続々・まるりんは諭達をこう味わう〜大切なことは最初に【貧に落ちきる】に思う〜

 まぁ、今はちょっとなぁ〜しょうがねぇか…な〜んて、妥協がだーい好きだったりしますが、それって、やっぱり後出しかと、とりとめなく考える今日この頃と反省しきりですが、皆さん如何お過ごしですか?

 天理教の色々って大切なことの表現から始まる気がするんですね。 もー本当に最初からですね。どのへんかというと、約束の年限が経って神様が中山みき様に降りて来たときからそうなんです。「一列をたすけるために天下った」この【たすける】は天理教用語のたすけるですから、【人をたすける心になる】ことをいいます。一列が人をたすける心になりますから、たすけあいの世の状となります。この世の状を【陽気ぐらし】といいます。 天理教は、人間が陽気ぐらしすることが目標だったりします。そして、それを最初から神様は宣言してるんですね。

 さてさて、教祖140年祭を迎えるにあたり発布された諭達第四号ですけどね、そろそろ皆様も咀嚼が進み、それぞれが雛形の後ろ姿を辿られていると思いますが、雛形の最初「貧に落ちきる」って、消化されましたか? 諭達には、『教祖はひながたの道を、まず貧に落ちきるところから始められ、…』とありますから、ワタクシ的『大切なことは最初理論』で考えると、貧に落ちきることはかなり大切な意味がありそうです。
 『大切なことは先に言う』がテーマですので、結論から先に出力しますと、要は

『貧に落ちきるひな形とは』心を入れ替える具体的な作業、表現だった。(まるりん的解釈)

って気がします。
さて
「もともと貧しい私はどーしたらいいのさ?」なーんて思ったりしますが、このことを、心を入れ替える具体的な作業として考えると、金銭や財産を出しつくすことのみを指しているのではなく、その状態やその先に大きな意味があると私は思うのです。 

 天理教教祖伝 逸話篇では、

4.一粒万倍にして返す
『貧に落ち切れ。貧に落ち切らねば、難儀なる者の味が分からん。水でも落ち切れば上がるようなものである。一粒万倍にして返す。』

と、教祖のお言葉が記されています。 このお言葉って、前段『…味が分からん』で終われば貧に落ちきる理由ですが、そしてどうなるのかまで言及されています。一粒万倍にして返してくださるワケです。
 諭達にもありますが、月日のやしろとなられた教祖が、最初になされたのは嫁入り道具をはじめ全ての財産を人々に施され、貧のどん底へ落ち切られることでした。
 私は、母屋のとりこぼちが、形として象徴的な出来事だと思っていますが、その後10年の時が過ぎてつとめ場所の普請がされ、更に現在の神殿、更におやさとやかたまで視野を広げれば、たしかに万倍の姿であるかもしれません。
 このけっこうな姿を見れば、出せば入る的な話もありっちゃありなんですが、ワタクシとしては色々考えちゃうんですね。 そもそも、神殿が個人の財産であれば万倍にして返されたってことなんでしょうけど、そんなことはありませんから、取り扱いの前提が違っていると思うんです。
 今日は、そんなこんなワタクシの屁理屈を出力していこうと思っています。
 さて、先ほどから書いています通り、嘉永6年、中山家は母屋を取毀ちて売り払います。この時のことを教祖伝では

 母屋取毀ちの時、教祖は、「これから、世界のふしんに掛かる。祝うて下され。」と、仰せられながら、いそ/\と、人夫達に酒肴を出された。

と、記されています。
 おそらく教祖には、世界のふしんの第一歩たるつとめ場所や、その後の今日の姿もお見えになっていますから、悲しむどころか嬉しいだけなのです。
 ところが周囲の人々はそんなことは解りませんから、先祖代々築き上げてきたものがなくなったことに目が奪われてしまうということなんじゃないかと思うんです。
 ましてや、更にその後10年間のことを教祖伝では

 教祖の五十六歳から凡そ十年の間は、まことに容易ならぬみちすがらであった。働き盛りの秀司も、娘盛りのこかんも、一日として、これはと言う日もない中を、ひたすら、教祖の思召のまゝに素直に通った。

と、特に記してあるほど大変な道中ですので、母屋取毀ちを喜びにくい日々が十年続いたと想像しますが、お二人は、その中をも素直に通られたんですね。

 さて、なぜ私が、母屋取毀ちを貧に落ちきる象徴と思うかなんですが、その財産としての質なんですね。先祖代々積み上げてきた財産です。
 人間的な価値観の象徴とみることはできないでしょうか。喜びの汗もあったかもしれない、我慢の気持ちもあったかもしれない、もしかしたらちょっとのほこりも…
 そんな、人間的価値観に基づいた物やお金で、人はたすけられないということなのかなと。
 故に本当に徹底したひながたなのだと思うんですね。
 正直に言えば、私なんか足下にも及ばないワケですよ。こっそりなイロイロってやってますもん。けど、当時のお屋敷は違った。人間的価値観のモノはホントに出し尽くした。 だって十年の間、今日炊く米がないって日が何日もあったワケ、全部出し尽くしたのです。こっそりイロイロなんてやりようがなかったんです。
 ここに隙があると、このひながたを通して伝えたい【心の入れ替え】に、加減ができる。ってことだと思うんです。このくらいやっときゃいいか…てな定規ができるワケです。
 たまに『…表門構え玄関造りでは救けられん。…』って言いながら、その後はスゲーの建ってんじゃん!って言う人いるんですが、この場合の【表門構え玄関造り】って人間的価値観による良さとか大切さみたいなモノかと思うんです。
 その後、例えば現在の礼拝場の出入り口をして、壊した家よりデケーじゃん的な指摘もあるっちゃあるんですが、個人の家の玄関と、たくさんの参拝者の出入り口とでは当然、大きさも強度も違うわけです。それを同列に並べてもねえ…
 どういうことかというと、たとえ一見、大きな立派なモノがあったとしても、それは人間的所有物の価値観とは違う領域で考えられているってことを言いたいわけです。

 さてさて、本当に人間的価値観に基づいたイロイロを出し尽くし、いよいよつとめ場所の普請が始まります。
 飯降伊蔵先生が、奥様の産後の患いをおたすけいただいたお礼の気持ちからお社の献納を思いつかれますが、教祖は『小さいものでも建てかけ』と仰いますので、当時の先生方と相談され、それぞれが真実を持ち寄るというたすけ普請がいよいよ始まります。
 この時の建物の大きさが、大きいとか小さいとかということはどうでもいいわけで、そのとき寄った金品や労力が、たすけていただいた感謝の気持ちであるということ。そして最初に造ったのは、世界たすけのおつとめをつとめる場所であったことに注目したいワケなんです。

 おそらく、中山家のお屋敷は決して小さなものではないと思うのですが、建物の設計思想であったり、その建築にまつわるイロイロは人間的価値観によるモノが大きいと思うんです(当たり前)。
 そういう。イロイロを一度無しにして、世界たすけのおつとめをする場所として、神様に対する御礼、世界たすけに寄せる誠の心の結集した建物への入れ替えが、ワタクシ的には【貧に落ちきる】の意味なんじゃないかと思います。
 心の状態も同様でどうしても、我さえ良くば…の心が出る。
 故に、一度自分の中の価値観を棚に上げて親の心にどれだけ近づいたかという定規を用いる。その棚に上げる作業、具体的に表すと、貧に落ちきるということになるかと。
 でも、それって嫌でしょ?ロボットか?とか言われます。
 大丈夫、そもそも【ほこり】なんてどっからでも入ってきますし、なんなら自己生成しますから、完全な無感情になんかなれないです。
 別に金品なんて果たさなくたっていいんです。心さえ入れ替えることができるなら。
 けど、教祖はそこを通りきってくださった。これをもって、他人の行動を計るのはナンセンスですが、自分の行動は計るべきでしょう。ちょっとでも近づけるよう。

 先日、ちょっとした話の席で、
「日々の生活の中に、仕事でも家庭においても、周囲の人に喜んでもらおうという気持ちでことに当たられたらいかがでしょう」
と、申し上げたんですね。
「今は、ちょっと難しいです」
って、答えでした。
 無理もない状況でした。
 まずは、自分の伏せ込みの足りなさを自覚し、その上で心の入れ替えの大変さを実感しました。
 故に、教祖は貧に落ちきる道中に一切の妥協がなかったのかと改めて思います。
 


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