感じたのは、私自身の音楽的レベル、人間的レベルの低さです。到底、人に教えるという域に到達していませんでした。

 改めて、指導者の研修会に参加しましたが、どうやら私の成長期はすぎていて、なかなか、これ!が解るまでには至りません。

 そんな時、住んでる地域に鼓笛指導者の勉強会のバンドが立ち上がる事になり、私も誘っていただきました。

 正直言って、それまでの私は音楽ってものを、鼓笛隊ってものを舐めてました。自分に都合よく言えば、無知だったということですが、それにしてもひどい態度だったと思います。
 よくまぁ、仲間ハズレにされなかったと思います。それどころか、真南通りでウチの鼓笛隊がリハーサルしていると、足を止めてアドバイスしてくれるバンドのメンバーはたくさんいました。愛に溢れています。
 それは、この道にある鼓笛隊だったからだと思います。この時、このバンドでは、音楽的な事と同時に、縁を頂いた人との接し方を学んだと思います。

 色々な人から色々なことを教わりましたが、今日はSさんのことを出力したいと思います。

 Sさんは、とある大きな教会で鼓笛隊の指導をしていましたが、その頃はその立場を後進に譲り、また違った形でこの道の音楽活動にたずさわっていました。
 その後、おぢばでの研修会でもSさんのクラスに教わりましたが、何しろ真っ直ぐに鼓笛隊活動に取り組む姿に、まず驚きました。

 そのSさんの言葉で忘れられないのが、
「天理教の鼓笛隊には、ローカルルールが多すぎる。鼓笛隊を経験した人が、その後、音楽をするときに、その身にしみたローカルルールで苦労する」
と、いうものです。
 私に見るように、鼓笛隊の指導者の多くは音楽の基礎というか常識にほとんど触れないまま現場に出ます。そういう指導者に教わった隊員が成長して、次の指導者になる。
 鼓笛隊の指導に携わる人は、多くの隊員がごく限られた期間鼓笛隊活動に触れるだけなので、音楽的な基礎や常識がおざなりになったり、あるいはあえてこだわらないという人も少なくありません。
 しかし、何十年も続いている活動です。その後には、吹奏楽やマーチングバンドを志す子、あるいはまた別の音楽活動に進む子供は沢山出てくるのです。
 そんな気持ちはなくても、その後の人生の中で音楽に接する機会はたくさんあるはずです。
 その時に口から出る言葉が、一般的であって欲しい、同じ言語で話してほしいとSさんは思ったんじゃないかと感じました。

 Sさんは、おぢばでの研修会での楽典の授業のレベルを一気に引き上げました。私の場合、1回ではさっぱり解らず、 2年か3年、同じ講義を受けて入口が見えたような気がします。
 蛇足ですが、この入口のお陰で本業の音階について考えることができるようになりました。何事も諦めないということは、プラスになることばかりです。
 私は思います。決してSさんは子供に対して、楽典の授業をしてほしかったわけではないと。
 けど、指導者がそれを聞いたことがあるかどうかは、大切なことなんじゃないかと思うんです。
 その事で、練習中に出す言葉を意識し、足りない部分は学ぼうとするでしょう。そういう指導者から出る言葉で育った子供たちは、そういう言葉の上に育ち、つぎの指導者となる。
 そういうことが何十年も続くと、鼓笛隊における常識が変わると思うんです。

 私のようにうっかり生きていると、身のまわりがローカルルールだらけになっていきます。
 そういう人の影響力が強くなると、ローカルルールの輪が拡がります。まとまりやすい反面、影響力の外側との同調にずれが生じたり、そのずれが大きくなったりします。
 どの世界、業界、コミュニティでも言えると思うんですが、時々そういうものを補正する目が必要だと教えてもらったような気がします。
 加えて記しますが、Sさんは音楽を学校で学んだことはないといいます。そして、先の研修会での楽典や鼓笛隊の指導のために、専門家に習いに行っているのです。
 このことは、高名な人がその立場でものを判断したということではなく、この鼓笛隊の中にいて、取り巻く環境に問題点を見出し、それに効率的に対応したと言えると思うんです。
 この態度のなかは、固定化しがちなコミュニティにあって、その中でより成長するためのヒントが溢れているような気がするのです。

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