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私の家族

祖父母の家で同居し始めて、家族と一定の距離ができた今が心地いい。家族に対して客観的なれた。家族という存在のデカさも実感した。
だからこそ私の主観付きで、率直に、家族について書くぞ!!

まずは弟から。1個下の弟は、勤勉で、大学生になった今でもあらゆる課題に常に全力投球で取り組む真面目くん。頭の回転が速い理系頭脳で、たしかに賢い。彼は、生まれつき右手右足の筋肉が動かしづらいという、軽度の障害をもつ。小さい頃は弟のことをかわいそうだと思っていたし、なるべくその面については触れないように、家族みんなが気を遣って扱ってきた。私と弟は歳が近いうえに、小中高すべて同じルートを辿ったということもあり、それぞれで関わる機会も少なくなかったが、正直、弟については信頼できる友達以外に知られたくないと思っている自分もいた。
彼が感じてきた劣等感は、彼自身の性格に表れている。人一倍周囲のの目を気にして、他人と比較・判断する弟は、やりたいこと・チャレンジ精神があっても、それらを深く考えすぎることで行動に移すことができない。自分を出すことが怖いのだと思う。
私の知る限り、彼が友達と認める人物は一人だけ。そのため自分の中で抱え込むことが多く、情緒も不安定だ。特に完璧主義で優等生な母親とはぶつかることが多くて、家で激しいバトルが繰り広げられることも多々あった。

そんな中でなるべく波風立てないように過ごした私は、表面上でうまくやりこなす癖がついたように思う。

弟が理不尽なことに怒り散らかすのは日常だった。
それが面倒なことになるか否かは、母親の我慢具合によって左右された。
小学生のころ、今でも忘れられない恐怖体験をした。
いつも通り弟が気性を荒くしたことに対して、母親が我慢できなくなった。散々な言い合いを繰り広げても収まらず、その結果母親が弟を抱えて玄関を飛び出し、マンションから投げようとしたことがあった。
母親が本気だったかは今になっても分からない。
私は必死に母親にしがみついて、なんとか家の中まで押しやった。怖かったなぁ、、、。

上記が最も強烈であったが、弟が高校生になるまでは、揉め事の勃発は珍しくなかった。
手が出ることもあったし、包丁を手に取ろうとしたこともあった。
泣きじゃくる母親を諭して、弟の部屋へ話をしに行く。
隣の老夫婦からは何度も苦情を言われ、挨拶をしても返ってこなくなった。
誰にも言わなかったけど、今になるとよくこんな環境で過ごしたなあと思う。

次はそんな私の母について。3人兄弟の長女。几帳面・計画的・論理的という3拍子がそろった性格で、私と性格はほぼ正反対。そんな母は、私が小さい頃から常に正しいレールを用意してくれてきた。正しすぎるレール。勤勉さと好奇心を併せ持ち、用意周到、情報収集家の母はみんなの模範解答で、周りからの信頼も厚い。おかげで私は、ここまでそれなりに成長することができた。

そんな母親にとって、弟というのは一つの与えられた試練だったのかもしれない。小さい頃は毎日のようにリハビリへ通わせ、学校行事がある度に人一倍の心配を要する。弟から責められて泣き崩れる母親を目の当たりにした小学生の私は、「ウチは不幸でかわいそうな家庭なんや…」とさえ思ってたな。

私の父。一人っ子。私の性格は、基本的に父親譲りであるとを認めざるを得ない。感情的で、古風でいることを恥じない。むしろそれがいいと思っている面もある。自分にはない”アート”な何かに憧れる、という意味で夢見がちであるところも父親の影響だ。

高校生のころまで、ウチの主導権は母親にあると思っていた。しかしそうではないことを実感したのは、大学生になってからだ。それまで私たちの教育に関して一切口をはさんでこなかった(ように見えていた)父親が、毎日のように私に指図する。資格をとれ、留学をしろ、ニュースをみろ、社会の動きに興味をもて。内容は何一つ間違っていなかった。今思えば、私を想うがゆえの表れだが、その時の私は、大学生になってまで指図されることが許せなかった。また指摘される未熟な部分がすべて図星であったことも一因だろう。そんな父親に対して、私が反骨心を抱くようになることに時間はかからなかった。また母親に対しても同様だ。
強い意思や目標がないことを認める代わりに、「自由にさせて!」と無責任に放っていた1.2回生のわたし。恥ずかしい、、、。

就職活動という一つの分岐点にさしかかるにあたって、これまでのターニングポイントを振り返ったとき、私は自分の意思で何一つ切り開いてこなかったことに気付いた。いつも何らかの形で両親による誘導があって、それを振り切るような強い意思をもったことがなかった。二人が私を縛っていたのではなく、私に意思がなかった。だからこそ責任感の強い二人は、自分たちがレールを用意して、その環境を整え続けてきてくれていたのだった。

でもこのままだと、私はまた大切な決断を二人にゆだねてしまうと思った。自分の意思がわからなくなったとき、一人でじっくり考え、自分で決断を下すことが私には必要だと感じた。

そう思って家族のもとを離れ、卒業までの時期を祖父母の家で過ごすことに決めた。

この決断は間違っていなかったように思う。自分の育ってきた環境や家族のことを客観的に捉えられるようになったからだ。弟と比べて自立している、と思い込んでいた私だったが、自分がどれほど両親に甘えてきたのかも痛感した。

家族との関係も良好になった気がする。
弟のことは厄介人だと思いつつ、以前から仲が悪いわけではなかった。お互いに成人した今は、本音を打ち明けることのできる一番の存在だと感じる。私とは性格が正反対で、劣等感を経験した彼だからこそ、私の長所と短所の両方を把握してくれている。
母親はいつだって私の味方で、的確なアドバイスをくれる。信頼性バツグン(^з^)-☆
この歳になっても周囲への気遣いと自らの勉強を両立する母親は、本当に尊敬する。
趣味や性格、考え方まで、私は本当に父親に似ている。これはもう、紛れもない事実だが、本人には口が裂けても言わない。

問題家族だと思っていたときもあったが、
今はこのデコボコ感が面白い。
目に見えた家族との関係は、歳をおうごとに薄れているように思う。だからこそ、想うことは言葉で伝えるべきだなとも感じた。





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