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書く

情報力抜群のお友達が誘ってくれたコレ★

直感的にビビッときて、これまで紙やインスタグラムに記していた自分の発散日記をコレにシフトチェンジしてみよう。

これまで特に意識していなかったが、何かと心を整理したいときは文字に起こして発散してきた。きっかけは、小学生のころ先生が私の作文を褒めてくれたこと、という単純さ。それでも高校受験期ころからは、日記を兼ねたスケジュール帳をつけることが自分を整理する作業であったように思う。

この習慣は、約半年前から始めた祖父母との同居生活でも功を奏した。

祖父母の家は実家から20分ほどの場所にある。大学からも近いため、使っていない部屋で下宿させてもらうことになった。表向きは、祖父母の介護のため。でも本当の目的はもう一つある。私自身が両親と距離をとることであった。家族については書いたら長くなりそうだから、また明日にでもしよう。

近くに住んでいたこともあって、もともと会う頻度の高かった祖父母。超がつくほど能天気な祖母と、まじめで優しい祖父。

そんな二人との生活がここまで苦戦するとは想像していなかった、、、。

2人との同居を機に、「生活力」を身につけてやると意気込んでいた私。 最初の1~2か月は、朝7時に起きて掃除機をかけ、洗濯物を干して、近所へ買いものへ行く。合間に課題をこなしつつ、5時半の夕飯に間に合わせるという、大学生な自分を見失いそうになる生活。それでも楽しんでいる自分もいて、「自分は二人の為に良いことをやっているのだ」と思い込み、特に毎日の献立には尽力した。

二人との生活を通じて感じたことを記録するインスタグラムも始めた。作った料理を中心にしながら、生活習慣や価値観のギャップを面白おかしく綴り、家族たちがそれに反応してくれることがうれしかった。

そんな中、祖父が私の料理やらに対して不満を漏らしているのを盗み聞いてしまった私。今思うと60もかけ離れた他人同士の同居なんてスムーズに進むはずがないし、よくあるミスマッチに過ぎないのだが、その時の私は、自分の努力がすべて否定されたような気がして、悲しさとそれを越えた怒りが抑えられなかった。

怒りをぶつけるかのように、それまで何かと募っていた不満と併せて、自分の気持ちを赤裸々に書いて投稿した。なんで二人から感謝されていないのか。なんで大学生の私がここまで尽力して報われていないのか。なんのために、だれのために、あんなに頑張っていたのか。

思いをぶつけた投稿を通して、私は二つのことに気づいた。

一つ目は、「二人のため」と言い聞かせて尽力したことすべては自己満足であり、私がそれらに見返りを求めていたこと。自己満足であることを認め、自己満足で留める必要があった。そこに私は見返りを求めていたから、しんどくなっていたのだ。

二つ目は、自分の書いたことを他人に見てもらい、「いいね」という共感の意思表示を受けるだけで救われたということ。それまで楽しい面しか見せていなかった自分は、どこか強がっていたようにも思う。モヤモヤしたことを文字に起こして、それを私以外の誰かに見てもらう。自分の日記だけでは気づけなかった私がそこにはたくさんあった。

この一連も「書く」ことが私にとって大切だと再確認できたことの一つである。その時自分が感じたことをたどったり、言葉選びをする時間も嫌いじゃない。表現方法がわからなかった感情を、他のだれかが言葉で表してくれたときの興奮も好きだ!口が立つわけではない私は、書くという作業を通じて初めて、自分の本音に気付けるような…気がしている。

まったく、就活とは関係ないことをダラダラと書いてしまった。

こんな感じで、自己満足で、毎日コロコロ変わる私を書き起こしていこう★



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