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【映画考察】「利き手」から見るルックバック
※注:当記事には映画本編のネタバレを含んでいます。ぜひ、映画をご覧になってからお読みいただけますと幸いです。
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ルックバック、最高だった。
みんな大好き藤本タツキ先生の、読み切り公開時から大反響だった作品が劇場で観れるということで、ふだんあまり映画を観ない多くの人も足を運んだのではないだろうか。私もその一人だ。
ひとたび上映が始まったら、終始ボロボロ泣いてしまった。
あるシーンでは創作に憧れていた子どもの頃の自分を、またあるシーンでは寝食を忘れて泥臭い作業にはげむ今の自分を重ねて、深い共感が呼び起こされた。
観る人によって強く感じるものは違うと思うが、この作品が観た人みんなに総じて響くポイントは、「つくる人」をめちゃくちゃ丁寧に描いてくれていることではないか。
つくることで評価される、至上の辛さと嬉しさ。
ひとたび創作者になったら、つくることでしか報えない・報われない宿命。
承認欲求を創作のエンジンにすることへの、少しばかりの後ろめたさ。
多くの「つくる人・つくりたい人」の思いを、とても高い解像度で優しく肯定してくれる映画だった…と私は感じた。
そんな、観た人の数だけ感じるものがある作品だからこそ、観た後に語りたい熱が収まらないし、語り合う時間がめちゃくちゃ楽しかった。その中で、デザイナーの友人が興味深いことを言ったのだ。
「京本は左利きだったよね。
デザインでも天才肌の人って左利きのイメージあるから、合ってるなと思った。」
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なるほど!?!?!?
京本が左利きであることに私は気付かなかったし、気にもならなかったので、この発言はすごく目から鱗だった。
その後、考えていけばいくほど、この「利き手」という設定はこの物語の中で大きな意味を持つ、面白い要素ではないか…と感じたのだ。
そこで当記事では、「藤野・京本の利き手」にフォーカスして考察してみたいと思う。
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人と同じだから迷う藤野、人と違うから閉じこもる京本
主要登場人物である藤野・京本の2人は、それぞれ藤野が右利き、京本が左利きとして描かれていた。
ここで、2人のパーソナリティを考えてみる。
2人とも、小学5年生の頃からクリエイターとしてのセンスと異端性を見せている点は共通しているが、その様相は大きく異なっている。
藤野は、特に脚本・構成の才能が強調されている。
また運動神経もよく、友人とも打ち解けているなど、クリエイターとしてだけでなくどんな道でもある程度、要領よく生きていけそうな社会性・順応性がある。
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※この時点では、藤野の名前は「三船」となっている
対して京本は、特に画力の才能が強調されている。
また藤野とは対極に、不登校で友人もおらず、口下手で、物理的にも精神的にも自分の世界の中で生きている。
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これらのポイントと、2人の利き手を重ねてみる。
まず藤野の「右利き」だが、脚本・構成と関わりが深そうな言葉や論理的な組み立ての脳機能は、左脳が司っている。そして、対応する体の部位は逆なので、手であれば右手である。
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また「右利き」というマジョリティの特性が、異端性を色濃く持つ藤野の中に「自分は他人と同じ」という自意識を潜在的に植え付けたのではないか。
これにより、クラスメイトや家族に順応し、クリエイターになることを放棄して ”真っ当に生きる” 道にも進んでみたり…という葛藤が生まれた、と推察することができないか。
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そして京本の「左利き」だが、画力と関わりが深そうなイメージや直感の脳機能は、右脳が司っている。対応する手は左手だ。
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加えて「左利き」はマイノリティな特性であり、だからこそ京本の中に「自分は他人とは異なる」という自意識を潜在的に植え付けたのではないか。
これにより、他者と関わることへの苦手意識と、一方で周りに流されずに自分の好きな道を信じられる孤高性を助長した…とは考えられないか。
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京本は左利きだから、藤野の右腕になれなかった
そして2人は出会い、メインストーリーを構成する藤野の右腕と、背景を担う京本の左腕が合わさって「藤野キョウ」という漫画家ユニットになる。
2人は文字通り腕を磨き、クリエイターとして完成されていく。
しかし、晴れて高校卒業とともに連載デビューとなるタイミングで、京本が漫画を辞め、美大への進学を告白する訣別のシーンに至る。
ここが、京本が左利きであることの最大の伏線回収であると私は感じた。
左利きという特性が、画力に才能を向けさせ、自分の道を信じる力を育んできた結果、ついに京本の口から「藤野の右腕にはなれない」ことを宣言させたのだ…と。
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その後、左腕を失った藤野キョウは、売れながらも葛藤し続ける。果てには、二人の訣別は永遠のものとなる。失った大切なものに報いるには、結局描き続けるしかない…そんなラストシーンが描かれる。
・・・この仮説に基づけば、もし2人の利き手が生まれつき逆だったら、つまり藤野が左利きで、京本が右利きだったら、パーソナリティは大きく異なっていたかもしれない。
例えば、藤野は幼少のころから「自分は他人と違う」自意識を増幅し続け、漫画の天才かつ異端者としてクラスメイトや家族の意見を突っぱね、自身の道をひたすら突き詰める孤高のクリエイターとして大成したり。
逆に京本は「自分は人と同じ」自意識が生まれ、ある程度の社会性を身に付けて不登校にもならず、「絵が上手い一般人」に成長したり…など。
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原作の京本は右利きだった!?
大前提として、これまで述べたことはあくまで私の中で納得しているだけの深読みだと思っている。
が、そんな考察がこの上なく楽しいのも、ルックバックという作品の素晴らしさかもしれない。
ただ、このnoteを書くにあたって原作を読み返してみたところ、興味深いことを発見した。
原作では、京本は右利きとして描かれていたのだ。
それを、劇場版ではあえて左利きに描き換えた…ということからも、藤野と京本という2人の登場人物の対比を際立たせ、利き手に明確な意味を持たせようとしたのではないか。
そんな意図を感じ取っても、不自然ではないはずだ。
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並行世界の京本は左利きじゃない
最後に、利き手のテーマでもう一点興味深い箇所がある。
それは、京本が殺されずに済んだ世界線…つまり並行世界の京本は、右利きで描かれているということだ。
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並行世界での物語をどう受け取るかは、観た人によってもかなり別れるポイントだと思う。
ただ、「利き手の逆転」に気付くことで、ある程度物語の意図が絞られるのではないか。
例えば、以下のような解釈ができると考えた。
・右利きの京本は、本当の京本ではない
=あくまでこの世界には存在しない物語であることが強調されている
・右利きなのは藤野
=失意の中の藤野の心象を描いた物語である
いずれにせよ、「京本が亡くなっている現実」は確かに存在していることを強調する残酷な描写ではないかと思う。
ただ同時に、並行世界のストーリーは、漫画を描くことが亡くなった京本に報いる唯一の道だと示す描写でもある。
この物語を通じて描かれた、「つくる人」を取り巻くむごさと希望には、多くの人々が共感し、勇気付けられた部分があるのではないかと感じた。
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おわりに - ルックバック、最高!
総じて言いたいのは、ルックバックは最高な映画だということだ。
つくることの辛さ、儚さ、美しさ、嬉しさ、他にも全てが詰まっている。
これから先も、つくる者としての気持ちや矜持を取り戻したいときに何度も思い出すだろうし、見返していきたい。
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おわり
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