心を育てるという作業

 そんなモノがあったら、俺が知りたい!
 55歳まるりんは大声で叫びたい。

 それはともかく、天理教にはおさづけの理があります。
 9度の別席を運び、きれいになった心に戴く、神様のおはたらきを取り次ぐ理です。

 このおさづけの理は、ほんの数年前までは、誰でも願い出ることができましたが、5年位前から、教祖に代わっておさづけ下さる真柱様の身上から、願い出の人数に制限ができました。
 それまでは、おぢば管内の高校生は卒業までに、一般の願い出もおはこびのある日であれば、希望の当日に予約もなく願い出ることができました。

 さて、なかなかおはこびの願いでも自由にできなくなってから、当教会には二人が満席者(9席の別席を運び終わった人のことをこう呼んでいます)になりまして、いつ声がかかるかなあと、その日を待っていました。
 ある日、所属教会の会長である私のところへ電話がありまして、一人おはこびされてはいかがでしょうと案内をいただきました。おさづけのおはこびが再開されて、当大教会最初だそうです。
 で、では早速ということで、二人でおぢばへ帰り、無事、おさづけの理を拝戴いたしまして帰り道のこと。
 当時その信者さんは山梨県に住んでいたんですが、「このまま東京へ連れて行ってくれ」といいました。「東京にどうしてもおさづけを取り次ぎたい人がいる」とのこと。
 何でも、子供頃、とてもかわいがって下さった方で、最初のおさづけはどうしてもその方に取り次ぎたいんだとか・・・
 ああ・・・そんな風に成人して下さって、たいした会長でもないのに、大してお世話取りも出来ないのに・・・もったいない、ありがたい気持ちでいっぱいになりました。 なんだか、自分がそう思ったわけじゃないのに、とても嬉しくて嬉しくて東名高速を急いで帰った記憶があります。

 それから、数年が過ぎ、9席を運んでから2年間待機の信者さんが、突然私のところへやってきまして、「このままじゃ間に合わなくなる。何とかならないのか」と言ってきました。
 当時、私がおたすけにかからせていた方に、その信者さんも大変お世話になったので、どーしてもおさづけを取り次ぎたいと。
 色々な感じを色々してみたところ、「明日いかがですか?」的なお返事をいただき、当人に伝えると、そのままおぢばへ帰りました。
 沢山の方にお世話取りいただき、おさづけを拝戴して、無事その日に間に合うおさづけを取り次ぐ機会をいただきました。

 まるりん分教会は、初席やおさづけの拝戴は多くないのですが、極力その節目は同席させていただきたいと思っています。
 まあ、何が出来るわけではないんですが、こと別席やおはこびについて会長や理の親の姿勢より他に伝わるモノはないんじゃないかな。
 それにしてもこの2人の姿勢は、私にとってこの道を通る上で大きなご褒美の出来事でした。
 私も姿勢を正したいと思う今日この頃・・・

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?