こんなことばっかり書いてる下書きが2年分あるし今後も溜まっていくんだろうな

大学4年の、あの何もなかった1年間のことばかり、いつまでも考えてる。
どうせ何も達成出来なかったんだから、もっとさっさと諦めちゃって、もっともっとグダグダした生活を送るべきだったんだろうな〜

4月くらいに全部、部活も大会も何も出来ないし、どうせ頑張ったって就職なんて出来ないから何も考えずに何も気負わずにダラダラしちゃえ!って振り切っちゃえば良かった

そしたら、泣き疲れる以外の眠る方法がわかんなくなったり、他人と比べて落ち込んだり心がジリジリ擦り減るのが恐くてほとんど誰とも連絡を取らなくなったり、その結果友達が減ってるのに周りのみんなが遊んでるのを見るのも嫌でSNSも見れなくなったり、そんな風になる必要、全くなかったのにね

ひたすらラジオ聴きながら自炊したりお風呂入ったりお散歩したりテレビ見たり本読んだり寝たりして、ラジオがなかったらもっともっと荒んでただろうな〜とか思うけど、ひとつも内容なんて覚えてないな

毎日いっぱい大声で泣き喚いて、なんで泣いてるのか自分でもわかんなくて過呼吸になって疲れて寝落ちして、朝8時くらいに母親からモーニングコールが掛かってきて、返事して起きたフリだけしてまた夕方まで寝て、起きたらラジオ聴きながらシャワーして、ゴッドタン見ながらドライヤーして、味の素の冷凍餃子を綺麗に焼いて食べる。たまーにバイトに行ってラーメンを売って食べて帰ってくる。

本当にほとんどそれだけの生活が、最高だったな

最高だったのに鬱なせいで「今日もわたしは何もしなかった」って夜中に思って泣き喚いてたんだった。最高の日々を過ごしているのに。

あとは家の近くに河川敷があったのもありがたかった。歩くだけで誰もが思い描ける平和な感じがするから。春なんてシャボン玉しながら歩いてたし。マスク外してるのバレるね。

支えてもらった実感がかなりある、あの2人がいなかったらあの1年間は生きていけなかったと思うし、今わたしは生きていなかったかもしれないなと思う。まだ学生だった可能性も大いに。ゼミと卒論だけなのに教授に本気で休学を勧められたし。そこまでひどい鬱だったのかな。
たくさん一緒にご飯を食べたり、なわとびをしたり、花火をしたり、シャボン玉をしたり、お花見したり、お昼寝したり、お泊まりしたり、スーパーに行ったり、餃子を焼いたり、冷凍炒飯の一番美味しいアレンジをひたすら考えたり、コメダでドデカいものを食べたり、河川敷をお散歩したり、誕生日を祝いあったり、本当にズッ友だな〜と心から思って過ごしてた。ありがとう。わたしはあなたたちの支えにはなれていたのかな。

一人暮らしだったのも良かった。あんな時に実家で規律正しい生活をしてないことを指摘されるのも、指摘されないために規律正しい生活を送るのもどっちも無理だったと思う。

あ〜年末からまだ働いてないし、家に家族もいない堕落した日々を送ってるからこんなこと思い出してるのかな。

思い出すこと一つひとつが地味過ぎてびっくりしちゃうけど、わたしにとってのしあわせは、生活の中にあるってことなのかも。大きい仕事が出来るとかそういうの全然必要ないかもしれないな。業務内容が楽しくなくても、早く帰って自由な時間がある方が向いてるのかも。

自己分析やっぱり下手だし、自己アピールはもっと下手だから、就活したくないけどな。