まるりんの入信~大きな御守護(大恩)が身に染みた時~

 まるりんこと私は、天理教の教会に生まれ天理教の中で育ちました。
 23歳のある日、雀卓を囲みながら先輩に聞かれたんです、
「まるりんの入信はいつ?」
って。
 それまで、天理教の教会に、まるりん家としては4代目として生まれ育ち、地元の高校を卒業して天理教の学校へ2年、上級教会で(一般的には修行みたいな)3年の後、天理の詰所(天理教本部参拝者用の宿舎)で引き続き修行みたいな事をしている時でしたので、それまで自分の入信なんて考えたこともありませんでした。
 先輩が仰るには、信仰は個人の問題なので、自分の親がどうであれ、自分の入信を意識することは大切な事なんだとのこと。
 ジャラジャラしてる時じゃなきゃな~なんて思いながらも、それから頭の隅にずーっとひっかかっていました。

 さてさて時は流れて、それから13年後、その頃、36歳のまるりんは埼玉県で小さな教会の会長をしていました。
 教祖110年祭の前の年の12月、大教会の命を受けて、長らく会長のいない教会から神様だけお迎えし8年がすぎ、大教会では青年会の委員長をつとめていた頃の話です。 

 その日は、大教会の月次祭前日で大教会にいました。青年会例会前の少しまったりした時間に、もうすぐ出産予定の妻のサヨちゃんから電話が入りました。とにかく泣きじゃくって何を言っているのかよく解らないのですが、要は早く帰って来て欲しい旨の電話でした。
 大体5時間位かけて、それでも気持ちは急いで帰りました。

 自教会へついて、話を聞くとお腹の中のこどもに重大な病気があるので、次に来る時にお父さんも一緒に来てくださいと、産婦人科の先生に言われたとのことでした。
 3日後、夫婦で病院に向かい、先生から病気の説明をいただきました。
 先生のお話によると、病気は3つ。
 1つ目は臍帯の異常。3本ある血管のうち1本が仕事をしていないとのこと。
 2つ目は心臓の異常。左右で大きさが3倍位違うとか。
 3つ目は口唇口蓋裂。
 そこまで一気に説明を受けると、サヨちゃんは検査があるとかで席を外しました。
 なので、私は先生に
「この子は自立できるでしょうか」
と、聞きました。
 先生は、
「うーん…息するかな?」
と、応えて下さいました。

 何でも、臍帯に問題がある場合、DNAに何らかの異常がある確率が50%位あるらしく、うちの子はさらに他の症状もあるので、生まれても息をするかどうかわからない。とのことです。
 さらに先生の話は続きます。
「もしも、赤ちゃんが息をしていなかった場合、選択肢は2つ。1つは、人工呼吸を始める。最初は小さな手動ポンプで空気を送り、呼吸か始まったら人工呼吸機に切り替える。人工呼吸は始まったら止められません。 そして、もう一つの選択肢は、何もしないことです」
そして最後に
「本日、お父さんに来ていただいたのは、その選択をしていただくためです。出産直後のお母さんに、その選択をしていただくのは、あまりに大変なので」
と、私の役割も指示してくださいました。
 なんともかんとも、事態がどんどん進んでしまい、気持ちがついていきません。
 そこへサヨちゃんが戻って来ると先生は、
「では、今から始めましょう」
と言うのですが、そんな気持ちになれません。先生に、あーでもないこーでもないと屁理屈をこねて、一度、教会へ戻ることにしました。

 あまりたくさんの時間はいただけませんでしたので、おさづけとお願いづとめをさせていただきましたが、その前に、夫婦で心定めの相談をしました。
 当時、私達があずかっていた小さな教会は、人も物もお金も、たよることのできるものなんて何もありませんでした。そして、自信も…
 なので、途方もないお供えや、現状以上のご用、華々しい成果etc…何一つ心定めをする気持ちになりませんでした。
 最後にたどり着いたのは、何が起こっても【喜ぶ】ことを夫婦で定めました。もはや、心意気しか定めることができなかった事を考えると、当時は本当にギリギリの生活だったなあと思います。

 そんな夫婦の相談がまとまり、病院に戻りました。全く産気付いていない状態からどうなるんだろうか?と思いましたが、余計な心配だったようです。
 サヨちゃんも
「まだまだ時間がかかると思うから、一度に帰って来たら」
と、言ってくれましたので、またまた教会へ帰り、お願いづとめをして病院に戻るとサヨちゃんは分娩室に移動していました。
 私達夫婦は立ち会い出産を希望しませんので廊下で待っていると、間も無く生まれた気配がありました。

 分娩室に入ると、看護師さんが私に子供を見せてくれました。こどもは部屋の一番奥で「ヒーヒー」と泣いていました。

 そう!息をしていたのです。

 私は、この時【息をしていること】を、おそらく人生で初めて感謝しました。心から感謝しました。
 人として生まれて息をしてくれたことを感謝しました。
 私がその日まで天理教の中で育てられたのは、この感謝を、ちゃんとするためだったと思います。
 奇跡や不思議が起こるのも、息をしていてこそだと頭では解っています。過去の経験では、「息をするなんて当たり前すぎて、感謝の対象にならない」なんて話を聞いたこともありました。
 しかし、息をしないと思われていた子供は、確かにかすかな産声を上げていたのです。その産声に、心の中で繰り返し繰り返し感謝をしていると子供の泣き声が変わってきました。ヒーヒーからオギャーへと力強く変化していったのです。そして、全身に全身に赤みがかり、見るからに元気そうになっていきました。・・・もちろん、全部私の主観です。

 心臓の症状から心配されていた心肺機能の状態も、血中酸素濃度を見る限り問題なしとのことでした。
 ほっとした表情をしたのでしょうか、しかし、先生の仰るには、生まれてすぐっていうのは勢いで動くこともある。次は3時間後にもう一度来て下さい。とのこと。
 夕方、病院へ行くと血液検査をしているところでした。しばらくまっていると、今のところだいたい大丈夫。初日は乗り切ったようですね。といわれました。
 後日聞いたところによると、出産の日その時間、救急車が病院の外で待機していたとのこと。お医者の見立てでは、生まれてすぐに市立病院へ直行だろうと。その日は、専門の先生が市立病院で診察をする日でしたので、日をずらすことは出来ないし、時間が遅くなることも出来ないってことでした。

 通常より少し遅れた退院の日を迎えました。
 先生の指示で、そのまま市立市立病院へ行くことになりました。
 その日は、大学病院の循環器内科の先生の診察がある日で、それに合わせての退院です。当然、子供はそのまま入院だろうと思っていました。
 が、予想に反して、そのまま帰って良いとのことになりました。
 それから、毎週の病院通いが始まるのですが、2回ほど通ったところで、もう来なくて良いということになりました。
「心臓の大きさが左右で違うらしいのですが?」
と、聞くと先生は
「もう誤差みたいなものだから気にしなくても大丈夫、下の方がつながってるところがあるけど、そのうちふさがるでしょう」
とのことでした。
「なんかの拍子に治っちゃったてことですか?」
と、おして聞きますと
「そういう話は聞いたことがない」
と応えたその上で、心電図の見方を教えてくれました。
それによれば、生まれた直後にあった能力差は、3週間後にはよく分からないことになっていました。とても不思議なことです。

 これから後、沢山の不思議を体験するのですが、別の機会にお知らせできたらいいと思っています。一方、困った問題もやっぱり沢山体験しました。その度、親神様から「ちゃんと喜んでるか?」と、聞かれているような気がします。

 タイトルに話を絡めれば、これが私の入信の動機です。
 それまでも、教会長として、あるいはようぼくとして色々体験させていただきました。端からは一生懸命やっているようにも見えたかも知れません。
 けど、それはちょっとお与えいただいた小恩を自分がしたかのごとく振る舞うような態度だったと思うのです。
 このときの身上を通して、普段気にもとめない、あるいは頭では解っているつもりになっていること、人が人として生きる最初の、そして出直し直前の最後まで頂く御守護の、呼吸について身にしみて感謝したことで、私の神様の御守護、生かされている大恩に対しての感じ方が変わりました。
 そして、何より自分の子供を結構に生かして下さった、このご恩は一生報じていこうと考えています。

蛇足ですが…
 この出来事は、36歳の時の話です。
 教会で生まれて36年、とりあえず道専務のレールに乗って16年、会長として教会を預かって8年、上級教会や大教会においてもご用を任されることが多くなって来た頃の話です。
 要は、さもお道のこと知ってます的な振る舞いの頃です。
 高校を卒業してすぐにこの道のレールの上を歩き始めましたので、年齢の割にはキャリアだけは長く、わかった風な事を語るのでわりと使いやすい人だったかもしれません。
 けど、心をたずねれば、お見せ頂いた神様の姿のわりに、疑い深く、好きになれず、素直になれず…、要は信仰者としてどうよ?な人だったと思います。この胸の内は、外から見えないが故、本当に不適合だと思います。
 しかし、神様は、不思議なおはたらきをはじめ親や理の親、周囲の先輩方を通して長い年月をかけて、生かされている事、そのおはたらきをじっくり仕込んでくださいました。
 時々見聞きする、天理教でいることの不満や不足、不安は、胸が締め付けられる思いです。だって私はずーっとそう思っていましたから。
 目の前に起こること、勝手に耳に聞こえてくることなんて喜べないことばーっかりで、早く逃げ出してやろうと思っていました。
 はからずも、うっかり歩き始めたレールの上でも、ずーっとそんなふうに考えていました。
 不思議な御守護?
 当然、見せていただきましたよ沢山。
 おさづけを取り次ぎ、ガンも御守護いただきました、喘息の息がスっと通ったこともあります。寝返りもうてない方がその場で立ち上がりました。もちろんおさづけ凄いと思いました。
 けど、【生かされている】からこその事だと身に染みるまでは、なかなか解らないものです。
 もしも、教会に生まれたり、お道に引き寄せられた親に育てられたりする、不満たらたらな幸運な方がこの記事を目にして下されるなら、是非とも他人のたすかりを願い、行動に移してみていただきたいのです。
 今、あなたがどう思っているかは解りませんが、少なくともその方法は天理教の中にあります。(他所にもあるかもしれませんが・・・) 
 そうして通っているうちに、なんであなたが天理教に引き寄せられたか解る日が来るかもしれません。それが、あなたの入信の日でありましょう。
 その日がくると、あなたがそれまで嫌々行っていたお供えやひのきしんと呼ばれる活動やおつとめに喜びや納得が見いだせると思うのです。

 私、自らが納得して入信するまで36年、この道にどっぷり浸かってかかりました。
 きっと、多くの人はもっと短くても大丈夫だと思います。
 

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